八
夜、湊輔は自室で、机に置いているスマートフォンを凝視していた。
約束の時間まであと一分。
今か今かと画面を眺めていると、リレイトにメッセージが入った。
『今大丈夫ですか?』
『大丈夫です』
待ちわびたメッセージに、即座に返信した。
たった数文字打つだけなのにどうしてか、指先がかすかに震えた。
ふぅ、と息をついたところで着信が入った。
一瞬びくついてから、慌ただしくスマートフォンを持ち上げ、おそるおそる応答ボタンに触れた。
「はッ、はい」
声が上ずった。
『遠山くん? ごめんなさい、急にお願いして』
湊輔は途端に放心した。
いつもは少し離れた位置から聞こえていた艶のあるソプラノ。
それが鼓膜のすぐ近くで聞こえて。
『遠山くん?』
「え、あ、うん、だ、大丈夫……」
全然大丈夫じゃない。
まともに話できるのか、これ?
『それで……その……』
有紗が口をつぐんだのか、耳元が静かになった。
「う、うん……?」
聞き返してから、妙に長い時間が流れたように思えた。
壁掛けのデジタル時計を見てみれば、まだ二分とも経っていない。
『今日、授業が始まる前に教室に来たのって……わたしのこと、心配した、から?』
湊輔は息を吸ってから、「うん」と頷いた。
『そう……ありがとう』
どうしてか、通話を始めてから高鳴っていた胸が、いっそう激しさを増した。
もう何度か聞いた一言なのに、今のは、不思議と特別な感じに聞こえて。
「い、いやほら、一緒に戦ってるんだし、それに、き、気づいたら泉さん、倒れてたし、だから、その、も、もし、なにかあったら、い、嫌だ、な、って……」
『うん、ありがとう』
微笑んでいる有紗の顔が目に浮かんだ。
湊輔はいてもたってもいられず、机から離れるとベッドに上がって座り込んだ。
枕を抱え、壁に寄りかかる。
『それで、アレは――至極の山羊はどうなったの? 異空間から戻ってこれたなら、倒したか、自分からいなくなったかのどっちかのはずだけど』
途端に浮かれていた気分が静まった。
別に悪いことじゃない。
それはしっかり伝えるべきだから。
「実は、よく分かってないんだ。柴山先輩と美結さんが追い込んだんだけど、そのあと、いきなり黒い煙に覆われて、煙がなくなったら、アイツの姿がなくなってた」
『煙……? そういえばアレが出てきたとき、放送が流れなかったわ。終わったあとも流れなかったの?』
「うん。すぐに戻された」
『そう……』
漂い出す静寂。
「あのさ」
先に湊輔が切り出した。
「おれの後ろにアイツが出てきてからのこと、教えてほしいんだけど」
『……やっぱり、憶えてないのね』
「うん、ごめん。だから、お願い」
『謝らなくても……。そうね、アレが遠山くんの後ろに現れて、人狼型を斬ったあと、もう一本の鉈を遠山くんに振り下ろしたの』
たぶん、その瞬間発動したんだろうな。
――死逃視眼が。
『遠山くんは振り返って……鉈を弾き返したわ』
湊輔は目を見開いて呆けた。
「弾き返した……? どうやって?」
あんな、バカでかい鉈を?
『どうって、言葉通りよ。剣を両手で持って、アレが動くのに合わせて、ずっと』
「ずっと?」
一度だけじゃないのか?
『そう、ずっと。わたしがアレの頭に中てるまで、ね』
「え……じゃあ、泉さんが倒れてたのって――」
それ以上の言葉を、続けるべきではない。
じゃあ、の時点で止めるべきだった。
思わず口をついてしまったとはいえ、満ち始めた沈黙に湊輔は後悔した。
言い繕うべきか戸惑っていると、有紗の声が聞こえてきた。
『えぇ。あのとき、遠山くんに任せていれば、余計な心配をかけること、なかったと思うの。もしかしたら、先輩たちが合流して、あわよくば倒せていたかもしれないわね』
「そう、だね。……泉さん、思い出してつらくなるとか、ないの? なんか割と、落ち着いてない?」
『……つらくない、って言ったら、うそになるわね』
言葉の割に、先ほど同様口調は淡々としている。
『正直言えば、これでもう戦わなくて済むなら、もう戦いたくないの。今までが優しかったのよ、きっと。いつもみんな一緒に固まって動いて、順調に敵を倒して。でも、もし今日みたいにみんなが散り散りになったら、自分の身は、自分で守るしか、ないもの。そんな自信、ないから』
「だったら……」
湊輔は声を一段強く張り、抱えていた枕を強く握り締めた。
「おれ、ずっと泉さんの近くにいる。だって、おれが一回でも剣を振れば、敵はみんなおれに向くし。囮……そう、おれが囮になれば、泉さんは、ぜ、絶対、安全、だから……」
勢いのままに言い放ったものの、急に不安が込み上げてきた。
言葉の選び方をまちがったとか、自分が聞く側だったら恥ずかしくなるような言い方をしたとか、そんなことが思い浮かんで。
ただそれ以上に、今言ったことを一度でも守れなかったら、最悪だよな、と思えて。
『ありがとう』
湊輔が言い繕おうとするより、有紗が早かった。
『でも、無茶だけはしないで。お願い』
「うん、大丈夫。おれ、無茶とかしないから」
……なんて言ったけど、説得力ないよな。
だってもう、アイツの鉈を弾くとか、とんでもないことやってるし。
けど、試してみるべき、なのかもしれない。
アイツの鉈を弾き返すことができたのは、死逃視眼の力あってこそだけど。
それでも、いつか躱し切れなくなるくらいなら……。
『ずっと気になってたんだけど、今まで遠山くんが助けてくれたのって、先見っていう戦技の力なの?』




