1話 プロローグは三人称
内臓を手でかき混ぜられているかのような気持ち悪さ。そして全身の骨が砕かれているような激しい痛みが襲い、気絶と覚醒をくり返す地獄のような時間。
「がぁ、あ、うああッ!」
口から出る苦痛の叫びは女のように甲高く聞こえた。
永遠とも思えるけれど、意外と五分もたっていないのかもしれない。周囲を確認する余裕もない。前後の記憶もない。
あらゆる体液を垂れ流しながら、シュルスの精神は限界を迎えようとしていた。
いったいなぜ、こんなことに。
死の寸前に見るという走馬灯らしきものが頭に流れてくる。
シュルスは体格に恵まれた男だった。
顔はそれなりだが生まれつき背が高く、食えば身につく肉はたちまち筋肉にかわるので、育った村ではもっぱら力作業に借り出された思い出がある。家は兄貴が継ぐし、婿にきてくれという要望も特になかったので、シュルスは16歳をさかいに大きな街へ移った。最初は丁稚のように商店の下働きをしていたが、がたいの良さと体力を買われ、ついでに目の色をおもしろがられて、ダンジョンにもぐる冒険者のパーティー《イーグルアイ》に誘われたのはシュルスにとって大きな転換期だった。
「俺はアベル。あんた、本当に鷲みたいな目してんだな。名前はなんていうの」
シュルスと似たような年なのに、長剣を自在に使いこなす男は自信に満ちあふれた表情でそう言った。
「シュルスか、よろしくな」
まぶしい奴だなあと思ったのが第一印象だった。
突如として出現し、魔物を生み出すダンジョンは非常に危険だが、魅力的な資源があふれんばかりにあった。最初は荷物持ちを任され、少しすると小さな斧を持たされた。経験を積んでいくうちに斧は倍ほど大きくなり、背中の荷物が減ったかわりに盾を持つようになった。
その間には出会いと別れがいくつかあって、かつてパーティーに誘ってくれた大部分は引退したか、もしくは死に別れた。代わりに後から入った有能な人材が席を埋めている。
なかでも癒しの力を持つシスターのフローラには、役割上お世話になりっぱなしで頭があがらない。美人で明るい年下の女性だ。
「シュルスさん、痛いところはありませんか?」
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
「えへへ、よかったです」
出会ったときにほんの小さなトキメキを抱いたが、彼女の視線はいつもアベルを追っていることに気づくと同時に恋心はかなく散っていった。今となっては妹のような心地よい距離感なのでよかったと思う。
気づけばシュルスはパーティー最年長の27歳になり、唯一残っている初期メンバーのアベルとは10年もの付き合いとなった。ケンカすることも多々あったが、お互いに実力は認めており、ライバルのような、兄弟のような、そんな関係である。
腕相撲はシュルスの全勝、腹筋の回数勝負は半々、じゃんけんはやや負けがち、走力勝負はアベルに完敗。優しさや頼もしさはシュルスに軍配があがるが、男女ともに人気があるのはアベル。そんな感じだ。
そんななか、新しく見つかったダンジョンの調査依頼がきた。依頼人を護衛しながらの探索で、おおよその大きさと階層の有無、そして魔物の傾向を調べる目的がある。
「ここは虫系の魔物が多いですね」
「でかいと気持ち悪さが増すな」
「ほんとに」
フローラとアベルの会話を聞きながら、シュルスは斧についた汚れを拭った。たった今ガイコツ模様の巨大グモを叩き切ったところだ。
依頼人が描いていく簡易的なマップをもとに、ありの巣のようなダンジョンを探索していく。
パーティーのメンバーは攻守バランスの取れた編成で、過去からの功績もあって国内ではわりと名の知れた存在であった。
そして見つけた地下へと続く大きな穴。
暗くて穴の直径はわからないが、少なくとも50メートル以上はある。それがずっと下まで続いているのだ。黒いもやがあるのか、底は見えない。下から吹き上げる風でシュルスの前髪が揺れた、そのとき。
油断したつもりはなかった。大穴をのぞく興奮気味の依頼人の頭上に影がかかり、とっさにシュルスがかばった。結果シュルスは大きなかぎヅメを持つ巨大な鳥の魔物につかまり、連れ去られた。
案の定、鳥の上半身は女のような見た目をしていて、その顔に似合わない大きな口をあけ「げげげ」と下品に笑っている。
「シュルス!!」
「シュルスさんっ!」
ふたりの切羽詰まった声が聞こえる。
今この魔物を倒しても、大穴の底へ一緒に落ちることになる。どうにか安全圏まで、最悪こいつらの巣のようなもの見つけるまでは様子を見るほかないと斧の柄をにぎりしめた。しかし次の瞬間、また予想外のことが起きる。
大穴の底から何かが発射され、それが魔物の体をつらぬく。
「ぎいいいいいいいっ!!」
痛みでのたうつ魔物はシュルスを強く締め上げながらどんどん降下していった。そうこうしていると大穴からの二発目が魔物をつらぬき、ついに動きがとまる。降下ではなくゆっくりと落下がはじまった。
シュルスを捉えていた足の力も弱まる。とはいっても魔物ともども落下している現実は変えられそうになく、このままでは加速をつけた状態で穴の底に叩きつけられるだろう。片手には相棒の斧があるが、どうやったって助かるビジョンが浮かばない。
ああ、これはダメだな。
別れは唐突にやってくるんだな、などと場違いなほどにのんきな事を考えながら、シュルスは大きく息を吸い込み、声を張り上げた。
「アベル、すまん!! あとは頼む!!」
どんどん遠くなるパーティーのみんなを視界に焼き付けながら、シュルスは闇のなかにのまれていった。
——ぐしゃっ。
唐突にやってきた強い衝撃。落ちる道中でどうにか体勢を整えて魔物の死体をクッションにできたが、やはりダメだったらしい。即死はしていなくても体はしびれてぴくりとも動かせない。
まぶたがゆっくりと落ちていった。
これがシュルスの最後の記憶である。
そして。
「きひ、きひひひひ」
魔物の死体に埋もれ、今にも死にそうなシュルスに近づく新たな魔物がいた。まだ息があることに大いに喜ぶと、乱暴に片足をつかみ、どこかへ連れていく。そのあとには血の道筋ができていた。
「あ、ああッ!」
激痛でまた目が覚める。
女のような声だ。
頭がおかしくなりそうな痛みにもういっそ殺してくれと思っていたシュルスだったが、だんだんと痛みが引いていくのがわかった。内臓をかきまぜるような気持ち悪さも次第になりを潜めていく。
だれかに助けられたとは微塵も思わなかった。
体の機能がついにぶっ壊れたのだと思った。
やっと死ねるのか。
ようやく訪れた安息を感じながら、シュルスの意識は深く深く落ちていった。
◇
うやうやしく供物が捧げられた広い祭壇には古代文字でつづられた大きな魔法陣があった。その中央に裸の若い女が横たわっている。
大穴の底からつづく血の跡は彼女につながっており、祭壇の周囲にははぎとられた衣類や装備が散らかっている。そのなかには使い込まれた大きな斧もあった。柄には「不屈の大鷲」の文字が彫られてあった。