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 至極の山羊(バフォメット)の三度目の襲来から、二日の休日と一日の登校日をまたいだ日。

 定期試験のために学校は午前中で終わった。


 尾仁角高校から尾仁坂(おにさか)駅の途中にある尾仁坂商店街。

 その脇道沿いにひっそり佇む『喫茶イチゴ』に、湊輔は雅久と一緒に訪れた。


「なあ、時間まちがえてたりしねえよな?」

 雅久がスマートフォンの画面を覗きながら、どこか不安げに尋ねた。


 湊輔もスマートフォンを取り出し、リレイトのグループトーク画面を開いた。

「午後一時に『喫茶イチゴ』に集合……」

 先日泰樹が送ったメッセージを読み上げた。

「まちがってないな」


「なのにだーれも来てねーじゃねーか」


 雅久の言う通り、店の前にいるのは二人だけ。


「まだ十分前だし、おれたちが早いんだろ?」


「集合時間って五分前か十分前には来るもんじゃね?」


 なんでかそういうところ、細かいというか律儀だよな、と思いながら湊輔は苦笑した。


 雅久のぼやきに応じたように、店の扉が、キイィ……と年季の入ったような音を立ててゆっくりと開いた。


「誰かと思えば我妻と遠山か」

 顔を出したのは泰樹だ。以前訪れたときと同じように、薄いストライプの入った白いワイシャツに黒いジーンズ、そして灰色のエプロン姿。

 とはいえ、一つ、前回とは違うものがあった。


「……なんだ?」

 泰樹はしかめ面をさらにしかめた。


「あー、いや……」

 雅久が声を震わせた。泰樹を怖がっているわけではなく、笑いをこらえているように。

「それ、可愛いッスね」


 視線の先はエプロンの胸元。

 そこにはデフォルメされた、えらくご機嫌な猫の顔がプリントされている。


「るせえ。理桜(りお)が渡してきたのがこれだったんだよ」

 泰樹はため息混じりにぼやいて振り返った。

「早く入んな」


 店内に踏み入るとまた、時代を遡ったようなレトロな雰囲気に包まれた。


「今日は人数が多いからな。好きなとこに座んな」


 泰樹に言われると、雅久はまっすぐカウンター席に向かった。

「へへっ、こーゆー席、一回座ってみたかったんだよな」


「あ、いらっしゃいませー」

 店の奥から顔を覗かせたのは、泰樹の妹の理桜だ。

 泰樹からおしぼりを乗せたトレーを奪うと、二人に歩み寄り、

「どうぞ、おしぼりです」

 とそれを差し出した。


「ありがとっ。もしかして理桜ちゃんも早上がり?」


 雅久がおしぼりを取り上げながら訊いた。

 傍ら、湊輔は雅久が差し出したおしぼりを受け取った。


「はいっ、尾仁中も今テスト期間です」

 理桜はにこにこ笑って答えたあと、空になったトレーを持って下がっていった。


 おしぼりで手を拭いていると、扉の開く音が鳴った。


「よお、泉」


 三人目は有紗だ。

「好きなとこに座んな」と泰樹に言われ、カウンターの奥側の席、湊輔の右隣に立った。


「湊輔、隣、いい?」


「あ、うん、どうぞ」

 湊輔はぎこちなく笑って答えた。


 有紗は腰かけ、理桜が差し出したおしぼりを受け取った。


「なあ」

 雅久が頬杖(ほおづえ)をつきながら、湊輔の脇腹をつついた。

 にやーっと意地悪そうな笑みを浮かべながら、小声で訊いてきた。


「いつから名前で呼ぶようになったんだよ?」


「まあ……この前」


 湊輔も小声で返した。

 有紗がいるすぐそばでそれを訊かれたのと、答えるのが気恥ずかしいというのが相まって。


「へえー……そうか……」

 雅久は含みのある相槌を打つと、

「なあ泉さんっ」

 と湊輔を押しのける勢いで身を乗り出して、

「俺も名前で呼んでいいッ? つか俺も名前で呼んでほしんだけどッ!」

 吠えながらはしゃぐ子犬のように声を張り上げた。


 こいつ直球だなー、と湊輔は眉をひそめた。

 横目で有紗を見ると、え、急になに? みたいな感じで、体を少し引いていた。


「我妻」

 ハスキーな声が低くこだました。


「うッス」


 雅久が顔を向けたところで、背中を向けていた泰樹は肩越しに振り向いた。

「るせえぞ」

 その横顔は、いつも異空間で見せている鬼の形相に近かった。


「サーセェン……」

 雅久は苦笑いを浮かべて、蚊の鳴くような声を漏らしながら縮こまった。


「ドンマイ、雅久」湊輔はやや(あき)れ気味につぶやいた。


「はっ……」

 雅久は半笑いを浮かべた。

 うるせー、と言いたげな顔をしているものの、顔だけだ。

 さすがに今、それを口に出す気にはならないらしい。


「ドンマイ、雅久」


「「え……」」

 湊輔と雅久は目を丸くして、同時に右を向いた。

 そちらから聞こえた、静かなつぶやきが意外で。


「……なに?」


「「いや、なんでもないです」」


 有紗の細めた切れ長の目と冷たい声音に、湊輔とは雅久は一緒に、すっと背筋を伸ばして前を向いた。


「お兄ちゃん」

 理桜が低い(とが)ったような声音で泰樹を呼んだ。

「ん?」と泰樹が向くなり強く言う。

「そこいるときに、そんな顔しちゃダメ」


「ああ……すまねえ」

 泰樹は呆気なく丸くなり、雅久へと振り返る。

「我妻、悪かったな」


「え、あっ、いやっ」

 雅久は笑顔を浮かべたままうろたえた。

 まさか泰樹に謝られるとは思ってもいなかったのだろう。

「俺っ、全然気にしてないッスよ!」


「そうか」

 泰樹は相変わらずしかめ面のまま、しかし穏やかに答えてまた背中を向けた。


 湊輔は不思議そうに泰樹と理桜を見た。


 立ち位置からすると、理桜から泰樹の浮かべた表情は見えなかったはず。

 きっと声の調子からどんな顔をしているか想像がついたのだろう。

 ホント、妙なところで勘が働くんだよな、妹って。


 ほどなくして残りのメンバーがやってきた。

 まず悠奈ともう一人、先月の半ばあたりから異空間に招かれた塩谷(しおたに)陽向(ひなた)

 湊輔が陽向と一緒に戦ったのはまだ数回。

 それから颯希(さつき)、美結、剣佑(けんすけ)巧聖(こうせい)二菜(にな)耀大(ようだい)海都(かいと)明咲(めいさ)が。


 カウンターにつく一年生の五人は持ち寄った弁当、それと注文した飲み物を。

 テーブル席の二年生と三年生は注文した料理と飲み物を味わった。

 すべて泰樹の奢りらしい。


 前もって泰樹からリレイトで知らされたのは、この日に『喫茶イチゴ』に集合することだけだった。

 まさかこうなるとは思わず、湊輔はいつも通り弁当を持ってきたわけだが、先輩たちは最初から奢ってもらう気満々だったようだ。


「理桜、要件が済んだあとまた呼ぶから、それまで下がっててくれねえか?」


「えー」

 理桜は不満げに唇を尖らせた。


「すまねえ。今から関係者以外対入り禁止だ。盗み聞きもな」


 理桜は申し訳なさそうにする泰樹を睨むように見つめてから、

「仕方ないなー。じゃあ、終わったら呼んでね」

 と笑いながら手を振り、奥に引っ込んでいった。


「ああ、ありがとよ」

 泰樹は普段は見せない、ほころんだ表情を浮かべた。

 理桜を見送ると、客席に向き直った。


「さて……本題だ」


 凄みを帯びた低いハスキーな声に、店内に緊張が張り詰める。

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