2話 消えた息子
「不屈の大鷲」っていうのは完全にネタだ。まわりが言っている冗談を、ああやって柄に彫ったアホがいるんだよ。そうだ。アベルだ。
あいつはいつまで経ってもそういうガキくさい所が抜けない。俺のひとつ下だからもう26か。フローラに愛想尽かされてもしらんからな。
仕返しとしてあいつのリュックに「偉大な勇者」と刺繍してやったのはいい思い出だ。
そういえば俺は今なにをやってるんだっけ。
確か新しくできたダンジョンを探索してたんだよな。
依頼人はチャロアイトさん。ノームという珍しい種族で、人間目線で容姿を説明すると10歳くらいのおさげ髪メガネ少女なのだが、本人いわく立派な大人な女性らしい。冒険者ギルドの人で、探究心が旺盛。「いくぞ迷宮!」と鼻息あらくダンジョンに乗り込む姿はなんだかほほ笑ましかった。
いつものようにアベルは近接担当。
フローラは回復担当。
犬系獣人のココポは周囲の気配に敏感なので斥候を主にやってもらい、射撃担当はセルフィナ。彼女はいわゆる魔術師だ。
この世界では魔法とか魔術とかはファンタジーで夢物語だったんだけど、ダンジョンの出現でその常識はくつがえった。
ダンジョンの中でのみだが、そういうファンタジーな魔法が使えるようになったのだ。
手の先から炎をだすとか竜巻を発生させるとか、本当に不思議なその力。お偉いさんが言うにはダンジョン内にある魔力のようなものを体に取り込み放出してるんではないかとのこと。まあ適正の有無があるから俺みたいなのはまったく魔術が使えなかったりするけど。ちなみに魔術師の割合は男女比1:9という女の花園だ。女性の方が適正がある人が多いらしい。
ダンジョンがこの世に現れて三十年。
魔術師という職業もだいぶ地位を上げた。なんせダンジョンのなかでは魔術師さまさま。水をだす術があれば重たい水筒もいらないし水源を探す必要もない。敵も攻撃できる。
特に恩恵があるのは癒しの力だろう。なのでヒーラーもさまさまだ。ダンジョンのなかであれば傷や打撲、毒に侵された体もきれいに治癒してくれる。まさに奇跡。さすがになくしたパーツは戻ってこないが、皮一枚でも繋がっていれば勝ちである。まあその時感じた苦痛も恐怖もなくなりはしないけれど。
そういえばとんでもないケガを負った気がする。魔物と一緒に高いところから落ちちゃったんだよなあ。死んだと思ったんだけど。
そう。
痛くて苦しくて、やっと死ねるって。
フラッシュバックする地獄の時間。
背筋に悪寒がはしり、そこで目が覚めた。
まったく見覚えのない景色。辺りは暗いけれど、俺の真上にはドームのような薄い光の幕がある。これは魔法だろうか。
よくわからん場所で寝ていて、石畳の床には魔法陣みたいなものがある。門外漢なのでようわからん。
肌寒いのは服を着ていないせいだった。けれどこれはどういうことだろう。俺の取柄だった筋肉がない。なんだこのなまっちろくて細い腕。
手だって子供のように小さい。ふらつきながらも立ち上がってみると、違和感が半端でなかった。手足を動かす感覚がいつもと違う。
嫌な予感を抱きながら自分の体を見下ろすと俺の胸がなくなっていた。いやありはするんだけど。フローラが褒めてくれた厚めの胸板が消失している。代わりにあるのはぽわんとした乳。
さらに下を見る。
ぺたんとした薄い腹。
腹筋も消失した。
さらに下。
息子がいない。
お袋もいない。
みんな消失している。
「……うそ、だろ?」
自分が発した声がもう答えになっているような気がしたが、無視して首まわりをペタペタさわった。
以前の半分になったほっそい首にはもう、喉仏がなかった。
「俺……おんな?」
しばらくのあいだ、茫然自失としていた。
頭が理解することを拒否し、現実逃避を繰り返す。
「……あいつら無事かな」
我ながらかわいい声。
たっぷり時間をとったおかげで逃避にも飽きてきた。なのでまずは服を着ることにした。裸だから女だと思ってしまうのだ。布で隠してしまえば俺はきっと立派な男に戻れる。そんな気がする。
しかしというか、やっぱりというか。
現実は残酷だった。
床に散らばっていたのは確かに俺の服なのに、サイズが合わない。下履きはヒモで括らないとすぐに落ちる。血がついた上着はワンピース状態。しかもちょっと汗くさい。だぼだぼ過ぎるズボンは履くのを諦めた。ブーツもしかり。逆に体格の違いを突きつけられてつらい。
改めて周囲を確認する。
ここは祭壇の最上階のようだった。10メートル四方の白い石畳には禍々しい魔法陣が描かれ、俺はその中心にいた。すぐ近くには供物が置かれるような仰々しい棚があり、よくわからないものが数個置いてある。
先ほども見た真上にある薄い光のドームはこの祭壇をすっぽり覆っているようだった。これはいったいなんだろう。ただの明かりか?
さらによく観察すると床にこびり付いているの血の跡を発見した。魔法陣の外にもずっと続いており、これが自分の血であることはなんとなく察する。服にもついてたし。どうやら離れたところから引きずられてここまで来たらしい。
「はあ……困った」
俺はいま、斧を抱えて途方にくれている。
命と同じくらい大事な愛用の斧。散らばった装備とともに落ちていたが、その重さに驚いた。持つことはできるけれど狙いを定めたり振り回すなんて到底むり。フローラが言っていたことそのまんまの感想だ。持って歩き回るのもしんどそう。男の俺ってすごすぎる。
斧が使えないとはつまり身を守る術がないということだ。
以前の俺だったら『まだ拳がある』と脳筋フレーズを言っていたと思う。しかしこの細い腕と小さな手でそんなことは無理だ。おんなじ調子でやったら骨がいかれる。
腹筋運動は五回が限界だった。
力こぶもないし、持久力も期待できないだろう。せめて瞬発力に期待するが、俺は運動能力が極端に落ちていることを実感している。
「どうするかなあ」
焦燥はあまり感じない。だってどうしようもないもんな。斧を置き、ぐぅっと腕を伸ばして魔法陣の中央に寝転がる。
「ひとまず風呂入りたい……」
いろいろ漏らしたカモなので肌も髪もかぴかぴする。あ、髪伸びてるな。色は変わらずダークブロンドだけど毛が柔らかくなってウェーブがかってる。肩につくかなってくらいなので、たぶんこれがボブっていう髪型なんだろう。
魔術が使えたら水出せるのになーなんて考えながら、俺は瞳を閉じた。まだ本調子じゃない。もう少し体を休めたい。