三
「ははっ、マジかよ」
雅久が驚いたような、あるいは感心したような声を上げた。
湊輔もまた、広大なグラウンドを徘徊する数多のソレに目を奪われた。
海外のホラー映画で見るような、まさに生ける屍――屍人型。
そして動く人間骨格――骨人型。
そのすべてが、泰樹が言っていたように灰色。
正確には灰黒色――灰色がかった黒色――に染まっており、あたかも影。
似通った姿をした亡者たちは、個々で勝手気ままに徘徊している。
集団意識みたいなものはなさそうだ。
「うっし、アレ全部倒しゃいいんスね!」
雅久が意気込むと、隣に立つ巧聖が小さく笑った。
「そーゆーこと。アイツらどーせとろいし、テキトーに動いてるだけだし、割と戦いやすい相手よ。――ねっ、泰樹さん?」
巧聖の覗き込むような上目遣いに、泰樹は一瞥をくれてから頷いた。
「っしゃあ、だったら」
雅久は言葉を切り、一度は亡者たちに向けた視線を巧聖と泰樹に移した。
「あー、戦うのはいいんスけど、なんか役割とかあるんスか?」
手に持った、長方形の大盾を小さく持ち上げる。
「こんなん持ってるってことは当然、前に出て突っ込むってことになるんスよね?」
「そうだな……」
泰樹は有紗に顔を向けた。
「泉、おめえはヤツらに近づかれねえよう気をつけながら射て」
「あと、前に立つ俺たちを射たないようにね」
巧聖がつけ加えたあと、有紗は静かに頷いた。
泰樹は次に雅久に向いた。
「我妻、おめえは荒井と動け。戦い方は荒井から聞きな」
「うッス、了解ッス」
雅久は得意顔で敬礼し、巧聖と顔を見合わせて頷き合った。
「遠山」
泰樹は湊輔の前に立った。
「おめえは俺と一緒に来い」
「あ、はい……分かりました……」
消え入りそうな声。
自信なさげな目。
丸まった背。
おどおどした様子。
「ぼく戦いたくないです」
傍目から見れば、湊輔はそんなふうに映っているかもしれない。
「しゃきっとしなッ……やられたくねえならな」
鋭さのあるハスキーな声に打たれ、湊輔は思わず体をびくつかせた。
「よし、始めるか」と泰樹が言ったところで、弦音が鳴った。
見れば、有紗が残心の姿勢になっている。
その視線を追いかけた先で、一体の屍人型がよろめき、倒れ込んだ。
「へぇー……」
巧聖は目を見張り、髪をかいた。
「いきなりヘッドショット……やるねぇ。すごいよ、有紗?」
感嘆する巧聖に構わず、有紗はまた弦音を鳴らす。
放たれた矢は骨人型の頭蓋を突き落とした。
継ぎ目を失ったように崩壊する灰黒色の骨格。
有紗はまた矢をつがえ、弓弦を引き絞り、しかしすぐに緩めて腕を下ろした。
有紗の矢を射る姿に見惚れていた湊輔は、不思議そうに影の群集に目を向ける。
それまで当てもなくさまよっていた亡者たちがすべて、五人に虚ろな視線を注ぎ始めた。
やがて緩慢な足取りながらも、押し寄せてくる。
有紗は切れ長の目を細め、改めて弓弦を引き絞り、矢を放つ。
まもなく集団の前列中央にいた屍人型が転倒した。
足下に同族が横たわろうと、亡者たちは身じろぎ一つしない。
ある者は避け、ある者は踏みつけ、着実に行進してくる。
湊輔は顔を引きつらせて半歩引いた。
「いたっ」
途端、いきなり背中を叩かれた。
「おい湊輔、びびってんじゃねーよ」
雅久が浮かべる笑みは無邪気で、愉快げで、いてもたってもいられないようにうずうずしている。
「いや、でも……」
湊輔は目を泳がせた。
「でももくそもねえだろ? 倒さねえと終わんねえなら、やるしかねえだろ。それに好きだろ? こーゆーの」
雅久はまた湊輔の猫背を叩いた。
「いや、それはゲームの話で、こんなのわけが違――」
「じゃあVRゲームってことにしとけよ。細けえこと気にすんなって。あんなん、動くコケシじゃねーか」
「……カカシ? いった」
また叩かれた。
「だから細けえこと気にすんなって」
雅久は短剣を引き抜き、大盾を打ち鳴らした。
それから、したり顔を巧聖に向ける。
「よし、じゃあ泰樹さん、俺たちは左から行きますねぇ」
巧聖は雅久を引き連れ、灰黒色の波に向かって左側に駆けていった。
「あ、湊輔! どっちが多く倒すか勝負だ!」
雅久が肩越しに言い捨てていった。
「遠山」
泰樹が低い声音で静かに呼んだ。
湊輔がおずおずと目を向けると、泰樹は迫りくる亡者たちを見据えていた。
「怖えか?」
湊輔は一瞬呆け、
「え、えっと、その……はい」
と絞り出したような声で答えた。
怖い。
そりゃ怖い。
ゲームの中で戦うモンスターなんて、あくまで画面越しの、プログラムで動いてる――動かされてるだけの存在だ。
でも、アイツらは?
なんていうか、生々しい。
ゲームというか、海外のパニックホラー映画の、遠くからゾンビたちが迫ってくるシーンみたいだ。
いや、それ以上に、「迫力がある」じゃ足りないくらい、妙な圧迫感がある。
「それで構わねえ。それが普通だ。怖がるやつは怖がる……が、我妻みてえに、違う捉え方をするやつだっている」
「雅久は、まあ……昔からああです」
泰樹はまばたきして、ぽつりとつぶやいた湊輔を横目で一瞥した。
「長えのか? 付き合い」
「そう、ですね……幼馴染です」
湊輔の視界の左側で、巧聖と雅久が暴れ始めている。
雅久は初めてのくせに大胆に、短剣と大盾を不慣れな動きで振り回している。
雅久の死角に敵が迫れば、巧聖が長槍を突き出して貫いていく。
泰樹もその様子を眺めていた。
どこか涼しげなしかめ面で。
「羨ましいか? 我妻が」
「うっしゃあ! 六う!」
雅久が、とても戦いの渦中とは思えない、活気に満ちた声を上げた。
「そう、ですね……羨ましい、です」
ああやって、不気味なヤツらを前にしても怖がらない度胸が。
「……まずは一発でいい。一発ぶち込め。そうすりゃあとはなんとかなる」
泰樹は湊輔に横顔を向け、
「いつでも動けるよう、準備しときな」
と言い捨てて、白銅の剣を払って駆け出した。
昂るように身体がざわついた。
先輩が自分のために駆け出した。
不意にそう思って。
そしてその後ろ姿がどこか、いつか見た映画の、やがて王となる剣士の背中と重なって。
やらなきゃ。
おれだって、やらなきゃ……っていうか、やらなきゃあの鬼の形相に睨まれる。
そっちのほうがなんか怖い。
死ぬ。
次第に高鳴る鼓動を、深く息を吸って無理やり押しとどめる。
そして、月白の剣に目を落とし、柄を両手で握り締め、深く息を吸った。
泰樹は群れからはぐれ気味な一体の骨人型に詰め寄るや、切っ先で頭蓋を小突いた。
二つの虚ろなくぼみが向くなり、半身で跳ぶように後退する。
「遠山、来い!」
一瞬、身体が震え上がった。
行け、行けッ……! と湊輔は自分を奮い立たせる。
より強く柄を握り込み、得物を右脇に構えて走り出した。
骨人型は鋭く尖った五本の指を広げ、泰樹へと振り下ろす。
泰樹はそれを避けると、前腕ごと斬り落とした。
腕をなくし、つんのめり、完全に隙だらけな骨人型。
湊輔は大きく踏み込むなり、
「うああああああッ!」
渾身の力を振るい、不慣れな袈裟斬りを打ち込んだ。
月白の刀身が骨人型の胴を斜めに、砕くように斬り裂く。
灰黒色の骨格は見えざる接合を失ったように、呆気なく崩壊した。
「いいぞ、よくやった。いったん下がれ」