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 そこに佇んでいたのは、どこか華奢(きゃしゃ)な印象を覚える小さな影。

 細い馬脚。

 丸みを帯びた二つの膨らみを持つ上半身。

 皮膜のついた翼。

 両手に握った一対の鉈。

 象牙色に染まる、二本のねじれた角。

 至極色に染まる全身。


 湊輔は目を見張った。

 絞り出すように小さくつぶやく。


「――至極の山羊(バフォメット)だ」


「いや、(ちげ)えだろ?」

 雅久がうろたえた。

 体育館の上と湊輔を交互に見る。

至極の山羊(バフォメット)って、ほら、もっとでかかっただろ? 俺より背ぇ低くねーか? アレ」


「てゆーかさ」

 陽向が割り込んだ。

「あんなセクシーだったっけ? いや絶対あんなんじゃなかったし……?」


「それにあの頭」

 有紗が切れ長の目を細めた。

「馬じゃなくて、山羊よね」


 そう。

 体の大きさも、体形も違う。

 そしてもう一つ明らかに違うのが頭だ。

 あの先細った短い形は馬ではない。

 山羊だ。


「いや、至極の山羊(バフォメット)だ」


 それでも湊輔は断言した。


 アイツを見た途端、あの感覚がぶり返した。

 体がわずかに締め上げられる程度だけど。

 それに――


「煙の中で見たんだ、先見(ゼロサイト)で。おれに襲いかかってきた赤い影が、アレと同じ形をしてたんだよ」


「影……? いや、じゃあなんで腕と翼があんだよ? さっき広瀬先輩がぶった斬ってただろ?」


「それは……」


 湊輔は言いよどみ、探した。

 雅久の言う、大瑚が斬り落としたものを。

 見当たらない。

 どこにも転がっていない。


「おォいッ!」

 大瑚が野太いがなり声を張り上げた。


 湊輔はふとそちらを見る。

 屈強な長身が大胆不敵に、両手斧の先端を体育館の屋根――至極の山羊(バフォメット)へと差し向けている。

 そのまま足早に、体育館に向かって歩み寄った。


「下りてきやがれェッ、山羊面ァッ!」


 至極の山羊(バフォメット)は虫けらを眺めるように大瑚を見下ろした。

 それから鼻先を湊輔たちに――いや、湊輔へと向けた。


 小柄になった悪魔が、翼を羽ばたかせる。

 屋根から飛び降り、地面が近づくとまた翼を羽ばたかせた。

 やがて音を立てることなく、淑やかに着地した。


「くはは……あァーッはッはッはッはァッ!」

 大瑚が艶笑を極め、至極の山羊(バフォメット)へと躍りかかった。

「うらあァ! おらあァ! らああァッ!」


 狂喜乱舞する刃のことごとくを躱し切る至極の山羊(バフォメット)

 その動きは軽やかでしなやか。

 まるで舞踏。


「どォしたァ? どォしたどォーしたァ? さっきの威勢はァ! どこにやっちまったんだよォ!? そんなんじゃ全然ッ! 全ッ然気持ちよくなんねェぞォッ!」


 湊輔は息を呑んだ。

 至極の山羊(バフォメット)の目が、どこか人間染みた、理性的な眼差しを帯びていて。

 それは眼前で暴れ狂う獣を、冷ややかに見据えている。

 もし、言葉を理解できるほどの知能があるなら、きっと蔑んでいるに違いない。


 至極の山羊(バフォメット)は大きく跳びのくと、蹄の先をそらして飛び上がった。


「後ろ!」

 湊輔は叫びながら振り返った。


 悪魔は四人の後方へと舞い下りた。


「ちょ、そーゆーの勘弁してっ」

 陽向がびびりながら素早く退いた。


「おめえら、下がれ!」

 雅久が先頭に出た。


 有紗は矢をつがえながら、湊輔の左後ろに移動した。


 至極の山羊(バフォメット)は翼を折り畳みながら前傾して、走り出した。


「はッ、今度は押されねーぞ!」

 雅久が重心を落とし、身構えた。


「えっ、ちょっ、うそでしょッ……!」

 陽向がいきなりその場から離れた。


 なにやってんだ、と湊輔が顔を横向けた途端、


「どきやがれ雑魚があァッ!」


 視界の右端に、怒号を放って猛進してくる大瑚が見えた。


 前からは至極の山羊(バフォメット)が、後ろからはあからさまに敵意を振り乱した大瑚が迫ってくる。


「雅久、逃げろ! 後ろ!」


「は? ……あ?」

 雅久は肩越しに背後を一瞥し、

「うそだろおいッ」

 体を左に向け、大盾を引きずるように後退した。


「ふぅんぬあああッ!」


 四人が散開してまもなく、悪魔だけとなった空間を薙ぎ払う両手斧。


 至極の山羊(バフォメット)は大瑚の一撃を悠々と躱し、また飛び上がる。

 そして翼で大気を打ち、大きく後退した。


「おい! 俺たちを殺す気かよ!」

 雅久が大瑚へと声を荒げた。

 先輩相手とはいえ、殺されかけたら敬語もくそもない。


「ッせえぞ雑魚がァッ!」

 大瑚は至極の山羊(バフォメット)から視線をそらさず叫んだ。

「邪魔すんじゃねえェッ!」


 雅久が「てめえっ」と憤ると同時、大瑚は得物を振り上げて走り出した。


「あのヤロウ……!」

 雅久は屈強な背中を追うように駆け出した。

 とはいえ、大盾が重いせいか、大瑚が速いせいか、距離はどんどん離されていく。


「雅久!」


 湊輔が呼び止めようとしたものの、遅かった。

 至極の山羊(バフォメット)だけでも厄介だというのに、これでは、敵がもう一つ増えたようなものだ。

 まずい。

 最悪だ。

 だからあの人とだけは一緒になりたくないんだよ。


「邪魔……」

 有紗がうなった。ギリィ、と弓弦を引き絞り、しかし矢を放たない。

 至極の山羊(バフォメット)に向けた射線に、大瑚が重なっているから。


――【縮地(シュリンク)


 湊輔は吹き荒ぶような勢いを発揮して駆け出す。

 とりあえず雅久を止めないと。

 それでいいかどうかなんて分からない。

 二人を追い越して至極の山羊(バフォメット)に斬りかかったほうがいいかもしれない。

 いや、今みんながバラバラになるのは、避けないと。


 湊輔が走り出してまもなく、至極の山羊(バフォメット)が再び飛翔した。

 今度は湊輔の頭上を越え、そのすぐ後ろ、数歩先へと下り立った。


「くそっ」


 湊輔は咄嗟に急制動をかけ、体の勢いが完全になくなったと同時に振り返る。


 瞬間、予測を示す先見(ゼロサイト)

 赤い影は体を左に回転させ、凶刃を連続で振り回してくる。


 右の鉈の袈裟斬り、回転して、左の鉈の左薙ぎから、右の袈裟斬り。

 再び回転して、左を振ると見せかけ、右による上段斬り。

 全部で四連撃。


――【流脚(ステップシフト)】【打流(パリイ)


 袈裟斬り、左薙ぎ、袈裟斬りを跳び退いて躱す。

 最後の上段斬りは、月白の剣をぶつけてはねのける。


 不思議と打流(パリイ)がうまくいった。

 至極の山羊(バフォメット)の体勢を崩すまでには至らなかったものの、勢いに押されて自分がよろめくことはなかった。

 コイツ、体が小さくなって腕力が落ちた――のか?


「これなら――」

 やれる。


 また先見(ゼロサイト)が予測を示す。

 それに従い、流脚(ステップシフト)打流(パリイ)を織り交ぜて連撃をしのいでいく。

 どの一撃も速い。

 それでも、追いつけないほどではない。


「湊輔ッ、逃げろッ!」


 雅久の声が背中を打った。


「しまっ――」

 なんで忘れてた?

 至極の山羊(バフォメット)に対抗できて、調子づいたから?

 けど、やめてくれ。

 今はとにかく。


 同時、振り下ろされた凶刃に向けて月白を跳ね上げた。

 だが、一瞬意識がそれたせいか打流(パリイ)は失敗し、二つの刃が噛み合ってしまう。


 湊輔が至極の山羊(バフォメット)膠着(こうちゃく)していると、


「ぁぁぁああああああッ!」


 背後から荒々しい絶叫が、急速に肥大してくる。


「ふぅん――」


 至極の山羊(バフォメット)が湊輔を押しのけて舞い上がった。

 湊輔は押された勢いを利用し、流転避(ロールシフト)で後転する。


「ぬあああッ!」


 ブゥン! と吹いた、野太い風切り音。

 もう、ホントおかしいから、この人。


「避けて!」


 有紗の叫び声に反応してか、体が勝手に右に転がった。

 降り注いだ一対の刃が、半瞬前の湊輔を三つに斬り裂いた。


「うぅらあああッ!」


 直後、大瑚が振り返りざまに両手斧を振るった。

 その手前で湊輔は見た。

 先見(ゼロサイト)が示す予測を。

 大瑚から浮かび上がる、赤い影を。


 湊輔が咄嗟に後転するのと同時、至極の山羊(バフォメット)も左に跳び、斧の太刀筋から離脱した。


――【猛嚇咆(レオズロア)


『ウオオオオオオオオオッ!』


 雅久の咆哮(ほうこう)(とどろ)いた。


 至極の山羊(バフォメット)は鼻先を湊輔から背けると、翼を羽ばたかせて大盾を飛び越えた。


 雅久は振り返るなり大盾を構える。

「くっそ……!」

 着地するや飛びかかってきた悪魔に対し、絶壁(ダイアクリフ)は間に合わなかった。


 構え直す暇を与えないように、至極の山羊(バフォメット)は次々と斬撃を繰り出す。


「うらあ!」


 その合間に雅久が大盾を突き出して反衝(リジェクト)を狙うものの、鉈を捉えられない。

 むしろ遅すぎるほど。


「やめろおッ!」

 湊輔は縮地(シュリンク)で駆けた。


 雅久の背中に迫る大瑚に。


 S字の刃をぎらつかせて躍りかかる背中に。


 伸ばした左手が、からくもワイシャツをつかんだ。


「やめろおおおッ!」


 だが、勢いを殺すには至らず、それは手元からすり抜けていった。

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