七
逆流していた時が、正常に流れ始める。
巧聖の長槍が直撃する寸前、牛頭型が垂直に跳び上がった。
両手斧を背中まで振りかぶり、体を翻しながら。
両の蹄が大地を打ち鳴らし、縦揺れを起こす。
重大な刃が円弧を描き、湊輔へと降りかかる。
また斬り裂かれる――より早く、視界が左に傾き、一回転した。
直後すぐ横で、凄烈な炸裂音と土くれが弾ける。
立ち上がった途端、駆け出す体。
これまで体感したことのない勢いを発揮して、長い柄の下をくぐり抜け、巨影の左脚に肉迫した。
刀身を右肩にかつぐように構え、左足を踏み込む。
左腕を引き、体を左にひねりつつ、右手の得物を振り下ろす。
灰黒色の脚に刻み込む、深々とした爪痕。
直後、左腰に据えた月白の剣を抜き放つ。
飛沫のように爆ぜる、右切り上げの一閃。
左脚の支えが崩れた巨影が、大きく傾いて沈み込んだ。
瞬間、中心から鋭い輝きが肥大するように、視界が真っ白く爆ぜた。
気づけば、死の瞬間の直前にいた。
なにかがおかしい。
今、確かに自分が死ぬ光景を見た。
そして、死ぬ光景が覆り、剣を振るう光景を見た気もする。
混乱する意識の中、
「湊輔えええッ!」
雅久の間延びした絶叫が鼓膜を打ち据えた。
そうだ、逃げないと。
そう思いつつ、湊輔はすかさず上を見た。
牛頭型が跳び上がりながら翻っている。
やけに緩慢な速度で。
また、視界を赤い光跡が縦断する。
すかさず、「くぅッ……」とうめきながら体を左に転がした。
どうしてか、反射的に。
まもなく、すぐ右側でズドォン! と炸裂音が弾けて地面が抉られた。
立とう。
立たないと。
体から血の気が引いているのを感じる傍ら、本能に突き動かされるように、湊輔はすっくと立ち上がる。
――「斬ル……」
声が、低くこだました。
聞き覚えのない、誰のものとも思えぬそれが耳元――いや、頭の後ろで。
瞬間、足下からなにかが湧き上がってくる。
まるで血管を伝ってくるように。
例えるなら、憤怒、憎悪、殺意。
――「斬ル!」
見えざる何者かの冷たい手が、右手ごと月白の剣をつかんだ――ような気がした。
どこを斬ろうか、と見定めるように瞳が動いた。
最初は斧の柄を握る両手を。
しかしすぐに、その奥へと移ろった。
狙いが定まった途端、弾かれたように体が駆け出した。
遅緩した時の流れをはるかに凌駕するほどの勢いを発揮して、長い柄の下をくぐり抜け、標的に迫った。
刀身をかつぐよう、右肩にかけて構える。
左足を大きく踏み込み、左腕を引いた。
――【渾撃】
「ラアアアッ!」
胸筋に生じた張力に、右腕が引きつけられる。
渾身の袈裟斬りが、灰黒色の脚に深い爪痕を刻み込んだ。
――【終一閃】
まだ、終わらない。
「ダアアアッ!」
左腰に据えた月白の剣を一気に、右上に向けて抜き放つ。
飛沫のように爆ぜた一閃が、大木のごとき脚を、切断した。
途端、ひどく緩やかな時が、平常に流れ出す。
湊輔のすぐ目の前で、灰黒色の巨影が肉厚な音を響かせて崩れ落ちた。
「なんだ……?」
呆気に取られ、目を丸くする湊輔。
張り詰めた糸がほどけたように、その場にへたり込んだ。
雅久も、有紗も、巧聖も、泰樹も、愕然と立ち尽くしていた。
死に至ると思った湊輔が無事だったことはおろか、まさか反撃して牛頭型の左脚を切断するとは思わなかったように。
「おめえらッ、動けえッ! これで終いだッ!」
泰樹の放った一声によって、三人の体が動き出した。
「それじゃとどめ、いただいちゃうよぉ!」
巧聖が横転した牛頭型の頭へと回り込む。
「お、俺が決めるうッ!」
雅久が慌てた様子で短剣を引き抜き、巧聖を追いかける。
――【霞脚】【疾破撃】
起き上がろうとした牛頭型の右腕に、泰樹が白銅の剣を打ち込んだ。
支えを折られた巨影は、また倒れ込む。
巧聖は牛頭のそばに辿り着くと、足を開いて腰を落とした。
「ははっ、ごめんねぇ……」
体を右にひねり、得物を引き絞る。
――【炸火砲】
溜め込んだ力を解き放つように、長槍が撃ち込まれた。
ズダアンッ! と槍らしからぬ炸裂音と衝撃が轟き、巨影が痙攣するように小さく跳ね上がった。
「はい、終わりっと」
牛頭型が完全に沈黙すると、巧聖は得意げにつぶやきながら得物を引き抜いた。
「だあーッ……俺が決めたかった」
雅久は大盾を杖にしてしゃがみ込んだ。
その様子を見た巧聖は苦笑して、泰樹は「我妻」と低い声で呼びながら歩み寄った。
「そのうちおめえもやれるようになる」
「え……」
雅久は呆けながら泰樹を見上げる。
「もしかして、これで終わりってわけじゃないんスか?」
「ああ、またそのうち、ここに呼ばれる」
泰樹の返答に、雅久は瞬く間に晴れやかな表情を見せ、
「うっしゃあ!」
と意気揚々と立ち上がった。
雅久がしゃがみ込んだとき、牛頭型を挟んだ向こう側。
有紗は静かに息を吐いて肩を落とした。
どこか心苦しそうな表情を浮かべて。
「お、そーだそーだ……」
雅久はいまだへたり込んでいる湊輔に駆け寄った。
両ひざをついて目線を合わせ、笑っているとも困っているとも見える、よく分からない表情で覗き込んだ。
「おい湊輔、さっきのなんだよ……って、大丈夫か?」
「え……あ、ああ……」
湊輔は放心したまま雅久を見て、力なく生返事した。
傍ら、泰樹は怪訝な面持ちで二人を眺めていた。
「あー……泰樹さん?」
巧聖が呼んだ。
「湊輔なんですけど、さっきのって、破甲撃と終一閃ですよね? 初めて戦うときから使えるもんなんです?」
泰樹は小首を傾げる巧聖から顔を背け、湊輔を見た。
あごを引いて顔をしかめると、また巧聖に向き直った。
「いや、ありゃ渾撃だ」
巧聖は片眉を上げた。
「あぁそっか……耀大も剣佑も海都も破甲撃だから、つい」
「それと終一閃だが――」
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、牛頭型の撃破、確認――』
泰樹の言葉をかすめ取った放送が、急に途切れた。
「うっ……」
湊輔は急に吐き気を覚えて、咄嗟に左手で口元を覆った。
気持ち悪いものを見たわけでも、醜悪な異臭を嗅いだわけでもない。
「うぅっ……かはっ……」
さらに吐き出すようにえずいた。
とはいえ、なにか出てくるわけでもなく。
「なんだ……いきなり……」
苦しげにかすれた声をこぼした雅久だけではない。
有紗も、巧聖も、泰樹も、とても尋常ではない仕草を見せている。
『ブゥアアアァァァアアアァァァ!』
突如、一帯のことごとくを震わせる、牛のような野太い咆哮が轟いた。




