七
モノトーンに染まる屋上に人影二つ。
フェンスに向かって歩み寄る、老顔と礼装のような出で立ちが特徴的なアハト。
その先には、絹糸を思わせる長い銀髪が栄える、旗を携えた麗人。
「なかなか際どいところで駆けつけてくれたな」
駐車場を見下ろす麗人の背に、アハトがしゃがれた渋い声を投げかけた。
麗人が肩越しに振り向いた。
三つ編みにされた長い後ろ髪が揺らめく。
アハトが横に並び立つと、麗人は再び駐車場を見下ろした。
「はい。……ただ、どのみちあの二人の損傷は激しいものかと」
艶のある澄んだ声は、悔やんでいるように低かった。
アハトはおもむろにあごをさすった。
「いや、そなたの助力のおかげで、どちらともまだ長く戦える。今後に差し障るほどでもない」
麗人は切れ長の目を細め、しばし黙り込んでから口を開いた。
「剣がつかまれたときはどうなるものかと思いましたが」
「ふむ」
アハトは目尻にしわを寄せてうなった。
「彼らもバカではない。特にあの者は、かの剣についてよく知っている。ここで持ち帰るようなことはしなかっただろう」
「つまり……視に来ただけ、ということでしょうか?」
「無論」
麗人は目を伏せると、ゆっくり振り返った。
「では、そろそろ戻ります」
「ああ。ご苦労であった――リンドよ」
アハトは目を閉じて、満足げに微笑んだ。
* * *
「はぁ……」
昼休みに入るなり、湊輔は深いため息をついた。
両手で頭を抱えながら。
「おい湊輔、どーしたんだよ、さっき」
雅久が訝しむような声音で尋ねてきた。
「ああ……」
どう答えればいいか分からない。
それどころか、答える気にもなれない。
「遠山くん……」
怯えているような呼び声に、雅久が振り向いた。
「お、佐伯さん……っておいおい、どーしたの?」
今にも泣き出しそうな、浮かない幼顔を見てうろたえた。
「うん……ちょっと、ね。遠山くん……今、いい? あ、我妻くんも一緒でいいからさ」
ついでみたいな悠奈の物言いに、雅久は苦笑いしながらずるりとよろける。
それから湊輔に向いた。
「ほら、お呼びだぜ?」
湊輔は小さく頷くと、頭から両手を離して立ち上がった。
「あ、お弁当持ってきて」と悠奈に言われ、カバンから弁当を取り出した。
教室を出ると、悠奈はA組の教室に入った。
悠奈が戻るまで、湊輔と雅久は廊下で待っていた。
「どうだった?」
雅久が教室から出てきた悠奈に尋ねた。
悠奈は首を横に振った。
「今日はいいって」
「そっか」
雅久はA組の教室を横目でちらりと覗き、歩き出した悠奈についていく。
湊輔も横目を向けた。
艶やかな黒髪がかかる細い背中は、あの惨劇がうそのように、何気ない日常に溶け込んでいた。
A組の教室沿いにまっすぐ歩き、非常階段に出た。
三人を迎えたのは、重苦しい曇天と降りしきる雨の音。
なにを言うでもなく、三人は階段に腰かける。
上に雅久、中に湊輔、下に悠奈、という形で。
「で、どーしたの?」
雅久が弁当を広げながら悠奈に尋ねた。
「うん、えっとね……」
悠奈は体を横向け、湊輔を見上げた。
「遠山くん、体、大丈夫?」
湊輔は頬張ったものを咀嚼しながら頷いた。
そして飲み込んで話し出す。
「大丈夫。どこも痛くないし、おかしくない」
「よかった」
悠奈は安堵したように肩を落とした。
「なあ」
雅久が眉をひそめた。
「今日、戦ったんだろ? 授業の手前でよ? そんなにやべえ相手だったのか?」
湊輔は振り向き、厚い前髪越しに、細めた目で雅久を見据えた。
「……来たんだよ、至極の山羊が」
雅久は目を丸くした。
「マジかよ……」
ボトルの中身を少しだけ飲み、湊輔を覗き込むように屈んだ。
「まさか泉さん、やられたのか……?」
湊輔は顔を背けて俯いた。
それから、急に手が震え出した。
「なあ佐伯さん、なにあったか、知ってんだろ?」
雅久は声を低くして、じれったそうに問いかけた。
悠奈も俯き、深呼吸するとまた顔を上げた。
そして、知っている範囲で、今回の戦いの経緯を伝えた。
人獣型が出てきたこと。
大剣を持った人狼型と戦ったこと。
いつの間にか巨大な敵が現れていたこと。
泰樹と美結がどうにか押し切ったこと。
最後に敵が煙を吐いていなくなったこと。
「至極の山羊、だったっけ、あのおっきな敵」
「おう、確かな」
悠奈の問いに雅久が答えた。
「あたしが気づいたのは、大剣を持った人狼型の……狂戦種っていう、普通のとはちょっと違ったのと戦ってたときなんだよね。美結さんが憑依を使ってから……狂戦種が強くなったころだったかな」
「マジかよ……」
雅久が顔をしかめた。
「美結さんが憑依使うとか……人狼型だろ? 大剣持ってるだけでそんな強えのかよ」
「うーん……」
悠奈は眉根を寄せてうなった。
「剣を持ってるから強いんじゃなくて、狂戦種自体が強いんだよ。柴山先輩が頭に剣を叩きつけたあと起き上がったし、美結さんが斬っても突き刺してもあんまり怯まなかったし」
どこか申し訳なさそうにうな垂れた。
「……だから助けに行くのが……遅れちゃった」
「まあ、それでも全員生き残れたんだから、悪いことばっかじゃねえよな」
雅久はいまだ俯いている湊輔の頭を小突いた。
「湊輔なんか、これで三回目だろ? すごくねーか? やべーヤツと出くわして三回も生き残ってんだぜ? どんだけ強運なんだよ」
「強運っていうより……二回目はアイツがすぐに消えたし、今回は柴山先輩と美結さんがいたからギリギリ生き残れたようなもんだろ――ぃたっ」
雅久が湊輔の背中を叩いた。
「だからそれが強運なんだっつーの! 十死に一生を三回も起こせるんなら、俺にも少し分けろよっ」
「ちょっと待て。それ――」
「十死だと、遠山くん生きてないよね」
悠奈が小さく笑った。
湊輔はため息をついた。「九死に一生、だぞ」
「はっ」と雅久はおどけるように笑った。
「十回死んで生き返ったってことでよくね?」
「よ――」くない……。
湊輔は反射的に、出かけた言葉を引っ込めた。
そういえば……あの瞬間なにがあった?
泉さんが叫んで、後ろにアイツがいて、その間、なにがあった?
「佐伯さん」
呼びかけたと同時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
「なに?」と悠奈が小首を傾げたが、どう尋ねればいいか、言葉が出てこない。
「あ、いや……ごめん、なんでもない」
悠奈がなにか言っているものの、どうしてかスマートフォンのほうが気になった。
取り出して画面を開くと、リレイトからの通知が。
表示されていた名前は『泉有紗』。
すかさずリレイトを開いて確認すると、
『今日の夜、電話できますか?』
と一言。
『できます。何時ごろがいいですか?』
敬語で来たから、思わず敬語で返信した。
「お? 誰からだよ?」
雅久が覗き込んできて、湊輔は咄嗟に画面を閉じた。
すると雅久は意味ありげににやりと笑い、「ふーん」と声を漏らした。
なんなんだよ……って、訊くのはやめとこ。
絶対調子に乗って問い詰めてくるから。
湊輔は鬱陶しそうに顔を背けた。
すると、グラウンドが強い日差しに照らされているのが見えた。
陽光を反射させた水溜まりが、まばゆく輝いている。
まもなくチャイムが鳴った。
「そーいや至極の山羊って、倒したことになってんのか?」
雅久が空になった弁当箱をしまいながら尋ねた。
「うーん……どうだろ?」
弁当箱をしまい終えた悠奈が立ち上がった。
「至極の山羊が出てきたときも、いなくなったときも、放送流れなかったんだよね」
雅久は気難しそうな顔をした。
「てことは、倒し切ってねえってことか」
そういうことになるんだよな、と思いつつ、湊輔は眉をひそめた。
「ぃてっ」
雅久に肩を叩かれた。
「もしまた出てきたら、一緒にぶっ潰してやろうぜッ。四度目の正直ってやつだ」
雅久は不敵に笑いながら拳を突き出した。
「まあ……一緒になれたら、な――いてぇっ」
雅久は湊輔の肩を思い切り叩いて、「ほら早く戻るぞ」と陽気に声を弾ませ、非常階段をあとにした。
正直、四度も五度もあってほしくない。
……でも、それじゃ、ダメなんだよな。
だってアイツは、泉さんを手にかけた。
その分だけは、絶対、なにがなんでも、返してやらないと。




