42話 【ファティマという女】
ファティマ・ルルードは男を利用して生きてきた。
生まれ持った美貌を最大限活かし、利用し、近づいてくる男たちを手玉にとった。そうすることでこの生きづらい世の中を乗り越えてきた。不平等で優しさなんてひとかけらもない世界を、自分の持っているもので渡り合ってきた。
小さいころ「肌の色が違う、この子は異様だ」と故郷では輪に入れてもらえなかった。やっとの思いで向かった新しい町でも待遇はさほど変わらなかった。
徐々に風向きが変わってきたのはファティマが女性らしい体つきになりはじめたころ。今まで見向きもしなかった人たちが、ファティマの機嫌をうかがうようになった。とまどうファティマに説明をくれたのは母だ。流浪の身であちこちを渡り歩き、その美しさで周囲の男をかしずかせていた母もまた、似たような人生を送っていた。
少なからず愛に飢えていたファティマは言い寄ってくれる男のひとりを受け入れ、誠心誠意相手に尽くした。しかしうまくはいかなかった。幾度となく傷ついて、泣いて、そして気づいてしまう。
愛は利用するもの。
母のようにうまく立ち回るのが正解なんだ。
下手に心を預けるからつらくなる。だったら最初から割り切ったほうが利巧というものだろう。
気づいてからは早かった。
相手のふところに入り、甘え、優位に立った。巧みな話術と美しい顔に男たちは骨抜き。ほんのちょっとすり寄ってやれば相手は喜んで全てを差し出してくれる。そうやって生きてきた。そうやって生きることしか知らなかった。
全てが順風満帆とはいかない。
逆上した男から暴力を受けたこともあったし、周囲の悪感情からよそへ移動せざるをえないこともあった。男を奪われた女たちからの嫌がらせなんてかわいいものだ。
ファティマはひとりぼっちだった。
たくさんの男にかしずかれても、心は孤独だった。
どんなに愛をささやいてくれた男でも最後は必ず去っていく。裏切られたと罵るやつもいる。誰もそばにいてくれない。ファティマの心に寄りそってくれる男は誰ひとりいない。体はほしいまま貪るくせに。理想像を押し付けて演じさせるくせに。
リザサラスの魔女と呼ばれだしたのは、リザ第八サラス・ダンジョンで冒険者相手に取り入っていた時だった。大勢の前で「この薄汚い売女が!」とののしってきたのは、男の幼なじみだとか言っただろうか。そんなに大事ならこんな女に目を向けないよう体で凋落するなりして引き留めておけばいいのに。そうファティマは思った。そこから淫乱だとか五股していたとか、好き勝手なうわさが飛び交いはじめたので、しょうがなくファティマはその地を去ろうと思った。
五股はしていない。せいぜい三股だ。
少しずつお小遣いをもらってただけ。男に依存せずとも冒険者なら生きていけそうだと分かった矢先だったので、そんなに深い関係にもなっていない。
ファティマがしくじったのは三股のうちひとりが厄介な男だったことだ。泥を塗られたと怒り、手下の連中にファティマを襲わせた。
どこかの施設に閉じ込められ、男たちから暴行を受け、虫の息になった頃には、こんな人生もうどうでもいいと思っていた。自分が魔術師で、ここがダンジョンであれば、男たちもろとも大爆破させていただろうと笑ってさえいた。
なんて意味のない人生だったんだろう。ファティマは目を閉じて最後のときを待つ。自分なんてただ見た目がいいだけの無味な人間。いや、人を傷つけた罪があるぶん、下等で下劣な害虫だ。そこらの凡人のほうのほうがよっぽど幸せで優しくて愛のある生活をしている。今はそれがうらやましい。普通に恋をして、普通の男の人と平凡な日々を過ごしてたい。それが死を目前にたどり着いたファティマの小さな願いだった。
だが、願いは叶わないから願いだと知っている。遠くから見るから尊いのだということも。
たくさんの男をたぶらかしてきた。人生が傾いた男も、それに傷ついた女もいただろう。ファティマは自分が幸せになる資格はないと知っている。だから心のなかで願うだけ。心の中で思い描く平穏な偶像にひたりながら死ぬことが、唯一許された幸せだと悟る。
そんな汚泥のようなまどろみからファティマを救ったのが、かつてのシュルス・バングであった。
◇
「ファティマさんの夢ってなんですか?」
「……お嫁さん」
「えっ!! ちょっと意外すぎてキュンとしちゃいました。かわいい」
臨時パーティー最後となるダンジョン調査を前に、仲間の少年が話しかけてくる。無邪気で元気のいい子で、その純粋な目で見つめられると自分の薄汚さに息ができなくなりそうだとファティマは思っている。
「も、もしかして好きな人いるんですか。誰ですか、身近な冒険者!? ……はっ、まさか年下とか!」
「一年前に、私を助けてくれた人がいて」
あの時、弱りきったファティマを優しく抱き上げ、安全な場所まで連れて行ってくれた。汚れた顔をその手で拭ってくれて、恰好があんまりだったからか服も貸してくれた。見返りなんてもとめず、その瞳はどこまでも澄んで冷静だった。
その時はどこの誰かはわからず、あとでどういう人物かを知った。不屈の大鷲。シュルス・バング。最終的にアジトまで壊滅させたあの騒動は仲間を救出するためだったそうで、そのついでにファティマは助けられたようだった。
女性にしては背の高いファティマ。そのファティマよりも頭ひとつ大きなシュルス。恵まれた肉体のわりに凡庸な顔つきで、野心というものが一切なさそうだった。
なぜかわからないけれど、ひとめ見た時から心惹かれる存在だった。出会った状況が特殊だからだったのもあるだろうけど、今までの人生であそこまで強烈に人を意識したのは初めてだった。
あの腕に抱かれているときの心からの安寧を思い出し、ファティマは顔が熱くなる。
あの人のそばにいることができたらどんなに幸せだろう。どんな人だとかは全然わからないのに、少女みたいに恋焦がれるなんて馬鹿みたいだと呆れてしまう。これじゃ理想を押し付けてきた男たちと変わらない。
小さく苦笑を漏らし、遠くに見える青空を見つめる。
「その人のお嫁さんになれたらって思うけど……でも、夢は夢だからいいの。見てるだけでいい」
まぎれもない本心。
叶うことは許されない想い。
男をはべらす生き方はもうやめ。冒険者としてささやかに生きていく。できれば、人の役に立つようなことをしてから死にたい。
ファティマは少しだけ寂しそうに目を伏せた。
目の前の少年は思わず息をのむ。色っぽい唇、艶のある白銀の髪、細く美しい喉元からつながる豊かな胸と視線が吸い寄せられてしまう。
抑えようとしてもにじみでる彼女の色香に、ジョンは思わず頬を赤らめる。同時に、この女性にここまで言わせるとはどんな男なのだろうと、恐々とした想いを抱くのであった。