五
もはや反射的に、流転避で後転する。
湊輔が起き上がるのと、半瞬前の湊輔が真一文字に両断されるのは同時だった。
対刃種は右の舶刀がはね返されたあと、もう一度それを薙ぎ払った。
右足を思い切り踏み込んで得物を振ったせいか、重心が前に傾いている。
わずかに動きが固まった。
――【矢継射】
ほんの少しずれて重なった、三つの風切り音。
対刃種の左ふくらはぎに、三本の矢が立て続けに命中した。
有紗が連射を放った数瞬後。
湊輔は駆け出し、
――【流脚】【渾撃】
高速の踏み込みで対刃種の左足に詰め寄る。
「らあッ!」
袈裟斬りを見舞い、すかさず流脚で跳び退いた。
瞬間、視界に赤い光跡が走り、さらに後ろに跳びのく。
体の勢いが止まったところにもう一撃、真上から降りかかってきた。
――【打流】
「くそっ……」
振り払った月白の剣は、湾曲した刃を見事に捉えた。
甲高い音を凄烈に響かせ、凶刃を視界の左側に流した。
とはいえ、また体がよろめく。
対刃種は再び、はねのけられた舶刀を無理やり薙ぎ払ってきた。
「湊輔ッ」
有紗の悲痛な声。
流脚も、流転避も間に合わない。
湊輔は迫りくる刃に向け、すかさず得物を叩きつけた。
戦技ではない、純粋な力のぶつかり合い。
「くぅっ……」
体格と力の差は歴然。
競り合うこともなく、呆気なく吹き飛ばされてしまった。
なかなかうまくいかない。
打流は成功するのに、体がふらつく。
勢いに押されて、次の行動に移れない。
これならもう、流脚で避けて――いや、二撃目が避けきれない。
じゃあどうしろっていうんだよ。
湊輔はすかさず立ち上がり、目の前に跳び込んで転がる。
一瞬後、背後から重厚な着地音が上がった。
――【長遠射】
――【流脚】【破突】
湊輔を踏みつぶそうと跳んだ対刃種が着地した途端、左ふくらはぎから炸裂音がこだました。
直後、湊輔が三歩分の距離を勢いよく詰める。
狙うは左足。
切っ先を思い切り突き込むと、刀身の三分の一以上が食い込んだ。
こんなに深く刺さったっけ? と呆気に取られるものの、すぐに我に返る。
そこから追撃で得物を揺さぶろうとして、しかし余裕がないと分かって引き抜いた。
素早く跳びのくと、目の前を肉厚な腕が吹き抜け、背中に冷たいものが走った。
もう少し長く呆けていたら、確実に殴られていた。
今は旗の援護がない。
直撃すれば失神どころではすまない。
でも、今の感じ……と、湊輔は手元で鋭く光る月白の刃を一瞥した。
対刃種が右の舶刀を大きく振りかざし、先見が予測を示す。
「なっ――」
湊輔はなにを考えるでもなく、咄嗟に右に跳んで、転がった。
最初に右からまっすぐ、次に左からまっすぐ、さらに右上から、左上からと光跡が立て続けに現れたから。
起き上がって肩越しに見れば、対刃種が乱れ斬りを繰り出しながら前進していた。
踏み込みと共に、二振りの舶刀が舞い踊る。
湊輔は深く吸い込んだ息を、震わせながら吐き出した。
こんな動きを見たのは、これが初めて。
流脚で、後退しないで横に跳んで正解だった。
回避は間に合わなくなり、二撃目を打流でしのいだところで、すぐさま三撃目が振るわれただろうから。
「まずい……」
対刃種が今やった連撃をアイツがやったら、確実に斬り裂かれる。
いや、今は――
「集中しろ」
対刃種が振り向きざま、左足を伸ばして踏み込んだ。
左の舶刀を勢いよく振り払ったものの、湊輔はすでに太刀筋から逃れている。
――【長遠射】
凶刃が勢いをなくした途端、巨影の左足でパアンッ! と炸裂音がこだました。
湊輔は目をまばたかせた。
矢が直撃した瞬間、その周りの空気が爆ぜたように見えて。
左足から力が抜けたように、対刃種がよろめいて尻餅をついた。
あたりに広がる、重々しい音と小さい震動。
――【縮地】
湊輔は驚異的な瞬発力を発揮して、流脚一度では詰め切れない距離を駆ける。
三メートルともなると、湊輔の身長と武器で狙える部位は下半身に限られる。
それが座り込んだとなると、どうにか届くとすれば胸元か首筋あたりまで。
――【破突】【抉牙】
縮地の勢いに乗せ、月白の剣を突き出す。
腹が膨らんでいなければ、あごの下を狙えたかもしれない。
切っ先は右の胸筋の下部へと入り込んだ。
先ほどより浅い。
胴のほうが硬いのか。
「だあああッ!」
湊輔はしかし構わず、得物を揺さぶって傷口を抉り、引き抜く。
後退しようとしたところで、炸裂音がこだました。
対刃種の頭がのけ反り、そのまま仰向けに転倒した。
有紗の一射がもたらした、これ以上ない好機。
起き上がるまでに、頭にもう一撃叩き込みたい。
湊輔は顔をしかめた。
この体型、なんかむかつくな。
腹が出てなかったら、上に乗って頭まで行けたかもしれないのに。
湊輔が迂回しようと体を横向けたとき、回り込み始めた有紗が見えた。
おれも急がないと。
伸びきった左足のすねをまたぐ。
太ももをまたごうにも、高さも太さもある。
かっこよく飛び越えたりできればいいけど、そんな芸当できっこないし。
舶刀の間合いの外側をなぞり出した、そのとき――
「うぅっ――」
急に催した吐き気に口を押さえ、はやる足を不意に緩めた。
まさか、うそだろ?
こんなときに……!
「あ……有紗……!」
振り絞った声は、のどが潰れたようにかすれていた。
敵が目の前で横たわっているのに。
倒さないといけないのに。
そんな場合じゃないと、本能に制されているように体の動きが鈍る。
引きずるように足を動かし、どうにか有紗を視界に収めた。
息を止めているように口を引き結んでいる。
わなわなと体を震わせながら、どこか気丈に振る舞うように、弓弦を引き始めている。
巨影がおもむろに起き上がり出した。
せっかくの好機が消え去る。
寒風に吹かれてほこりや塵が舞うように、むなしく。
湊輔は覚束ない動きで後ずさった。
間合いからはずれるというよりも、対刃種自体から遠ざかるように、大きく。
どうしても今すぐ確かめないといけない。
アイツが現れる瞬間を。
前みたく、背後を取られるなんて、絶対ダメだ。
もう、対刃種なんてどうでもいい。
せわしなく一帯を見回す。
東にある体育館の前、その屋根。
南にあるB棟校舎の前、その屋上。
そして西に視界を映したとき、ついに捉えた。
遠目からでも分かる。
グラウンドの西端に、それが広がっている。
混沌を模した沼のような、黒い歪な円が。