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 人狼型(ワーウルフ)の、必殺とも思える凶刃の一撃をからくも躱し、湊輔はすかさずあたりをうかがう。

 どこだ?

 どこにいる?

 今、確かに感じた。

 あの締めつけるような気持ち悪さを。


 駐車場にいるのは、狂暴化した人狼型(ワーウルフ)と、弓を引く有紗。


 A棟校舎前の道路には、もう一体の人狼型(ワーウルフ)と悠奈。

 そして、先ほどとは打って変わり、しなやかに激しく動き回り、流麗で鋭い軌跡を描く美結。


 泰樹の姿は見えない。

 現れた人狼型(ワーウルフ)は四体。

 そのうち二体が北東と南東にいると有紗が言っていた。

 ということは、合流を避けるために南東の敵を引き連れ、北東にあるテニスコートあたりにでも行っているのかもしれない。


 狂暴化した人狼型(ワーウルフ)はなおも苛烈に大剣を振り回す。

 左手だけで得物を握り、切っ先が地面を引っかこうとも気にする素振りはない。

 湊輔が躱せば躱すほど、アスファルトに何本もの爪痕が刻み込まれる。


 ただ、攻撃の動作が明らかに遅くなっている。

 気のせいか、無駄な動きも見せるようになった。

 無駄というよりも大げさ。

 そうしなければ振れないように、ぎこちなくなっている。


 少しずつ回避に余裕ができて、湊輔はふと気づいた。

「泉さん! 矢は!?」


 有紗はつがえている矢を放つと、横目で矢筒を確認した。

「もう十本もないわ!」


「まずい……」

 湊輔は眉をひそめた。

「泉さんッ、頭狙って!」


 アイツがいるかもしれないのに矢の残りが少なすぎる。

 いや、今回アイツと戦うことになるなんて、誰も思わないだろ。


 有紗は人狼型(ワーウルフ)の斜め後ろから、右半身側に移動して弓弦を引き絞った。

 矢じりが見据えるのは、獰猛な面持ちを浮かべた狼の頭。


――【渾撃(ホールブロウ)】【流転避(ロールシフト)


 人狼型(ワーウルフ)が大剣を叩きつけた瞬間。

 湊輔はそこを狙って肉迫した。

「らあッ!」

 振り下ろした月白の剣は、巨影の左前腕を斬りつける。

 浅い。

 浅すぎる。

 まるで筋肉自体が(よろい)にでもなっているよう。

 手首なら、関節ならどうだろうか。

 あわよくば斬り落とせたかもしれない。


 拳で反撃されるより早く、後転して離脱する。

 先見(ゼロサイト)が示した通り、人狼型(ワーウルフ)は左腕を払った。

 痛烈な一撃と叩き込むというより、鬱陶しい羽虫を追い払うように。


「逃げて!」


「――え?」


 有紗の甲高い絶叫に湊輔が振り向くよりずっと早く、重厚な風音が目の前を薙いだ。

 左上腕から右上腕にかけて真一文字に分断された、巨影の体。

 肩と頭、胸から下と分かれた肉塊は、むなしく地面に転がった。

 のたうつ大剣は、主を失って泣き喚いているよう。


「早く逃げて……!」


 耳をつんざいた悲鳴は、明らかに震えていた。


 分かってる。

 解ってるから。

 逃げないといけないって。

 真後ろにいるのは、紛れもないアイツだから。

 でも、それなのに、体が動かない――


 時が、ひどく緩やかに流れる。

 そして瞬く間に、視界から光が消え失せた。


 目蓋を開いた感覚がした。

 しかし、見えたのは闇。

 本当に目蓋を開いたのか疑いたくなるほど、そこには闇があった。


 ふと手を伸ばしてみる。

 見えた。

 自分の手が、はっきり見えた。

 どうやら、しっかり目を開いているらしい。

 足下に視線を落とした。

 学校指定の内履き、それに制服のスラックス、上着までちゃんと見える。


 しかし右手には月白の剣が握られていない。

 どこだ、と探すように周りを見渡してみるものの、あるのはやはり、闇だけ。


 一歩、おそるおそる踏み出してみる。

 歩ける。

 地面がある。

 墨で塗りつぶしたような、いや、墨よりずっと深い黒――漆黒の地面が。


 あたり一面、同じ色に包まれている。

 ここがどれだけの広さなのか、方角がどうなっているか、まるで分らない。


 ただただ、ゆっくりと進んでみる。

 何歩進んだのだろうか。

 伸ばした手の指先に、なにかが当たった。

 冷たく、つるつると滑らかな手触り。

 手を上に動かすと、それはずっと続いている。

 まるで金属の壁。


 ――「ウアアアアアアァァァッ……!」


 突然、絶叫がこだました。

 泣き叫ぶように上ずっている。

 振り返ってみても、誰の姿も見えない。


 ――「有紗アアアァァァ……!」


 ……有紗?

 なんで、その名前を?


 ――「テメエエエェェェ……!」


 大口を開き、大粒の涙をこぼしている――そんな表情が思い浮かんだ。

 それよりも、この声、聞き覚えがある。


「おいッ……」


 思わず踏み出した瞬間、視界が真っ白く爆ぜた。


 目の前に、極めて黒に近い赤紫――至極(しごく)色の巨体がそびえ立っていた。


 下半身が馬脚の、筋骨隆々たる人間の体。

 広大なコウモリの翼。

 ねじ曲がった角を生やした馬の頭。

 二本一対の長大な(なた)

 ――至極の山羊(バフォメット)


 これほど間近で見たのは、初めて異空間に招かれたとき以来だ。

 頭上から襲いかかってきた悪魔の姿が鮮明に再燃する。


 同時、視界の上端が赤く染まる。

 湊輔が咄嗟に流転避(ロールシフト)で避けると、半瞬前の位置に大木のような馬脚が降ってきた。

 ドゴォン! と(ひづめ)が重々しい音を鳴らし、アスファルトの地面を浅く陥没させる。


「――ッ!」


 反射的に体が動き、後ろに転がった。

 ほんの寸刻の差で、長大な鉈の切っ先が地面に突き刺さる。

 背筋に冷たいものが走り、耳まで伝わるほど鼓動が激しく荒ぶり出した。


「なんで……」


 もう一本の鉈が振りかぶられるのを見て、すかさず右に跳ぶ。


先見(ゼロサイト)に……」


 今度は鉈が二本同時に、左右の斜め上から迫りくる。

 前に跳び、転がり、巨体の股下をくぐり抜けた。


「追いついてんだよ……」


 そう投げかけずにはいられなかった。


 至極の山羊(バフォメット)は翼を羽ばたかせ、小さく飛び上がって翻った。


 また鉈が二本同時に、今度は真上から降り注いだ。

 湊輔は左に跳ぶように転がり、すんでのところで直撃を免れた。

 はずだった――


 声を上げることもなく、湊輔の体が吹き飛んだ。

 垂直に振り下ろされた鉈が、間髪入れず薙ぎ払われたから。

 わずかばかり勢いよく浮遊したあと、地面と衝突し、水切りする石のように何度か跳ねながら転がる。

 その間、視界と意識が激しく揺さぶられた。


「あ……ぁぁ……」


 声にならない、かすれた音がのどの奥から漏れ出た。

 ほんの少しでも動けば意識が飛びそうなほど、全身が痛い。

 いや、こうして意識があるのが不思議なんだけど。


「く……うぅ……」


 湊輔はおもむろに頭を上向けた。

 ない。

 いつも手元に収まっている得物がない。

 痛みにうめく体を押して、それを探し求めた。


 横倒しになった視界が移ろった先。


 あった。

 剣があった。

 拾わないと。

 つかまないと。

 でも、届かない。

 いや、手を伸ばしたくても、痛い。

 体、痛くて、伸ばせない。

 無理だ。


 ズンッ、ズンッと少しずつ蹄の音が近づいてくる。

 死がじわじわと迫っているような、重々しくて冷酷な音色。

 それが鳴るたび、心臓が下から突き上げられる。


「い、や……だ……」

 死にたくない。

 死にたくないっ……。

 死にたくないッ……!

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