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 湊輔は雅久に遅れて足を止めた。

「バカ、やめろ……!」

 あいつ、ホントにVRゲームの感覚でやってるだろ。


 戸惑い、ひざが震える。

 逃げないと。

 でも、雅久をどうにかしないと。

 そう思う傍ら、野太い風音は目と鼻の先まで迫っている。

 もう、どうしようもできないって……!

 膨れ上がった緊張と困惑に目を見張った瞬間――


「ぁあっ!?」

 雅久が仰天したような上ずった声を発した。


 大盾を打ち据えるかと思った牛頭型(バイコーン)は、突如として巨体を浮き上がらせた。

 両の蹄を並べて深く腰を落とし、雅久と湊輔を跳び越えた。


 背中まで振りかぶった斧が、大きく円弧を描く。

 刃は――有紗の真後ろに降り注いだ。

 ズドォン! と凄烈な炸裂音と土塊、土ぼこりを巻き上げ、巨影は硬直した。


 やっぱり……やっぱりそうだ。

 目に矢をくらって、狙いを変えたんだ。

 泉さんを、殺る気だ。


 途端に込み上げてくる、後悔と焦りと自責の念。


 敵の注意を引きつける仲間以上にヘイトを稼ぐ攻撃を繰り出せば、当然敵の狙いは切り替わる。

 これもそうだ。

 泰樹よりも危険だと認識したから、巨影は有紗に襲いかかった。


 ヘイト稼ぎ、なんて言っておいて、なんで気づかないんだよ。

「あまりやりすぎるとこっち向くかもしれないから」って言えてもよかっただろ。


 それより、今は――


 ――「嫌、ダ……」


 嫌だ。

 せっかく同じ高校に入って、また会えたのに。

 これから、なんでもいいから話して、仲よくなって、それから、それから――


 ――「死ナ、ナイデ……」


 そうだ。

 死んでほしくない。

 せっかくこうやって、話ができるきっかけができたのに。

 もしかしたらここから、仲よくなれるかもしれないのに。


 ――「助ケ、ナイト……」


 そうだ。

 助けないと。

 泉さんを、助けないと。


 おれのせいで狙われ始めたんだろ?

 だったら――


 ――「ダッタラ、助ケロヨ」


 行け。

 走れ。

 剣を持ってるんだろ。

 だったら剣を振れ。

 泉さんを助けろ。

 おれの責任なら、おれが……おれがなんとかしろッ!


 決意に息を吸い込むより半瞬早く、体が走り出した。

 再び一陣の風と化す巧聖よりも先に、牛頭型(バイコーン)の左脚へと急迫する。

 月白の剣を、地面と水平に構えて。


 灰黒色の脚はあたかも大木。

 その強靭(きょうじん)そうな幹に、はたしてこの刃は通用するのだろうか。


「うああああああッ!」


 のどが一瞬で()けつくような絶叫と共に突き出した一撃。


 右手から全身に(ほとばし)る、やたら硬く、鋭い感触。

 突き刺さったのが不思議なほど、あまりに浅い、浅すぎる一撃。

 しかし、切っ先は確かに食らいついている。


 あらん限りに目を見開き、歯を食いしばり、「くうぅぅ……」とうめき声を上げながらさらに突き込み、得物を一気に引き抜いた。


 そのまま勢いあまってよろめき、

「いだっ……」

 数歩後ずさって尻餅をついた。


「いいよ湊輔! 雅久もよく振り返ったよ!」

 巧聖が瞬く間に追いついた。

 巨影の脚が沈んでいる。

 今度こそ、穂先は標的を狙い澄ました。

「そこぉッ!」

 大きく、強く踏み込み、長槍をまっすぐ突き出す。

「えぇッ……!」


 再び巨影が浮き上がり、巧聖の一撃は虚空をかすめた。

 垂直に跳び、空中で翻る牛頭型(バイコーン)の体。

 斧はまた背中まで振りかぶられている。


 瞬間、呆然(ぼうぜん)とする湊輔の視界に、一筋の赤い光跡が縦断した。


 巨影の蹄が地面を打ち鳴らした途端、わずかに生じた縦揺れ。

 そして重大な円弧の辿り着く先は――


「湊輔えええッ!」


「うぁぁぁあああッ……!」


 雅久の悲痛に割れた絶叫と、瞬時に膨張した恐怖が爆ぜるような、湊輔の叫喚が重なった。


 同時、湊輔の全身を再び、燃え上がるような感覚が包み込む。


 重大な刃が。

 前からも後ろからも聞こえてくる声が。

 体の感覚が。

 周囲のことごとくがひどく、緩やかに流れ始めた。


 湊輔は確かに実感した。

 おれ、死ぬんだ、と。

 いつだったか、似たようなことを思った気がする。


 目の前の景色が、徐々に白く染まっていく。

 ――これは、死の間際に見る走馬灯か。


 * * *


 目の前に広がったのは、いくつもの雑貨が並ぶ商品棚。

 物珍しく眺めるように、視界はそれをなぞりながら、ゆっくり横歩きしている。


「え、どこ……」


 向こう側から、慌てふためくようなか細い声が聞こえてきた。


 途端、足早に棚を回り込み、そちらに向かう視界。



 小さな女の子がいた。

 商品棚よりずっと低い背。

 小学校中学年くらい。

 そういえば、視界もまたその少女と同じくらいの高さにある。


「どうしたの?」


 声をかけると、女の子は小さなバッグの中をあさるのをやめて振り向いた。

 子どもながらに整った顔立ち。

 前髪も、肩のあたりまで伸びた横や後ろの髪も、毛先がきれいに切り(そろ)えられている。

 その黒い髪は、店内の白い明かりに照らされ、(つや)やかに(きら)めいている。


「え、その……」

 女の子は一瞬びくついて、口ごもり、眉をひそめた顔を背けた。


「……もしかして、財布、なくしたとか?」


 正解だったらしい。

 女の子はバッグを強く握り締め、俯いた。


「どれ買おうとしてたの?」


 女の子は少しばかり黙りこくったあと、渋々と目の前にある商品を指した。


 視界は一歩踏み出したように女の子に近づき、示された値札に移ろった。


「そっか。……じゃあ」


 彼女の小さな手を取ると、なにかを握らせた。


 女の子は不思議そうに手の中にあるものを見て、愕然(がくぜん)とした表情を向けてきた。

「え、でも、これ……!」


「いいからいいから。おれ、もうすぐ小遣いもらえるし」


「兄さーん」


 背後から聞こえてきた、どこか耳慣れたような声。

「じゃあねっ」

 女の子に手を振り、呼び声に向かって駆け出した。


 * * *


 こんなこと、あったっけ?

 全然憶えがない。

 ずっと昔の記憶か?

 なんでそんなものが、今になって――


 朧気(おぼろげ)な過去が、火に(あぶ)られた紙のように燃え尽きる。

 やがて、現実――という名の夢幻に意識が引き戻された。


 眼前に迫る、死。

 間近で見るとより巨大で、重厚で、無骨な刃。

 それが発する野太いうなりと、

「うぁぁぁあああッ……!」

 間延びした叫喚が重なった。


 絶命の瞬間は、あまりにも緩慢で、冷酷で、拷問のよう。


 右の首筋から、死が体を蝕み始めた。


 鎖骨、肩甲骨、肋骨(ろっこつ)、腸骨、骨盤がへし折られ、砕かれる。


 僧帽筋、広背筋、大胸筋、腹筋と共に、肺、心臓、肝臓、胃、腸が緩やかに、滑らかに斬り裂かれる。


 切断部から、鮮やかな紅い潮が、じっくりと噴き上がる。


 首から力が抜けた。

 頭が左に傾き、上向いていた視線が下がる。

 そのとき、見えた。

 巨影の背後で、顔を青ざめて唖然(あぜん)と立ち尽くす人影が。


 (うれ)しかった。


 志望校に入学が決まって。


 あの乙女()も同じ学校になって。

 ……一緒のクラスにはなれなかったけど。


 とにかく、これで中学のころより、少しはマシになる――と思った。


 それなのに、このザマだ。

 異空間とか、武器とか、化け物とか、なにもかも、よく分からないまま……。


 体に食い込んだ重大な刃が、ずるりと持ち上がっていく。

 途端に意識が暗み始め、モノトーンに染まった世界が、ゆっくりと閉ざされていく。


 ――遠山湊輔は、死を迎えた。


 まもなく、おもむろに開き始める目蓋。


 あの世か。

 どんなところだろう?

 湊輔は死後の世界をなんとなしに思い描く。


 しかし、目に映った光景には見覚えがあった。


 つい先ほどまで見ていた、モノトーンに染まった戦場。

 なんで?

 こんな無惨に斬られて、なんでまだここに?


 一度は持ち上がった斧が、また体に食い込んできた。

 卑劣だ。

 コイツには、死体を斬り刻む趣味でもあるのか。

 そう恨みがましく思ったとき、斧がまたせり上がった。


 ――いや、なにかが違う。

 巨影の動きが不自然だ。

 得物を持ち上げるというよりも、全身まるごと、振り下ろした動作が巻き戻っているよう。


 重大な刃がせり上がると同時、体に飛び込んでくる噴き出した潮。

 傷跡なく接合されていく切断面。


 やがて、体が斬り裂かれる瞬間の手前、牛頭型(バイコーン)が跳んで翻る直前まで巻き戻った。

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