二
湊輔は促されるまま、泰樹の背を追って図書館に向かった。
いつもは表口から入るものの、今回は裏口から入る。
立ち並ぶ本棚の間を抜けるや、周囲をうかがった。
「まだ、誰も来てない、みたいですね」
「ああ……」
泰樹は生返事のような相槌をして、振り返り、本棚の奥に進んだ。
「あれ」
湊輔は、先にロッカーを開けた泰樹の手元に違和感を覚えた。
「成績表は?」
「……ねえんだよ。おめえも開けてみな」
「ホントだ」
湊輔がロッカーを開けると、泰樹同様、成績表がない。
あるのは月白の剣だけ。
「確かに武器しかな――」
泰樹に向き直った途端、言葉が詰まった。
鬼の形相が極まっていて。
それどころか、険しい面持ちに言い知れない不穏な気配が立ち込めていて。
ふと、漠然とした嫌な予感がした。
「あ、あの……誰も、来ないですね……」
「……来ねえかもな」
低いハスキーな声が、剣呑に凄んだ。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、体育館に敵が現れましたぁ。繰り返しまぁす。体育館に敵が現れましたぁ。以上ッ。……ぴーんぽーんぱーんぽーん』
――敵。
告げられたのは、それだけ。
どんな敵が、何体いるのか。
そしてなにより、場所が体育館。
今まで敵が体育館に現れることはなかった。
湊輔は純情無垢な少年声の放送に、言い知れない不安を覚えた。
「行くぞ」
泰樹は湊輔の返事も待たず、足早に裏口へと踵を返した。
体育館に向かう道中、泰樹は足早であるものの、走り出す様子がまったくなかった。
勇ましくも物々しい沈黙を引きずり、やがて閉ざされた扉の前に立つ。
「遠山」
呼ばれて、湊輔は斜め前に立つ泰樹を見た。
泰樹は目の前の鉄扉を凝視したまま、口を開いた。
「これからどんなことが起こっても……おめえはこれまで通り、いつも通りに日常を過ごせ」
「え……」
急に泰樹が遠くなったような気がした。
一人分もない、手を伸ばさなくても触れられる距離。
それが果てしなく引き伸ばされたような錯覚がした。
「あ、あの、それってどういう――」
「どんなことが起こっても、おめえはいつも通りに日常を過ごせ。いいな?」
静かに殺気立った声音。
湊輔はたまらず俯き、扉に向いて、腑に落ちない気持ちを押し殺し、
「分かり、ました」
とか細い声を返した。
すると泰樹が鼻を鳴らした。
「頼むぜ、湊輔」
そして扉を開け放ち、戦場へと踏み込む。
中にいたのは、純白に染まった甲冑姿。
泰樹より背が高い。
大瑚と同じくらいの長身。
そして屈強さを覚えるシルエット。
右手には、これまた純白に染まる、反りのある刃を持つ大太刀。
刀身を肩にかけ、威風堂々と佇んでいる。
白い、騎士?
でも、西洋の甲冑に刀って、あまり見ないような。
どうだろう?
でも妙に釣り合ってる気がする。
全部が真っ白いから?
白騎士は得物を両手で握ると、大げさに振りかぶり、正眼に構えた。
踏み出した右足でドォンッと盛大な音を立てて。
体育館にこだましたのは、それだけではない。
重みのある威圧感が、確かに相まっていた。
「遠山、離れな」
湊輔は言われるがまま、泰樹から離れるように左に動く。
泰樹もまた、湊輔とは反対方向に動いた。
白騎士が大太刀の切っ先を向けてきた。
瞬間、湊輔は全身が燃え上がるような熱さに襲われた。
視界に浮かび上がる赤い影。
大太刀を左脇に据えて駆け出すと、得物をまっすぐ突き込んでくる。
その速さは、至極の山羊――ほどでもない。
――【流脚】【破甲撃】
湊輔はすかさず左に踏み込む。
半瞬遅れて、大太刀の切っ先が虚空を貫いた。
白騎士の右半身はがら空き。
「だあッ!」
流脚の際に構えた得物を振り下ろす。
同時、反りのある刃が閃いた。
ギィン! と鋭い金属音がこだまし、一瞬握力が消失するような痛みが手元から迸った。
「なっ」
湊輔は思わず顔を引きつらせた。
振り下ろした月白が、純白に弾かれて。
再び赤い影が浮かび上がる。
体を湊輔とは反対側に向け、大太刀を左に薙ぎ払う。
そのまま一回転して振り抜いたあと、湊輔めがけて袈裟斬りを叩き込む。
――【流転避】
――【霞脚】【流転避】
湊輔は白騎士が回転斬りを見舞うより早く、左に転がって離脱した。
湊輔が屈み込んだところで、白騎士は反転し、背後から超速で急迫してきた泰樹めがけて得物を薙ぎ払った。
泰樹は咄嗟に後転して一閃を躱した。
白騎士は回転の勢いを殺さず、半瞬前の湊輔を真一文字に両断。
さらに袈裟斬りを叩き込んで四つに斬り分けた。
連撃はまだ終わらない。
またも反転しては踏み込み、泰樹めがけて左腰に据わった大太刀を抜き放った。
しかしすんでのところで避けられ、鋭い風切り音がむなしく鳴る。
「終一閃……」
湊輔は起き上がってすぐ、目を見張った。
白騎士が放った最後の一撃。
あれはどう見ても、動的戦技の動きだったから。
――【霞脚】【烈破突】
泰樹が超速を発揮して踏み込む。
ほんのわずか、硬直を見せた白騎士めがけて。
詰め寄るなり、引き絞った右腕を突き出した。
白銅の切っ先は、白い鎧にかすりもしなかった。
白騎士がすんでのところで体をひねったから。
「ちいッ」
――【霞偃月】
泰樹はその場で霞となる。
超速による左薙ぎ、体を回転させてからの袈裟斬り。
二つ交わった白銅色の円は、しかしどちらも直撃することはなかった。
泰樹が一撃目のために左足を踏み込んだところで、白騎士は跳び退いて間合いからはずれていた。
「せ、先輩、さっきのって、終一閃、ですよね……?」
湊輔は距離を取った白騎士を見据えながら、おそるおそるといった声音で尋ねた。
だが、泰樹はなにも答えない。
湊輔はふと、泰樹の横に歩み寄った。
言い知れない違和感と不安を覚えて。
ようやく見えた横顔。
眉間にしわを刻み、目を見開き、口元を強く引き結んだ、鬼の形相。
もはや、殺気立っている、では済まされないほど極まっている。
思わず、視線を白騎士へと背けてしまった。
泰樹はおもむろに白銅の剣を掲げた。
すぐさま振り下ろし、切っ先を白騎士に差し向けた。
そして獣が牙を剥くように大口を開く。
「おい……兜はずしな。兜はずして、面見せなあッ!」
絶叫がこだましたあと、体育館は束の間の静寂に包まれた。
白騎士の兜が俯いた。
しかしはずすような素振りはない。
まもなく顔を上げるように兜が上向いた。
「ははははは!」
野太い声の高笑いと共に、甲冑の肩が揺れた。
途端、白銅の切っ先がわずかに震えた。
泰樹の左足が半歩引いた。
鬼の形相が、少しばかり悲愴を帯びた。
白騎士がゆっくりと数歩詰め寄ってくる。
「ああ……久しぶりだな――シバ」
バイザーの内側で、野太い声が朗々と話し始めた。
「悪い。兜ははずすなって言われてんだ。でもまあ、喋るな、なんて言われてねえからいいんだけどよ」
「御堂……!」