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 やや遅れて湊輔、有紗、陽向が駆け出した。


 雅久が中ほどを過ぎたところで、悪魔の鼻先が下向いた。

 左半身を前にし、右腕を後ろに引く。

 馬脚が地面を蹴った直後、巨体に見合わない俊敏さと共に、大きく踏み込んだ。


――【絶壁(ダイアクリフ)


 右の凶刃による左薙ぎが大盾を捉え、バアン! と鋼板を打ち据えるような音が凄烈に響いた。


「ぐぅぅ……!」


 雅久はすかさず構え、悪魔の斬撃を見事受け切った。

 右後ろに大きく押しのけられながらも。


 矢継ぎ早に左の鉈が躍りかかった。

 地面を重々しく踏み鳴らす(ひづめ)の音。

 鋭い風切り音。

 野太い痛烈な金属音。

「ぐうぅぅぅッ……!」

 雅久が漏らしたうなり声。

 刹那の四重奏が戦場に消え入ったころ、雅久は湊輔たちと並ぶ位置まで押し下げられていた。


「雅久、替わるぞッ」


「待てよ!」

 飛び出そうとする湊輔を、雅久は短剣を真横に伸ばして制した。

守護神(ガーディアン)()めんじゃねえッ」


 明らかに強がってる。

 だって、剣先が、大盾が、全身が小さく震えてるから。

 なのに、ホント、よくそんな状態で、笑えるよな。


「とにかく下がってろ!」


 雅久が叫んだ直後、至極の山羊(バフォメット)が右の鉈を掲げた。

 巨体が反り返り、刀身がその背後に隠れるほど、大振りに。

 湊輔は直感し、戦慄した。

 さすがにこの一撃は、まずい……!


――【長遠射(ナガエウチ)


 湊輔が口を薄く開くのと同時、頭上でヒュン、と風切り音が吹いた。

 至極の山羊(バフォメット)の右脚がわずかに下がり、「フゥゥゥ……」とうなるような吐息が聞こえた。


 きっと有紗も察したのだろう。

 だからこそ、この瞬間に矢を放った。

 馬の頭めがけて。

 しかし弓弦の音を聴き取っていたか、弓を引く姿が見えていたか。

 悪魔は直撃よりわずかばかり早く、射線から頭をそらした。


 至極の山羊(バフォメット)が左の蹄で地面を蹴り、大きく引き下がった。

 右半身を後ろにした巨体の、両腕と胸筋が大きく開くように引き伸ばされる。

 やがて右腕が振り抜かれた途端、鉈が消えた。

 正確には、湊輔たちを通り越し、後ろで弓を引く有紗に飛びかかった。

 コイツ、鉈をぶん投げやがった。


 湊輔は振り返らずにはいられなかった。

 もう、声を出す余裕すらない。

「っはぁ……」

 目を見張りながら、のど元に詰まった息を吐いた。


 有紗は無事だった。

 突き立った鉈の横に、中腰で立っている。

 肩を上下させ、弓矢を持つ両手を震わせながら。


 至極の山羊(バフォメット)が狙いをはずしたわけではない。

 有紗が間一髪のところで横に跳び、からくも直撃を免れたのだ。

 もし、ほんのわずかに反応が遅れていたら……。


「有紗、逃げろおッ!」

 雅久が声を荒げた。

 激しい焦りを帯びたそれ。


 湊輔が振り向いたすぐあと、分厚い羽音がした。

 見上げようとするより早く、有紗に至極(しごく)色の巨影が躍りかかった。

 左の馬脚を、無慈悲な鉄槌(てっつい)のごとく叩きつける。


――【跳脚(リープステップ)


 踏みつぶされる前に、有紗は右に二度、大きく跳んだ。

 一度目の着地の瞬間、蹄の着弾地点から広がった揺れに足を取られたらしい。

 二度目の跳躍は、あまりにも短くなってしまった。


「アイツ……!」

 湊輔は歯噛(はが)みしながら、ふらつく体を無理やり持ち直した。

 また有紗を狙った。

 雅久が猛嚇咆(レオズロア)を使ったのに。

 さっきまで雅久を狙ってたのに。

 まさか、効いてない……?


――【縮地(シュリンク)


 吹き荒ぶような勢いで疾駆する。

 月白の刀身を右肩にかけて。

 四メートルの巨体に対して、得物の届く範囲は脚まで。

 突き刺そうと、斬ろうと、どのみち浅く、大したダメージも与えられないだろう。


 ――それでも、もしかしたら。


 一縷(いちる)の望みをかけて、悪魔へと突進する。


 至極の山羊(バフォメット)は放り投げた鉈をつかみ上げ、馬の頭を横向けた。

 左腕が、切り上げの予備動作を見せる。

 右脚を軸にして、左脚を低く浮かばせた。

 蹄の先が有紗に向けて伸びる。


 ――かと思えば、急に真後ろに移った。

 左半身が、急速に迫る人影に向く。


 しまった、と思いながら、湊輔は構えていた得物をかざした。

 鉈がこれから描く軌跡に向け、折り曲げた左腕に添えて盾とするように。


「ぐあっ――」


 瞬間、全身が消し飛ぶような衝撃が走った。


 円弧を描いて振り払われた鉈が、湊輔の体を吹き飛ばした。


 見えていた。

 先見(ゼロサイト)の示した予測が。


 ただ、それは光跡ではなく――影。


 赤い影が、至極の山羊(バフォメット)の体から浮かび上がり、本体より先に左の鉈を振り払っていた。


 これまでと異なる事態に、湊輔は一瞬戸惑った。

 だから、すんでのところで避けられたかもしれない一撃を受け、宙を漂った。


 今まで味わったことのない長い浮遊感。

 直後、背中に鋭い痛みが走り、全身が小さく跳ねながら転がる。

 ようやく体が止まったところで、湊輔は息を浅く繰り返しながら、頭を持ち上げた。

 目を離すな。

 絶対、アイツから目を離すな。

 とにかく、起きないと。

 ……あれ?


 右手から硬質な感触が消えている。

 剣が、ない。


「うおおおおおおおおおッ!」


 苦し紛れにも聞こえる雅久の咆哮。

 しかし、周囲のなにもかもを震わせるほどの重みはない。

 ただの叫び声。


 視界に赤い影が浮かび上がった。

 上空から降りかかってくる。

 高々と掲げられた一対の刃が、一斉に振り下ろされる。


「うあああぁぁぁッ……!」


 湊輔は悲鳴を上げる全身に(むち)打って、起き上がる。

 左に跳び込み、赤い刃の着地点から逃れる。

 そのとき、見えた。

 視界の左端、やや遠く。

 つかんでくれと言わんばかりに、月白の剣が柄を向けて横たわっている。


――【縮地(シュリンク)


 背中越しに、ズダアン! と地面が爆ぜるような音を聞き流しながら駆ける。

 得物までもう少し。

 跳ぶように大きく踏み込み、月白の剣をつかみ取った。

 瞬間――


 時が、ひどく緩やかに流れ始める。


 間に合った。

 月白の剣をつかむのには。


 間に合わなかった。

 至極の山羊(バフォメット)の動きに応じるのには。


 巨体が開脚して踏み込む幅と、長大な凶刃の太刀筋。

 二つが相まった間合いは、湊輔を捉えるには十分すぎる。


 ――「チンタラシテンジャネエッ」


 頭の後ろで声が響いた。

 ただ気配だけで存在する、誰かの声が。


 途端に体が引っ張られたように、左に倒れて、転がった。


 時が平常に流れ始めるのと、鉈がすぐ真上を薙いだのは同時だった。


 湊輔はすかさず立ち上がり、振り返る。

 至極の山羊(バフォメット)はもう、次の手を下そうと構えていた。

 いや、もう振り下ろされている。

「――ッ」

 流脚(ステップシフト)で右に跳んで避けた。

 地面から土くれが飛び散り、ほこりが舞い上がる。


 三撃目が来る。

 そんな直感に、湊輔は月白の剣を両手で握り締めた。


 ……しかし動かない。

 悪魔はいきなり動きを止めた。

 そして馬頭の鼻先が小さく持ち上がり、B棟校舎と体育館をつなぐ連絡通路へと向いた。


 湊輔も振り向いた。


 まさか。

 やっぱり。

 そんな相反する思いが入り混じる。

 視界にそれが映り込んだとき、言い知れない不安にかき立てられた。

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