一
幾多の蝉が、けたたましい交響曲を奏でる季節。
「あー、マジねえわー」
椅子にもたれかかった雅久が、モノトーンに染まる天井にぼやいた。
「ホントにな」
湊輔は机に突っ伏しながら同意した。
雅久は顔を下げるなり、頬杖をついた。
ものすごくつまらなそうに。
そして、不服そうに。
「ったく、明日から夏休みだぜ? どんだけ戦わせてえんだっつーの」
雅久は戦いに対していつも前向きだ。
それでも、お楽しみ目前ではさすがに気が滅入るらしい。
登校してまもなく、ということも相まってか。
「しゃーねえ……夏休み前の景気づけってことにしてやるぜッ」
雅久はすっくと立ち上がり、パンッと左手に右の拳を打ちつけた。
切り替え早いな。
「おい湊輔、やるぞッ。とっとと片付けて、とっとと夏休みだッ」
「うん」
湊輔もまた、すっくと立ち上がった。
三度目の至極の山羊の襲来からおよそ一ヶ月。
その間、平均して週に三回ほど戦い続けてきた。
その間、主に泰樹から新しい戦い方を教えてもらっていた。
新しく使えるようになった戦技は一つ。
だが、たった一つだけでも、戦い方の幅は一回り、二回りも広がったように感じる。
「行こう」
湊輔は雅久に続き、教室からモノトーンに染まる図書館に踏み入った。
「おっ」
雅久が肩越しに振り向き、意味ありげに笑った。
湊輔の横に並ぶと、
「ほら」
と背中を叩いた。
こいつ……と眉をひそめつつ、湊輔はやや足早に歩き出した。
「お、おはよ、有紗」
本棚の奥から出てきた有紗は、成績表に落としていた視線を上向け、微笑んだ。
「おはよう、湊輔」
艶のある柔らかい声音が、無機質な空間を漂って消え入る。
それから湊輔は雅久とロッカーに向かい、それぞれの得物と成績表を取り出した。
そして本棚の奥から戻ると、長テーブルに月白の剣を置き、成績表に目を落とした。
【筋力40、耐久力25、持久力55、精神力75、判断力55、戦闘センス30、リーダーシップ15、総合295】
総合の値は、依然として三百を超えない。
一枚目をめくり、二枚目の戦技と素質の一覧を見る。
【素質……前虎後狼】
【動的戦技……渾撃、破突、抉牙、打流、終一閃、流転避、流脚、縮地】
【静的戦技……先見、死逃視眼】
「相っ変わらず多いよな、戦技」
雅久が覗き込んできた。
「一つくれよ?」
「あげたりもらったりできるもんじゃないだろ」
湊輔はため息混じりに答えた。
「……もし一つもらえるとしたら、なに――」
「先見」
「即答かよ」
「ったりめえだろ? 未来予測なんてもん持ったら俺、絶対無敵じゃねーか」
雅久は満面の得意顔を浮かべた。
「あ、そーいや、あれどーなったよ? なんか、目の前真っ赤になるやつ」
「ああ、それな……最近なくなったんだよ。前は敵が多いときになってたんだけど、最近は時間差で見えるようになったというか」
「へぇー、安定した、みてーな?」
「さあ……?」
「あれぇー? もしかして今日は一年だけぇ?」
表口の扉が開いた直後上がった、軽い調子の陽気な声音。
湊輔、雅久、有紗がそちらを見ると、爽やかな笑みを浮かべた陽向がいた。
「おう、なんかそうみたいだな」
雅久が答えた。
「マジかぁー。じゃあちょっと大変そうじゃん?」
陽向はぼやきながらロッカーに向かった。
中から取り出したのは鉛色の両手剣。
全長二メートルほどで、刀身は幅広。
すらりとした体格の陽向にはあまり似合わない。
「まあ……あと一人が誰か、じゃない?」
湊輔はやや控えめな声音で言ってみた。
陽向とは普段からあまり話さない。
それに、どうしても苦手に思えるタイプだから。
陽向は冷たい流し目を湊輔に向け、
「うーん、そうだねぇ……」
と独り言のように答えては、また爽やかな笑顔を浮かべた。
「ねぇ泉さん、誰だと思う? 五人目」
「……さぁ」
有紗は目を合わせることもせずに、素っ気なく返した。
「俺としてはぁ」
陽向は有紗の反応を気にするでもなく続ける。
「やっぱシバさんかなぁ。というか、シバさんがいいかなぁ。めちゃくちゃ強いしぃ、リーダーシップあって頼りになるしぃ……あ、それに気前もいいしねぇ」
「……そうね」
「ところで泉さんてさぁ、夏休みなにするの? 俺友達とさぁ、海とか夏祭りとか遊びにいく予定立ててるんだよねぇ。泉さんも一緒にどう? 結構女子も誘ったりしてるから楽しくなるよ?」
「……ごめんなさい、予定はもう入れてあるの」
陽向は有紗に限らず、女子によく絡む。
男友達も結構いる。
陽気でノリのいい、目立つような男子ばかりだが。
代わりに、パッとしない男子とはあまり接しないきらいがある。
雅久が湊輔を軽く小突いた。
なんだよ、と湊輔が目を向けると、「行けよ」と言わんばかりに二人をあごで指した。
湊輔は肩を落とした。
そりゃ行かないとって思うけどさ、相手が相手だし……。
ほら、あとで間接的に嫌がらせしてきそうじゃん。
「いやぁ実はさ」
陽向はまだ有紗に絡んでいる。
「お店貸し切ってパーティする予定もあるんだよね。大学行ってる先輩に誘われてさ――」
「塩谷くん、鏃突って戦技、知ってる?」
有紗はおもむろに矢を一本引き抜いた。
「え、いや全ぜひぃッ――」
湊輔はぽかんと口を開いて呆気に取られた。
陽向の胸倉をつかみ、逆手に持ち直した矢をのど元に突きつけた、有紗の素早い動きに。
「わたし、しつこいのって、嫌いなの。これ、長岡先輩から教えてもらった戦技なんだけど、使うことなんて絶対ないと思ってたのよね。まさか、こんな形で使うことになるなんて、残念だわ」
湊輔は息を呑んだ。
有紗の切れ長の目が、声音が、刃のように鋭くて、冷たくて。
「あ、あははっ、ごめんごめん」
陽向は両手を上げて降伏の姿勢を取った。
「もうしつこくしないから、ね? は、離してほしいなぁ……特にこれを」
有紗が手を離すと、数歩後ずさって尻餅をついた。
ひどく引きつった笑顔を浮かべたまま。
湊輔は詰まっていた息を吐き出して安堵した。
その傍ら、雅久が「ひゅー」と口笛を小さく鳴らした。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、テニスコートに巨鬼型が一体、現れましたぁ。繰り返しまぁす。テニスコートに巨鬼型が一体、現れましたぁ。みんなぁー、がぁーんばってねぇー。以上ッ。ぴーんぽーんぱーんぽーん』
純情無垢を覚える少年声が、静まり出した図書館に響き渡った。




