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 後退していた湊輔は素早く振り返る。

 途端、視界の中心から膨張する、染みのような赤い円。

 素早く獅子型(マンティコア)の進路から外れる。

 だが、早すぎたか――


「「湊輔ッ」」


「湊くん!」


「ぐぅっ……」


 湊輔は巨影の突進をもろにくらって吹っ飛んだ。

 まさか獅子型(マンティコア)が少しずつ進路をずらしてくるとは思いもせず。

 直前、視界の左端は確かに赤く染まった。

 だが、跳び込んで避ける暇などなかった。


 妙に長く感じる浮遊のあと、次々と全身のあちこちに鈍い痛みが走る。

 それに加え、平衡感覚がおかしくなるほど、視界がぐるぐる回る。

 またかよ……。

 でも、前よりマシだ。

 意識が飛ぶほどじゃない。


「湊輔ッ、起きて!」


 明咲の声に、湊輔はふと横目で空を仰いだ。

 灰色の空に(にじ)む灰黒色の影。

 いっそう激しく高鳴り出す鼓動。

 避けろ、避けろッ、避けろッ!


「くっそぉ……!」


 湊輔はふらつきながら起き上がるなり、地面を蹴って前方へと大きく跳び込んだ。

 再び覚えた浮遊感。

 やや遅れて、重厚な音と振動が波紋のように広がっていく。

 湊輔は見た。地面のほこりや小石がわずかに浮き上がるのを。


 やがて胸元から着地して、肺を圧迫した痛みに顔をしかめる。

 のんびり(もだ)えている暇などない。

 肩越しに、振り上げられた獣の前脚が見えた。

 すぐさま流転避(ロールシフト)で離脱。

 半瞬後、獅子型(マンティコア)が凄烈な一撃を叩きつけた。


 さらに次々と、執拗に降り注ぐ巨影の鉄槌。

 何度か転げ回ってから、湊輔はふらつきながらも獅子型(マンティコア)と向き合った。

 このまま前を逃げ回ってても、いつか追いつかれる。

 だったら、前脚も尻尾も届かない位置に行けば。


 視界に赤い光跡が走ったところで、巨影の左側面に転がり込んだ。

「よし……」

 あとは次にコイツが軸合わせをしたところで逃げればいい。

 そう考えた矢先――


「なんで……!」

 赤く染まった視界の左端。

 すかさず右に倒れ込むように流転避(ロールシフト)

「そんなのありかよ……」


 半瞬前の湊輔を、獅子型(マンティコア)の背から垂れる太い帯が貫いた。

 体毛の一部かなにかだと見ていたそれは、銅よろしく硬くしなやか。

 本体とは別で意思を持っているように、蛇のごとく襲いかかってきた。


 視界に赤い光跡が縦断する。

 湊輔は逃げようとして、一息遅れた。

 しまった――


 突如、眼前に春風が吹き抜けた。

 急制動がかかり、しだれ桜が左になびく。


――【反衝牙(リジェクトバイト)


「いい加減にッ――」

 明咲が巨影の前脚を円盾(ラウンドシールド)で弾き、

「しろやボケがあッ!」

 間髪入れず、両刃槍(パルチザン)を勢いよく突き出した。

 ドスの効いた声と共に放たれた一撃が、石膏像の左目を穿(うが)った。


「ガアアアアアアアアアッ!」


 獅子型(マンティコア)は絶叫を上げながら大きく退いた。

 穂先は根本近くまで深々と突き刺さり、普通の生物なら脳まで達しているはず。


 巨影は動きを止めると倒れ伏し、しかし「ウウウ……」と忌まわしそうにうなりを上げた。

 湊輔は戦慄した。

 まだ動けるのか、と。


――【霞脚(ヘイズステップ)】【烈破突(ガネットレイト)】【抉牙(バイト)


「おらあッ――」

 海都が超速をもって、巨影の頭の横に詰め寄った。

「隙ありいッ!」

 言葉通り、明咲と湊輔を(にら)みつけて隙だらけな横顔に刃を突き入れた。

 それを力任せに揺さぶり、より深くねじ込み、引き抜いた。


「ガッ……アアァ……」

 獅子型(マンティコア)は倒れ伏してもなお、前脚を踏ん張って起き上がろうとしている。


「たく……しぶてえんだよ」

 海都は蔑むように見下ろしながら、刀身を右肩にかつぐように構えた。


――【破甲撃(ブレイクブロウ)


 左腕を引きながら体をひねり、柳葉刀を勢いよく振り下ろす。

 上段斬りは石膏像の顔を真っ二つに叩き割った。

 最期の一声を上げることもなく、沈黙する獅子型(マンティコア)


「はっ、ざまあみやがれ」


 明咲と海都の怒涛(どとう)の猛攻を、湊輔は呆然(ぼうぜん)と眺めていた。

「湊輔」と呼ばれ、はっと我に返る。


「大丈夫?」

 明咲が心配そうな面持ちで覗き込んできた。


 湊輔はぎこちなく(うなず)く。

「あ……はい……大丈夫、です」


「湊くん湊くんッ」

 二菜が慌ただしく駆け寄ってきた。

 明咲よりも深刻な面持ちで。

「大丈夫!? 体におかしいところ、ない?」


「え、ええ……まあ……」

 湊輔はふと左手を見た。

 親指から薬指にかけて、赤、青、黄、白の帯がうっすら浮かんでいる。

 特に青と白の帯がなければ、獅子型(マンティコア)に吹き飛ばされたときに戦闘不能になっていただろう。


「大丈夫に決まってんだろ」

 明咲と二菜の背後から、海都が糸目を薄く開き、横目で見下ろしてきた。

「あんだけ転げ回ってたんだ。普通ならもう動いてねえっての」


「海都!」


『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、獅子型(マンティコア)の撃破、確認しましたぁ。繰り返しまぁす。獅子型の撃破、確認しましたぁ。今回はここまでのようでーす。お疲れ様ぁ。次回もまたよろしくねぇ。以上ッ。……ぴーんぽーんぱーんぽーん』


 明咲の怒声に被さるように、純情無垢(むく)な少年声の放送が流れた。

 直後、揺らぎ始める視界。

 これまで辿った光景が逆行するように移り変わり、日常へと戻された。


 * * *


「――誘おうぜ。あ、誘うのは湊輔だぞ? 俺の名前出してもいいからよ。……って聞いてんのか?」


「え……あ、ああ、なに?」


 雅久はむっと顔をしかめた。

「もしかして今……」


 言いよどんだ先にどんな言葉が続くのか、湊輔にははっきりと分かった。

「うん……戦ってた」


「そっか」

 雅久はにっと微笑み、

「お疲れさん。相手は?」

 と声を落として()いてきた。


獅子型(マンティコア)

 合わせるように湊輔も声を潜めた。

「人の顔がついた、ライオンみたいな――」


 なんで? と目を丸くした。


 また、目の前から雅久が、日常が消え失せた。

 つい今しがた招かれ、追い出されたはずの、モノトーンに染まる戦場。

 途端に全身が総毛立った。


『ぴんぽんぱんぽんぴんッ。緊急事態ッ、緊急事態ッ。魔郷の眷属(ドォンケルハイト)が侵入ッ。魔郷の眷属が侵入ッ。藤色の雄鶏(ドゥードルド)鳩羽の腕鹿(ベリンゲイ)、でーすッ。ちょーっとメンバー的に厳しいかもしれないけど、頑張って処理しちゃってくださぁーいッ。繰り返しまぁすッ。魔郷の眷属、藤色の雄鶏と鳩羽の腕鹿を処理しちゃってくださぁーいッ。以上ッ。……ぴんぽんぱんぽんぴんッ』

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