八
雅久の顔が視界に映ると、湊輔はため息をついて俯いた。
「おいおい」
机に寄りかかっていた雅久が半笑いした。
「自分がしゃべってる最中にため息つくやつがあるかよ」
「いや……」
あるんだよ。
ほら、お前の目の前にいるやつが。
「実はさ」
言いかけて、ふと時計を見た。
「とりあえず、昼休みに話すから」
湊輔があごで時計を指すと雅久は振り返り、すぐに向き直った。
「だな」
立ち上がり、自分の席に戻っていく。
* * *
「おい湊輔」
昼休みを迎えると、寄ってきた雅久が教室奥側の扉を目で指した。
見れば、これまでは誘われる側だった有紗の姿が。
湊輔は弁当を持って、雅久を追いかける形で廊下に向かう。
「あれ泉さん、誰か探してんの?」
教室から出るや、雅久がわざとらしく訊いた。
有紗は首を横に振った。
「今日は、ちょっと……」
言いよどんで一度目を伏せたあと、面持ちをきりっと引き締めて続ける。
「とにかく、屋上に行きましょう?」
屋上に出て、これまで通りベンチをセットして、これまで通りに腰かける。
フェンス側に湊輔と雅久、向かい側に有紗と。
「で、なんつってたっけ?」
弁当を食べ始めたところで、雅久が切り出した。
「ま、ま……マンティス?」
「いや、獅子型」
湊輔はため息混じりに訂正した。
「マンティスって、カマキリだったような……」
「その獅子型がどうしたって?」
「獅子型っていうより……」
湊輔は、あのあと再び異空間に招かれたときの話をした。
魔郷の眷属の、巨大で異様な雄鶏とトナカイが出てきたことを。
三年の先輩がいない中、どうにか勝利できたことを。
雅久は無言のままずっと、真剣に話を聞きながら弁当の品を頬張っていた。
湊輔の話が落ち着いたところで、ボトルを口元で小さく傾けた。
「てことは俺も、二回戦目に呼ばれる可能性があるってわけだ」
「たぶん」
湊輔は力なく頷いた。
「ねぇ」
有紗が割り込んだ。
二人が視線を向けると、どこか言いにくそうに間を置く。
まもなく意を決したように湊輔を見据えた。
「あの鶏と戦ったとき……わたしを助けてくれたこと、憶えてる……?」
わずかに凄みを帯びたようなソプラノに、湊輔は思わず息を呑んだ。
一度目を伏せ、頷く。
「憶えてる。泉さんを突き飛ばす、あたりまでは……」
「そう……」
有紗は伏し目がちに「よかった」とつぶやいた。
湊輔は呆気に取られた。
有紗がはっきり微笑んで。
そういえば、こうして話しているときに笑った顔を見たのは、これが初めてかもしれない。
「それで……助けてもらってばかりだし、その、よかったら――」
有紗の言葉は、乱暴に開け放たれた塔屋の扉の音に遮られた。
三人は揃ってそちらに顔を向ける。
「あれ……寺沢先輩じゃん」
雅久がつぶやいた通り、出てきたのは海都。
足早にまっすぐ、こちらに向かってくる。
その後ろには、目に見えて不穏な面持ちの明咲がいた。
海都は二人が座るベンチのそばに着くなり、湊輔の胸倉につかみかかった。
「海都ッ」
明咲が声を張り上げ、雅久と有紗は険しい面持ちになった。
「やめなって!」
明咲に肩をつかまれた海都は、すぐさま振りほどいた。
「なあ、てめえマジで二百二十五かよ……? あの鶏ヤロウの棍棒ぶっ飛ばして、脚ぶった斬ったんだって? シバさんでもあるめえし、どんな手え使ったんだよ、ぁあッ!?」
「そ、それは……おれは……」
湊輔は海都の剣幕に気圧され、目を泳がせて口ごもる。
「てめえ……最初っからそのつもりで明咲をこっちに寄越したんだろ? 俺より明咲の総合が高えの知ってて、こっちに来させたんだろ!? なめてんじゃねえぞ!」
海都は湊輔を押しのけるように放り出した。
湊輔は背中をベンチの背もたれに打ちつけて、たまらず顔をしかめた。
「おい……!」
雅久がつかみかからんばかりの勢いで立ち上がった。
「あ……」
直後なにかに気づき、視線を海都からそらした。
湊輔もまた、塔屋から出てきた人影を見て呆けた。
「よう」
低いハスキーな声に、海都は瞬く間に顔を青ざめた。
おそるおそる、ゆっくりと振り返る。
「シバさん……」
泰樹だ。
鬼の形相というよりも、どこか冷たいしかめ面を浮かべている。
「おうおう、なぁんか面白えことしてんな」
「颯希ちゃん……しぃー……」
その後ろで颯希が半笑いを浮かべ、美結が颯希の唇に人差し指を当てた。
「長岡、ちょっと静かにしてろ」
「はいよ」
泰樹の押し殺したような声に、颯希はおどけるように肩をすくめた。
「間に合った、のかな……?」
颯希と美結の後ろで、二菜が肩を落とした。
「寺沢、今日の放課後、時間あるか?」
「え……あ、あります……」
泰樹の淡々とした低い声音に、海都は覇気のない声で答えた。
「そうか。とりあえずおめえは先に戻りな」
「……はい」
海都は力なく俯き、すごすごと校舎の中に戻っていった。
その背中を見送ると、泰樹は困り顔を浮かべては「さて……」と力なくつぶやいた。
「丸山、深井、なにがあった? 聞かせな」
二菜は颯希と美結の後ろから出て、明咲と並ぶと事の経緯を話し始めた。
時折明咲が補足を加える。
泰樹はそれを聞き終えると、「そうか」と顔色一つ変えずに頷いた。
「遠山」
泰樹の声は静かで落ち着いているのに、湊輔は少しばかりびくついた。
「おめえは自分ができることと、丸山や寺沢ができることを考えて動いた。だからその判断はまちがっちゃいねえ」
泰樹の言葉に、湊輔はかすかに安堵の息を吐いた。
「だがな……正しい判断だとしても、いい結果で終わったとしても、癪に障るやつだっている。もし突っかかられても、堂々としてな。じゃねえと、相手はどこまでもつけあがるぞ」
湊輔は息を呑んでから、
「はいッ……」
と小さく、しかし力強く返事をした。
そこでちょうどチャイムが鳴った。
「うっし、戻るか」と言った颯希を先頭に、美結、二菜、明咲、泰樹が塔屋に向かった。
湊輔、雅久、有紗は手早く弁当箱を片付け、そして湊輔は雅久と共にベンチを戻した。
湊輔が最後に塔屋の中に入ったところで、「遠山」と泰樹に呼び止められた。
有紗と雅久も足を止めるものの、「おめえらは先に行きな」と言われて教室に戻っていった。
「一応俺からも寺沢には念を押しとくが、あんま期待すんな。それでも、おめえはおめえで、細けえこと気にしねえで戦いな。そのほうが、今回みてえにうまくいくからよ」
そう言い残すと、泰樹はその場をあとにした。
湊輔は海都に詰め寄られたとき、あの判断がまちがっていたのかと戸惑った。
だが、あの判断がまちがっていないと泰樹に言われて、頬を緩めずにはいられなかった。
* * *
「滅紫の幽騎を撃退し、藤色の雄鶏を撃破、か」
モノトーンに染まったグラウンドに、アハトのしゃがれた渋い声が漂った。
「この短期間でこれほどの成長を見せるとは……」
「能力は全般的に低いんだけど」
アインが横たわる藤色の塊を眺めながら答えた。
「やっぱり――」
アハトに向けた笑みはどこか意味ありげ。
「それはさておいて、通告はいつするのだ? 前もってしておかねば、しかるときに不都合を招きかねんぞ」
アハトが険しく目尻にしわを寄せるものの、アインは余裕綽々といったふうに、
「それなら大丈夫大丈夫」
と陽気に答えた。




