二
「おれは、その……」
湊輔は言いよどんで俯いた。
海都の視線と雰囲気が、どこか嫌みったらしく感じられて。
「あ……」
歩み寄ってきた海都に成績表を奪われた。
「おいおいマジかよ、二百二十五って……」
海都はため息混じりに言い捨てると、押しつけるように紙束を返した。
それから、
「そんなんで戦えんのかっつーの」
と小さくぼやきながら、座っていた椅子に戻っていった。
「そーゆーこと言わないのっ」
明咲が海都の肩を叩いた。
「もしかしたらこれからグーンて伸びるかもしんないよ? ほら……大器熟成ってゆーし」
「バァーカ、そりゃ大器晩成だ」
「はぁ? 四百五十五の海都にバカとか言われたくないんだけどー?」
「総合関係ねえだろ? じゃあこの前のテスト、お前平均いくらだったよ?」
「あーしは確か……だいたい六十だったよーな?」
「はっ、バァーカバァーカ! 俺は八十台だ、バカめ!」
海都と明咲の言い合いもといじゃれ合いが、徐々に遠くなる。
そんなんで戦えるか?
こんなんでも戦ってきたんだよ。
……けど、二百二十五と四百五十五じゃ、言い返すだけ無駄、だよな。
「湊くん、海くんの言ってたこと、気にしなくていいからね」
ぼんやり聞こえた二菜の気遣い。
湊輔は奥歯を噛み締め、成績表をしわができるほど強く握り締めた。
気にしなくても、って言われてもな。
ふと、顔を上げて有紗を見た。
どんなふうに思われているのか気になって。
どう思ってるいかなど、分かりっこないのに。
有紗の顔は成績表に向けられている。
ただ、視線だけは別のものに向けられていた。
それを辿ると、海都に行き着いた。
改めて観察するように有紗を見てみると、なにか思うところがあるように切れ長の目を細めている。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。グラウンドに獅子型が一体、現れましたぁ。繰り返しまぁす。グラウンドに獅子型が一体、現れましたぁ。三年生はいないけど、みんなぁ、がぁーんばってねぇー。以上ッ。……ぴーんぽーんぱーんぽーん』
ようやく通告された敵の出現。途端に聴覚が平常を取り戻した。
「なんだよ、余裕じゃねーか」
海都は明咲と有紗を見てから、テーブルに置いていた鉛色の柳葉刀を持ち上げた。
「二菜、頼むぜ、旗」
二菜は一瞬眉をひそめ、すぐに得意げな笑顔になった。
「任せなさぁーい!」と声を張り上げ、布を丸めた状態の、鉛色の旗を高々と掲げた。
それから海都、明咲、有紗が裏口に向かい始めたところで、「湊くん」と呼んだ。
「海くんの言ったこと気にして、無茶なことしちゃダメだよ?」
「無茶なことなんて……しませんよ」
というか、できないと思う。
そんな度胸ないから。
「前にね、シバさんが言ったんだ。もう誰も殺られんな、誰も殺らせんな。誰も死ぬな、誰も死なせんな、って」
二菜は寂しげに声を小さくした。
「海くんもそれ聞いてたし、シバさんのこと尊敬してるから分かってるはずなんだけど……解ってないんだろうな。……ううん、尊敬してるけど、憧れてるのは、シバさんの強いとこだけみたいだし」
「おい二菜! 早く来い!」
海都の怒号がこだました。
二菜はかぶりを振ると、まぶしいくらい晴れやかな笑顔を浮かべた。
「さて、行こっか。獅子型だけだし、頑張ろっ!」
二菜に手を取られ、湊輔は図書館をあとにした。
裏口近くで待っていた三人と合流し、海都を先頭に駆け出す。
連絡通路、B棟校舎を抜け、体育館とつながる連絡通路から外に出る。
グラウンドに行き着くと、すぐさま巨大な灰黒色の影が目に飛び込んできた。
「ウアアアアアアアアアッ!」
体高が二メートルほどもある、ライオンのようなシルエットが放った咆哮。
え? と湊輔は眉をひそめた。
見た目は確かにライオン。
しかし今の吠え声は獣のそれではなく――人の声。
響き渡るような、低く野太い叫び声。
「来るよッ!」
明咲の声より早く、灰黒色の獅子が突進してきた。
五人はすぐさま体育館と連絡通路、B棟校舎に囲まれた袋小路から脱出して散開する。
途中、湊輔は敵の異様を捉えた。
そして人間のような叫び声の理由も、なんとなく理解した。
体つきこそ百獣の王と呼ばれるライオンそのもの。
しかしたてがみに覆われた頭には、石膏像のような人間の顔がはめ込まれている。
背中には、肩甲骨から腰あたりにかけて生えた、三対の太い帯が垂れ下がっている。
そして勇ましく反り立つ、六節からなるサソリの尻尾。
――獅子型。
「二菜あッ、今だ!」
ライオンを模した巨影が袋小路に突っ込んだところで、海都が叫んだ。
「はいよー!」
二菜が手早く旗を広げると、矩形の布に描かれた、中央で十字に交差した四本の剣が露わになった。
そして体の前で斜め十字を描くように旗を振る。
右上から左下へ、左上から右下へ。
この一連の動作を二度繰り返した。
――【守勢】
湊輔は左手の親指――第一関節と第二関節の間に、ほのかな熱を感じた。
見れば、青色の帯が浮かび上がっている。
これは旗の戦技の一つ。
耐久力と成績表に書かれてある、全身の防御力と、攻撃を受けた際に体勢を維持する力を強化するもの。
体勢維持の力は、特に盾で敵の攻撃を受け止める際に重要だと、以前二菜から聞かされていた。
「明咲ッ!」
「うんッ」
海都の呼びかけに、明咲が再び突進をしかけてきた獅子型の進路上へと躍り出た。
――【不動構】
「せいッ」
腰を落とし、円盾を構える。
明咲の盾と石膏像の額が激突して、ガンッと硬質な音を上げた。
巨影の体格からして、受けた衝撃は走行する乗用車のそれ以上。
しかし明咲は微動だにせず、受け切っている。
ほんのわずかな時間、自身の防御力と体勢維持の力を大幅に強化する動的戦技により、明咲は身の丈の倍以上もある獅子の勢いを受け止めたのだ。
同時、二菜が高々とかかげた旗を右、左、右、左という形で振り終えた。
――【攻勢】
また左手が熱くなる。
今度は人差し指の第二関節と第三関節の間に、赤色の帯が浮かんだ。
これは全身の筋力を強化する戦技。
武器で与える威力もそうだが、ほんの少しだけ耐久力や、持久力に含まれる移動速度にも影響するらしい。
――【霞脚】【疾破撃】
「うらあああ!」
海都は体が霞むほどの超速を発揮し、獅子型へと詰め寄った。
その勢いに乗せ、右肩にかつぐように構えた柳葉刀を振り下ろす。
左前脚に打ち込まれた袈裟斬りが、巨影の体をわずかに左によろめかせた。




