39話 美人と温泉
誤字報告ありがとうございますっ(土下座)
俺が泊まっている宿のお風呂はけっこう豪華。白い艶のある石の床に大きな浴そう。石造の女の人がもった壺からじゃーとお湯が出ている。
白い湯けむりで視界がぼやけるなか、俺は手ぬぐい片手に固まっていた。
うそだろなんであの人が……ていうかここの泊まり客だったんだ。うわーひとつ屋根の下で寝泊まりしてたの俺ら。
褐色の肌をした裸の女性が背を向けて体を洗っている。髪は邪魔になるからか頭の高い位置でゆるく結んであるのが余計に色っぽくて、俺はすぐさま視線を床に落とした。正直かなり見たいけど背徳感がすごい。
まずいなあ。
これなら男湯入った方がマシだったかも。
ちょっとだけその場でもじもじしていると、あの人は湯船へ移動しているようだった。おそるおそる視線をあげて、人がいないことを確認すると俺は極力まわりを見ないようにして洗い場へ座る。
ちゃぷ、ちゃぷ、とお湯の揺れる音。
ぴちょんと天井から垂れたであろう水の跳ねる音。
今日も疲れたなーなんて気を紛らわそうといろいろ考えているうちに、髪も体もすっかり洗い終わってしまった。ぴかぴかすべすべだ。
ここで内なる俺がいくつかに分かれて会議を繰り返している。「本当の女性が入浴しているです、身を清めたのだからあなたはもう風呂を出るべきです」「いやいやむしろ堂々と女として風呂に入ろうぜ、ついでにあの美人も正面から見ちゃおうぜ」「そんなんどうでもいいからお湯につかりたい」などなど。
俺は意を決して、湯船の方へ向かった。
別に今は女の体なんだし疲れを癒す権利は俺にだってある、なんて言い訳がましいことを考えながら。
「気持ちいい……」
ああ、お風呂さいこう。
彼女とはちょっと距離があるし、湯けむりがあるからお互いよく見えないはずだ。
「ねえ」
まさか向こうから話しかけられるとは思わずビックリした。え、なになに、俺やっぱり挙動がおかしかったかな。
「あなた、お兄さんとかいる?」
湯けむりの向こうから俺の顔をじっと見つめる彼女。やっぱり美人だなあとか思っていると兄貴がいるかと聞かれる。なんでだ。
「いる、けど」
「その人って冒険者?」
まさか兄貴の知り合いなのかな。でも冒険者とかしてないと思うし。こんな美人と知り合いで俺に教えてくれなかったとか許せないんだけど。
「ううん。親のあとついで畑してると思う。お嫁さんと一緒に」
「……そう」
あれ、ちょっとガッカリしてる。人違いだったのかな。それきり彼女は口をつぐんでしまった。俺は逆にそわそわしている。せっかくの機会だから、もう少しお話してみたい。
「ねえ、名前おしえて?」
驚くべきことに、気づけば俺は風呂場でナンパまがいの事をしていた。やばい、いろいろすっ飛ばしてしまった。これだから交際経験がない男は。言ってしまってから後悔が押し寄せて不安が大きくなってくる。キモいとか思われてないかな。
「私の?」
「うん」
向こうからくすりと小さく笑う声が聞こえた。たったそれだけのことなのに、俺の心臓はひときわ大きくはねる。はあああ美人でかわいいってどういうことだよ。
「ファティマ」
あー教えてくれた!
もうめっちゃ覚えた。すぐ覚えた。
浮かれて脳内がお祭り騒ぎしてたからかその後のことはよく覚えていない。気づけばファティマはお風呂からいなくなっていて、俺はのぼせるまでお湯に浸かっていた。
◇
次の日も、その次の日も俺はダンジョンに行ってトムじいに遊ばれた。そして今日も。
「くーやーしーいー!!」
「うひょひょひょっ」
槍さばきはマシになってきた。自分ひとりじゃなかなか気づけない悪い癖をトムじいは指摘してくれる。わりと自在に使えるようになってきたものの、トムじいは相変わらず早くて小さいから当たらない。
それに砂盾だ。トムじいが放つ石つぶてが厄介で何度貫通したことか。ケガをしてもエントランスまで戻れば治療院があるから治してもらえる。だけど俺が石を4発食らえばこの戯れは終了という流れになりつつあった。
「わしは女子を撫でくる趣味はあっても痛めつける趣味はないの。今日はおしまい。さっさと帰れ」
今日もここで終了宣言。
まだいける! と反論したいところだが、俺はグッと耐えて言葉を飲み込む。反抗したら最後、前言撤回するまで尻や胸をこねくり回されるのだ。
トムじいは俺を直接殴ったり蹴ったりはしない。基本は魔術による翻弄と鬼のような回避で、隙ができたり反撃のタイミングを逃したりすると触られる。
そして、はじめは翻弄用だった石つぶてが、次第に俺を攻撃してくるようになった。まるで俺のレベルに合わせて難易度を調整しているみたいだ。
ケガをすることも増えたが、触られる回数は圧倒的に減った。進歩はしてる。
「た、助けて、だれかー!」
「うわあああっ」
帰りしな、どこからか大きな声が聞こえた。
近い。生垣の向こう側だ。
「おい大丈夫か、何があった!」
「め、迷宮カメレオンがリスポーンしてて、それで」
俺がいる場所からそう離れていない。
頭の中で地図を確認しながら走り出した。
確か迷宮カメレオンは地下1階から3階までに時おりでる厄介な魔物のひとつだ。体長は1メートルより少し大きい。背景色と同化する特性があって、接近に気付かないまま痺れ効果をもつ舌で突かれるとアウト。仲間に獣人がいると早期発見しやすいんだがな。やつを倒したとしても痺れた仲間は回復師がいなければ治らないのでダンジョン離脱を余儀なくされる。
俺が駆けつけた時、地面には男女四人が横たわっていた。残るふたりが震える手で剣を構えているが、生垣に張り付いて対面している迷宮カメレオンは涼しい顔だ。
もしかして新米パーティーかな。
装備はそこそこだけど、魔物相手に完全にビビってる。
ふたりは剣を構えている。でもあいつの舌は3メートルくらい伸びるから十分向こうの射程内だ。戦うなら連携とって引きつけと攻撃に分かれた方がいいだろう。しかし男たちにそんな気配はない。
ひとりで来た俺を見て、男たちは落胆の色を見せた。まあ気持ちは分からんでもない。もしここで《イーグルアイ》が颯爽と現れたら拍手喝采の感涙ものだっただろう。
「ごめんな俺ひとりで」
迷宮カメレオンは魔術で対応するのが基本。いない場合は投擲か、舌攻撃をかいくぐって斬りつけるか。この距離から逃げても背後から舌でやられる可能性がある。少なくとも相手を戦闘不能にするしかない。
「うわっ」
でっかいカメレオンの太い舌が男のひとりを狙った。速いな。俺は砂盾を出してぎりぎりの所で守れた。すると不気味な両目がようやく俺の方を向いてくれた。
「俺が注意を引く。今のうちに仲間を安全なところにまとめておけ。生垣の枝が伸びてきてる」
「ほんとだ……」
迷宮の生垣も意外とばかにできない。意識のない人間に伸ばした枝を巻き付けて中に引きずり込むからな。だからグリーンメイズエリアでの寝泊まりは推奨されていない。
「おまえの相手は俺だよ。いけ、砂ツバメ」
まずは初手で目つぶし三連発。相手へのダメージはほとんどないけど隙はできる。俺は間合いをつめて槍で突きを入れた。しかしそれは尻尾で叩き落とされ、代わりに至近距離から舌で狙われる。
「危ない!」
これくらいなら大丈夫。瞬時に砂盾で対応し、槍を短く持ち直して今度こそカメレオンの体に突き刺した。逃したら他の冒険者が被害にあうから、ここでお命いただくぞ。しばらく苦しそうにもがいていたが、こときれると自重を支えきれずに生垣の根元にとさりと落ちた。
「よっし」
不意打ちされると厄介だけど、いざ戦うとなれば大したことはない。痺れ舌さえ気を付けていればトムじいより遅いし的はデカいし。
周囲を見渡して敵がいないことを確認する。
「ふう。もう大丈夫だな」
あとはこの動けない冒険者たちをどうするかだな。