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「――ッ!」

 湊輔はすかさず身を翻した。

 考えるより先に、まるで本能に突き動かされたように。

 巨体が構えた瞬間、視界に赤い光跡は浮かび上がらなかった。


――【縮地(シュリンク)


 体は吹き荒ぶ風のように疾駆する。

 十歩そこらの短い距離を。

 見開かれた切れ長の目と視線が交わった。

「逃げて……!」

 声を振り絞り、左手を突き出した。

 腕力などたいしてないはずなのに、有紗の体が小さく浮いて遠のいた。


「――ダメッ……!」

 愕然(がくぜん)と引きつった声、表情。


 それを見て思わず、

「よかった」

 と安堵(あんど)したような声が漏れた。


 時が、ひどく緩やかに流れ始める。


 右の僧帽筋あたりに、なにかが食い込んできた。

 制服と肉が裂かれ、骨の砕ける音が、じっくり、生々しく間延びする。

 直後、体は宙を舞った。

 自由落下ではない速度で地面に迫る。

 やがて水風船が割れるような、飛沫の音が弾けた。

 紅い潮が、鮮やかに舞い散る。


 誰も死なせんな。


 守れた。


 おれ――有紗を守れた。


 (ほお)に伝うなにかを感じたのを最後に、暗く閉ざされた視界。

 そして、すぐさま強制的な覚醒に襲われた。

 開かれた視界に映ったのは、見開かれた切れ長の目。

 伸ばした左手。

 遠のく有紗の、愕然と引きつった表情と間延びした声。


 最後まで見届けるより早く、体は急制動をかけるや振り返った。


 視界に映った光跡めがけ、得物を振り払う。

 間髪入れず巨体の足下に駆け込み、視界の右上から左下にかけて、月白の刀身を(ひらめ)かせた。

 立て続けに放たれた真一文字の一閃。

 そこで視界が真っ白に爆ぜた。


 気づけば、目に飛び込んできたのは、吹き荒んだ直後の光景。

 左手が有紗を突き飛ばすより早く、体が急制動をかけた。

 そして、

「――ダメッ……!」

 聞き覚えのある声が耳をつんざいた。


 ――「有紗ヲ狙ウンジャネエヨ」


 誰かの声が顔のすぐ近くでこだました。

 血肉に飢えた肉食獣のように、狂暴な気を醸している。

 同時、血流に乗ったように、足下からせり上がってくる。

 憤怒が。

 憎悪が。

 殺意が。

 冷たい。

 灼熱感を飲み込む勢いで、足下から全身が凍結していく。


 ――「トットトクタバレ、畜生ガ」


 冷たくなった右手に、より冷たい誰かの手が被さった――そんな感触がした。


 ――「斬ラセロ、オレニ。オ前ジャ、ダメダ」


 なんで?

 いや、それより、誰だよ、お前。


 誰かが、血走った横目を向けてきた――そんな気がした。


 ――「ウルセエ」


――【打流(パリイ)


 体が勢いよく右に翻り、得物を振り払った。

 カアン! と乾いた硬質な音が響き、降りかかってきた棍棒が吹き飛んだ。


――【縮地(シュリンク)】【渾撃(ホールブロウ)


 吹き荒ぶ風のごとく、体は雄鶏の左脚へと急迫する。

「コレデエッ……!」

 左足を踏み込んでは、右肩にかつぐように構えた月白の剣を振り下ろした。

 袈裟斬りは不快な切削(せっさく)音をかき鳴らし、標的に深々と爪痕を刻み込む。


――【終一閃(エクストラ)


(シメ)エダアッ!」


 左腰に据わった得物を、右薙ぎに抜き放つ。

 飛沫のように一閃が爆ぜ、雄鶏の左脚が分断された。

 直後、体はすぐさま跳ねるように後退し、崩落する巨体から免れた。


 ――「ザマアミヤガレ……」

 誰かの声が満足げにつぶやいた。


「――また……」

 湊輔は目に飛び込んできた光景に呆然とした。

 倒れ伏している雄鶏。

 (しび)れているような感覚を帯びている右腕。

死逃視眼(デッドサイト)が……?」


「早く! とどめを!」


 悲鳴のような荒々しい声が背中を打った。

 そうだ、今度こそ終わらせないと。


 雄鶏がぎこちなく頭をもたげ、こちらを睨んだ。

 瞬間、視界の上から赤い光跡が降り注いだ。

 反射的に流転避(ロールシフト)で躱す。

 敵が()いつくばりながら、右腕を叩きつけてきた。

 あの棍棒は……?

 いや、いい。

 ないならないで、それでいい。


「けど……」

 どうやってとどめを刺す?

 コイツはまだ動ける。

 いや、生存本能と怒りと執念で動いてる、そんな感じ。


 また雄鶏が右腕を振りかざした。

 半瞬遅れ、支えにしていた左腕から炸裂音がこだました。

 途端に巨体が崩れ落ちる。

 ここだ。

 ここで、今度こそ、終わらせる。


――【縮地(シュリンク)


 踏み込んだ瞬間、湊輔が意図したわけでもなく、体が吹き荒んだ。

 あっという間に雄鶏の頭に辿り着く。


――【渾撃(ホールブロウ)


「だあああッ!」

 勢いに乗せ、月白の剣を上段から振り下ろした。

 右腕から全身に伝播(でんぱ)する、衝撃の反作用。

 まさに渾身の一撃。

 直撃の瞬間、雄鶏の巨体が痙攣するように小さく跳ねた。


「はあっ……はあ……はぁ……」

 湊輔は覚束ない足取りで後ずさる。

「頼むから……もう、これで、終わってくれ……」

 泣きすがるような声を、微動だにしなくなった藤色の巨体に吐きつけた。

 やがて全身から力が抜け、尻餅をつく。

 そして押し寄せてくる、とてつもない疲労感と虚無感。


 なんとなしに西を見渡すと、横たわる鳩羽色の巨体が。

 それとこちらに向かって駆けてくる人影が一つと、歩いてくる人影が一つ。

「湊くん!」

 と不安げな声が背後から聞こえてきた。


『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、魔郷の眷属(ドォンケルハイト)の全滅を確認。繰り返しまぁす。魔郷の眷属の全滅、確認しましたぁ。うわー、すごいよー。三年生のみんながいなくてもちゃーんと倒せたねぇ。えらいえらいッ。お疲れ様ぁ。また今度も頑張ってねぇ。以上ッ。……ぴーんぽーんぱーんぽーん』


 間延びした少年声が放送から流れた。

 すぐさま視界が揺らぎ、これまで辿った経路を逆流するように、景色が移りゆく。

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