38話 このすけべじじい!
手探りのなか自分の可能性を試したなかで、俺はやっと一縷の望みを手に入れた。やったやったとはしゃぎながら槍と砂盾をしばらく振り回していたらくらりと眩暈がしたので少し休憩することにした。ちょっと集中力を使いすぎたようだ。
俺特性のレモネードを持ってきたからそれで喉をうるおして~と思っていたら、なにやら小さな生き物が俺のリュックを漁っていることに気づく。
「どろぼーッ!」
思わず叫んだ俺。そいつと目が合った。それはまちがいなくゴブリンだった。うっすら緑色の肌に大きくとがった耳。歩きたての赤ちゃんくらいの大きさ。でも俺が知ってるゴブリンはもうちょっと若い。ふさふさのまゆげとかヒゲとかは生えてなかったし、貫頭衣みたいな服も着ていなかった。顔にもしわあるし、なんかじいさんみたいなゴブリンだ。
そいつはあろうことかレモネードが入った水筒のふたをきゅぽんと開けると一気にあおった。
「俺のレモネード!」
チャロアイトさんから分けてもらった女王アリの蜜と朝採れレモンで作った俺のレモネード!!
おのれじじいゴブリンめと俺は槍を向けて一気に間合いを詰めた。そのまま突きをお見舞いしてやろうと動作に入ったが、ゴブリンは予想外に素早い動きで槍をよけた。
「くそっ」
ゴブリンは本来、冒険者の荷物を盗んで迷宮の奥へ逃げる小型の魔物だ。他の大型魔物のもとへ連れていかれたりするので後を追うのはあまり推奨されていない。このエリアにもいるとは知っていたが、こいつなんか変じゃないか。
武術やってんじゃないかってくらい槍の攻撃を次々よけられる。動体視力がいいのか。動きから予想して先を読んでる気がする。言っちゃ悪いがゴブリン程度にこんな知能があるとは信じがたい。
「なんじゃあ、顔はすこぶるいいのに乳がちとたらんのう」
じじいゴブリンがそう言った。
しゃべった。
こいつ魔物だよな。
どうして。なんで。
ブタ男だってよくわからん言葉をしゃべっていたのに。
ゴブリンが石つぶてのようなものを4つほど浮かせた。まさかこいつ魔術も使うのか。即座に距離をとって砂盾を構えたところで、一発目がきた。
ガツンっと音がして上手くはじいた感触があった。残り3発も、と構えたところで。
「ほれほれ、手元が隙だらけじゃ」
「にゃあああああっ!」
いつのまにか目の前にきていたゴブリンが俺の胸をおもいきりこねまわす。
「むう。ものたりんとは思うたが、これはこれで……」
「や、やめ、やめろこのスケベええッ!」
俺はスケベじじいの頭をつかむと放り投げると槍の柄部分に当ててふっ飛ばそうとフルスイングした。しかし小さな体はそれをするりとよけた。俺の背後にまわりこむと今度は尻をもみこまれる。
「ぷりぷりしとってええのう」
「いひいいいいいいいっ」
全身にはしる悪寒をなんとか無視して、俺はスケベじじいの頭をつかみ、即座にツバメたちをつかって地面とじじいを固定すると今度こそフルスイングの的にしてやった。
「天誅だ変態!!」
「あまい」
あと少しでナイスミートってところで槍の動きがぴたりと止まる。どんなに力を入れても動かない。なんで。どうして。見ると槍の穂先が隆起した地面に呑み込まれている。俺が何が起こっているのか理解する間にスケベじじいは俺の拘束からぬけだし、ふわりと宙へ浮いた。
「隙ありじゃ」
スケベじじいはでこぴんする要領で俺の胸の先をぴんと指ではじきやがった。「んひいっ」と情けない声がもれる。俺はもう腰の力が抜けて立っていられず、その場にしゃがみこんでしまった。
「はわわ、はわわわわ……」
だめだ、まじで腰抜けたかも。動けない。
これからどんな辱めを受けるのか想像して俺はなみだ目になった。誰にも触られたことないのに。俺はこんなスケベじじいのゴブリンにいいようにされてしまうのか。
ゴブリンが情けなく座り込む俺の目の前までくる。
「嬢ちゃん、わしが稽古つけてやろか」
「……へ?」
思ってもみない提案。俺は言葉を失った。
「なあに、わしがちょっかいかけたら返り討ちにすりゃええんじゃ。魔術も得物も体術もなんでもあり。だめだったら乳か尻をもまれるだけ」
わしもヒマしておっての~、とのんきそうにゴブリンが自分のひげをなでた。目まですっかり隠れるふさふさの白いまゆ毛も揺れる。
「おまえさんは強くなる。わしは可愛い弟子ができる。うぃんうぃんってヤツじゃろ?」
こいつは、間違いなく強い。
今の俺じゃまった歯が立たない。でも実戦相手がほしいと思っていたところだ。こいつから得られるものは大きい。
ペナルティはおさわり。
俺は元男。
女の子じゃないんだ。
それくらい、別にどうってことない。
たぶん。
「…………おねがいします」
「ん? なんじゃ、よう聞こえんかったが」
「このくそじじい絶対一発殴ってやるから覚えとけよこの野郎よろしくお願いしますう!!」
かかか、とくそじじいが笑った。
妙に人間くさいゴブリンを前に、俺は盛大なため息をこぼした。
◇
「じじいのことなんて呼べばいいの」
「んん? 名前かあ。なんだったかなあ」
じじいは俺のリュックから勝手におやつを取り出すとむしゃむしゃと食いだした。ううっ、俺のマフィンが。しかし弱肉強食の精神に支配されている俺の脳はそれにしずしずと従っている。
「ふむ、トムじいとでも呼んでくれ」
指先についたマフィンのくずをぺろりとなめた。
「トムじいはゴブリンだよな」
「そうじゃろなあ」
「ゴブリンってみんなそうなの? 他のやつってしゃべらないし……あんまり頭よさそうに見えないけど」
「たぶんわしだけじゃ」
そうつぶやいた横顔はさみしそうだった。
ブタ男のことを思い出す。
「……俺、トムじいみたいにしゃべる魔物、他のダンジョンで見たことある。ひとりで家建てて畑作って暮らしてたみたいだった」
「そやつは今どうしておる」
「死んじゃった。他の魔物にやられて」
「さよか」
しんみりした空気になっちゃった。
しかしそこはスケベなトムじい。しれっと俺の胸へ手をのばしてきたので叩き落とし、そこからたがいに臨戦態勢へと移った。
槍の穂先には布を巻いて刃を直接当てないようにしている。それを見たトムじいは「いらんことを」と苦笑したが、それは俺の攻撃が当たりっこないって確信だろうか。おのれくそじじい。
「嬢ちゃんのスジはいい」
俺がくりだす槍の攻撃をことごとく避けていくトムじい。
「しかし力任せじゃ」
体が小さく機敏なのでとにかく狙いを定めるのが難しい。ひょいっと間合いをつめられて、俺の胸をつんとつつく。
「ひっ!」
ここまで密着されるといくら切れ味のいい剣をもっていたって意味がない。俺はトムじいの首根っこをつかむと力のかぎり遠くへ放り投げた。
トムじいに言われたことを考える。
力任せと否定できない。前は力でごり押ししていた。確かに今のからだで同じようにやってたらダメだ。
「ほれほれ、肩が上がっとるぞ」
「んあっ」
くっそ、今度は尻かよ!
槍で振りはらいその遠心力で体制を変え、不敵に笑うトムじいを真正面から見つめる。
「おまえさんのツラがまえ、いいねえ」
「かわいいだろ」
「いいや、その生意気そうな眼だよ」
小さな石つぶてがまた4つ、トムじいの周囲に浮く。さっきはフェイントでやられた。こんな心理戦をそこらの魔物に使われたら怖いな。
結局その日は陽が暮れるまでトムじいにもて遊ばれた。暗くなり始めると「疲れた」と言って茂みの奥へと行ってしまったのでもう今日は終わりだと思う。胸も尻も一生分もまれたんじゃないかってくらいもまれたけど、明日こそは触らせないからな。
水筒の中身もおやつもすっかり奪われてしまったので明日はふたり分用意しておこう。昼飯もいるかな。ああ、おなか空いた。
宿にかえったら着替えてお風呂にはいろう。昨日は遠慮して女湯に行けなかった。部屋で体拭いておわらせたけど、さすがに今日はお湯につかりたい。
◇
挙動不審気味にきょろきょろ辺りを見回して、無人のように見える女風呂へ足を踏み入れる。覚悟をきめて服を脱いだ。
誰もいませんようになんて思ってると、いちばん会いたくない人と出くわしちゃったりするよね。嫌いとかじゃなくて、その人選どうなのよってやつ。
俺の場合は、あの褐色美人さんだった。