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 やがてせり上がってくる。

 舞台に登場する演者のように地面の下――まさに奈落から。


 これまで三度見てきた。

 たった三度。

 されど三度。

 この体を締め上げるような不快感、そしてその巨大で異様な姿を忘れることは、決してないだろう。


 馬脚を有した、屈強な巨体。

 あまりに広大な、一対の翼。

 象牙色のねじり曲がった角を生やした、馬の頭。

 長大な(なた)を両手に一振りずつ握る、至極(しごく)色の悪魔。


「――至極の山羊(バフォメット)……!」


『ブゥアアアァアァアァアァァァアアア!』


 牛のごとく低く野太い咆哮が轟いた。

 体育館や校舎にはめ込まれているガラス窓が一斉に、ガタガタと激しく音を鳴らす。

 立っているのがままならないくらい、地面が大きく震動する。

 何十メートルと離れているのに、鼓膜が破れそう。

 それ以上に、全身が潰される――ような気がした。


 湊輔は耳をふさぐことなく、ただ立ち尽くしていた。

 耳鳴りはやがて頭痛に派生する。

 身体が自分でも分かるくらい、震えている。

 はっきり言って、怖い。

 でも、今度は逃がさない。

 倒す。

 有紗を手にかけた分を、絶対に返す。


 湊輔は月白の剣を強く握り締め、一歩踏み出した――


 瞬間、対刃種(ブレイド)が走り出した。

 二振りの舶刀(カットラス)をぎらつかせ、悠然と(たたず)至極の山羊(バフォメット)へと猛進する。


 至極の山羊(バフォメット)が鉈を持った両腕を、外から内に、なにかを抱きしめるように動かした。

 野太い風切り音が大気を吹き抜ける。

 悪魔の眼前に迫った対刃種(ブレイド)は、胸部、腹部、下半身の三つに分断された。

 冷淡で呆気ない斬撃は、あたかも鎌鼬(かまいたち)


『ブゥアアアァアァアァアァァァアアア!』


 至極の山羊(バフォメット)がまたも轟然(ごうぜん)たるいななきを発した。

 対刃種(ブレイド)を斬り捨てて勝ち誇っているのか、湊輔たちを挑発しているのか。


 悪魔が咆哮をやめたあと、湊輔は背中越しにズン、ズンと重厚な足音を聞いた。

 走るというより、足早に歩いて踏み鳴らしている音。

 至極の山羊(バフォメット)から目を離したくはない。

 それでも、背後に迫るものを確かめずにはいられなかった。


 肩越しに振り向くと、鋼甲種(アーマード)がいた。

 肩を怒らせ、視線をまっすぐ西に向けて突き進んでいる。

 コイツもまた、至極の山羊(バフォメット)を狙っているらしい。


 湊輔はふと思った。

 悪魔は巨影たちを呼び寄せた。

 あの二度の咆哮は、ある意味猛嚇咆(レオズロア)と同等――いや、それ以上なのかもしれない、と。

 固唾を()み、通り過ぎていった鋼甲種(アーマード)の背中を凝視する。

 生半可な戦技(スキル)では砕けない外骨格が、鉈によってどうなるのか気になって。


「湊輔」

 有紗が駆け寄ってきた。

 色白な顔は青ざめている。

 しかし、切れ長の目は決意を宿しているように凄んでいた。


「戦える?」


 湊輔は目を伏せた。

 大丈夫? じゃないんだ。

 そりゃそうか。

 大丈夫でも、大丈夫じゃなくても、戦わなきゃ、アイツを倒さなきゃ、戻れないんだし。


「戦える。戦わないと」


 自分に言い聞かせるつもりで、声を張って答えた。

 顔を上げ、有紗と共に悪魔と巨影の成り行きを見守る。


 至極の山羊(バフォメット)が左の鉈を地面に突き立てた。

 あの動作は、地面に黒い沼を作り出し、仲間を呼び寄せるもの。

 だが、違った。


 悪魔は一瞬身を低くすると、巨翼を羽ばたかせ、空高く舞い上がった。

 吹き荒れた突風に、鋼甲種(アーマード)はその堅牢(けんろう)な見た目通り動じることはない。


 灰色の空で、至極色の影が広がった。

 飛翔(ひしょう)の際にすぼめた巨翼を開いたから。

 その正中線の上方に、鋭い刃が掲げられた。

 右手で握る鉈の柄に、左手が添えられる。

 やがて滞空を終え、悪魔は落下し始めた。

 滝水のごとく、真下で空を仰いでいる鋼甲種(アーマード)へと降り注いだ。


「なッ――」

 湊輔は絶句した。


 閃いた一撃が、怖気がするほど滑らかで。

 岩石を削るような荒々しい音を立てることなく、鎧をまとった巨影は真っ二つに割れた。


 至極の山羊(バフォメット)は血振りをするように鉈を払い、突き立てていた鉈をつかみ上げた。


 そして、ねじれた角を生やした馬の頭が、こちらを向いた。


 途端に全身が――凍てついた。

 極寒の大気にさらされ、全身の肌がひび割れるような感覚。

 血の巡りが止まり、しかし腐ることなく死を迎えそう。


 分かる。

 アイツが、今まさに、確実に、殺しに来ていると。


「湊輔えッ!」


 聞き慣れた声の絶叫が背中を打った。

 振り返るより早く、声の主は隣に並び立った。


「やっぱりアイツだったんだな」

 雅久の声は震えている。

 そのくせ、どこか大胆不敵な様相。


 こいつもこいつで、やる気なんだな、と思いつつ湊輔は頷いた。


「ちょいちょいちょいちょい……あんなのとやり合うの……?」

 背後で陽向が声を上ずらせた。

 振り返って見るつもりはないけど、たぶん及び腰になってると思う。


 それよりアイツ、こっち見たまま動かない。

 殺しに来てるはずなのに、いや、だからこそこっちの出方をうかがってるのか。

 だとしたら、今誰かが武器を差し向けた瞬間、飛びかかってくるんじゃないか。


「陽向、逃げんなよ? どーせ逃げてもこっから戻れねえけどな」

 雅久が笑っているように、しかし低く凄ませた声音で言った。


「は……はは……」

 陽向は引きつった笑い声を漏らした。

「いやぁーもぉー逃げたいなー、帰りたいなぁー……。せっかくこれから夏休みエンジョイしよーってのに、こんなところで死にたくないなー……」


「はっ」

 雅久が鼻を鳴らすように笑った。

「じゃあここでアイツぶっ倒して、気持ちよく夏休みエンジョイしよーぜ」


「あぁーもうっ……」

 陽向は大きくため息をついた。

「やるよ。やればいいんでしょ、やれば」


「うっし、全員覚悟決まったな。――湊輔、俺が一番(やり)でいいだろ?」

 雅久は大盾と短剣を構えた。


 湊輔は息を呑んだ。

 今、アイツが動き出しそうな気がして。

 でも、まったく動き出さない。

 上半身を浅く屈めただけ。

 悪魔って、こんな正々堂々と構えるものなのか?


「うん、頼む」


「うっしゃあッ!」

 雅久が威勢よく飛び出したのは、湊輔が「うん」と言った瞬間。


――【猛嚇咆(レオズロア)


『ウゥオオオアアアアアアッ!』


 きっと二度に渡る悪魔の咆哮が聞こえていたのだろう。

 いや、聞こえていないほうがおかしい。

 放たれた咆哮は至極の山羊(バフォメット)のそれに対抗するように、これまで以上に激しく轟いた。

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