陽炎
再会をテーマに恋愛の短編小説を書きました。
――――雨音だけが耳に残る、夏の夜。
静かな自動車を迷いなく進める。
「ああ、もう少しだ」
街灯さえほとんどない、ヘッドランプだけが頼りの中、俺は独り呟いた。
もうすぐ、あの山道特有の急カーブを――そこまで思ったところでとっさに右足が急ブレーキを踏んだ。
雨音だけの静寂に耳障りなブレーキ音が響き渡る。
自然の中に切り開かれた道、そんな作られた自然の中に1つの不自然。
そこには女性がいた。
道の真ん中に座り込みこちらを見ていた。
頼りない明かりで、はっきりとは見えないが間違いなく女性だ。
「こんなところで何を……」
ついに目まで可笑しくなってしまったのかと呟きつつも車を降り、女性の方へ足を進める。
「乗せてください」
女性は前置きもなくそう言った。
人生二度目の衝撃だ。
俺はきっと、もう一生、この瞬間を忘れることはできない。
その女性はあまりにも綺麗だった。
その綺麗さは、夜の雨の中、傘もささず道に座り込んでいた不信感を忘れさせるほどのものだ。
「いいですよ」
答えは勝手に口に出ていた。
俺の返事になぜか少し、満足気に女性が笑う。
俺はその表情に、人生で二度目の一目惚れをした。
振り返ると焚いたハザードランプの明滅に目がくらむ。
横からまた声がした。
「お仕事帰りですか」
「ああ、そんなところだよ」
「助手席乗ってもいいですか」
「シートベルトは忘れないでくれよ」
助手席に置いた鞄を後部座席に放り投げ女性を乗せる。
女性を車に乗せた俺は狭い道を何度も切り返し、来た道を戻っていく。
「スーツよくお似合いですね」
「そうかな、まだ着なれないよ」
中々会話は弾まない、でも不思議と気まずさはない。
「名前聞いてなかったね。俺はアキラ。夜が明けるの明」
勢いで車に乗せてしまったものの、名前も聞いていなかった。
女性は一瞬考えるそぶりを見せて「私はアイ。藍色の藍だよ」と言った。
藍の年齢は多分大学生くらい。少なくとも俺よりは若そうだった。
「どこまで送ったらいいかな」
「明さんの家まで」
「家には帰らないのか」
「家には帰れない……もう私の居場所はあそこにはないの」
事情を聞こうかと藍を横目に見る。
藍は眠たそうな表情をしていた。
普段なら知り合ったばかりの人を家に泊めるなんて考えられない。
でも今日はどうしてか、抵抗感はなかった。
「着いたら起こすから寝ていいよ」
「ごめんね。じゃあ、お言葉に甘えて。……おやすみ」
「おやすみ」
そう言うとすぐに小さな寝息が聞こえてくる。
こんな夜に、雨に打たれていたのだ。いくら夏とはいえ体は冷え、相当体力も消耗していたのだろう。
起こさないように、普段より丁寧に夜の道を走った。
「藍さん着いたよ」
俺が声をかけるも聞こえるのは寝息だけ。彼女はすっかり熟睡しているみたいだ。
「さて、どうするかな」
成り行きで連れてきたはいいものの、これからどうするのかをさっぱり考えていなかった。
訳あり感は満載だが、見た感じ20歳は超えていそうだから、まあ、いいか。
彼女のシートベルトを外し何とか立たせる。
「ここの2階だから、そこまで歩けそう?」
「……うん」
そうは言ったものの、支えがなくては立っていられないほどのおぼつかない足取り。
俺はここでも細心の注意を払い、自室までの階段を上った。
まだスーツも着なれないような社会人の一人暮らしにしては広すぎる部屋。
それでもここは俺の家だ。
「ただいま」
電気をつけ、そう口にする。
この言葉が独り言になったことを気にしなくなったのはいつからだろうか。
しかし、今日はいつも通りではなかった。
「おかえり」
明かりで少し目が覚めたのだろうか。寝ぼけた目をした藍さんが隣でそう答える。
この部屋で自分以外の声を聞いたのはいつぶりだろうか。
思わずフッと笑みがこぼれた。
さて、今すぐにでも寝たいと思うけど、さすがに濡れたままじゃ気分も良くないだろう。
「シャワー浴びるかお湯とタオルでさっと体拭くかできそうかな?」
「……シャワー浴びたい」
少しの思考の後、目覚めつつある目をこすりながら藍さんはそう言った。
「どうぞ、その間に着替えとか布団とか準備しておく。着替えは脱衣所に置いておくから、ゆっくり入ってきていいよ」
俺がそう言うと藍は素直に浴室へと向かった。
そこまで見届けてようやく一息つく。
少し思考の整理をしたかったが、聞こえてきたシャワーの音に遮られた。
「とりあえず着替え持って行っておくか」
……下着どうしよう。
さすがに出会ったばかりの女性を家に一人残して買い物に出るという訳にもいかず、買って袋から出していない男物の下着と、数日前に洗って干しておいた自分の部屋着やタオルを脱衣所に置いた。
まだ、シャワーの音は聞こえる。
ただ着替えを置いて出ていくには何とも気まずく、「着替え、置いておいたから」と一声かけて脱衣所を後にした。
テーブルに座る。対面にはもう1つの椅子がある。
今度こそ、とおもむろに机に伏せたままの写真立てを起こす。
一体どういうことだよ……葵。
写真は懐かしい最近の記憶を蘇らせる。
◇◇◇
「えぇ!最終面接泊りがけなの!?」
「あぁ昔から憧れの会社なんだ。万が一にも遅刻なんてしたくない」
「そうなんだ……」
「なんだよ、たかが一泊だぞ?」
「……うん」
「大丈夫、心配しなくても寄り道せずまっすぐ帰ってくるから」
「……わかった。信じるからね」
「葵、同棲始めた途端前より心配性になったよな」
「前から心配性だったの!でも文字に残すと重いでしょ?今はすぐ言えるから」
「なるほど、それじゃ葵に心配かけないためにも向こうのホテルではずっと通話つなげとくか?」
「いいの!?じゃあそうする」
「半分冗談だったんだが……まあいいか。いい気分転換にもなりそうだ」
「約束だからね?」
「おう」
「そういえばスーツ着て見せてよ。それ来て写真撮ろ!」
「第一志望前だからクリーニングに出しちゃった」
「えぇ、見たかったのに。まあいいかじゃあこのまま撮ろう!」
「いつもと変わらないのに撮るのか?」
「そういう気分なの!」
「はは、わかったよ」
遠い昔のような最近の記憶。
あれから少しして、俺は葵に送り出されて面接を受けに行った。
到着先のホテルでは持ち物の最終確認も早々に葵に連絡をした。
しかし、その連絡が返ってくることはなかった。
深夜まで待ってみたが、やはり連絡はなく、少し心配になったが面接のことも考えその日は眠ることにした。
翌日、朝になっても連絡が返ってくることはなく、俺は緊張感の中に不安も抱えながら、最終面接に臨んだ。
緊張自体は良い方向に作用して、俺は好感触で面接を終えることができた。
しかし、それを忘れさせるほどの知らせがすぐに飛び込んでくる。
俺は面接が終わり、これから帰るという旨の連絡をしようと面接中は落としていたスマホの電源を入れる。
するとそこには葵の友達や知らない番号と、いろいろなところからの連絡が入っていた。
目にした瞬間、今までに例のないほどの焦りや不安を覚え、とりあえず一番新しい番号にかけなおす。
かけなおしてすぐに相手は電話に出た。
「もしもし、いったい何が……」
俺が言い切る前に嗚咽交じりの怒声が耳をつんざいた。
「明くん!今どこなの!?葵が……葵がっ―――」
嘆きともとれるその声に圧倒され言葉が出ない。
俺の返事とは関係なく相手は一方的に理解のできないことを言った。
「葵が重症。昨日の夜から意識戻ってない」
少し落ち着きを取り戻し、そう言った相手の言葉で止まった思考が少しずつ動き出す。
「……何を言っているんだ?」
しかし思考が動き出しても理解することはできなかった。
脳が処理を拒んでいる、理解を拒絶しているようなそんな感覚を覚えた。
「とにかく早く病院に来て!」
そう言って自宅近くの大学病院の名前を言われ、何も考えないまま病院へ向かった。
正直そこからはどうやって帰ったのかさえ覚えていない。
急いで電車に乗った様なタクシーを止めたような、そんな曖昧な記憶しか残っていない。
何とかたどり着いた大学病院で電話をしてきた葵の友人に引きずられるように病室へつれて行かれた。
そして……そこで見たことを俺は一生忘れることはできない。
葵は俺が病院についてから1時間ほどして動かなくなった。
スピード違反に信号無視さらには飲酒運転まで、車両関係の罪を網羅するような車に突っ込まれたそうだ。さらに運転手は葵を撥ねてからもスピードが緩むことはなく、車が停車したころにはもうそこには車と呼べる状態のものは何も残っていなかったらしい。
そんな車にぶつかられた葵は頭を強く打っており、もう意識が戻ることはない。
床に臥せる葵はもう本人なのかどうか確認することはできないほどの状況で、それでも俺には葵だとわかった。
幸か不幸か、感情的な理解が追い付かないままだった俺はそのあとの様々な処理を淡々とこなすことができた。
そうして約1年という時間が過ぎ、ようやく感情が現実に追いついてきたところだ。
◇◇◇
「はあ、ようやく飲み込んだと思ったんだけどなあ……」
一人暮らしになってから独り言が増えた気がする。
いや、それは違うか。今までは独り言のようなつぶやきも拾ってくれる人がいたというだけだったのだろう。
もっといろいろなことを話したかった。
考え方が好きだった。
もっといろいろな景色を共有したかった。
自分とは違うまっすぐな捉え方が好きだった。
まっすぐで心地いいくらいの独占欲で少し甘えたがりの寂しがり。
心の底から惚れこんでいた。
「何を飲み込んだの?」
なかなか時間が経っていたようだ。集中すると周りの音が聞こえなくなるのは昔からの悪い癖だ。葵にもよく怒られたな。
振り返って息をのむ。
雨に濡れていた時とは印象が全く違う。
懐かしさに思わず目がかすんだ。
「なんでもないよ」
胸の底から湧き上がる熱いものを必死に抑えてそう答える。
「そうなの?なんでもないようには見えないけど」
俺は本音を隠すように少し笑って、「社会人には悩みが尽きないんだよ」と濁した。
風呂から出てきた藍さんとは不思議と軽口が叩けるような雰囲気になっていた。
「ああ、ごめん。部屋の準備まだなんだ。良ければ手伝ってくれない?」
「そんな、いいよ。私はリビングの椅子でも貸してもらえれば」
「遠慮しなくていいよ。どうせ長いこと使っていない部屋だから」
「お風呂でも思ったけど、この部屋結構広いよね」
「まあね。選ぶのに相当時間かけたから」
そんな話をしながらほとんど物が残っていない、空き部屋となっている部屋へと案内した。
「ほとんど何もない部屋だけど好きに使ってくれていいから」
言ってから気が付く。
最後に片付けて以来、掃除をしたのはいつだっただろうか。
無意識に開けないようにしていたためすっかり忘れていた。
「……明さん掃除道具ってある?」
「うん、ごめんね。最近忙しくて、使ってない部屋まで掃除が行き届いていなかった」
「一人暮らしなのにこんな大きな部屋に住んでるからだよ」
「全くその通りだよ」
「引っ越しはしないの?」
「……そうだね。今は忙しいから」
引っ越しはできない。いつまでも引きずるわけにはいかないと彼女のものは全て片付けたのに、いつまで経っても引っ越しに踏み切ることはできなかった。
彼女の居場所はここだけだったから。
「ごめんね。風呂上がりに掃除なんか手伝わせることになっちゃって」
「こっちこそ、仕事帰りで疲れてるだろうに、部屋まで貸してもらってごめんなさい」
「それはいいんだ。誰でもあんなところに一人でいたら声をかけるよ」
「自分で言うのもなんだけど、正直あの時間に山道で雨に濡れてるぼろぼろの女なんて、普通にホラーじゃない?」
「それはそうかもな」
「でも明さんは普通に声かけてくれたね」
「まあ、それが俺の普通だからね」
「うわぁ、今の発言だけでもわかる。明さんモテるでしょ?」
「どうだろうね。まあ確かに、男女ともに友達がいないことはなかったかもね」
藍さんの言葉に少しだけ不快感を覚える。
「じゃあ、彼女――」
「そろそろいいかな。俺シャワー浴びてくるよ。服とか気になるなら隣の俺の部屋のタンスあさってくれていいから」
藍さんがそれ以上口にする前に少し早口でそう言うと、俺は浴室へ向かった。
「……全然飲み込めてないじゃん」
そのつぶやきが俺に聞こえることはなかった。
シャワーを浴びていると熱くなった思考がだんだんと落ち着いていく。
体は熱くなっていくのに思考は冷めていく不思議な感覚だった。
ふと曇り扉の向こうに人影が見える。
曇り扉越しに見る人影はまるで陽炎のように揺らいで見えた。
「藍さん?」
「だれ、その女?いつの間に浮気したのアキ?」
紛れもなくさっきまでと同じ声なのに、俺はもう涙をこらえることができなかった。
「……俺が浮気なんてするわけないだろ。葵」
この扉の向こうに間違いなく彼女はいる。
この1年間片時も忘れることのなかった、生きている限り決して忘れることのできないとまで思った最愛の人。
俺はシャワーを止めることも忘れて急いで扉を開けようとする。
しかし、まるで予想していたかのようにその行動は止められた。
「待って、まだ開けちゃダメ」
「どうして」
「どうしても。お願い、まだダメなの」
「わかったよ」
久しぶりに聞いた恋人の声に、願いに抗ってまで自分の意思を通そうとは今の俺には思えなかった。
「聞きたいことはいろいろとあると思うけど、まずは私の話を聞いてほしい」
俺は無言で続きを促すほかなかった。
「暁 明《あかつき あき》の恋人、南空 葵 《みそら あおい》はあのとき確かに死んだ」
いきなりの発言に俺は理解が及ばない。では今喋っているのは一体だれなのか。
また葵と話せているという感動と状況の理解のために涙を流しながら脳が思考を始める。
「でも、私の一部は死んでなかったの」
「アキも持ってたでしょ?臓器提供意思表示カード」
「ああ、二人で映画見て感動して持つようになってたな」
葵の問いに辛うじて反応する。
「そうあれ、あれのおかげで私とこの子は助かった」
確かに聞いたことはある。
心臓移植を受けた相手に移植側の好みや嗜好が似ることがあるという話だ。
しかし、俺が間違えるはずはない。この声は間違いなく葵の声だ。
「この子は生まれて間もないときから意識がなかったそうなの」
俺の反応がないことを確認して葵は話を続ける。
「でも、色んなしがらみや大人の体裁とかたくさんのことが絡み合った結果、完全な医療体制の下この年まで生かされていたそうよ」
なんとも気分の悪い話だ。
というか、そもそもそんなことがあり得るのだろうか。
俺は一般家庭の生まれだし、そういう大人のしがらみや事情が子供にまでかかる様な世界のことは知らない。だからそれは理解するとしても……。
1つ確実に説明できないことがある。だんだんと意識が思考の海に沈んでいく。
「ちょっと、アキ聞いてるの?というか私の方こそ聞きたいことがたくさんある!」
どうして、藍さんの容姿は葵に酷似しているのか。
葵の話によれば、藍さんは意識のない中、完全な体制の下で生きてきていたということだったはず。
確かに、この世には自分と同じ顔の人間が自分以外に3人いるという話はよく聞く話ではあるし、そう言った人に実際あったことがあるわけじゃないからこの説が嘘であると確証は持てない。
でも明らかに偶然が重なりすぎている。
出身、年代、声や体に至るまで。
ここまで似ている、いや同じということがあるだろうか。
また、初めて見たときのあの感覚は……。
「ねぇ!ちょっと!」
そこまで思考を深めたところで、俺の思考は停止せざるを得ない状態に陥る羽目になった。
見覚えのある肌の質感。
風呂上がりで少し水分を残し、艶のある明るめの髪。
吸い寄せられるような瞳。
間違いない。これは、出会い頭に藍と名乗った目の前の女性は、葵だ。
体がもう放すまいと言わんばかりに葵を抱きしめる。
恥も外聞も関係なく、俺は子供のように泣きじゃくった。
「おいおい、アキ。いつの間にこんな甘えたさんになっちゃったの?」
少し怒気を帯びた最初の雰囲気とは打って変わって、もたれ合いながら生きていたあの頃のようだった。
そして、今度こそしっかりと聞かせるように話し始める。
「アキのスーツ姿、やっぱりかっこよかった」
改めて見る機会はなかったからね。
「でもなんか、知らない雰囲気だった。ちょっと嫌だった」
一緒に居なかったのはまだ一年くらいなのに変わっちゃって……。
「というか、アキラって誰よ。言い慣れてる雰囲気だったし、そうやって女の子をだましてたんじゃないでしょうね?」
「あんな妙な状況に何回も遭遇してたまるかよ」
ようやく少し落ち着きを取り戻して返事をする。
「あ、ようやく喋った。で、アキラってなんなの?」
「それより、いったい何がどうして葵がいるんだ?」
聞かれた質問には答えず、質問を返す。
「そうやって話したくないことになると、質問で返すところは変わってないね」
そう言うと葵は少しうれしそうにはにかんだ。
そうした後、「あとで絶対聞かせてもらうから」と言ってから俺の質問に答える。
「この子、私の双子の妹だったらしいの」
「は?確か葵、兄妹はいなかったよな?」
「うん。だからさっき話したでしょ。色んな事情があって意識のないまま生かされてたって」
「ああ、それはさっき聞いたが」
あ、やっぱりちゃんと聞いてはいるんだよね。そうこぼしながら葵は話を続ける。
「正直私もよく理解できないんだけど、あの最悪な家は、技術力だけは確かだから。全く空っぽな人間を生み出してここまで成長させる技術があることにも納得できる。それでも、人工的な技術だけで人間を維持させ続けるのには無理があったみたい」
葵の家……確か精密機器の工場ではなかったか?
「そこで、ちょうど私が死にかけだって情報が家に伝わった」
「それで葵の臓器が移植されたと?」
「そういうことみたい」
「いや、でもなんで葵がいるんだ?」
「それは私にもわからない。そもそもここまで私がはっきりしたのもついさっきだしね」
「どういうことだよ?」
「目が覚めてから、ずっと意識がはっきりとしなかった。でも漠然とあの家からは出ないとって思ってた。あの家のやつらも必要だったのは《《藍》》みたいな意識のないまま成長を続ける人だったみたいだから、移植後の私に意識があることが分かった後は1年間いろんな実験に付き合うだけで解放された」
全く理解できないが納得した。
「はっきりしたのがついさっきっていうのはどういうこと?」
「アキに会うまで、なんだかずっとぼうっとしてたの」
「でもなんとなく、今日はあそこに行かないといけない気がして。そしたらアキが来て、アキの顔見てはっきりした。私は藍じゃなくて葵だって」
「つまり空っぽな人間に葵の意識が宿ったってこと?」
「まあ、多分だけど。正直私も戸惑ってる」
「体に違和感はないのか?」
「ないとは言い切れないけど、双子だからかな?さっき鏡で自分の体をみたけど全然違わないように見えたし」
まあ、たしかに。俺にも違いという違いは全く見当たらない。
もう一度葵の姿をよく確認してそう思う。
………………。
「ねぇ、見すぎ。確かに何も言わず裸で入った私も悪いけど、アキがほかの人のこと見てると思うとイヤ」
「他の人って言われても、葵だろ」
「それはそうだけど、複雑なの!もういいでしょ?さっさと上がろう。いつまでもこんな格好で話してるとか、よく考えればすごくバカみたい」
別にバカということはないんじゃないだろうか。
もともと同棲していた仲ではあるし、というか俺は文字通りシャワーを浴びていただけで、まだ体も洗えてないから出たくない。
「まあ待て、俺はまだ髪すら洗えてない。続きは後でゆっくり聞くから少し待っててくれ」
「……じゃあ私もいる」
そう言ってお湯を張っていない湯船に足を入れ浴槽のふちに腰を掛けた。
どうやら今回は羞恥心より、他の感情が勝ったみたいだ。
「こんな格好で話すのはバカなんじゃなかったのか?」
裸突撃のお返しに少しからかってみる。
「いるだけだもん」
「屁理屈かよ」
「……もう離れたくないだけ。走馬灯ってね、ほんとにあるんだよ。私が死ぬ直前、アキとのことたくさん思い出したし、最後にはあの日にいるはずのなかったアキの幻まで見えたんだから」
落ち着きかけていた感情がまた膨れ上がる。
俺は間に合っていたようだ。かつての絶望に一欠片の希望が咲き、今日まで広がる闇を照らす一筋の光になったような感情を覚えた。
目頭が熱くなるのを抑えきれず、とっさに顔をシャワーへ向ける。
「ちょっといきなり何してるの?」
俺の突然の行動に驚きながらも葵が笑っている。
ああ……本当に……。
「おかえり、葵」
顔を伝う雫はシャワーなのか、涙なのか、もう今更どちらでも構わない。
「ただいま、明」
あの日失った熱が唇を通して全身に広がっていった。
◇◇◇
「さて、話してもらおうかな。」
風呂から上がった後、俺は再び葵に問い詰められていた。
しかし、突然戻って来た彼女に対して俺にだって言いたいことはたくさんある。
「じゃあ、お互い1つずつ質問に答え合っていくのはどうだ?」
「むぅ、問い詰めから逃げようとしてない?」
「死んだと思ってた彼女が突然戻って来たんだぞ、しかも何やら訳アリで。何も聞かないって方が無理だろう」
「まあ、それもそっか……いいよ、じゃあそうしよう。でも、先行は私ね?」
嬉しそうで、しかし確かな意思を持った言葉。
「分かったよ。じゃあ1つ目どうぞ」
「うーん、じゃあそうだな~。アキラって何?」
「え、それ?」
普段あまり見なかった真剣さに、いったいどんな質問が来るのかと少し身構えていたのだが……。
「いいから答えて」
「あーうん、そうだな。アキラってのはさっきまでの俺のこと、かな?」
「はっきり言ってよ。抽象的過ぎてわからない」
歯切れの悪い物言いに葵が少し怒り気味に聞き返してくる。
「……葵がいなくなったとき、俺はどうしようもないくらいに落ち込んだんだ」
「……うん」
「だから、アキには死んでもらった。葵と一緒にな」
「……」
「ほんとに耐えられなかったんだ。だから自分を葵と付き合っていたアキじゃなく、アキラとして生きることにしようって。そうやって逃げたんだ」
「そっか」
「ほんとにそれだけだぞ」
「……なーんだ、てっきり偽名使っていろんな女の子誑かしてるのかと」
「そんなわけないだろ……」
「そう、だよね。ごめん。でもちょっと嬉しくもある」
「嬉しい?」
「うん。明の気持ちを独り占めしてるっていうかさ。愛されてるな~って」
「……そうかよ」
そっけない反応をしてしまったが、1年ぶりに葵の笑った顔が見られて本音では嬉しかった。
「じゃあ次、アキの番。なんでもいいよ」
昨日までの俺ならもっといろいろ聞けたかもしれないでも、今はさっきの話の衝撃が強すぎる。
「葵の家って精密機器の工場じゃなかったのか?さっきは技術力がどうとか言っていたが」
「最初の質問がそれでいいの?」
「ああ、正直訳が分からなくてほかのことが考えられない」
「わかった。まず私の家は精密機器の工場で間違いないよ」
黙って頷き続きを促す。
「でも本家が研究機関でね。私も詳しくは知らないんだけど国からもモノが言えないくらいの大物がバックについてて、いろんな危ない実験をしたりしてるみたい」
そんなこと、あり得るのだろうか……。
しかし、今目の前に死んだはずの彼女がいることが何よりの証左だろう。
「まあ、わからないけどそれ以上は葵もわからないってことだよな?」
「うん。実はもともと家が嫌いだったからこうやって無理して大きい部屋を借りたんだよね。もちろんアキと一緒に住みたかったってのはあるけど、なにかあって別れることになっても出ていかなくて済むくらいの大きい部屋がいいと思ってた」
「だから部屋選びの時、あんなにそこら中見て回ったのか……」
大学生時代二人で住もうとなってから部屋探しに相当苦労した記憶がよみがえる。
「じゃあ、次は私の番ね」
「いいぞ」
突然、葵の纏う空気が重いものに変わった。
「なんでさっき、あんな山道走ってたの?」
「っ―――!」
それは……。
「私と出くわさなかったら、何をするつもりだったの?ちゃんと答えて」
俺が今日通っていた山道をもう少し進むとトラックなどの運転手の休憩用に作られた駐車場スペースがある。
そこには主のいなくなった車が多く止められており、現在では立ち入り禁止となっている場所だった。
端的に言えば自殺の名所というやつである。
俺は葵の問い詰めに答えられない。
「ねえ、いなくなろうとしてたんじゃないよね?」
問い詰める葵もとっくに分かっているはずだった。
「あのね、アキ。よく聞いて。死ぬのってすごく痛くて、苦しくて、悲しくて、辛くて、怖い物なんだよ。0になるまで、完全に終わりを迎えるまでずっとね」
……あまりにも重い言葉だった。
「今回はたまたま、偶然私がいたから良かった。……でも、でも、もう二度と何があっても自分で死のうなんて思わないで!」
葵の顔が見えなくなるほど目がかすむ。
「ごめん」
「許さない」
「本当にごめん」
もう顔を上げることもできなかった。
でも後ろから暖かいものに包まれて、今日まで続いていた嫌なものはすごく小さくなった。
耳元で声がする。
「さっきはアキには私と一緒に死んでもらったとか言ってたくせに、ずっと生きてたんじゃない。ごめんね。突然いなくなって」
優しくて懐かしい声だった。
「ただいま、アキ。今日からまたよろしくね」
1年間止まっていたままだった、無色の時間が色を取り戻していく。
どうか夢でないことを願って、いつの間にか目を閉じていた。
「おはよ」
目を覚ますと彼女は確かにそこにいた。
「ほんとに夢じゃなかったのか」
「うん。言ったでしょ今日からまたよろしくって」
陽炎のように揺らいでいた日々がようやく形を取り戻す。
「なあ、葵」
「なあに、明?」
「おかえり」
この時の彼女の笑顔は何よりも強く、俺の記憶に刻まれた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
現実ではありえない、でもあり得てほしい。
そんな話を書いたつもりです。
何かを感じていただけるようであればとても嬉しく思います。
愛の深いカップルっていいですよね!
もともと長編を書く予定でいたので、それ用の設定が見えている場面がありますがそこはご愛嬌と言うことで……。
別作品も鋭意執筆中ですので、お読みいただければ嬉しいです!メインはカクヨムですが、他の作品もひと段落つき次第こちらの方にも掲載していこうと思っています!
また、他の作品もお読みいただけると嬉しいです。




