三
――御堂忠正。
湊輔は思い出した。
『喫茶イチゴ』にメンバー全員が集まったあの日のことを。
その名前が、もうこの世にはいない、異空間で戦っていたメンバーのものだということを。
「やっぱりか」
泰樹はゆっくりと白銅の剣を下ろした。
とはいえ、敵意がなくなったわけではなさそう。
鬼の形相を崩さないまま、白騎士――タダマサを見据えている。
「敵が多くても構わず自分から突っ込む。敵が後ろから来ても余裕で捌く。そんなやつ、俺の知る限り一人しかいねえ。一瞬、御堂の亡霊じゃねえかって思っちまった」
「ははははは!」
タダマサはまた、肩を揺らして笑った。
「亡霊、か。言いえて妙だな」
「なんでおめえがここにいる? なんで俺たちと、戦ってる?」
泰樹の鋭い眼光を浴びながらも、タダマサは臆する素振りも見せず佇んでいる。
「俺はな、シバ。お前のお迎えに来たんだ」
タダマサの声音は至って穏やか。
しかし湊輔は、先ほどとは別の不安が込み上げてくるのを感じた。
泰樹も似たような心境か。
白銅の切っ先が小さく揺れるほど、右の拳を強く握り締めている。
「お迎え? なに言ってやがる? ……誰が仕向けた?」
タダマサは兜を下向け、すぐに戻した。
「それは、これが終わったら――」
大太刀を両手で握り直し、前傾して踏み出した――
――【流脚】【疾破撃】
ギイン! と凄烈にこだまする金属音。
タダマサが完全に動き出すより早く、湊輔が勢いよく躍りかかった。
振り下ろした月白の刃が、純白の刃と軋り合う。
「やるなッ」
鍔迫り合いの中、タダマサは朗々と感嘆した。
「至極の山羊を斬った実力は伊達じゃねえみてえだ。確か、ソウスケ、だったな」
湊輔は息を呑んだ。
押し返されそうになり、すぐさま力を込め直す。
「なんで、おれのこと……!」
それに、至極の山羊を斬ったことまで。
兜の奥から、「ふっ」と小さく笑うような音が漏れ出た。
「そりゃ、あの至極の山羊を倒したんだ。魔郷の眷属の――いや、おめえはまだ、知らなくていい」
湊輔は得物を両手で握り締めた。
タダマサがいっそう力を込めてきて。
力負けして、本当に押し切られそうで。
この人、至極の山羊のことを知ってても、あれのことは知らないんじゃないか。
「だったらッ」
渾身の力を込めて半歩踏み込む。
出ろ、あの一撃! と願いながら、意識を刃に集中する。
思いが伝わったように、月白の刀身が鈍色に染まった。
――【断死戟】
「らああああああッ!」
押し出すように振り抜いた瞬間、ガラス片のような鈍色の閃光が衝撃と共に炸裂した。
「うおッ……!」
タダマサは勢いに流され、数歩後ずさる。
湊輔は失望したように、月白の剣を見下ろした。
違う。
こんなんじゃない。
あのときはもっと、黒くて、凄かったのに……。
「もしかしてこれが、至極の山羊を斬った一撃、か」
重々しい声音でつぶやきながら、タダマサは大太刀の刀身を眺め、甲冑の胸当をさすった。
鈍色の一撃を受けたものの、傷一つついていない。
「悪くはねえ……が、ホントはこの程度じゃ、ねえよな?」
湊輔は一歩下がった。
暴風のごとく打ちひしぐような、タダマサの問いかけによって。
「まだ、発展途上、ってところか」
タダマサは天井を仰いだ。
「もし今、マジな一撃出せてたんなら……俺は確実に、真っ二つになってたな」
視線を下げ、また大太刀を眺める。
「羨ましいぜ。あのとき、俺にもそんな力がありゃ、こうはならなかったかもしれねえ」
あたりに静けさが漂い出したところで、切っ先を泰樹に差し向けた。
「さあてシバ、次はおめえだ。後輩が手の内さらしたんだぞ? もったいぶってていいのか?」
湊輔は背後を振り向き、目を見張った。
初めて見た。鬼の形相を俯かせ、悄然と立ち尽くす泰樹を。
右手に持つ白銅の剣が、小刻みに震えている。
それでも切っ先は勇壮に、大太刀の切っ先と睨み合っている。
やがて泰樹は肩を大きく動かして深呼吸する。
顔を上げるなり、タダマサを見据えた。
そしておもむろに歩き出す。
対するタダマサもまた、おもむろに歩き出した。
互いの距離が二メートルほどに差しかかると、泰樹が白銅の剣を突きつけた。
「構えな、御堂。これからおめえに、俺のありったけをぶち込んでやる」
「はっ」
タダマサは反りのある刀身を肩にかつぎ、仰々しく四股を踏む。
「いいぜ。お前がありったけをぶち込んでくるんなら、俺もありったけで受け切ってやる。……来い!」
不動構が発動した、と湊輔は直感した。
一時的に自身の防御力、そして体勢維持の力を高める動的戦技が。
直後、泰樹が霞と化した。
――【霞流星】
至極の山羊に繰り出した、あの怒涛の連撃。
体が霞むほどの神速をもって跳びかかり、斬撃を見舞い、跳びのき、また跳びかかる、泰樹の奥の手。
タダマサの胴から、幾度も凄烈な衝撃が弾ける。
突き、右切り上げ、左切り上げ、右薙ぎ、左薙ぎ、逆袈裟、上段、切り上げ、袈裟。
――【終一閃】
連撃の最後の一振りのあと、その場から跳びのくことはしなかった。
袈裟斬りで左腰に据わった得物を抜き放つ。
純白の鎧に襲いかかった一閃が、飛沫のように爆ぜた。
――【霞終閃】
「終いだッ!」
泰樹がその場で霞んだ。
終一閃で振り抜いた勢いに乗せ、体を軸に白銅の剣が円を描く。
再び純白の鎧へと躍りかかり、真一文字の軌跡を閃かせた。
泰樹が残心して半瞬後。
軌跡から刃のような鋭い光芒が爆散し、タダマサの体を大きく押し流した。
屈強な甲冑姿が、構えたままの姿勢で前によろめく。
これで決着――かと思えば、右足を出して踏みとどまった。
「はははははッ!」
野太い笑い声に、湊輔と泰樹は顔色を失った。
タダマサはゆっくりと体を起こし、自然体に戻る。
「いいぜえ、シバ。まったく見違えたな。あれからどんだけ経ったかは知らねえが、まるで別人だ。ホント、強くなった」
どこか恍惚としたような声音。
そして斜め上を一瞥し、泰樹にまた切っ先を差し向けた。
「だからよ、おめえにはマジで、こっちに来てほしくなっちまった!」
泰樹は急迫してくる純白の刃を、霞脚で躱した。
体が輪郭を現した途端、再び超速を発揮してでタダマサに詰め寄り、白銅の剣を振り下ろす。
「くそ……!」
タダマサは泰樹の右腕をつかんだ。
「こうすりゃ、超速は無意味だな」
兜を振りかぶり、鬼の形相の額に打ちつけた。
同時につかんでいた手を離す。
「ぐうっ」
泰樹はよろめき、後ずさり、背中から倒れ込んだ。
――【流脚】【烈破突】
「だあああッ!」
湊輔は素早い踏み込みの勢いに乗せ、月白の剣を突き出した。
「そういや」
タダマサは振り返るなり、迫りくる刃を左の腕当で弾き返した。
「一つ、試してえことがあったんだ」
湊輔はよろめきながら見た。
赤い影が繰り出す、幾重もの斬撃を。
――避け切れない。
『でぇええええええいッ!』
タダマサは野太い咆哮と共に、湊輔の首筋めがけ、純白の大太刀を振り払った。
時が、ひどく緩やかに流れ始める。
――「勝テネエヨ、オ前ジャ」
誰かの声がこだました。
いつの間にか、体の自由が利かなくなっている。
――「引ッ込ンデロ。オレガヤル。オレガ斬ル」
途端に目の前が真っ暗になった。
直前、胸元を突き飛ばされたような感覚もあった。
まただ。
またいつぞやの闇の中に放り込まれた。
湊輔は一瞬呆然とする。
「お、おい! やめろッ! やめろおッ!」
そしてあらん限りの絶叫を放った。
しかし、まるで広大な世界にいるように、声はむなしく消え去った。
まただ。
また死逃視眼を発動させてしまった。
今度は、誰かの気配を払いのける暇もなかった。
見えるのは自分の体だけ。
体はここにある。
でも、本当の体はきっと、あの白騎士と戦ってる。
もう、任せてしまおうか。
あの一撃が通じなかった。
いや、本当はもっとすごい威力が出るはずなのに、出なかった。
なんで?
それに、柴山先輩が全力を、ありったけをぶつけたのに、全然通じてなかった。
おかしいだろ。
あんなの、もう――至極の山羊よりずっと強いだろ。
ただひたすら歩く。
どこまでも続くような闇の中を。
永劫を覚える時の中を。
のどが灼けているように痛い。
今にもひざから崩れ落ちそう。
やがて足を止めた瞬間、目の前が真っ白く爆ぜた。