41話 トムじいからの誘い
トムじいの石つぶては四つ。それに集中しすぎると足元をすくわれるから冷静かつ広い視野は常に必要だ。
一発、二発。それからトムじいが動きを見せたのですかさず槍で牽制しながら三発目をはじく。槍を扱いながら砂盾を稼働させるのにもだいぶ慣れてきた。
「やるようになったの」
「もう尻も胸もさわらせない」
四発目の気配がないので俺から攻撃をしかける。あいかわらず素早くて当たらないが、攻撃は最大の防御。こちらからヘマをしないかぎり、トムじいは回避に専念するのでこちらへ魔術を撃つ余裕はない。
「そりゃ!」
「ほいっ」
渾身の突きはあっけなく交わされ、あげくに槍先にちょこんと立つトムじい。この余裕さが憎たらしい。
しかし突然、トムじいの視線が俺のうしろへ動いた。俺への攻撃にとっておいたはずの四発目を背後にある生垣へと撃つ。
「トムじい?」
「もうこんな所まできとるのか」
視線の先にはどろりと垂れた透明の液体。もしやこれは今話題の。
「スライム」
「左様。小さいがの」
小さいとは言っても洗面器いっぱいくらいの量はありそうだ。冒険者にとったら十分脅威だよ。地下一階と二階には出ないはずなのに。これはギルドに報告したほうがいいだろうか。
「隙あり」
「のわああああああっ!」
胸の先たんツンツンされた! このスケベゴブリンめ!!
念のため、スライムの死骸を持って帰ろうと試みる。適当な容器がなかったので広めの布に包んでみた。葉っぱや土を含んでいて正直見た目がよろしくないが、このぷるぷるした液体をみればスライムだと分かってくれるだろう。
「トムじいはスライムのこと知ってるんだ」
「まあの」
それとなくトムじいに水を向けてもそっけない返事しかこない。聞きたいことたくさんあるんだけど、あんまり語ってくれないんだよなあ。言いたくないことは無理に聞き出したりはしないけど、トムじいが教えてくれることってすごく貴重なものだったりするし。
「……なあ嬢ちゃんよ」
「うん?」
「あとどれくらいここにおる」
「十日くらい。そのあとは仲間のとこに帰る予定」
そうか、と小さくつぶやくトムじい。小さい指先でたっぷりのヒゲを撫で、俺をまっすぐに見た。突然どうしたんだろう。
「嬢ちゃん。わしと一緒に、ダンジョンのいちばん下まで行ってくれんか」
神妙な顔をして何を言い出すと思いきや。
「準備するまで待っててくれるならいいよ」
「悩まんのか。おまえさん、わしがなんの魔物か忘れておらんじゃろな。冒険者をおびきよせて魔物のもとまでつれていくゴブリンじゃぞ。もっと警戒せえ」
「ふん、トムじいを警戒するなら別のとこにするね」
そう言って俺は胸を両手で隠すように覆った。だいたい普通のゴブリンはスケベなことしないし、稽古もしないんだよ。トムじいが珍しくぽかんとしている。
「俺はもともと地下七階へは行ってみようと思ってた。トムじいが一緒に行ってくれるから心強いし」
基本的に逃げるが勝ちよ戦法でさっさと下りていくつもりだったけど、もしもの場合だってある。俺が迷宮カメレオンにやられたってレモネードくらいは飲ませてくれるだろう。トムじいなら自衛してくれるから俺は俺のことだけ考えておけばいいし。
「下まで行って何をするかはあとで教えてくれる?」
「……うむ」
目元を隠した眉毛がもふもふと動く。
何か理由がある。真意はわからないけど、今はトムじいの言葉に乗るべきだと俺の勘が言っている。それがどこからくるかはわからない。冒険者として、二十七年生きた者として、あるいは女として。まあ時にはそんな根拠でもいいじゃないか。
◇
トムじいとは別れ、俺はスライムの死体片手にエントランスへと戻った。地下一階にこのサイズのスライムがいたと証拠品付きで報告すると、スライムは買い取ってくれるらしくちょっとばかしお金をもらった。これはトムじいにお酒でも買っていくかな。
「連泊になるだろうから食料は多めに準備しておかないと。あとは……」
今後の予定を考えながら独り言をつぶやきながら歩いていると、「シュルスさーーん!」と後ろから大きく呼ぶ声があった。この元気でちょっと幼い声は聞き覚えがあるぞ。振り返ってみると、案の定な人物がふたり、こちらに走ってきている。
「ジョン、サラ」
「お久しぶりです!」
三人で歩きながらこれまでのことをジョンが語ってくれる。雑用係として入れてくれたところは期間限定の臨時パーティーで、あともう数日を残して解散になるそうだ。
「それは残念」
「はい。でも、リーダーのロジャーさんが自分のとこに来いって言ってくれたので、着いていくつもりです。ちょっと厳しい人ですけど、『おまえたちは見込みがある』って」
あの壮年の人かな。話を聞く分には面倒見の良さそうな親分肌だ。ジョンたちも懐いてそうだし、きっと悪いようにはしないだろう。よかったな、いい人に出会って。
「ロジャーさんはファティマさんも熱心に誘ってて……あ、ファティマさんっていうのは背が高くてとっても美人な女の人です!」
ふふ、知ってるよ。名前聞いちゃったからね。あれは人生初のナンパと言って過言でないわ。
「その人がどうかした?」
「ファティマさんはその誘いを断ってたんですけど……僕、他の人が『あの女はリザサラスの魔女だ』って言ってたのを聞いちゃったんです。シュルスさん、リザサラスの魔女って知ってますか?」
うーん聞いたことないな。そう言うとジョンが残念そうに「そっかあ」とつぶやいた。
「ファティマさんいい人だし、美人だし、僕も仲間になってほしいと思ったから、出来ることがあったらいいなと思ったんですけど。美人だし」
「ちょっと、美人ってとこいる!?」
「大事だよ! 男は美人が好きだもの!」
「あ、あたしがいるじゃない!」
「いやサラは幼なじみだから」
「きいいいいっ」
夫婦漫才のようなジョンとサラの会話を聞きながらちょっとだけ助け舟を出してやる。
「なあジョン。サラは幼なじみを抜きにしてもかわいいよな」
「はい、とってもかわいいですよ」
「だってよ」
服のすそをぎゅっと掴んでみるみる赤くなるサラがかわいい。幼なじみっていいなあ。俺にはそんな子いなかったから……いなかったよね? 同年代はみんな鼻水垂らして走り回ってたようなやつらばっかりだったから、サラみたいな幼なじみが欲しかったな。
「あ、僕はシュルスさんが好きです」
「おい!!」
せっかく持ち直した空気をぶち壊すんじゃねえ!
「うわああんジョンのバカー! 年上の美人に弄ばれて身も心もボロ雑巾みたいになってみじめに捨てられちゃえばいいんだー!!」
「あっ、サラ、待ってってば」
まったくもう。ここでわき目も振らずにサラを追いかけてる時点でジョンの気持ちはそっちにあると思うんだけど。これも青春ってやつなのかね。
それにしてもファティマか。臨時でパーティーに入った上に勧誘されるくらいだから有能なんだろうな。武器持ってるようには見えなかったから魔術師か、ナビゲーターってこともあるか。リザサラスの魔女っていうのはよくわからないけど、有能な冒険者が求められるのは世の必然。頑張ってほしいと思う。
……まさか美人だからってだけじゃないよね?
いやいや、あのロジャーさんって人はそんな感じじゃないだろう。惚れたくらいはあるかもだけど。ていうか何を考えてるんだ俺。やめだ、やめやめ。
ぐうう、とあつらえむきに腹が鳴る。
「夕飯はなに食べようかなあ」
時間が経てばお腹が減るのも世の必然。
おっさんたちに混ざり、煙にいぶされながら食べる飲み屋の串焼きはとてもおいしかった。