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 咆哮が轟いた。

 いや、もはや爆裂だ。

 建物にはめ込まれていたガラスというガラスが、音を立てて一斉に割れた。

 その傍ら、湊輔たちは両耳をふさぎ、屈み込んだ。

 それをする意味はまったくないと解っていながらも。


 やたら長く続く爆音の中、


「ははははッ、はァーはっはっはっはァッ!」

 凄烈な音波を間近で浴びているにも関わらず、大瑚は高笑いを上げていた。

「最高だぜェ、最高だ『ぜええええええェェェッ!』」

 悪魔に対抗するかのように、今度は猛嚇咆(レオズロア)のごとく咆え猛た。


 湊輔は苦しげに顔をゆがめながら、咆え合う一体と一人を見据えていた。

 なんなんだよあの人。

 あんな間近で咆えられたら、普通鼓膜が裂けるだろ。

 まさか、鼓膜までガッチガチ……は、ないよな、さすがに。


 ようやく激しい空気振動が止むと、至極の山羊(バフォメット)は頭をもたげた。

 体をのけ反らせ、大きく息を吸い込む。

 また咆える気か、と湊輔は強張った体をさらに硬くした。


 悪魔が頭を振り下ろした途端、口元から黒い煙が噴き出した。

 濃密で膨大なそれは、瞬く間に至極の山羊(バフォメット)自身と大瑚を飲み込んだ。

 やがて湊輔たちにも押し寄せてくる。


「――ッ! 逃がすかよ……!」


 湊輔は立ち上がるなり縮地(シュリンク)を発揮して、自分から黒煙の中に突っ込んだ。


「湊輔えッ!」


「湊輔ッ」


 駆け出したとき、雅久と有紗の声が聞こえた。

 でも、止まってなんかいられない。

 またいなくなるんじゃないか?

 今回は腕と翼をもがれた。

 いなくなって――いや、逃げたっておかしくない。

 ……そういえば、体に傷がなかった。

 前に、あれだけ先輩たちに斬り刻まれたはずなのに。


 煙の中はもはや闇。

 自分の手元すら見えない暗黒の中に突入し、湊輔はやがて駆ける足を緩めた。

 巨体に向けてまっすぐ走ったはず。

 それなのに、なにかにぶつかるようなことはなかった。

 止まるのが早すぎた?

 それとも、脚の間を通り抜けた?

 だったら、広瀬先輩にぶつかってもおかしくない。


 あたりをきょろきょろ見回し、それがまちがいだと気づいた。

 自分がどこを向いているのか、まるで分からなくなって。

 そして音が、一つも聞こえない。

 笑い声、叫び声、蹄や翼の音。

 なにもかもが。


「どこだよ」


 うなるように声を漏らした。

 聞こえた。

 自分の声がはっきりと。


 月白の剣を両手で握り締め、正眼に構える。

 まったく見えない。

 すぐそこにあるはずの刃が、まったく。


「どこだよ! 至極の山羊(バフォメット)!」


 思わず声を荒げた。

 自分ひとりだけ、まるで別の空間に迷い込んだような、空虚な孤独に駆られて。

 今にも長大な刃が襲いかかってきそうな、冷たい恐怖を覚えて。


 体を左に向けた瞬間、浮かび上がった。

 目線よりも背丈の低い、赤い影が。

 それを視認するのと、それが眼前に迫ってきたのはほぼ同時だった。

 影はあっという間に、気づいたときの二倍以上の大きさに肥大した。


「あ……」


 首から下の感覚が薄れ、まもなく脳天に鈍い痛みが走った。

 その直前、宙を漂う感覚があった気がする。

 やがてカララン、と金属がのたうつ音と、ドサッとなにかが倒れ込むような音がした。


 なにが起こったか、さっぱり分からない。

 一つ言えるのは、自分の体を動かしているつもりなのに、動いている感覚がしないこと。

 ……急に、なんだか、眠くなってきた。


 気づけば、体の感覚が戻っていた。

 しっかり両手で剣を握り締め、目を見開き、身構えている。


 なにを思うでもなく、体ごと左を向いた。

 瞬間、見覚えのある光景が目に飛び込んできた。


 赤い影だ。

 先見(ゼロサイト)が示す予測。

 不思議と、それがどこかゆっくり移ろっているように思えた。


 ――「セケエコトシテンジャネエッ!」


 誰かの声が忌まわしげに叫ぶと同時、


――【打流(パリイ)


 体が瞬時に構えを改め、月白の剣を右下から跳ね上げた。

 赤い影が振り払ったなにかとぶつかり、カアン! と響く軽快な金属音。

 直撃のあと、赤い影は消失する直前、視界のすぐ横を通り抜けていった。


「くそ……!」


 死逃視眼(デッドサイト)が発動した。

 発動させてしまった。

 湊輔は悔やむ気持ちを押しのけながら反転する。


 いない。

 いや、見えるわけがない。

 赤い影は、ただの予測。

 敵の攻撃が終われば、すぐに消える。

 それより、至極の山羊(バフォメット)は?

 今の影は、いったい――


 湊輔が反転してすぐ、周囲を覆い尽くす黒煙が異変を見せた。

 まるで粒子が落下するように崩壊していく。

 やがて自分の手元が、グラウンド一帯が見えた。

 今湊輔がいるのは、B棟校舎、連絡通路、体育館に囲まれた袋小路の手前。

 確かに至極の山羊(バフォメット)がいた地点で足を止めていた。

 しかし、悪魔と大瑚の姿がない。


「湊輔!」


 切迫したような声に振り返った。

 雅久と有紗が心配そうな面持ちを浮かべ、陽向はへたり込んでいる。

 湊輔はすぐさま三人の下へと駆け寄った。


「おい、大丈夫かよ?」

 有紗と共に、慌ただしく近づいてきた雅久が尋ねた。


「う、うん、大丈夫」


「びびらせんなよ……らしくねーぞ」


「らしくない?」

 雅久のため息混じりの言葉に、湊輔は小首を傾げた。


「あー、いや」

 雅久は一度俯いてから苦笑した。

「前の湊輔だったら、絶対しなさそうなことしたからよ」


「え、そうか……?」


 湊輔に横目を向けられた有紗は、視線を落として(うなず)いた。

 どこか悲しげに、寂しげに。

 そう見えたのは、気のせいかもしれない。


「あ、あのさ……それより至極の山羊(バフォメット)は? 広瀬先輩は?」


「ああ、広瀬先輩なら」


 湊輔は振り向き、B棟校舎の方角に向いた雅久の視線を辿(たど)った。

 いた。

 先ほど立っていた場所から西――袋小路の反対側にずれている。

 だいたい十から十五メートルほど。

 なんで気づかなかったんだろ。


「有紗、至極の山羊(バフォメット)は?」

 順風耳(レシーバー)なら、敵の居所が分かるはず。


 有紗はしかし首を横に振った。

「なにも聞こえないわ」

 険しい表情をしているあたり、そんなのあり得ない、と疑っているのだろう。


「じゃあどこに――」


「ねぇ、あれあれ」


 湊輔があたりを見渡そうとしたとき、陽向が体育館の屋根を指さした。

 湊輔、雅久、有紗がそちらを見る。


「なんだあれ?」

 雅久が顔をしかめて、怪訝に声を低くした。

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