八
「ははは……ははははははァッ!」
直後こだました、荒々しい笑い声。
「なんだ? なんだなんだなんだァッ? あぁッ?」
連絡通路まで五十メートル以上あるというのに、その愉快げに狂った声は、痛くはっきり伝わってきた。
声の主は、のらりくらりと歩み寄ってくる。
同じ高校生とは到底思えないほど、屈強な長身。
獰猛な強面。
狂気に満ちた笑みは、どこか艶やか。
右手に持った長柄の先には、大きなS字の刃が備わっている。
両手斧を豪快に振り回して戦う、異空間に招かれたメンバーの一人――広瀬大瑚。
「最悪……」
湊輔は思わずつぶやいた。
陽向がさっき言ってたように、五人目は柴山先輩がよかった。
もしくは、長岡先輩か美結さん。
この人――広瀬先輩だけは、来てほしくなかった。今回は、特に。
大瑚は袋小路から出たあたりで足を止めた。
そして四股を踏むように腰を落として身構える。
「おォい! んな雑魚なんざ、相手になんねェだろォ! なあッ、なあッ! 俺とォッ、遊ぼうぜェッ――『馬面アアアアアアアアアッ!』」
大瑚の咆哮は、一帯に轟くようなものではない。
螺旋を描く突風のごとく、馬の頭に躍りかかった。
戦場が静まり返った。
湊輔も、至極の山羊も、悪魔の背後にいた三人も、一様に動きを止めた。
最初に動き始めたのは至極の山羊。
おもむろに体を、大瑚へと向ける。
そして身を屈めて、ブォン、と巨翼で大気を打ち据え、飛び上がった。
「いいぜいいぜェ、来いよ来いよォ――ぬぅあッ……!」
大瑚の眼前に、至極色の巨体が重厚な音を鳴らして舞い降りた。
同時、身構えた屈強な長身に打ち下ろされた、二振りの長大な刃。
ドスッと鈍く響く、肉塊を殴るような不快な音。
それに重なる、大瑚のうめくような声。
至極の山羊は飛びかかりざまの一撃のあと、立て続けに鉈を振るった。
右の袈裟、左の逆袈裟、右の上段、左の上段……何度も、何度も、斬撃を繰り返す。
巨体の股下から見える、四股を踏んだままうな垂れる強面。
仇敵でも相手にしているような、悪魔の執拗な乱撃。
そんな激烈で残忍な光景を目にしながら、湊輔たち四人は呆然と立ち尽くしていた。
標的にひざをつかせようと、いや、叩き伏せようとしているのか。
至極の山羊はひたすら巨体を揺り動かし、足下でドスッ、ドゴッと鈍くむごい音を立て続けている。
「これ……さすがにやべえよな」
歩み寄ってきた雅久が怪訝に尋ねてきた。
どういうつもりでやばいって言ったんだろ。
むごたらしくなぶられてる広瀬先輩がやばいのか。
五人目が広瀬先輩だったことがやばいのか。
「ねぇ」
有紗が近づいてくるなり、押し殺したような声をこぼした。
「今、射たないほうがいいわよね……?」
湊輔はおもむろに顔を有紗に向けてから、悪魔の背に向け直した。
「やめとけ、とりあえず今はな」
雅久が答えた。
「い、いっつも思うんだけどさ」
陽向がおそるおそる聞いてきた。
そういえば、今までどうしてたんだろ。
「どーなってんの、広瀬先輩って?」
「「「さあ……」」」
三人の声が見事に揃った。
まさか有紗まで答えるなんて、と湊輔はふと思った。
至極の山羊の両腕が一度に振り下ろされ、ひときわむごたらしい音が鳴った。
直後、巨体が突風を吹かせ、空高く舞い上がった。
湊輔は悪魔の背に向けていた視線を下ろした。
そして不審げに眉をひそめる。
あれだけ無惨に斬り刻まれてもなお、どっしり身構えている大瑚に。
遠目に見ても、その姿が異様だった。
制服には傷一つついていない。
動的戦技には、弾攻構や不動構といった、防御力を一時的に飛躍させるものがある。
だとしても、こうして四人が話していた時間ほど、発動時間は長くはない。
ほんの数秒。
どれだけ極めようと発動時間は十秒を超えない、と湊輔は以前泰樹から聞いていた。
やがて至極の山羊が落下し、鋼甲種を滑らかに斬り分けた一撃を浴びせにかかる。
一対の凶刃が煌めいた瞬間――
「ははッ!」
それまで微動だにしなかった大瑚が、頭を振り上げ、笑った。
そして肩にかけていた得物を両手で持ち直した。
――刃から柄まで全身、高熱を帯びているような、真っ赤に染まるそれを。
「うぅあアッ!」
やがて悪魔が落下してくる。
一対の凶刃が動き出すと同時、大瑚は両手斧を真上に突き出した。
ギイィン! と弾ける、空気が張り裂けるような甲高い音。
「は……?」
湊輔は愕然と口を開いた。
そばにいる三人もまた、同様の表情を浮かべた。
斬撃よりわずかに早く着地していた至極の山羊の体が、大きく反り返ったから。
二振りの鉈が、握られたまま宙を漂っている。
見るからに巨体の重心が、後ろに傾いている。
甲高い音がした半瞬後、大瑚が両手斧を振りかぶり、跳び上がった。
『ふぅんぬああああああああああああッ!』
轟然たる野太い絶叫。
そしてダガアァン! と響き渡る、雷鳴のごとき炸裂音。
同時、大地を、そして空間さえも斬り裂かんばかりの衝撃が、至極の山羊の巨体を縦断した。
悪魔が背中から、肉厚な音を立てて倒れ込む。
そのとき飛び散った。
左の巨大な翼と、隆々とした太い腕が。
モノトーンに染まる異空間が、またしても静寂に包まれる。
それはしかし、決して晴れやかなものではない。
殺伐として、重々しい静けさ。
横たわる至極の山羊の足下。
大瑚が振り下ろしたあとの両手斧を、何食わぬ顔をしながら持ち上げた。
右肩にかけ、悠然と佇み、傲然と悪魔を見下ろす。
「はは、はははは……」
陽向が乾いた笑いをこぼした。
「いやいやいや、あの人ってマジでやばいって思ってたけどマジやばいねやばいって。なにあれマジどーなってんのどーやったの?」
「「「……さあ」」」
また三人の声が重なった。
語彙力をなくしたような陽向に呆れてか、今度はみな一様にげんなりとした低い声音。
「おォいッ!」
大瑚が吐きつけるように、横たわった悪魔に向けて声を荒げた。
「まだだよなァ? まだやれるよなァ? まだ終わってねェよなァ?」
言葉を発するたびに、鶏よろしく上半身ごと頭を上下させた。
「起きろッ、起きろよォッ! もっと俺を楽しませろ! 起きて俺を楽しませろォッ! まだ足りねェッ! 足りねェんだよォ! 俺をイかせるくらい楽しませてみろよォッ! なあァッ!?」
湊輔はおろか、雅久も、有紗も、陽向も身を引いた。
大瑚の顔と声が上気していて。
艶笑はあたかも発情期の獣。
戦いを求めているというより、愛欲をねだっているようで気味が悪かった。
大瑚の懇願に答えるように、至極の山羊が身をよじって起き上がる。
そして右腕を支えにして立ち上がった。
途端、馬の頭が空を仰ぎ、すぐさま振り下ろされた。
『ブゥアアアァアァアァアアアアッ!』