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 逆流していた時が、正常に流れ始める。


 巧聖の長槍が直撃する寸前、牛頭型(バイコーン)が垂直に跳び上がった。

 両手斧を背中まで振りかぶり、体を翻しながら。

 両の蹄が大地を打ち鳴らし、縦揺れを起こす。

 重大な刃が円弧を描き、湊輔へと降りかかる。


 また斬り裂かれる――より早く、視界が左に傾き、一回転した。

 直後すぐ横で、凄烈な炸裂音と土くれが弾ける。

 立ち上がった途端、駆け出す体。

 これまで体感したことのない勢いを発揮して、長い柄の下をくぐり抜け、巨影の左脚に肉迫した。


 刀身を右肩にかつぐように構え、左足を踏み込む。

 左腕を引き、体を左にひねりつつ、右手の得物を振り下ろす。

 灰黒色の脚に刻み込む、深々とした爪痕。

 直後、左腰に据えた月白の剣を抜き放つ。

 飛沫のように爆ぜる、右切り上げの一閃。


 左脚の支えが崩れた巨影が、大きく傾いて沈み込んだ。

 瞬間、中心から鋭い輝きが肥大するように、視界が真っ白く爆ぜた。


 気づけば、死の瞬間の直前にいた。

 なにかがおかしい。

 今、確かに自分が死ぬ光景を見た。

 そして、死ぬ光景が覆り、剣を振るう光景を見た気もする。


 混乱する意識の中、

「湊輔えええッ!」

 雅久の間延びした絶叫が鼓膜を打ち据えた。


 そうだ、逃げないと。

 そう思いつつ、湊輔はすかさず上を見た。

 牛頭型(バイコーン)が跳び上がりながら翻っている。

 やけに緩慢な速度で。


 また、視界を赤い光跡が縦断する。

 すかさず、「くぅッ……」とうめきながら体を左に転がした。

 どうしてか、反射的に。

 まもなく、すぐ右側でズドォン! と炸裂音が弾けて地面が(えぐ)られた。


 立とう。

 立たないと。

 体から血の気が引いているのを感じる傍ら、本能に突き動かされるように、湊輔はすっくと立ち上がる。


 ――「斬ル……」


 声が、低くこだました。

 聞き覚えのない、誰のものとも思えぬそれが耳元――いや、頭の後ろで。

 瞬間、足下からなにかが湧き上がってくる。

 まるで血管を伝ってくるように。

 例えるなら、憤怒、憎悪、殺意。


 ――「斬ル!」


 見えざる何者かの冷たい手が、右手ごと月白の剣をつかんだ――ような気がした。


 どこを斬ろうか、と見定めるように瞳が動いた。

 最初は斧の柄を握る両手を。

 しかしすぐに、その奥へと移ろった。


 狙いが定まった途端、弾かれたように体が駆け出した。

 遅緩した時の流れをはるかに凌駕(りょうが)するほどの勢いを発揮して、長い柄の下をくぐり抜け、標的に迫った。


 刀身をかつぐよう、右肩にかけて構える。

 左足を大きく踏み込み、左腕を引いた。


――【渾撃(ホールブロウ)


「ラアアアッ!」

 胸筋に生じた張力に、右腕が引きつけられる。

 渾身の袈裟斬りが、灰黒色の脚に深い爪痕を刻み込んだ。


――【終一閃(エクストラ)


 まだ、終わらない。


「ダアアアッ!」

 左腰に据えた月白の剣を一気に、右上に向けて抜き放つ。

 飛沫のように爆ぜた一閃が、大木のごとき脚を、切断した。


 途端、ひどく緩やかな時が、平常に流れ出す。


 湊輔のすぐ目の前で、灰黒色の巨影が肉厚な音を響かせて崩れ落ちた。


「なんだ……?」


 呆気に取られ、目を丸くする湊輔。

 張り詰めた糸がほどけたように、その場にへたり込んだ。


 雅久も、有紗も、巧聖も、泰樹も、愕然と立ち尽くしていた。

 死に至ると思った湊輔が無事だったことはおろか、まさか反撃して牛頭型(バイコーン)の左脚を切断するとは思わなかったように。


「おめえらッ、動けえッ! これで終いだッ!」


 泰樹の放った一声によって、三人の体が動き出した。


「それじゃとどめ、いただいちゃうよぉ!」

 巧聖が横転した牛頭型(バイコーン)の頭へと回り込む。


「お、俺が決めるうッ!」

 雅久が慌てた様子で短剣を引き抜き、巧聖を追いかける。


――【霞脚(ヘイズステップ)】【疾破撃(アサルトクラッシュ)


 起き上がろうとした牛頭型(バイコーン)の右腕に、泰樹が白銅の剣を打ち込んだ。

 支えを折られた巨影は、また倒れ込む。


 巧聖は牛頭のそばに辿り着くと、足を開いて腰を落とした。

「ははっ、ごめんねぇ……」

 体を右にひねり、得物を引き絞る。


――【炸火砲(ブラスト)


 溜め込んだ力を解き放つように、長槍が撃ち込まれた。

 ズダアンッ! と槍らしからぬ炸裂音と衝撃が轟き、巨影が痙攣(けいれん)するように小さく跳ね上がった。


「はい、終わりっと」

 牛頭型(バイコーン)が完全に沈黙すると、巧聖は得意げにつぶやきながら得物を引き抜いた。


「だあーッ……俺が決めたかった」

 雅久は大盾を(つえ)にしてしゃがみ込んだ。


 その様子を見た巧聖は苦笑して、泰樹は「我妻」と低い声で呼びながら歩み寄った。


「そのうちおめえもやれるようになる」


「え……」

 雅久は呆けながら泰樹を見上げる。

「もしかして、これで終わりってわけじゃないんスか?」


「ああ、またそのうち、ここに呼ばれる」


 泰樹の返答に、雅久は瞬く間に晴れやかな表情を見せ、

「うっしゃあ!」

 と意気揚々と立ち上がった。


 雅久がしゃがみ込んだとき、牛頭型(バイコーン)を挟んだ向こう側。

 有紗は静かに息を吐いて肩を落とした。

 どこか心苦しそうな表情を浮かべて。


「お、そーだそーだ……」

 雅久はいまだへたり込んでいる湊輔に駆け寄った。

 両ひざをついて目線を合わせ、笑っているとも困っているとも見える、よく分からない表情で覗き込んだ。

「おい湊輔、さっきのなんだよ……って、大丈夫か?」


「え……あ、ああ……」

 湊輔は放心したまま雅久を見て、力なく生返事した。


 傍ら、泰樹は怪訝な面持ちで二人を眺めていた。


「あー……泰樹さん?」

 巧聖が呼んだ。

「湊輔なんですけど、さっきのって、破甲撃(ブレイクブロウ)終一閃(エクストラ)ですよね? 初めて戦うときから使えるもんなんです?」


 泰樹は小首を傾げる巧聖から顔を背け、湊輔を見た。

 あごを引いて顔をしかめると、また巧聖に向き直った。

「いや、ありゃ渾撃(ホールブロウ)だ」


 巧聖は片眉を上げた。

「あぁそっか……耀大(ようだい)剣佑(けんすけ)海都(かいと)破甲撃(それ)だから、つい」


「それと終一閃(エクストラ)だが――」


『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、牛頭型(バイコーン)の撃破、確認――』


 泰樹の言葉をかすめ取った放送が、急に途切れた。


「うっ……」

 湊輔は急に吐き気を覚えて、咄嗟に左手で口元を覆った。

 気持ち悪いものを見たわけでも、醜悪な異臭を嗅いだわけでもない。

「うぅっ……かはっ……」

 さらに吐き出すようにえずいた。

 とはいえ、なにか出てくるわけでもなく。


「なんだ……いきなり……」


 苦しげにかすれた声をこぼした雅久だけではない。

 有紗も、巧聖も、泰樹も、とても尋常ではない仕草を見せている。


『ブゥアアアァァァアアアァァァ!』


 突如、一帯のことごとくを震わせる、牛のような野太い咆哮が轟いた。

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