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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

前略、私は魔王の娘ですが、月の女神に魔王を倒せと笑顔で命じられました。あの女神殴ってきてもいいですか?

基本的に緩いですが、魔族の責め苦は割とエグいです。とはいえ短編なのでエグイ描写はちょっとだけです。







 気が付くと私は、真っ暗な空間に立っていた。


 足元はむき出しの土。私は裸足で立っているようだ。

 着ているのは絹のネグリジェ。いつもの部屋着姿だ。

 部屋着なら、室内履きを履いてそうなものだけどなんで裸足?

 いつのまにこんな所に来たのか、全く覚えがなかった。


 耳には遠くから、ちゃぷ、ちゃぷという水音が聞こえてくる。

 音の方角に目を凝らすと、そちらには大きな泉がある様だった。


「泉の……ほとり?」


 辺りには神の気配が濃密に漂い、とても息苦しい。

 少なくとも、魔王の娘である私がいて良い場所ではないはずだ。


「えーっと、なんで私はこんな所に居るんだろう?」


 小首を傾げながら思い返してみても、なぜここにいるのかが分からない。

 私は部屋で、朝の紅茶を飲みながらくつろいでいた気がする。


「私が貴方を呼んだのよ。貴方なら、少しの時間は魂が耐えられるはずだと思って」


 背後からの声に振り返ると、そこには二十代くらいの若い女性が立っていた。百七十センチを超えているんじゃないかな。女性としてはかなり背が高い方だろう。

 豊かな長い髪、切れ長の瞳、そして着ているのは質素だけれど上質な絹のワンピース――その全てが眩い白銀に包まれていた。

 彼女からは、私の魂が押し潰されるかと思う程の神の気配も感じている。何者なんだろう?


 私はどこか既視感を覚えて尋ねてみる。


「貴方、どこかで会ったことある?」


 彼女は優しく微笑むと、有無を言わさぬ口調で告げる。


「時間がないから手短に伝えるわね。私は月の神。貴方に加護を与えている神よ。貴方には魔王を倒して来て欲しいの――時間ね、これ以上は貴方の魂が砕けてしまうわ。それじゃ、頑張ってね!」


 ――私の意識は突き飛ばされるように暗闇に落ちていった。





****


 はっと目が覚める。


 辺りを見回すと、私は自分の部屋のソファでうたた寝をしていたみたいだ。

 全身汗だくで、絹のネグリジェがべったりと肌にこびりついていた。

 気分が悪いので、浄化の魔導術式を使い汗を拭きとってから、大きくため息をつく。


「――ふぅ。たちの悪い悪夢ね」


 魔王の娘が魔王の居城で見る夢としては、最低を極めるんじゃないかなぁ。

 『父親、殺して来てね!』と女神に笑顔で頼まれた。ある意味では魔王の娘らしいとも言えるかもしれないけれど。


 あんな悪夢を見るほど疲れていたのかな?

 私は先日、お父様に牙をむいてきた魔族の侯爵を粛清してきたばかりだ。

 私からしたら遥か格下。虫を踏み潰すように滅ぼしてきたけれど、仲間を手にかけるのに抵抗がない訳でもない。

 私は争いごとが好きではないのだ。


 尤も仮にも魔族なので、戦いになると闘争本能に火が付くのか、喜々として相手を滅ぼしているらしいのだけれど。

 相手を滅ぼし終わった時の虚しい気分は、何度経験しても慣れなかった。



 ドアがノックされ、魔王城の侍従長が姿を見せる。

 一見すれば老年の人間に見える彼も、当然魔族だ。

 魔王城には人間の使用人も多くいるけれど、責任のある役職には魔族が着く。


「エフィーリア殿下、陛下がお呼びでございます」


 私は疲れた顔で侍従長に応える。


「何かしら? もう次の粛清をして来いとでも言うの? 私、一昨日帰ってきたばかりなんだけど」


「仔細は伺っておりません」


 私はドデカため息をついた。

 このパターン、間違いなく粛清命令だ。


「……わかったわ。支度をしたらすぐに行くと伝えて」


「畏まりました」


 侍従長は私の部屋を辞去していった。


 悪夢で疲れて、甘いものを少し口にしたい――部屋を見渡すと、傍仕えの侍女たちが十人と侍従が一人。

 この中で人間は侍女たちだけだ。魔族である侍従の目が、私を見張るように厳しく光っている。彼は私のお目付け役だ。


 私は小さくため息をついてから、侍女たちに目を向ける――彼女たちは怯えたように顔を蒼褪めさせ、自分が選ばれないことを祈っている。

 彼女たちの心から、ふわりと甘い負の感情の匂いが立ち込めてくる。でもこれでは足りない。


「――フロジーナ、今日は貴方よ」


 お目付け役の侍従がフロジーナを逃げられない様に拘束した。

 彼女は必至に「お許しください!」と涙目で懇願してくるけど、私はそれを無視して彼女を睡眠の魔導術式で強制的に意識を奪った。

 続いて任意の悪夢を見せる術式をフロジーナに付与した途端、彼女がびっしりと汗を流してうなされ始めた。

 彼女が苦しむと同時に、彼女から濃密な『嫌悪』という負の感情が漏れ出してくる。見守っている周囲の侍女たちからも、『恐怖』の感情が伝わってきた。


 ――これが魔族の食事だ。


 人間の感情を食べ、活力とする生命体。それが魔族だ。通常の魔族は特に負の感情を好む。

 それは魔族にとって甘美な栄養源。それを私は少し食べて、悪夢の疲れを癒した。


 私が指を鳴らすと同時に、フロジーナが目を覚ました。

 息は荒く、夢の嫌悪感は残っているけれど、どんな悪夢を見ていたかの記憶は綺麗に消してある――心が壊れては元も子もないからね。

 食料である感情を生み出す人間を効率的に活用する。これが本来、魔族の王侯貴族に求められる責務だ。

 だけど頻繁にその責務を忘れ、人間に過度の嗜虐心を抱き、殺害に走る愚か者が居る。それを粛清するのが、お父様から私に課せられた役目だ。


 魔族である侍従は満足そうに微笑んでいた――彼は私の傍で漏れ出てくる負の感情をつまみ食いする事が許されている。

 私の食べ残しを彼が食べてくれるのだ。そのまま霧散させたらもったいないし。お目付け役の彼にとっては役得、といったところだろう。

 魔王の娘の癖に、生まれ付いて魔族と敵対する神の加護を持つ私――そんな異端な私は魔王城で常にお目付け役が付けられていた。彼はその役目を負う者の一人だ。


 私は青ざめて震える侍女たちに向かって、『魔王の娘』として命じる。


「着替えます。手伝いなさい」


 お父様とはいえ王に会うのだ。ネグリジェ姿では許されない。

 内容の分かっている話を聞く為だけに着替えるのは面倒だけど、仕方がない。





****


 悪夢を再び思い返しながら、私は姿見に映る自分の姿を眺めていた。


 鏡に映る少女は人間なら十五歳前後だろう。百五十センチをわずかに超える小さな背丈に、小さな頭がちょこんと乗っている。

 整った顔立ちは可愛らしいけど、魔王の娘ならもっと見栄えとか威厳が欲しい。大人の女の雰囲気と厳かな空気感が欲しかった。

 魔族は成長しない。生まれた時から死ぬまでこの姿だ。大人の女は諦めるしかない。魔族らしく、神を呪って済ませておこう。


 髪の毛は漆黒のような黒髪と、白銀に輝く銀髪が混じりあっている。

 この銀髪は月の満ち欠けに応じて増減する、私の特異体質だ――夢の中で見たあの背の高い女性は月の神と名乗ってたっけ。

 月の神の加護らしい特徴といえば、これくらいだろうな。あいつの背丈も加護でくれよ! って切実に思う。


 瞳を見る。気の強そうなアーモンド形の目に、白銀の瞳が輝いている。


 ――ああ、月の神に感じた既視感が分かった。彼女の瞳と髪の色が、私とおんなじだ。『どこかで見たな』って、そりゃ毎日鏡で見てたわ。



 清楚な白い絹のネグリジェから鮮血の様に真っ赤な深紅のドレスに着替えた私は、侍女たちの顔を冷たい目で見渡した。

 再び私が『魔王の娘』として言葉を告げる。


「今日は誰も粗相をしなかったわね。つまらないわ」


 『同じ目に遭いたくない』と、蒼い顔の侍女たちが震え始める。

 侍従が満足そうに頷いたのを確認すると、私は彼を伴って部屋を後にした。





****


 謁見の間に行くと、玉座には漆黒の闇がわだかまっていた。

 お父様は娘の私にも姿を見せたことはない――いくらなんでも、用心深過ぎないかしら?


 私は玉座の元へ行って、声を上げる。


「呼んでると聞いたから来たんだけど、何か用? まさか帰ってきたばかりなのに、また粛清なの?」


 私はお父様に対して敬語を使う事はない。

 形式上は親子なのだから、このくらいの甘えは許してもらいたいと思う。


「ヴェローナ王国を治めるエドローム公爵からの『税収』が思わしくない。始末して来い」


 ――やっぱり、粛清じゃないか。


 エドローム公爵は公爵級魔族でも飛び抜けて強力な魔族だ。

 前回の神魔大戦で大公級が全員滅ぼされた今、対抗できるのはお父様か私だけ。

 ドデカため息をひとつついた後、お父様に応える。


「たまにはお父様が自分で動いたらどうなの? 運動不足になるわよ?」


「今の私は傷を癒すことが最優先だ。この場を離れることはできん。その為にお前が居る」



 魔族が人間と大陸の覇権を争う戦争を、遥かな昔から『神魔大戦』と呼んだ。誰が最初に呼び始めたかは、記録に残っていない。

 別に魔族が神と争う訳ではないのだけど、神が人間に与するのでそう呼ばれるのだそうだ。


 前回の神魔大戦は魔族の勝利で終わった。神魔大戦を何度も経験した最古の魔族は『この大陸で初めての出来事じゃないか』と言っていた。その程度にはレアな状況だ。

 魔族が勝利した直後、お父様が自分の力を半分に分けて生み出したのが私だ。魔族は基本的に、そうやって子供を作る。

 当たり前だけど私にはお父様とは別の、私だけの魂がある。『私は私だ』という自我がある。

 そんな自我を持った私が生み出された理由が『暴走する魔族の監視役』だなんて、かなり酷い話だと思う。

 心は外見通り、十五歳前後の人間と代わらない少女のそれだ。魔族に適合した心ではあるけれどね。

 でもいくら魔族だからって、乙女の生まれた理由が殺伐としすぎじゃない? もっと人生に潤いが欲しいんだけど。



「ヴェローナ王国って、大陸南端よね。随分遠いわよ? どうやって向かったらいいの?」


「魔竜で使える個体が今は居ない。馬車で向かうがいい」


 魔族の瘴気に魂を穢された竜種が魔竜だ。魔族の手先としてよく働いてくれるのだけど、前回の神魔大戦で全滅した。

 逆に神の気配――神気で洗浄された竜種は聖竜と呼ぶ。こちらも神の手先としてよく働くらしい。


 でも……馬車かー。

 大陸北部にあるこの魔王城から、大陸南端にあるヴェローナ王国まで……馬車で半年ぐらいかかるなぁ。

 食料である侍女たちは連れて行かないと私が飢えて弱ってしまう。だから馬車なんだろうな。

 途中で人間の感情を食べ歩ける保証もないし。弱ったら粛清に失敗しかねないもん。


「お父様、『粛清の仕事の時はお目付け役を付けない』のが約束だったの、覚えてるよね? 長期間になるけど、約束は守ってもらうからね?」


「……ああ、今回も侍女だけを連れて行くがいい。役目を果たすなら、それで構わん。後任が決まり次第、そちらに向かわせる」


 移動時間だけでも往復で一年。その間お目付け役が居ないなら、応じてあげてもいいか。


「わかったわ。支度をしたらすぐ出立するね」


 そう言い残し、身を翻した私は謁見の間を後にした。





****


 私は部屋に戻る時、お目付け役の侍従を「粛清の旅の準備なんだから、帰ってくるまで貴方にはいとまを言い渡します」と部屋から追い出した。


 ――そして私は『魔王の娘』の仮面を外す。



 そのままソファに乱暴に腰を下ろして「ちょっとフロジーナ、紅茶ちょーだーい」と甘え声で命じた。


 フロジーナは笑顔で私に紅茶を給仕してくれる――周囲の侍女たちも、侍従が部屋から去った後から緩んだ空気を醸し出し、明るい表情で旅の支度を始めている。


「また粛清ですか? 殿下は少し、お休みになられた方が良いかと思いますが」


「しょうがないじゃない! お父様の命令には逆らえないわ」


 人間の国で言えば国王と王女の関係だ。

 魔王であるお父様のいう事を跳ね除けるには、相応の理由が求められる。

 『ちょっと私の仕事キツくない?』は理由に該当しないという事だ。他に粛清に行ける魔族も居ないし、嫌でも頷かざるを得ない。

 私はそんな不満を、侍女たちから漏れ出してくる暖かい感情で癒していく。


 ――私は魔族としては珍しく、心に愛を持つ個体だ。


 そういった魔族は、人間の負の感情より正の感情を好む。その方が美味しく感じるし、なにより私の力になる。

 心に愛を持つ魔族にとって、負の感情は胸焼けがするほど甘ったるく、舌に刺々しく、後にべったりと残る味に感じる。栄養にはなるけど、実に『不味い』のだ。多く摂取する気にはなれない。

 とは言え、正の感情も食べ過ぎると身体が重くなる気がする。乙女としては見過ごせないファクターだ。

 なのである程度食べたら温かい感情の甘い空気に身を包んで、それで我慢することにする。これはこれで幸せな気分に浸れるストレス解消法だ。

 当然、こんな食事制限をしていれば魔力の備蓄量は少なくなる。つまり魔力の持久力が無くなる事に繋がる。

 だけど私の魔力は魔族の中でも飛び抜けて強いので、多少持久力が足りなくても今まで困ったことはない。粛清するときは瞬殺が基本だ。


 本心で言えば、こうして魔王城でずっと暖かい感情で包まれて居たい。

 だけど侍従が「それでは他の魔族に示しがつきません」とお小言を言ってくるので、仕方なく魔族らしい食事を最低限取る日々だ。

 人生に潤いが無いだけでなく食事にも救いがないとか、ちょっと私の人生ハードじゃない? そりゃあ人間の奴隷よりは恵まれてると思うけどさ。



 私は『生まれつき心に愛を持ち』、『神の加護を得て神気を漂わせる』魔族だった。魔王の娘でなければ、とっくに命がなかったはずだ。

 だけどお父様には私を滅ぼすつもりがないので、私がいままで生きてこれた――これを父親の愛と呼ぶのであれば、そうなのかもしれない。

 まぁ私に死なれると、自分で動けないお父様も困るからね。苦渋の決断なのかもしれない。

 一度直接聞いてみたいけど、怖いから聞けずにいる事の一つだ。



 私は旅装に着替えつつ、フロジーナに悪夢の話をした。


「月の神に『お父様を倒せ』って言われる夢を見たわ。フロジーナはどう思う?」


「……月の神がですか? 殿下は月の神の加護を得ていると、そういう事ですか?」


「私自身から漂う気配と近い気配を感じたから、あれが夢でないならそういう事じゃない?」


 お父様から分け与えられた知識だと、神の加護を得た人間はその神気が香水の様に漂うのだという。

 その人間の魂の匂いと混じり合い、加護を与えた神の気配に似た、その個体特有の気配を漂わせるのだとか。


「殿下は陛下を倒せるとお思いですか?」


 私は思わず肩をすくめた。


「まさか! お父様に勝つ力なんて、私にはないわよ?」


 用心深いお父様は、その辺もきっちり計算して私に力を分け与えてる。

 私の力では命を賭しても深手を負わせるのが精々だろう。

 フロジーナの表情が神妙なものになっている。


「今の殿下は、神の加護を使っておられません。加護をお使いになれば勝てるのではないですか?」


 人間であるフロジーナは、私にお父様を倒してもらいたいのかな……そうすれば人間の世界が戻ってくるから。

 彼女がそう思ってしまうのも仕方がない事だ。フロジーナの恋人は、前回の神魔大戦でお父様に殺された百人の勇者の一人だった。仇を打ちたいと思うのは当然だ。

 私は首を横に振った。


「だとしても、私はお父様を手にかける気などないわよ。愛も情も注いでもらった覚えはないけど、親子に違いはないもの」


 私とお父様の間には、互いに親子である認識がある。

 愛情のない形だけの関係とはいえ、実の父と娘なのだ。それが魔族にとって普遍的な親子の姿だ。

 親子で殺し合う魔族は別に珍しくはない。

 だけど心に愛を持つ私は、理由もなくお父様を手にかける選択を取る気にはなれなかった。



 私はお気に入りの乳白色の旅装のドレスを身に纏い終わり、傍仕えの侍女たちを確認する。

 どうやら後は、荷物を馬車に詰め込むだけの様だ。


「それじゃあ出立しましょうか!」





****


 私は魔王城からの半年間、南下しながら人間の暮らしを見て行った。


 魔族が恐怖政治を行う以外、人間たちの暮らしは大きく変わらない。

 お父様の『人間をむやみに殺すな』というお触れはきっちり行き渡り、各地で程々に人間たちが負の感情をまき散らしながら、神魔大戦前と変わらぬ日々を過ごしている。


 魔族の行為が行き過ぎれば、私を筆頭にお父様の部下が粛清に走る。

 だけど過度に人間を殺さなければ、お父様はそれを見逃していた。

 人間たちの生み出す、目立つ行為をすれば魔族に殺される――そんな『恐怖』と、いつ魔族の支配が終わるか分からない『絶望』が主な『税収』だ。

 お父様はそんな『税収』を使って、前回の神魔大戦で受けた傷を魔王城で癒している。


 一方で私の馬車の中は暢気のんきな空気で包まれていた。

 私も侍女たちも、街の様子に心を痛める事はある。だけど侍女たちは私の傍に居れば身の安全は保障される。

 彼女たちは恐怖も絶望も感じる必要はない。

 目につく人々全てを救う力が私にないことも、彼女たちはよくわかってる。そこには『諦観』の感情が漂う。ちょっとほろ苦い、美味しくはない味だ。

 私自身が『明るく楽しく過ごしなさい』と命じてるのもあり、彼女たちは道中、基本的にふんわりと温かい感情をまき散らしてくれていた。





「そろそろヴェローナ王国に入るわ。正の感情をまき散らしていると魔族に目を付けられる。悪いけど悪夢を見て恐怖を思い出してもらうからね」


 言うが早いか、全員を強制的に眠らせて程々にうなされてもらい、すぐに起きてもらう。

 目を覚ました彼女たちは、夢で感じた嫌悪感で蒼褪めていた。



 私の見せる夢は、その人が最も生理的嫌悪感を持つものにどっぷりと身を浸す――そんな夢だ。

 無意識を含めて『見るのも近寄るのも嫌だ』というくらい嫌なものに、強制的に身を浸される。中々に酷い責め苦だと思う。

 夢の記憶は綺麗に消すけれど、”酷い悪夢を見た”という思いは残る。

 夢の中で感じる『嫌悪』と、二度とそんな夢を見たくないという『恐怖』。

 これで周囲の魔族の目を誤魔化している。


 お目付け役の侍従に叱られながら、涙目でなんとかひねり出した、私なりの『魔族の責め苦』だ。一応、お目付け役からも合格は貰っている。

 私に優しいフロジーナも『殿下の責め苦はエグいですよ』と蒼褪めるくらいだから、ちゃんと責め苦になってるはずだ。


 ――謝りたいけど、謝ると気が緩むからできないんだよね。


 こればっかりは仕方ない。ヴェローナ王国での仕事が終わるまで、我慢してもらうしかない。

 エドローム公爵の粛清が終われば、再び緩んだ空気を許す事が出来る。





 私の目に映るヴェローナ王国は荒廃していた。

 神魔大戦後にろくに手入れをされていない街道や街並み、活気のなさすぎる人々。街の規模に対して、人間の数自体も極端に少ないと思う。


「これじゃあ『税収』が上がる訳がないわね。エドローム公爵は人間を殺し過ぎてる上に、補充する政策を取っていない、という事かしら。酷く無能な為政者ね」


 フロジーナが私に応える。


「ヴェローナ王国はかつて、人口三十万人を数える大国家でした。それがここまで荒れ放題だなんて……これでは、王国全土で五万人も居ないのではないでしょうか」


 酷い荒れ様じゃないか! 魔族の貴族失格だ!

 なんでこんな無能が公爵なんだろう? お父様も無能から爵位を剥奪するぐらいすればいいのに。


 こんな調子じゃ、人間である侍女たちを公爵に近寄らせる訳にはいかないな。何をされるか分かったものじゃない。

 街で一番安全そうな宿に彼女たちを置いていこう。





 そうして私たちはヴェローナ王国の王都ジェスカンに辿り着いた。


 ここも他の街と変わらず、人々に活気がない。

 あちこち壊れたまま放置されてるのは、魔族が暴れた後に修復する人が居ないんだろう。


 余りの負の感情の渦に、思わず胸やけを起こした――私にとって負の感情は『くどくて甘ったる過ぎる最悪のスイーツ』だ。そんなものにずっと囲まれていたら堪らない。

 宿に着くと、私はまず侍女たちの護衛に人数分の眷属を作り出した。



 魔族には、低級の眷属(要は下僕だね!)を作り出す魔導術式が伝わっている。

 術式開発者の趣味なのか、山羊の足に人間の腕が着いた胴体、その上に乗っかる牛の頭という造形をしている。

 実に悪趣味だね! 人間が抱く魔族のイメージなんて、昔からこんなものらしい。それを踏襲したんじゃないかと魔族の間では考察されてる。

 もっと可愛くアレンジしたいけど、それはお父様から受け継いだ私の魔導技術では難しかった。何度か挑戦してみたけど、術式として成立させることが出来なくて諦めた。


 この低級の眷属は知能が低く、腕力と耐魔力が高いだけの存在だ。

 私には侍女の護衛ぐらいにしか使い道を思いつかないくらいには大した能力がない。

 身体は大きいし、一応力仕事はさせられるけど力加減が下手なので、本当に使い道が限られる。『穴を掘れ』くらいの単純作業なら出来るかな?

 術者の言う事は何でも聞くし、「こいつの命令に従え」と言えばその通りに動く。

 私が居なくてもこの眷属を置いておけば、彼女たちの身に危険が及ぶことはないはずだ。



「ちょっと気分転換に、そこら辺を散策してくるわ。眷属を常に傍に従えておいてね」


「殿下もお気を付けて下さいね」


「はーい」


 お気に入りの乳白色の旅装で、ぶらぶらと大通りを歩いていく。

 人間が暮らす以上、正の感情が一切無いという事はないはず。それを求めているのだ。

 案の定、鼻をくすぐる、柔らかく心地よい甘い香りをすぐに捕まえた――裏通りの方だ。





 匂いの元を辿って行くと、香りの元は住宅街にある一軒のありきたりな民家。そんなに大きい家じゃない。

 でも中からは、大勢の人間の正の感情が漂ってくる。

 この感情のブレンド具合……宴会でもしてるのかな。少し無理してはしゃいでる空気もある。

 中の魔力をこっそり探ってみると、一般人よりは大きい魔力反応がちらほら。おや~?


 うーん、これは……反魔族勢力の隠れ家、かな。魔族の私が見つけちゃいけない奴だ。

 他の魔族にまだ見つかっていないのは、私の嗅覚がそれだけ敏感だからだろう。

 でも危ういなぁ。いつ見つかるか分からない。それに私がここに居ると、魔族の目に留まりやすいかもしれない。

 そんな状況だけど、負の感情で食傷していた私は、心地良い正の感情の香りに思わず身を任せ、その場に佇んでしまった。

 この街に入って、ようやく心を癒せる空気に身を浸らせていた。


 ――だというのに、急に鼻をツンと突く負の感情の匂いを感じた。


 匂いの元へ目を走らせる――少し離れたところで、小さな男の子に暴行をする貴族風の魔族の姿。

 その顔は嗜虐心に満ちた笑みで歪んでいる。実に醜い笑顔だと思う。

 良い気分だったところを思いっきり邪魔をされ、私はとても腹が立っていた。


 貴族風の魔族は何度も男の子のお腹を蹴り上げては、その子が涙目で血反吐を吐いて苦しむ様子を楽し気に眺めていた。

 男の子が「た……すけ……て……」と何度も懇願しても、魔族はそれをニヤニヤと嘲笑うだけだった。

 再び魔族が男の子のお腹を蹴り上げた――その足が、私の張った簡易魔力障壁の術式で弾かれた。力は弱いけど、遠くにある対象を素早く守る事が出来る術式だ。


 私は狼狽する魔族の元につかつかと歩み寄って行く。

 魔族も私の気配にすぐに気づき、一瞬で間合いを詰めて私に殴りかかってきた。


「邪魔をするな! 『人間』の小娘が!」



 魔族は瘴気を垂れ流す。

 その瘴気の濃さは、魔族の強さに応じたものになる。

 その瘴気の濃さで自分と相手の格を推し量り、相手の方が強ければへりくだる。嫌な世界だと思う。


 瘴気は人間を弱らせ、正気を失わせる力もある。

 だから私は普段から瘴気を完全に抑え込んでいる。侍女たちに悪影響な上に、私にお得なことは一切ないし。

 つまり普段の私は、魔族の目から見ても人間にしか見えないのだ。



 魔族の拳が私の顔面を目掛けて迫ってくる――これも、私は魔力障壁術式で受け止めた。

 ムカムカしている私は、真顔で魔族の顔を見つめるだけだ。

 どうやってこの愚かな魔族の男を懲らしめてやろうかと思案を巡らせている。見逃すという選択肢はない。


 魔族の男は嗜虐心で更に顔を歪めて嗤っている。


「いつまでその障壁が持つかな?!」


 そう叫ぶと、実に楽しそうに拳を繰り出し始めた。

 ガツンガツンと音を立てては、障壁が全ての拳を弾き返していてく。

 私はひたすら真顔でその様子を眺めていた。


 ――こいつ、馬鹿だなぁ。


 相手と自分の魔力の大きさを測る事も出来ない無能だ。

 私はとても小さな力で魔族の拳を完全に遮っている。

 だというのに、おそらくこの魔族には『必死で自分の攻撃を凌いでいる人間の子供』にしか見えないのだろう。

 彼の日常がそうであったように、今日、今この時もそうであると信じ切っているんだ。


 思わずため息を禁じ得ない。はぁ、と私が息を吐くと、魔族は「どうした? もう息切れか?」と楽しそうに嗤う。

 実に救いようがない馬鹿だと思う。

 こんなのを野放しにしているエドローム公爵の程度が知れるというものだ。


 さてどうしようかな。

 このままこいつを滅ぼして、公爵に警戒されないかな。それは面倒くさそうだ。

 かといって、さっきの男の子の呼吸が怪しい。早く治療をしないと死んでしまうかもしれない。時間をかけて悩んではいられない。


 ――仕方ない、この馬鹿はここで始末するか。


 エドローム公爵の所にこれからすぐに殴り込みに行けば、警戒される前に事が終わるでしょ。多分。

 私が拳に魔力を込めようとした瞬間、周囲から複数の強い怒りの感情と闘気、それに魔力を感じた。

 どうやら反魔族勢力の人間が魔族の暴行に気が付いて、奇襲をかけようとしているみたいだ。


 私が下手に動いて魔族とばれると、彼らとも戦う事になるかもしれない。

 私は公爵を粛清に来ただけだ。人間たちと争うつもりはない。

 仕方ない、大人しく様子を見ておくか。男の子の命は、もう少しの間なら問題ないはずだ。


 彼らがさっさと事を済ませられるように、私は魔族の男の注意をこちらに向けるよう煽った。


「――はぁ。魔族の攻撃って、この程度なのかしら。退屈で死んでしまいそうよ?」


 ため息と共に肩をすくめ、口角を上げて嗤って見せる――うーん、我ながら嫌な表情だな。

 今まで『必死で耐えていた人間の子供』から急に煽られた事で、魔族の男が激高した。


「そんなに死にたいか! ならば今すぐ殺してやろう!」


 魔族の男が自分の拳に、全ての魔力を込め始めた。周囲に潜んでいる人間には気づいている様子もない。本当に愚かな個体だ。


「死ねぇ!」


 魔族の男が拳を振りかぶった瞬間、その姿が十文字に切り裂かれ、赤い炎で燃やし尽くされていた。





****


 塵になって消えて行く魔族の足元に、二人の青年が怒りを湛えたまま、剣と戦斧を振り下ろした格好で動きを止めていた。

 この二人が左右から切りつけたみたいだ。

 とどめの炎は……物陰に居る女の子が放った火炎術式かな。


 二人の青年が立ち上がって私に話しかけようとするのを、私は無視した。そのまま急いで傷ついた男の子の元へ駆け寄り、跪く。


 ――やっぱり、放っておくと命が危ない怪我を負ってる。


 涙目でこちらを見上げてくる男の子に微笑んでから、強制的に眠りに落として意識を奪う――痛みをこれ以上味わう必要はないもの。

 そのまま直ちに治癒術式を施しつつ、洗浄術式で血反吐に汚れた男の子の身体を綺麗にして抱え上げる――あ、この子違う! 女の子だ。

 女の子が男の子の恰好をしなきゃいけないほど、この街の治安が悪いのか。それだけ治安を守る兵士も足りてないのかな。

 もう少し時間がかかるけど、私の治癒術式で完全に直せる範囲だ――良かった、間に合った。

 私は安堵のため息を漏らして、女の子を抱きしめた。



 私の背後に、魔族を倒した二人の青年と一人の少女がやってくる。肩越しに振り返って顔を見ると、十五歳前後の人間たちだ。



 剣をしまいつつ、一人の青年が語りかけてくる。

 赤いトパーズのような赤茶けた髪の毛、エメラルドのような緑の瞳。

 人間としては美しい範囲だろう。涼やかな顔をした青年、ってところかな。あの魔族を倒したんだから、見た目よりずっと強いんだろうな。


「俺はマックス。エルナを助けてくれてありがとう。君は魔導士か? 見事な魔力障壁と治癒術式だね」


 治癒が終わった女の子――エルナを抱え上げて、青年たちに振り向いて尋ねる。


「私は――エフィと呼んで。私の事なんてどうでもいいわ。それより、この子の両親はどこ? 家まで送り届けないと」


 斧を背中にしまった青年が、渋い顔で私に応える。

 大柄で逞しい青年だ。黒髪と黒い瞳は、魔王城のある北部だと珍しいな。南部じゃ普通なのかな?


「俺はアンジヴェルだ――その子の家族は魔族に殺されちまったよ。その子は俺たちが保護している、俺たちの仲間だ」


 周囲を囲んでいた反魔族勢力の人間の一人が、エルナを私の腕から受け取って先程の民家の中へ入っていった。

 なるほど、あの中でそういう子供たちも匿ってたのか。

 周囲からわらわらと戦士や魔導士、神官の男たちが姿を現す。全部で十人ちょっとか。

 戦える人がこれしか居ないのかな。全員が力を合わせても、伯爵級が生み出す低級の眷属一体すら倒せないくらい弱そうだ。

 低級の眷属は術者の魔力の強さに応じて強さが変わるけど、男爵級の低級の眷属ならなんとか、といったところじゃないかなぁ。


 炎の術式を放った少女が笑顔で話しかけてくる。


「私はラーシャよ。貴方の防御障壁、本当に見事だったわね。あの伯爵の攻撃がまったく通用しないところなんて初めて見たわ」


 伯爵級……あれでぇ? まぁ魔力の強さだけはそうかもしれないけど。

 他は男爵級にも劣る小物じゃないかな。頭の悪さは低級の眷属と遜色がないよアレは。

 そんなのが貴族階級に居るだなんて、魔族の恥さらしというものだ。帰ったらお父様に一言いっておこう。


 それが見抜けない当たり、この中では強そうなこの子たちも、大した戦力ではないのかなぁ。

 でもマックス、アンジヴェル、ラーシャからは強い神気を感じる。普通の神の信徒も神気を持つというけど、それよりずっと強いものだと思う。

 神の加護を受けてるけど勇者未満、つまり次世代の勇者候補ってところかな。



 マックスが私に語りかけてくる。


「エフィ、君もこの地を治める公爵を倒すのに協力してくれないか。さっきの伯爵は公爵のお気に入りだ。滅ぼしたのがばれると街の人間が報復を食らう。その前に倒してしまいたい」


「私も公爵を滅ぼす為にこの街に来たの。だから協力するのは構わないけど――公爵の戦力は分かってるの? 取り巻きがさっきの伯爵だけってことはないでしょう?」


 通常、公爵級であれば周囲に侯爵級を何人も従える。

 公爵級最強のエドローム公爵なら、数十人の侯爵級を従えていても不思議じゃない。


「ああ、公爵の取り巻き、残るは侯爵級が二体と子爵級が一体だ」


 ……。

 少なくない?! いくらなんでも取り巻きが三人はあり得なくない?!

 私は思わず目を見開いて驚き、呟いていた。


「この地の公爵、どんだけ人望が無いのよ……」


 アンジヴェルが楽しそうに大笑いを始めた。


「がははは! 悪魔に人望か! エフィあんた、面白い物の考え方をするんだな!」


 え、いや、そりゃ魔族の個体にだって人望の有無くらいあるし?

 その辺は人間と変わらないんだけど、どうも人間にとって魔族は『神の同類』くらいの認識らしい。

 実は人間と変わらない地上の生命体だ、という認識が人間の側にないみたい。

 まぁちょっとだけ人間より神に近い存在でもあるから、仕方ないかもしれないけど。



 人間は魔族の個体を『悪魔』と呼ぶ。

 悪いことをする魔族だから悪魔なのかなぁ? その辺は魔族にも伝わってないからよく分からない。

 じゃあ悪いことをしない魔族は何と呼ぶのだろう。『善魔』? いつか誰かに聞いてみたいものだ。



 ラーシャが嬉しそうに私に話しかけてくる。


「仲間内で戦える女子は私一人だけで、ずっとむさくるしかったのよ! 貴方が仲間になってくれるなら嬉しいわ」


「あらそうだったの? よろしくねラーシャ――それで、どうやって公爵を倒すの? あれは最強の公爵級魔族よ? 貴方たちが束になっても、この地を治める公爵には勝てないわよ?」


 彼らに何か有効な作戦があるなら、それに乗っかった方が私は楽が出来るだろう――そう考えていた。


 ラーシャとアンジヴェルがマックスを見る。

 マックスはニカッと、とても良い笑顔で私に応える。


「作戦はない! 正面から乗り込んで、正面から叩き潰す!」


 ……。

 お前らさっきの伯爵級と同じレベルかーっ?!

 救いようがないほど脳みそ空っぽなの?!


 私が親切に『勝てない』って教えてあげてるのに『無謀無策で乗り込む』と自信満々に言い放つとか、どんだけ馬鹿なの?!

 これが次世代の勇者候補って……戦わせても無駄死にするだけじゃない!

 神々も、加護と一緒に戦い方ぐらい教えてあげなさいよ!


 私が眉をひそめながら唖然としてマックスの顔を眺めていると、マックスが苦笑を浮かべながら弁明を始めた。


「エフィが居れば、公爵の攻撃は凌げる気がしたんだ。君が公爵の攻撃を防いでいる隙に、俺たちがさっきのように攻撃を仕掛ける。もう攻め込むしかないし、これしか方法はないと思う」


 そりゃ確かに伯爵級には貴方たちの攻撃が通用したけど、あんなの侯爵級までしか通用しないわよ……

 それが分からないくらい、経験が足りてないのね。駆け出し勇者も良い所じゃないの。

 私はドデカため息を一発かまして三人に告げる。


「――はぁ。わかった。公爵は私が一人で相手をするわ。貴方たち三人は取り巻きの相手を適当にしておいて。公爵を倒し終わったら、私が残った取り巻きも片付けるわ。全てをまとめて相手をしてると、私の服が汚れたり破けたりするかもしれないし、私が公爵を倒すまで間、邪魔されないように動いていて。もちろん貴方たちも、私の邪魔にならない様に動いてね。さすがに、それぐらいはできるでしょう?」


 私の言葉に三人が一瞬唖然とした後、一斉に声を上げた。


「エフィ、君が『最強の公爵』って言ったんだろう? そんなのを一人で相手に出来るわけが無いじゃないか?!」

「服が汚れるとか破けるとか、そんな次元の戦いじゃないでしょう?! 命懸けの戦いなのよ?!」

「俺たちにも『邪魔するな』ってどういう事だ?! 俺たちすらなんの力にもならないと、そう言いたいのか?!」


 私は三人ににっこり微笑んで言葉を告げる。


「貴方たち青二才じゃ、公爵級に勝ち目はないわ。侯爵級すら荷が重い。時間稼ぎに徹しなさい。伯爵級も深追いは止めておいた方が無難ね。子爵級くらいならなんとか倒せるかしら? 後は死なないように注意しなさい。貴方たちを庇っていたら、私の服が汚れてしまうのを避けられそうにないの。それはさすがに許してほしい所ね――さぁ、街の人が危ないのでしょう? のんびりしてないで、早く公爵の所に案内してよ」


 マックスたち三人は、返す言葉が見つからずに唖然としているようだった。





****


 私たちは王都の大通りを集団で歩いていた。

 歩きながらマックスが私に、公爵の情報を教えてくれているところだ。


「公爵は王城の奥、謁見の間辺りに居付いているはずだ。あそこが一番堅牢だからな。用心深い公爵はきっとそこを選ぶ」


「そんなところに引きこもって、公爵は何がしたいのかしら」


「取り巻きを街に放って人間を攫い、中で責め苦を与えながら命を奪っているらしい。捕縛できた悪魔から聞き出した情報だ」


「……公爵は随分と『よろしいご趣味』をしてるわね。頭痛がしてきたわ」


 魔族の貴族の面汚しだ。どんだけ頭が悪いんだろう。


「外で見かける公爵の取り巻きは四体。その内の一体がさっきの伯爵だ。あいつの残忍さが公爵のお気に入りなんだとさ」


 ……ふーん。『外で見かける』取り巻きが四人、ね。

 大丈夫かなマックスたち。その意味、ちゃんと理解してるのかな?

 マックスが私に言葉を続ける。


「四体のうち一体を滅ぼしたから、残りの取り巻きは侯爵級二体と子爵級一体だ――エフィの言う通り、そいつらは俺たちが注意を逸らしておく」


 どうやら、マックスは納得したみたい、かな? 不満気だけど、他に作戦もないみたいだし。

 私は後ろを振り向いて、一緒についてくる反魔族勢力の人間を一瞥してからマックスの顔を見た。


「なぜ彼らを連れて行くの? 完全な足手まといじゃない。貴方たちだって、彼らを庇って戦う余裕なんてないでしょうに」


「彼らは俺たちより戦いの経験がある! 俺たちの至らないところをフォローしてくれる、頼りになる戦力だ! 彼らを馬鹿にしないでくれ」


 マックスは仏頂面になって私に反論してきた。


 ……そりゃあ青二才のマックスたちじゃ至らないところも多いだろうけどさ。

 彼らも彼らで、遠慮するぐらいの判断はできてもいいんじゃない?

 自分たちの力が及ばない事ぐらい、経験があるからこそわかるだろうに……さっき見た彼らは、マックスに対する強い信頼しか感情を出していなかった。

 『マックスに着いて行けば間違いない』とでも考えてるのかな。


「もう一度言うわよ? せめて彼らは置いていきなさい。完全な足手まといだし、命取りになるわ。無駄に死人を出すだけよ?」


「断る。彼らは俺たちの仲間だ。連れて行って共に戦い抜く」


 強情な……うーん、ちょっとこれは誤算だったな。

 これじゃあマックスたちも、思った以上に戦力にならない気がする。


 まぁ、『本当に』残った取り巻きが侯爵級二人と子爵級一人なら、私がフォローしてあげられるか。

 できれば服は汚したくないけど、万が一汚れても後で丁寧に洗浄すればいいか。



 私は小さくため息をついた後、気分を切り替えて鼻歌を歌いながら歩き出した。


 ――それならいつも通り、瞬殺して終わらせればいいのよね。死人さえ出なければ、細かいことはもうどうでもいいわ。


 マックスはそんな私から離れ、少し後ろを歩いていたアンジヴェルとラーシャに合流していた。

 私の後ろで三人がこそこそと小さな声で話をしているのが聞こえてくる。


 ……もしかして君たち、魔族が人間よりずっと耳が良い事を知らないの?

 よくそれで今まで生き残ってこれたなぁ。運の良さも、神の加護に入るのかな。



「ねぇ、あの子何者だと思う? なんであんなに余裕があるのかしら」

「確かに恐ろしいほど強いと感じるが、いくらなんでも公爵を一人で相手に出来るとは思えない」

「以前会った事がある月の神の信徒と似た気配だ。神の加護を感じるから、勇者候補だとは思うんだがな」



 困惑と信頼の感情が流れてくる――私を人間だと信じ込んでるみたいだ。

 私は瘴気を出してないし、神気は隠しようがない。一見したら、確かに勇者候補に見えるからね。

 勘違いさせておいた方が私には都合が良いから、敢えて真実を教えてあげることもないかな。


 私が『魔王の娘』だなんて知られたら、襲ってくるのは間違いない。

 神の加護があると無力化する魔導術式に抵抗されるかもしれないし、そうなったら彼らを殺さないといけなくなるかもしれない。それは嫌だもんな。





 立派な王城の城門が目に入る。人間の姿は……ないか。無人みたい。

 魔族の気配も探ってみるけど、この辺には居ないかな。


 スタスタと軽快に歩いていく私の後ろを、遅れて恐る恐る付いてくるマックスたち――貴方たち、まさか腰が引けてるの?!

 私は振り返って呆れながら溜息をついた。


「ちょっとみんな。そんなに怖いなら無理に付いてこなくていいわ。そんなざまじゃ本当に足手まといにしかならないの。死にたくないなら大人しくそのまま家に戻っていなさい。あとは私が一人で片づけるから」


 私の言い方が悪かったのか、マックスを始めとした反魔族勢力の人間たちが怒りと共に吹き上がった。


「誰が何に怖がってるって?!」

「君一人を行かせるわけにはいかないだろう?! 君こそ死にたいのか?!」

「俺たちはもう失うものなんてない! 怖いものなんてねーぞ?!」


 私の後ろを、勇気を振り絞ってずんずんと進み始めた。

 うーん失敗した。格上の敵が潜む場所に足を踏み入れるって感じじゃなくなっちゃった。


「貴方たち、少し冷静になりなさい! そんなんじゃ勝てるものも勝てなくなる事も分からないの?!」

「煩い! エフィ一人に良い恰好なんてさせていられるか!」


 ……駄目だ、もう私の言う事を聞く気が無いみたい。

 服が汚れるのは、もう覚悟しないとダメかな。酷い汚れが付かないことを祈っておこう。





 ずんずん進むみんなと一緒に、私も先頭をスタスタと進んでいく。

 公爵が居るらしい謁見の間に向かって城内を進み、大広間の中央で私は足を止めた。

 足を止めた私を、マックスたちが追い越していく。


 私が足を止めた事を不思議がるみんなが振り返り、マックスが代表して尋ねてきた。


「どうしたんだエフィ。まさかここまで来て君が怖気づいた、なんて言わないよな?」


 私は特大のドデカため息でマックスに応えた。

 私たちが大広間の中央に差し掛かる辺りで、急に漏れてきた気配にも気づかないだなんて。


「貴方たち、本当によくそれで今まで生き残ってこれたわね。この程度の殺気、気づいて欲しいものだけど。それに随分と話が違うわよ? 侯爵級二人に子爵級一人? そのつもりで踏み込んできていたら、ここで貴方たちは皆殺しにされてるわ――隠れてる魔族たち、出てきなさい! 殺気と瘴気を隠せてないわよ!」


 哄笑と共に、大広間の壁際の空間が歪んで次々と魔族が姿を現していく――幻惑と隠遁の合成魔導術式かな。

 幻惑で見た目を隠して、隠遁で気配を隠していたみたいだけど、大広間中央に差し掛かった獲物を『今すぐ殺したい』という強烈な気配を殺しきれていなかった。

 術者が未熟なのと、魔族たちが未熟だったみたいね。どちらも同族として頭が痛い。未熟さはマックスたちといい勝負だ。


 魔族の数は十五人。侯爵級が十人と子爵級が五人だ。

 しかも侯爵級のうち三人は上位に位置する程度には強そうかな。間違いなくマックスたちの手には負えない。


「マックス、子爵級は任せるわ。侯爵級は私が相手をするから、私の邪魔にならないように動いてね――私の服が汚れたら怒るからね?!」


 マックスに言い放ちつつ、既に私は魔力で生み出した白銀の弓矢で侯爵級の一人を射貫いていた――私が好んで使う、牽制用術式の一つだ。

 この初級の魔導術式の弓矢は、威力や飛距離が術者の魔力に応じて伸びる。その上術式の展開がかなり速く終わるので、奇襲にもってこいだ。

 核を矢で射貫かれた侯爵級は、そのまま塵となって消えていった――これで残る侯爵級は九人。手強い三体はまだ残ってる。



 魔族は頭や心臓を吹き飛ばされても死ぬことはない。人間の臓器のようなものがないのだ。

 もっと正確に言えば、実体化した魔力で身体を構成する生命体だ。半分神様のような存在、というのはこの辺りにも表れてる。

 唯一、核というものが体内に存在して、それを破壊されると死んでしまう。その位置は個体によってまちまちだ。

 それを知らない人間は、『魔族は全身を一度に消滅させればいい』くらいの認識でいるらしい。間違っている訳ではないけれど、効率が悪いよね。


 私は正確にその核を射貫いて破壊した。格下の核の位置なら、魔族同士は見れば分かる。

 何故分かるかと問われると困るのだけれど、分かってしまうのだから仕方がない。



 マックスが私の声に応えつつ驚きを隠せないようだった。


「わかった! そっちは任せる! ――それが月の神の加護か? 弓の一撃で魔族を仕留めるなんて、よくできるな。それに白銀の魔力なんてのも珍しい」



 月の神の加護を得ているせいか、私の魔力は白銀色をしている。

 通常の魔族のように黒い魔力じゃない。

 だからみんなの前で魔力を使って見せても、私が魔族だと気づかれることもない。

 私は普通の魔族の前に姿を現すこともないから、魔族に顔が知られている訳でもない。

 この魔族たちも、私の事を人間だと思っているんじゃないかな。



 殺気立った侯爵級に次々と矢を射かけて、こちらに注意が向くように誘導してあげる。

 マックスは仲間を指揮して、子爵級たちとやり合い始めたみたい。


 更に二人の弱い侯爵級を仕留めて、残りは七人。彼らは急所を庇いつつ、お互いをフォローする動きを見せ始めた。ここからは弓矢じゃ厳しそうだ。

 私は弓矢を放り投げ、両手に魔力の炎を灯して一気に侯爵級たちとの間合いを詰めた。

 驚く侯爵級魔族二人の核を正確に次々と拳で撃ち抜いて、残りは五人。まだ手強い三人が残ってる。結構用心深くて、前に出てこようとしないな。

 思ったより動きも速い。残った二人の侯爵級を盾にしつつ、私に対して嫌がらせのような牽制を繰り返してくる。

 私は牽制攻撃を丁寧に障壁で防ぎながら、こちらからも牽制攻撃を放っていくけれど、場が膠着状態になってしまった。


 ――ああもう面倒くさいな!


 服が汚れちゃうけど、少し強引に潰しに行こうかな、と後ろの侯爵級三人に殺気を向ける――その瞬間、彼らは私に牽制の術式を放ちながら攻撃対象をマックスたちに変更して強襲をかけていた。


 ――しくじった、力量差を読まれた! 勝ち目がない相手より、確実に弱い相手を潰しに走られた!


 マックスたちは――子爵級が五人残ったまんま?! 嘘、一人も倒せてないの?! しかも襲い掛かる侯爵級に気づいてる様子もない。

 すぐに助けに行きたいけど、目の前に立ち塞がる侯爵級二人が私の邪魔をしてる。

 この二人を倒してる間に、人間たちの誰かが殺されるのが理解できてしまった――仕方ない、覚悟を決めた!



 私は魔族の固有能力を使って瞬時に空間を渡り、マックスと侯爵級の間に割り込んで白銀の魔力障壁で攻撃を受け止めた。

 これはかなり疲れる能力で、あまり長距離を移動することもできない。


 その上、こんな魔導術式も私の知る限り存在しない――つまり、こんな能力を使えるのは神か魔族だけ、ということだ。

 人間に使える力じゃない。それをマックスたちの目の前で見せた。さっきしたのは、この覚悟だ。


 魔力障壁のあっちとこっちで混乱しているのが感じられる。

 魔族たちは、同族が何故襲ってくるのかまだ理解してないみたい。

 マックスたちからは、困惑と不信の負の感情が伝わってくる――今、味わいたくない感情だったな。


 魔力障壁を解除して、即座に目の前の侯爵級一人の核を拳で打ち抜いた――残りの侯爵級は強いのが二人と弱いのが二人。

 ついでに子爵級が傍に居たので、核を蹴り抜いておいた――残りの子爵級も残り四人だ。


 目の前の侯爵級が、困惑したまま声を上げた。


「同族でその強さ、貴様何者だ? 何故瘴気を隠す!」


「貴方たちが知る必要はない事よ。黙って滅ぼされておきなさい」


 私は目の前の侯爵級と殴り合いを始める――なんとか今の所、服は汚れずに済んでる。

 意外と素早くて、中々核を殴らせては貰えない。この二体が相手なら、服が汚れるのはもう忘れよう! 気にしていたら動き辛くてしょうがない!


 困惑したまま動きが鈍くなったマックスたちのフォローも開始してるから、私は目が回るくらい忙しい。

 今の所、人間たちは怪我をした様子もない。

 子爵級はまた一人減って、残り三人――その瞬間、背筋を伝わる悪寒。恐ろしい殺気と魔力の高まりを感じた。どこかに公爵が隠れていた?!



 すぐさま目の前の侯爵級二人を手加減抜きの魔力で弾き飛ばし、人間たちを守る事が出来る、私の最強の防御結界術式を急いで人数分付与していく――公爵が私に攻撃を放った気配、自分の分は間に合わないか!

 こんな場所であんな力の直撃を食らったら『街の被害が』とんでもないことになる。

 魔力を全開にして大広間から真上に向かって天井をぶち抜いて、空に向かって上昇する力場を作る――直後、私に公爵の術式が炸裂していた。





 大広間が漆黒の閃光で包まれていた。閃光に見える程の圧縮された炎だ。

 地面が大きく振動し、周囲の構造物が地面ごと消滅していく気配がする。

 私は必至に公爵の術式を空へ向かって受け流していた。ただそれだけに全力を注いだ。

 私の白銀の魔力が、激しい炎となって空へ上り続けて行く。何度も公爵の術式とせめぎ合いながら、なんとか最後まで力を逃がすことに成功した――





 公爵の大魔導術式が収まったのを感じ、私は大きく息をついて、魔力の解放を解いた。

 魔力のせめぎあいの中で、私の服はあちこちが炎で炙られ穴が開き、ボロボロにされていた。

 黒い炎で炙られた旅装は、乳白色から遠いまだらの焦げ目がついている。

 私の怒りが限界を超えそうだ。私としては珍しく、魔族らしい殺意すら覚えていた。


 周囲を見渡す――王城は綺麗さっぱり消滅し、跡地は大きくへこんでいた。王城に近い建物も余波で壊れていたけれど、公爵の攻撃のほとんどを空へ逃がすことに成功したみたいだ。

 辺りに渦巻くのは困惑と不信の感情、殺気と怒りの気配――


 マックスたちの様子を目視で確認する。彼らの防御結界に綻びはない。完全に公爵の攻撃を凌ぎ切った。

 ただ、やっぱり『何故魔族が自分たちを守ったのか』という困惑と、魔族に対する不信が満ちている。



「その力、エフィーリア殿下とお見受けする。我が最大の大魔導術式を受けきるとは、見事という他はないですな」


 壮年男性の、殺気と怒りに満ちた声が辺りに響いた。

 私は殺気と怒りを押し隠し、その声に飄々と応えて見せる。


「こちらこそ驚いたわ。二段構えの不意打ちなんて、どれだけ小心者なのかしら? エドローム公爵」


 私たち高位魔族の名前を知るのは、魂の格が低い人間にとってとても危険な行為だ。

 魂が穢れてしまい、外道に堕ちて魔族の傀儡となり下がる。魂の格が人間より高い竜種ですら、より格が高い魔族の名を知れば汚染されて魔竜と化すくらいだ。

 ――もちろん、私の防御結界術式はそんな魂の汚染からも守ってくれる優れものだ。彼ら人間には、私たちの名前だけが聞こえていないはずだ。



 声を出したことで、公爵を包んでいた隠遁の術式が解ける。それに合わせて公爵が幻惑の術式も解いて姿を現した。

 微笑みを浮かべて余裕ぶっているけど、気配は怒りと殺気に満ちたままだ。そんなに私に防がれたのが癪だったのかしら。


「我が最大術式、陛下すら仕留めると自負していたのだが……まさか防御結界なしで耐えきられるとはな」


「あの程度で魔王であるお父様を仕留める? あんなの大公級すら仕留められないわよ。自惚れるのも大概にしておきなさい」


「……やせ我慢は程々にしておけ小娘。いくら魔王の娘とは言え、直撃を食らったのだ。貴様に勝ち目がない事ぐらい理解できているだろう?」


「……頭が悪そうだから言い直してあげようかしら? あの程度じゃ私を仕留める事なんてできないわ。あんたの粛清は決定事項。大人しく滅びなさい」


 お互いが殺気と怒りを向けあい、睨み合う――次の瞬間には壮絶な殴り合いが始まっていた。

 術式を使う余裕を互いに与えない。

 魔力を拳や爪に込めての格闘戦だ。


 ――やばいな、確かにやせ我慢し過ぎた。


 私は魔力を使い過ぎて、残り少ない。

 普段から食事制限をしていた私は、魔力の持続力が無い。


 一方で公爵は、三十万人を誇ったヴェローナ王国の国民が五万人程度になるまで殺戮を愉しみ、力を蓄えた。

 飽食に明け暮れた生活だったという訳だ。魔力の持続力は比べ物にならない。

 あれほどの大魔導術式を放った後だというのに、まだ公爵は半分くらい魔力を残しているみたいだった。


 公爵の動きに付いて行くのに、私の魔力が足りない。

 その上、マックスたちに消費の激しい防御結界術式を張りっぱなしだ。だけど結界を解いたら、公爵がマックスたちを殺しに向かう。今の私に、それを止める手はないだろう。

 結界を維持する事で、残り少ない魔力が更に削られていく。


 徐々に遅くなる私の動きが、公爵の攻撃に捕捉され始める。

 お気に入りの服が更にボロボロになっていき、私の身体も傷つき始めた。


 ――あ、これジリ貧だ。このままじゃ負けるな。


 勝機を見いだせないままここまで追い込まれた。これ以上追い込まれると勝ち目がなくなる。

 私は意を決して公爵の攻撃を身体の中心で受け止めた。私の胸を、公爵の腕が深く貫く。

 そのまま魔力を出し惜しみすることなく公爵の身体を力で抑え込み、公爵の核に殺気を向けて『隙を見せたら殺す』というプレッシャーを与え、迂闊に動けないように縛った。

 そのまま全力で公爵の身体を抑え込み続けながら、マックスたちの防御結界を解いて叫ぶ。


「マックス! 今すぐ、みんなを連れてこの場から逃げなさい! 今なら公爵を私が抑えて居られるから、その間に急いで!」


 彼らが居なくなれば、私は気兼ねなく公爵と戦える。

 今なら勝率は五分五分より少し悪いくらいだと思う。だけど時間が経つほど私が消耗して勝率が悪くなっていく。

 こうなったら相打ちも覚悟しておかないといけないなー。公爵風情に相打ちか。魔王の娘の肩書が泣いちゃうな。



 でも、マックスたちから流れてくるのは困惑や不信の感情――ま、そりゃそうだよね。魔族の言う事を信じろと言う方が無理だ。

 私は続けて必死に声を振り絞る――今この瞬間も、公爵を抑え込み続けるのに必死なんだから早くしてよホント!


「信じる信じないより、今は自分の命を守る事を考えなさい! 私も長くは持たせられない――急げ!!」



 一瞬の逡巡を感じた後、マックスが声を張り上げるのが聞こえる。


「ラーシャ! 皆を逃がせ! アンジヴェル! 俺と一緒にエフィを援護するぞ!」


 ――は?! 本気?! あの公爵の攻撃を目の当たりにして、子爵級一人すら倒せない青二才が援護?! 力の差は歴然でしょう?!



 マックスは激しい掛け声と共に公爵に切りかかり、私の胸を貫いていた公爵の腕が切断される――え?! そんな力、マックスにあったの?!

 マックスの身体は淡く白く輝いている。これが神の加護の力かな。まさかこの場に至って、ようやく加護の力を使いこなせるようになったということ?

 私は唖然としてその姿を見ていたけれど、そんな私にマックスが再び声を張り上げる。


「エフィ! ぼやっとするな、お前が主力なんだ!」


 マックスは言葉を残して、飛び退いていたエドローム公爵に切りかかっていった。アンジヴェルも身体を淡く白く輝かせ、マックスに続いていく。

 あの青二才たちが、今の私と変わらないくらいの速度で動けてるみたいだ――それが神の加護の威力? 人間側、ズルくない?


 そしてマックスとアンジヴェルから感じるのは、私に対する深い信頼の感情――なんで? なんで魔族をそこまで信頼できるの?!

 唖然としていた私はすぐに我に返って、彼らの正の感情を有難く食べて少しだけ魔力を回復させた。今は私も困惑している場合じゃない。

 これは勝機だ。今のマックスとアンジヴェル、そして私が力を合わせれば、エドローム公爵を滅ぼせる。この瞬間を逃しちゃだめだ!


「ああもう! 分かったわよ! まったく、魔族使いの荒い人間ね! ――公爵の弱点は右胸よ! そこを狙いなさい!」


 細かい位置までは教えられないけど、核の狙って攻撃が襲ってくるプレッシャーを公爵に与えられる。

 私は決定打となる公爵の隙を伺いつつ、白銀の弓矢を魔力で作り出して遠距離から公爵の核を狙い続けた。


 公爵はマックスとアンジヴェルの攻撃を捌きつつ、私の矢も警戒しなければいけない――彼に焦りと隙が生まれ始めた。

 公爵が怒りのままに振り切った攻撃をマックスがかわし、右胸に傷を付ける。核をわずかにかすった一撃で、公爵の動きが止まった。

 その隙をアンジヴェルの戦斧が突いて公爵の両足を切り飛ばす――今だ!


「二人とも、どいて!」


 私は叫びながら走り出し、残った魔力の全てを拳に込めた。

 マックスとアンジヴェルが飛び退いて目の前にあらわになった公爵の核を目掛け、白銀の炎が灯った拳を全力で叩きつけ、撃ち抜いた。

 公爵の身体は私の白銀の炎で大きく消し飛び、そのまま塵となって消えて行った。





 ――あー、疲れた……もう動けないや。


 胸に大穴をあけ、肩で息をしながら私は項垂れていた。

 もう魔力は残ってないに等しい。


 そんな私を、マックスとアンジヴェルが戸惑いの感情を込めて見ているようだった。

 さっきみたいに信頼の感情をくれれば、ちょっとは回復できるんだけど……さすがに虫が良すぎるか。

 戸惑いの感情は食べても力になりそうもないし、何より美味しくなさそうだ。


 アンジヴェルがマックスに語りかけている。


「なぁマックス……エフィをどうするんだ? 今なら二人がかりで倒せる気がするんだが」


 私は魔族らしく、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてあげながらその言葉を肯定してあげる。


「そうね。今の私が相手なら、貴方たち二人が死力を尽くせば多分倒せるわよ? でも油断すると死んでしまうから、そこは気を付ける事ね」


 マックスは困惑した表情で私に語りかけてきた。


「エフィ、君は何者なんだ?」


「防御結界越しでも、私と公爵の会話は名前以外聞こえていたでしょう? 私は魔王の娘。貴方たち人間の敵よ」


「では何故、敵である君は俺たちの命を、そんな姿になってまで助けてくれたんだ?」


「魔族は人間の感情を食べる生き物なの。人間に簡単に死なれたら魔族も滅びてしまう。公爵と戦いながらでも助けられると思った、だから助けた。何か不思議なことはある?」


「だが君はその胸を貫かれた時、自分の死を覚悟したはずだ。そんな顔をしていた。そこまでリスクを負う必要はなかったはずだ」


「……そうね、確かに相打ちは覚悟した。なんでそこまでしたのかは、自分でも分からないかな」


「君に神の加護があるのは何故だ? 何故悪魔なのに瘴気をまとっていないんだ?」


 ――なんだか面倒くさくなってきた。まだ聞きたいことがあるっていうの?


「……加護は生まれつきよ。何故加護を与えたのかは、私も神本人を問い詰めたいわ。挙句に『ちょっとお父様を殺してきて!』とか笑顔で言うのよ? 月の神とかいう奴、頭おかしいんじゃないかしら――瘴気は人間を狂わせ弱らせるだけ。私の得にならないから出さない、それだけよ。殺すなら早く殺してよ」


 私はもうどうでもよくなって、しばらく俯いて地面を眺めていた。

 次の瞬間には、私の身体は塵となっているかもしれない――なにもかもがどうでもいい。


 フロジーナたちの顔がふと頭をよぎった――帰ってあげられなかったな。私の事、心配してるかな。

 でも魔王の娘を倒せば、お父様の、魔王の力は大きく削がれる。それは人間たちの希望に繋がるはず。

 この国をすぐに攻められる魔族は居ない。攻撃態勢を整えてから攻め込まれても、その間にマックスたちがさっきの力を使いこなせるように成っていれば、お父様は無理でも公爵級とは渡り合える。

 マックスを中心として人間たちが集まり迎撃態勢を整えれば、フロジーナたちも人間たちの元で平和に暮らせるだろう。その方が彼女たちは幸せな気がした。


 そんなことを考えていたのに、急にふわりと優しい香りが漂ってきた――なんで信頼の感情が流れてくるの?!

 驚いて顔を上げると、傍にマックスが来ていた。彼はそのまま私の腕を取って、自分の肩に回した。


「……なんで私は人間に肩を借りているのかしら。説明してもらえる?」


「仲間が歩くのが辛そうだから肩を貸した。それ以上の理由が必要か? ――エフィは魔王の娘なら、王女みたいなものだろう? それなら使用人は連れてきてるのか?」


 マックスの仲間? 誰が?! ――肩を借りている私の事か。え? どういうこと?

 事態を理解できないまま、私は状況に流されて応えていく。


「……人間の侍女たちが大通りの宿で帰りを待ってる――ああでも、彼女たちにあわせる顔がないわ。どうしようかしら」


 私は眉をひそめて、どう言い訳をしようか考え始めた。

 マックスが不思議そうな顔で、困っている私を見てくる。


「侍女に合わせる顔が無い? 何故だ?」


「この服、彼女たちから初めて贈ってもらった大切な思い出の品なの。私の一番のお気に入りよ。それなのにこんなにボロボロにしてしまったわ。自分の不甲斐なさに腹が立つわね」


 一瞬の沈黙の後、背後から、アンジヴェルの大笑いが聞こえてきた。彼からも深い信頼の感情を感じる――だからなんで信頼するのよ?!


「がははは! そんな大切な服を戦いの場に着て来る奴が居るか! 自業自得だ馬鹿者!」


 私はアンジヴェルに振り向いてがなり立てる。


「煩いわね! あんたら足手まといが居なければ、ちょっと汚れる程度で済んだのよ! ――途中で無理にでも追い返しておくんだったわ! とんだ見込み違いよ!」


 判断ミスもいいところだ。それが今回、一番の失敗だった。『ちょっと汚れそうだから取り巻きを任せて楽をしよう』とか余計な事を考えなければ、汚れを浄化術式で落とすだけで済んだのに!

 アンジヴェルはとても楽しそうに笑い続けている。


「ははは! そいつぁすまなかったな!」


 ……ちっとも『すまない』という謝罪の意志を感じない笑みね。殴りつけてやろうかしら。

 ひょこひょこと肩を借りて歩きながら、温かい感情を食べて魔力を回復させる。

 んー、このくらい回復すれば、胸の穴くらいは塞げるかな。


 回復した魔力で胸の穴を塞いだ私を見て、マックスとアンジヴェルが顔を真っ赤にした。

 マックスはすぐにそっぽを向いて、なんだか申し訳なさそうに言葉を告げてくる。


「なぁエフィ。その……服は元に戻せないのか?」


「そんなことは魔族でも無理よ。だからボロボロになってがっかりしてるんじゃない――なに? 何か問題があるの?」


 遠くからラーシャの悲鳴が聞こえた。

 何事かと目を向けると、物凄い勢いで駆け寄ってきて私にローブの上着を被せてきた。


「エフィ! 貴方なんて格好してるのよ?! 女性がそんなに肌をさらすなんて常識外れよ?!」


 ……肌?

 さっきのマックスたちの視線や、今のラーシャの視線の先を見る――服には胸にあいた大穴がそのまま残ってる。その穴から、私の胸の双丘が顔を覗かせていた。


「……ああ、私の裸を見てマックスたちとラーシャが取り乱したのね。魔族の身体を見て興奮するなんて、変わった人間ね」


 確かに私の見た目は人間と変わらない。

 魔族と知らなければ、そんな反応をしても不思議じゃないけど、もうみんな私が魔族と知ってるでしょう? なんでそんなに赤くなるの?


 ラーシャからは私を心配する感情と――やっぱり信頼する感情。


「……ねぇラーシャ。あなたも私が魔王の娘だって聞いてたわよね? なんでそんなに信頼できるの? 意味が分からないわ」


「そんな些末な事より、女子が胸をさらして平気な神経の方が私には理解できないわ! 魔族には恥と言うものが無いの?!」


 私は小首を傾げて応える。


「そうね……魔族は人間のような子作りはしないわ。そういう欲求がないのよ。作ることは不可能ではないらしいんだけどね――だからなのか、裸を見られて恥ずかしいとも思わないの。服を着ているのは、人間の文化を真似るのが最近の流行だからよ。その前は全員裸で過ごしていたわよ?」


 ラーシャが物凄い迫力で私の目の前に顔を持ってきた。


「いいから! 人間の街に居る間は素直に隠して! わかった?!」


「……はい」


 完全に迫力負けである。

 左腕はマックスの肩を借りているので、右手で上着を使って胸の穴を隠した。

 もう少し回復すれば幻術も使えると思うんだけど……その前に宿に着いちゃいそうだし。


 よく見ると、反魔族勢力の人間たちも視線がチラチラとこちらに向いている。

 どうやら私の胸を盗み見ていたらしい。

 なんだかみんな顔が赤い。


 ……まぁそりゃそうか。見た目だけは十五歳前後の人間の女の子だものなぁ。

 そんなのが裸をさらしてたら、そういう反応になるのか。

 どうやらこの場に居る反魔族勢力の人間たちから、私は敵ではなく仲間として受け入れられたらしい。

 全く理解できない。なんでだろう?



 さく、さくと私たちの足がゆっくりと王城跡地を踏んで行く。


「この国の人たちに悪いことをしちゃったわね。王城が丸ごとなくなっちゃった。王様とか、困るんじゃないかしら」


 マックスが私の横で苦笑いを浮かべている。


「父上は公爵に殺された。俺以外、王族はもう居ない。俺は被害が最小限に抑えられたことを理解しているから、その事をエフィが気に病む必要はないよ」


 父上……?

 俺以外……?


「えーと、マックス。貴方、もしかして王子様?」


「改めて自己紹介をしておこうか。俺はマクシミリアン・アルトヴェスト・ヴェローナ。ヴェローナ王国第一王子だ。呼ぶときは引き続きマックスと呼んでくれ。一応、この街の反魔族連合のリーダーをやっている」


「そっか……ごめんねマックス。お父様の躾が行き届かないばっかりに、家族が居なくなってしまったのね。どうしてあんな無能な奴が公爵だったのかしら。魔族にとっても、人間は簡単に殺していい存在じゃないって、ちょっとでも知能があれば理解できるはずなのに……同族として、貴方には詫びる事しかできないわ」


 マックスが私の顔を見ながら、神妙な顔で質問を投げかけてくる。


「……エフィ。君はこれからも、魔王の娘であり続けるのか? それとも、月の神の言う通り、魔王を殺す者になるのか?」


 私は俯いて考えながら、胸の内を吐露していく。


「今はまだ、わかんないかな。お父様から愛情を受けた覚えはないけど、親子である事に変わりはないもの。神からのお願いだからって、『はいわかりました』って親を殺すのは、私には難しいわね」


「魔王を殺す勇者の道を選んだとしたら、君には魔王を殺す力があると思うか?」


「月の神の加護って奴の使い方を知れば多分できるんじゃないかってフロジーナ――私の侍女が言ってたわ」


「じゃあ、魔王の娘の道を選んだとしたら、君はこれからどうするんだ?」


「お父様が後任の魔族を送り付けてくるまで、人間が死なない様に負の感情を搾り取るように暮らしたでしょうね……その前に、人間を増やすことから始めないとだめね。今のままじゃ、人数が足りなすぎるわ」


 マックスから、戸惑いの感情が伝わってくる。


「死なないように負の感情を搾り取るってのは、どうするんだ? 君の癒しの術式で傷を癒しながら暴行でも加え続けるのか?」


 私は眉をひそめてマックスを睨んだ。


「はぁ? そんな野蛮な事しないわよ。私は負の感情が嫌いなの。そんな胸焼けしそうな状況なんて作らないわ――私は悪夢を見せるのよ。その人が一番嫌がる存在に身を浸す悪夢をね。そして目が覚める時に綺麗に記憶を消すの。これなら心にも身体にも傷は残らないわ。私でもまだ食べられる、マイルドな負の感情よ。でもできれば私は、喜びとか慈しみみたいな正の感情に包まれて居たいわね。そちらの味が私の好みなのよ」


 マックスが小さく吹き出した。

 肩を揺らして笑いを堪えていた。

 私は顔を熱くしながら文句を告げる。


「……なによ? 何か言いたいことがあるの?」


「ふふ……いや、君に魔王の娘は似合わないと思っただけだ。こんな可愛らしい魔王の娘が世の中に居るとは思わなくてな」


 ぼふっという幻聴が聞こえるくらい、私の頭が茹で上がった気がする。


「魔族が可愛いとか、貴方正気なの?! 頭は大丈夫なのかしら、このポンコツ王子様は!」


 マックスがニコニコと微笑みながら私に応える。


「エフィはどこからどう見ても人間の少女にしか見えないからな。そんな女の子が可愛らしい事を言った。そんな君を可愛らしいと思っても仕方ないだろう――人間と魔族の間で、子供は作れるのか?」


 私は目を逸らしながら応える。

 なんだか、急にマックスの隣で胸をさらしているのが恥ずかしくなった気がして、右手で固く上着を閉じた。


「作ろうと思えば作れるらしいわ。私にもやり方の知識はあるし。ただし、魔族の心に愛が必要よ。相手を愛する心があれば、作れるんですって。これは魔族同士でも変わらないルールよ。愛を持たない普通の魔族は別の方法で子供を作るわ。私は後者で生まれた魔族。お父様には愛がなかったのね」


「……エフィの心には、愛があるのか?」


 ああもう! なんでそんな事を聞くのよ!

 それになんでそれがこんなに恥ずかしいのかしら!


「言いたくない! あなたには教えたくないわね!」


 私たちの横を一緒に歩いていたラーシャが、呆れた顔でマックスを窘める。


「マックスあなたね、怪我を負った上に服がボロボロの女の子を口説く王子様がどこに居るのよ? せめて着替えてからにしなさいよ!」


 ちらっと横を見ると、マックスがいたずら小僧の様にペロリと舌を出していた。

 周囲の人間たちも、共に歩きながら笑い合っていた。


 ……なんだろう、この暖かい感情の渦は。

 おかげでだいぶ魔力も回復してきたけど。


 ラーシャの反対側を歩いていたアンジヴェルが、微笑みながら提案をしてくる。


「神の加護の使い方を知らないと言っていたな。『魔王を倒せ』と神に言われたなら、対話をしたことがあるんだろう? その時に感じた神の気配を、加護を受けた人間はいつでも感じ取れるはずだ。その気配を捉まえて願い事を祈ればいい。例えば『服を直してください』とかな。神が応じてくれれば、奇跡が魔法となって現れる」


 魔法? よくわからないけど、大切な服が直ってこの恥ずかしい思いが減るならやってみようか。


 えーっと、月の神の気配……辺りに漂う魔力の気配の中から、それっぽいものを探して選り分けていく――あ、これだ。

 手繰り寄せた気配に向かって『私のこの大切な服を元に戻してください』と切実にお願いしてみた。


 その瞬間、私の服が眩い白銀の光に包まれた。

 私を含め、周囲が言葉を失っている間に、みるみると服が元の姿に戻っていく。

 眩い光が収まった時、私の服は元通りの乳白色の姿を完全に取り戻していた。


 ラーシャが呆然と呟く。


「嘘……言われて直ぐに、そこまでの魔法を使えるものなの?」


 共に歩く神官の一人が、笑顔で語ってくる。


「エフィは元々、高い魔力を持つ魔王の娘です。その上、月の神は神々でも高位の神ですから、神がその気になってくれればこのくらいの魔法は使えますよ――ただし、月の神は気まぐれです。祈りに応じてくれない事も多い。加護の扱いには注意した方がいいですよ」


 私は呆れながら、ラーシャに上着を返しつつ応える。


「気まぐれって……仮にお父様退治をする事になっても、いざという時に力を借りられない事もあり得るって事?! 頼りになるんだかならないんだか分からないわね! やっぱりあの神を一度問い詰めたいわ!」


「ははは! 月の神は愛の神の側面を持つと言います。愛情深い人間の頼みは、結構聞いてくれるらしいですよ? 特に恋愛関係を好む神だと言われていますね」


「なんだか納得がいったわ……自分が愛情深いかはわからないけど、私の心に愛があるから成功したって事かしら。それなら頼み事はだいたい聞いてくれそうな気がするわ……」


 私がぼそりと呟いた言葉に、マックスが満面の笑みで笑いかけてきた。


「ああ、やっぱりエフィの心には愛があるんだな。じゃあ俺との子供を作る事も出来るよな? どうだ? 作ってみたいと思わないか?」


「まったく思わないわね! 何このポンコツ王子! これでこの国はこの先やって行けるのかしら?!」


「しっかり者の君と一緒なら問題ないだろう? 一緒に人間の世界を再建していこうじゃないか」


「煩い! 誰かこのポンコツ王子を止めなさいよ! なんでみんな呆れるか笑ってるかして止めようとしないのよ?!」


 アンジヴェルが笑いながら私に応える。


「他人の恋路を邪魔する奴は、月の女神に呪われると言われているからな。第一、エフィも口では嫌がっておきながら、そんなに真っ赤な顔で照れていたら説得力がない――さてはお前、そんだけ可愛い顔をしてるのに口説かれ慣れてないな?」


「アンジヴェルも煩いわね! 魔王の娘をホイホイ口説く奴がマックス以外に居て堪るかぁ!! ていうかアンジヴェル、どさくさに紛れて一緒に口説いてるじゃない!」


 マックスも頷きながら私に同意してくる。


「まったくだ。俺以外の男など、エフィには必要ないからな――アンジヴェル、いくらお前でもエフィに手を出す事は許さんぞ?」


「そういう! 意味じゃ! ないから! ――マックスはなんなの? 頭の中がお花畑なの? 幸せな結論しか導き出せない頭してない? 無謀無策で公爵と戦おうとしていたり、それでこれからも生き残っていけると思ってるの?!」


「エフィが居れば倒せると直感し、その通りに公爵を倒せた。俺はこれからもエフィが一緒なら魔王を倒せると直感しているし、これからの人生も幸せになれると直感している――俺の直感は結構当たると評判なんだ。君も思い切って俺の直感に乗って来い。後悔はさせないはずだ」


「乗れるかぁ! もっときちんと考えて行動しろと言ってるのに、とことん直感頼りなの?! その前向きな思考回路はどう育ったら形成されるというのかしら?!」


 マックスがニヤリと不敵な笑みを浮かべて私を見つめている。


「だが、周りに居る俺たちの正の感情を一身に浴びたエフィはすっかり回復したんじゃないか? ――これならもう、肩を貸す必要もなさそうだな。名残惜しいが手を離すとしよう」


 そっと優しく腕を解放された私は唖然としていた。

 確かに、いつの間にか自分の足だけでしっかりと歩けてる。

 もう、公爵に受けた傷も消耗もほとんど回復していた。


「……まさか、それを狙ってわざとああいう空気を作っていたの?」


 マックスが肩をすくめた。


「そこまで計算していた訳じゃない。ただなんとなく、エフィに愛情や慈しみを注いでいたら元気になるような気がしただけだ――どうだ? 俺の直感は当たるだろう? 少しは信じてみる気になったか?」


 ラーシャが横からこっそり耳打ちしてきた。


「騙されちゃだめよ。私たち、そんなマックスの直感に何度も騙されて酷い目に合ってるんだから」


 私は思わずラーシャに振り向いて心の限りに叫んだ。


「なんでそんな人がリーダーやってるの?!」


 ラーシャが半笑いになった。


「彼以上に統率力のある人が居ないのよ。結局、なんだかんだでいい感じの結果に納めちゃうし……今回みたいにね」


 がっくりと肩が落ちる自分を自覚した。


 やっぱり人類側、深刻な人材不足じゃないか……

 なんだか、せめて私が傍で支えてないとダメなんじゃないかと思えてきた。

 そんな私の心を見透かすように、ラーシャがニヤリと囁いてくる。


「どう? 少しは心変わりしたんじゃない? マックスの為なら父親を倒す気になった?」


「……そうね、少しくらいは考えてもいいかなってぐらいには」


「少しと言わず、全力で俺に傾倒して構わないぞ?」


 いつのまにか近寄ってきていたマックスが、私の背後から耳元で囁いてきた。

 思わず再び頭が茹で上がる。

 私は振り向いて全力で叫んだ。


「できるかドアホ! 頭茹だってるんじゃないの?!」


 背後からラーシャの冷静な突っ込みが私の耳に届く。


「茹だってるのは貴方の方じゃない。手鏡貸しましょうか?」



 私は優しく温かい感情に包まれながら、人間の仲間たちと共にフロジーナたちが待つ宿に向かっていった。





 これは魔王の娘である私が、魔王を倒すまでのお話。その序章。

 このあと様々な苦難を乗り越えて私は魔王を倒し、大陸に平和な人間の世界を取り戻す事になる。

 その後も幸福な潤いのある人生を送る事になるのだけど、それはいつか語る日も来るだろう。









 お読みくださり、ありがとうございます。


 本作は拙作ファンタジー小説で共有している神話体系の内、魔族側にフォーカスを当てた短編です。

 もちろん私の作品を知らなくても楽しめるように書いていますが、知っていると「お、あれか」とか「あーそのへんが」とか、そういう楽しみ方はできるかもしれません。



 エフィも毎度おなじみ、『拳で語る系少女』です。

 いや今回は半分くらい弓矢使いましたけど。

 結局この世界の奴らは「拳に魔力を溜めて弱点殴り抜いた方が早いよね!」という思考回路に至るらしく、最終的に拳で語り合います。

 イメージ映像が直前に引いた雨の魔女トネリコに思いっきり引っ張られて困りましたが、頑張って容姿は変えてます。眼鏡かけてないし!



 マックスは典型的「うちの王子様」かなぁ。

 人類がピンチな状態のリーダーなので、続きを書けばもっと個性が着くかもわかりませんが。

 


 アンジヴェルは……まだ個性が着く前ですかね。イメージ映像はバスタードのアンガス(アビゲイルが中に入ってた侍)あたりです。性格はだいぶ違いますけどね。

 キャラを転がしていけば意外な個性が着くかもしれません。



 ラーシャは当初、マックスとひっつけるか悩んでましたがこの方向だとマックスがエフィ以外に見向きもしなさそうですね。

 割と元気で世話好きなタイプ。知識の神を信奉する典型的魔導士で攻撃力は地味に性能高いとかそういう子です。逆に防御は紙です。

 この子はキャラを転がしてもあまりぶれなさそうなイメージ。



 月の神は今回初出です。

 イメージ映像がFG●のアルテミス第1段階ですが、キャラを転がしていったら別物になる可能性もあります。

 天体を司る神なので相当ハイスペックです。

 エフィが弓を使うのも月の神の影響です。

 月の女神=弓はギリシャ神話由来っすな。うちの神話、わりと各地方ちゃんぽんだから。




 『天衣無縫の公爵令嬢』でも魔王の息子は登場して裏設定をほんの少し出したんですが、今まで書いてきていなかった裏設定を出して何か書いてみようか、と思い至って『じゃあ今度は魔王の娘にしてみようか』と相成りました。

 単純にパンチのあるタイトルネタを考えるとその辺になるって感じなだけなんですけどね。


 時代的には共有神話体系の中でも相当古い時代のエピソードです。

 創世の神は居ますが創竜神(神竜)が生まれる前です。

 『天衣無縫』で描写される前世は、ここからもう少し下った時代ですかね。

 『竜の巫女』は神竜の時代なので結構後の時代です。

 『竜の寵児』とか『番の巫女』、『邪教の姫』や『精霊眼の少女』は創竜神の時代なので神話体系の新しい時代です。


 魔王は何度も現れるので(まぁなんせ、魔族自体が地上に発生する生命体の一種族、魔王はその時代その種族の王様って意味程度)、各時代に色んな魔王が居るよーという世界です。

 でも人類はその辺区別がついてないので「なんか魔王って無茶苦茶復活してきては神様と争ってやがる」とか思ってます。そんな裏設定を出してみた短編です。

 なので同じ魔王でもエフィのお父様と、『天衣無縫』のケーニヒの親父は別人です。



 内容的にちょっと書き辛かったのは、設定として「高位魔族の本名を知ると人間は魂が穢れてしまう」というのがあるので、ヒロインの本名を人間は知る事が出来ないんですよね……。

 一応、フルネームの設定がありますが、表に出す機会は多分ないだろうな。

 仕方なく愛称を名乗らせてますけども。魔族同士の会話で突然本名で会話し始めて「誰やお前」にならないといいな、という感じです。

 あと公爵と侯爵を間違えやすいです。多分全部直しましたが。

 あと魔族側はガチで負の感情を食べるので、続きを書くとしたら頑張ってエグイ事書かないといけないのが大変そうです。

 ちょっとだけ試し書きしてみましたが割と気が滅入りますねああいう描写。

 エフィみたいな魔族は一万人に一人とか十万人に一人とか、そのくらいの頻度で生まれます。ケーニヒもその一人ですね。





[どうでもいい話]

 水着アルキャスの鐘を拾いながら推敲してましたが、やっぱり気が散りますね……。

 執筆してるとイベント周回すらやる気が起こらないのが辛い。

 もうほとんど青リンゴ農家です。


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[一言] 最近流行りのタイトル詐欺でした。
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