六
見れば、荒波のごとく叩き込まれるトナカイの握り拳を、海都が霞脚を続けて横に後ろにと避け続けている。
時折かすめているような際どい一撃があり、これ以上長引けば、いつか絶対直撃する。
後ろ脚よりずっと太い腕に殴られれば、骨ごと呆気なく砕かれるに違いない。
くすぶっていた焦りが燃え始めた。
攻められないとか、勝てないとか、戻れないとか、違う。
そんなんじゃ、ないだろ。
「誰も、死ぬな……死なせんな……」
つい先ほど聞いた言葉を口ずさむ。
けたたましく鳴り続ける金属音といななきの中、それはむなしく消え入った。
湊輔は駆け出す。
明咲に棍棒を振り続ける雄鶏めがけて。
まもなく視界を赤い光跡が横断した。
逃げるな。
逃げるな……!
――【流転避】
「うあああッ!」
思い切ってそれに跳び込む。
体が一回転した直後、背後で野太い風切り音が吹き抜けた。
逃げると思った相手が視界から消えたように見えて、呆気に取られたか。
巨体の動きが止まった。
――【破突】【抉牙】
ほんの一瞬の隙。
「だあああッ!」
潜り込んだ足下、左ももめがけ、月白の剣を突き込んだ。
肉を食い破るような感触を覚えるより早く、刃をめいっぱい揺さぶる。
そしてより深くねじ込み、
「くうぅッ」
一気に引き抜いた。
「クァアアア!」
驚愕を帯びたような鳴き声を聞き流しつつ、巨体の背後に向けて流転避を繰り返した。
「丸山先輩! 向こうに行ってください!」
立ち上がり、振り返りざま叫んだ。
もう、そうしないと、勝てない気がして。
直後、意識が激しく揺れるような熱さに見舞われた。
熱波を浴びたような灼熱感。
皮膚が焼け、ただれ、全身が溶けてしまいそうなほど。
頭がボーっとしてきて、視界もうっすらぼやけ始めた。
「ふぅッ……」
視界の上端から赤い光跡が降ってきて、咄嗟に後転した。
半瞬後、ドゴッと鈍い音が聞こえた。
ぼやける視界の先で、棍棒の突起が地面に突き刺さっている。
「バカッ、できるわけないっしょ!」
明咲が声を張り上げているはずなのに、やたら遠く聞こえる。
また視界に赤い光跡が走った。
湊輔はすかさず流転避で左に避ける。
「じゃないとッ……」
自分の発した声すら、他人のもののように遠く感じる。
朧気でふらふらした意識の中、また転がった。
空を薙ぐ野太い音が、かすかに聞こえた。
「いつになってもッ……」
転がった直後、顔になにか当たったような気がした。
いくつもの細かい感触。
今のは、たぶん、飛び散った土だ。
「終わらないんですよッ」
ありったけ叫んでるつもりなのに、やはりどこか遠い。
「でもッ」
「行ってください!」
明咲の上ずった声を、鋭い怒号が遮った。
有紗が叫んだのが意外だったか、明咲は体をひねって後ろを見た。
「俺だってッ」
「少しくらいッ」
流転避を重ねた先に生まれた、わずかな余裕。
「……できますから、時間稼ぎ」
湊輔はぎこちなく繕った笑顔を、明らかに動揺を見せる明咲に送った。
直後視界に赤い光跡が走り、また転がって躱す。
明咲は遠ざかっていく雄鶏を見ながら、思い悩んでいるように立ち尽くしていた。
「さっきは、すみません」と無機質な声音が聞こえて振り返る。
「でも、行ってください。湊輔は――遠山くんは、私が援護しますから……」
途中、一瞬泳いだ有紗の目。
明咲は少しばかり呆けたあと、柔らかい微笑を浮かべて「分かった」と一言。
雄鶏の背に向き直り、数歩進み出た。
「湊輔! ちょっとだけお願い! すぐッ……すぐ終わらせてくるからッ!」
言い終えるや、砂ぼこりを巻き上げる勢いで去っていった。
湊輔は荒ぶる雄鶏越しに、遠ざかる桜髪を見送った。
これでいい。
そうだ、これでいいんだ。
これで戦況が覆る。
そう確信に近いものを感じたはずなのに、呼吸がままならなくなるような緊張感が迸った。
雄鶏に狙われ始めたときのほうが、まだマシだった。
身体が震える。
ついに自分だけになったと思った途端、怖気づいてしまったらしい。
先輩、よく一人でこんなの、相手にしてたよな。
何度も、何度も、雄鶏は手を休めることなく棍棒を振るってくる。
息切れや疲れなどといった概念がないように、延々と。
視界に赤い光跡が走るたび、湊輔はふらつきながらもどうにか避けて、避けて、避け続ける。
その最中、ボーっとしていた意識やぼやけていた視界が徐々にはっきりしてきた。
もちろん、聴覚の異常も収まってきた。
雄鶏がまた小さく跳び上がり、赤い光跡が見えて、それから逃れた。
巨体が着地して棍棒が地面に直撃した瞬間、パァン! と炸裂音がこだまし、「クゥァッ……!」と情けない悲鳴が被さった。
湊輔が起き上がるのと同時、雄鶏が左脚から沈み込んで横転した。
なんだ、いきなり?
いや、それより、やるなら今だっ……!
湊輔は素早く、雄鶏の首元に駆け寄った。
――【破突】【抉牙】
「だあああッ!」
くちばしのすぐ下――のど元に切っ先を突き入れる。
不思議と、先ほどよりも深々と食い込んだ。
ただ、そこまで行くと揺さぶるのがきつくなる。
「らあああッ!」
それでも力任せに、刀身を折らんばかりに無理やり揺さぶった。
ねじ込む余裕はない。
視界の上端が赤く染まったから。
すぐさま得物を引き抜き、流転避を続けて離脱した。
「コャ……カヒャ……」
雄鶏が首から上を痙攣させながら、鳴き声にもならないかすれた声を漏らした。
「はあッ……はあ……はぁ……」
湊輔は雄鶏を睨みながら、前のめりになって肩を上下させた。
終わった?
いや、もう、これで終わってほしい。
雄鶏はくちばしをあらん限りに開き、首から上だけで生きているように悶えている。
「遠山くん……」とか細い声が聞こえて、おもむろにそちらを見た。
有紗が訝しむような表情で、雄鶏を見据えながら歩み寄ってきた。
「大丈夫? 体、つらくない?」
「……うん、大丈夫。もう、なんともないから――下がって!」
湊輔が有紗をかばうように右手をかざすのと同時、雄鶏が激しく動き出した。
全身をばたつかせ、空気を噴くようなかすれた音を鳴らして。
湊輔は有紗と一緒に十歩ほど後退してから、
「泉さん、もっと下がって……!」
有紗を優しく突き放し、得物を構え直した。
やがて雄鶏が、むくりと立ち上がった。
こちらを凝視しながら、ゆらりと掲げた棍棒を振り下ろす。
また掲げては振り下ろした。
それを何度も続ける。
ようやく動きを止めたところで、前傾して吠え猛た。
いななきではない、空気が勢いよく漏れる音。
湊輔は雄鶏の頭を見た。
正面から見ても分かる。
視線をせわしなく動かしている。
こっちと、たぶん、後ろ――
背後で弓弦を引き絞る音が聞こえた。
さらに、弓がうなる音がした。
ギリギリと二度。
そして三度目のうなりの直後、弦音が鳴った。
同時、雄鶏が棍棒を振りかざし、大きく跳躍した。




