四
後退していた湊輔は素早く振り返る。
途端、視界の中心から膨張する、染みのような赤い円。
素早く獅子型の進路から外れる。
だが、早すぎたか――
「「湊輔ッ」」
「湊くん!」
「ぐぅっ……」
湊輔は巨影の突進をもろにくらって吹っ飛んだ。
まさか獅子型が少しずつ進路をずらしてくるとは思いもせず。
直前、視界の左端は確かに赤く染まった。
だが、跳び込んで避ける暇などなかった。
妙に長く感じる浮遊のあと、次々と全身のあちこちに鈍い痛みが走る。
それに加え、平衡感覚がおかしくなるほど、視界がぐるぐる回る。
またかよ……。
でも、前よりマシだ。
意識が飛ぶほどじゃない。
「湊輔ッ、起きて!」
明咲の声に、湊輔はふと横目で空を仰いだ。
灰色の空に滲む灰黒色の影。
いっそう激しく高鳴り出す鼓動。
避けろ、避けろッ、避けろッ!
「くっそぉ……!」
湊輔はふらつきながら起き上がるなり、地面を蹴って前方へと大きく跳び込んだ。
再び覚えた浮遊感。
やや遅れて、重厚な音と振動が波紋のように広がっていく。
湊輔は見た。地面のほこりや小石がわずかに浮き上がるのを。
やがて胸元から着地して、肺を圧迫した痛みに顔をしかめる。
のんびり悶えている暇などない。
肩越しに、振り上げられた獣の前脚が見えた。
すぐさま流転避で離脱。
半瞬後、獅子型が凄烈な一撃を叩きつけた。
さらに次々と、執拗に降り注ぐ巨影の鉄槌。
何度か転げ回ってから、湊輔はふらつきながらも獅子型と向き合った。
このまま前を逃げ回ってても、いつか追いつかれる。
だったら、前脚も尻尾も届かない位置に行けば。
視界に赤い光跡が走ったところで、巨影の左側面に転がり込んだ。
「よし……」
あとは次にコイツが軸合わせをしたところで逃げればいい。
そう考えた矢先――
「なんで……!」
赤く染まった視界の左端。
すかさず右に倒れ込むように流転避。
「そんなのありかよ……」
半瞬前の湊輔を、獅子型の背から垂れる太い帯が貫いた。
体毛の一部かなにかだと見ていたそれは、銅よろしく硬くしなやか。
本体とは別で意思を持っているように、蛇のごとく襲いかかってきた。
視界に赤い光跡が縦断する。
湊輔は逃げようとして、一息遅れた。
しまった――
突如、眼前に春風が吹き抜けた。
急制動がかかり、しだれ桜が左になびく。
――【反衝牙】
「いい加減にッ――」
明咲が巨影の前脚を円盾で弾き、
「しろやボケがあッ!」
間髪入れず、両刃槍を勢いよく突き出した。
ドスの効いた声と共に放たれた一撃が、石膏像の左目を穿った。
「ガアアアアアアアアアッ!」
獅子型は絶叫を上げながら大きく退いた。
穂先は根本近くまで深々と突き刺さり、普通の生物なら脳まで達しているはず。
巨影は動きを止めると倒れ伏し、しかし「ウウウ……」と忌まわしそうにうなりを上げた。
湊輔は戦慄した。
まだ動けるのか、と。
――【霞脚】【烈破突】【抉牙】
「おらあッ――」
海都が超速をもって、巨影の頭の横に詰め寄った。
「隙ありいッ!」
言葉通り、明咲と湊輔を睨みつけて隙だらけな横顔に刃を突き入れた。
それを力任せに揺さぶり、より深くねじ込み、引き抜いた。
「ガッ……アアァ……」
獅子型は倒れ伏してもなお、前脚を踏ん張って起き上がろうとしている。
「たく……しぶてえんだよ」
海都は蔑むように見下ろしながら、刀身を右肩にかつぐように構えた。
――【破甲撃】
左腕を引きながら体をひねり、柳葉刀を勢いよく振り下ろす。
上段斬りは石膏像の顔を真っ二つに叩き割った。
最期の一声を上げることもなく、沈黙する獅子型。
「はっ、ざまあみやがれ」
明咲と海都の怒涛の猛攻を、湊輔は呆然と眺めていた。
「湊輔」と呼ばれ、はっと我に返る。
「大丈夫?」
明咲が心配そうな面持ちで覗き込んできた。
湊輔はぎこちなく頷く。
「あ……はい……大丈夫、です」
「湊くん湊くんッ」
二菜が慌ただしく駆け寄ってきた。
明咲よりも深刻な面持ちで。
「大丈夫!? 体におかしいところ、ない?」
「え、ええ……まあ……」
湊輔はふと左手を見た。
親指から薬指にかけて、赤、青、黄、白の帯がうっすら浮かんでいる。
特に青と白の帯がなければ、獅子型に吹き飛ばされたときに戦闘不能になっていただろう。
「大丈夫に決まってんだろ」
明咲と二菜の背後から、海都が糸目を薄く開き、横目で見下ろしてきた。
「あんだけ転げ回ってたんだ。普通ならもう動いてねえっての」
「海都!」
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、獅子型の撃破、確認しましたぁ。繰り返しまぁす。獅子型の撃破、確認しましたぁ。今回はここまでのようでーす。お疲れ様ぁ。次回もまたよろしくねぇ。以上ッ。……ぴーんぽーんぱーんぽーん』
明咲の怒声に被さるように、純情無垢な少年声の放送が流れた。
直後、揺らぎ始める視界。
これまで辿った光景が逆行するように移り変わり、日常へと戻された。
* * *
「――誘おうぜ。あ、誘うのは湊輔だぞ? 俺の名前出してもいいからよ。……って聞いてんのか?」
「え……あ、ああ、なに?」
雅久はむっと顔をしかめた。
「もしかして今……」
言いよどんだ先にどんな言葉が続くのか、湊輔にははっきりと分かった。
「うん……戦ってた」
「そっか」
雅久はにっと微笑み、
「お疲れさん。相手は?」
と声を落として訊いてきた。
「獅子型」
合わせるように湊輔も声を潜めた。
「人の顔がついた、ライオンみたいな――」
なんで? と目を丸くした。
また、目の前から雅久が、日常が消え失せた。
つい今しがた招かれ、追い出されたはずの、モノトーンに染まる戦場。
途端に全身が総毛立った。
『ぴんぽんぱんぽんぴんッ。緊急事態ッ、緊急事態ッ。魔郷の眷属が侵入ッ。魔郷の眷属が侵入ッ。藤色の雄鶏と鳩羽の腕鹿、でーすッ。ちょーっとメンバー的に厳しいかもしれないけど、頑張って処理しちゃってくださぁーいッ。繰り返しまぁすッ。魔郷の眷属、藤色の雄鶏と鳩羽の腕鹿を処理しちゃってくださぁーいッ。以上ッ。……ぴんぽんぱんぽんぴんッ』




