九
「夢じゃねえんだよな」
雅久が、長ベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げながらぽつりと言った。
昼休みを迎えると、湊輔は雅久に屋上へと誘われた。
きっと、異空間の話をしている最中、他のクラスメートに話しかけられたくなかったからだろう。
昼時の外はそこそこ暖かい。
雲のまったくない快晴だからか、日差しがやけに強く感じる。
「剣持って、屍人型に骨人型、えっと、牛頭型? あと、至極の山羊……? と戦った」
湊輔はひざ上の弁当箱に目を落としたまま、記憶の断片をつまんでつぶやいた。
「だよなあ。やっぱそーなんだよなあ」
雅久は右腕を掲げた。
なにかをつかんでいるように拳を丸めて。
それから顔を真正面に向けるなり、右腕を振り下ろして視線の高さで止めた。
「……体、大丈夫なのかよ?」
「おう。こっち戻ってきたらなんともなくなってたからな」
湊輔は「そっか」と答えたかったものの、すでに弁当の品を頬張っており、頷くことで返事をした。
お互い無言になってまもなく、塔屋の扉が開いた。
「お……泉さん、だよな?」
雅久が湊輔に流し目を向けた。
重厚な扉をゆっくりと開けて出てきたのは、ついさっき異空間で一緒に戦った有紗だ。
扉を静かに閉めると、まっすぐ二人の下に歩み寄ってきた。
「今、いいかしら?」
「おう、いいぜ」
雅久が即答した。
有紗は視線を湊輔に移す。
「さっきは……その、ありがとう」
「え……あ、えぇっと……」
湊輔は目を泳がせ、
「ごめん、なんだっけ……?」
とひどくぎこちない笑みを浮かべてみせた。
有紗は丸くした切れ長の目をまばたかせた。
「憶えてないの……?」
か細く、愕然と引きつった声。
「ご、ごめん……」
湊輔は謝りながら俯いた。
「あー、あのさ」
雅久が口を挟んだ。
「泉さんって昼飯弁当?」
「えぇ、そうね」
「なんか長くなりそうだし、よかったら一緒にどうよ?」
有紗は一瞬目を伏せてから、
「ちょっと待ってて」
と言って踵を返した。
やがて有紗が塔屋の中に入っていくと、雅久が小突いてきた。
「おい湊輔、なんだっけ? じゃねえだろ? せっかくお礼言ってくれたってのによ」
「そう言われてもな……」
湊輔はため息をついた。
いやだって、まさか話しかけられるとか思わなかったから。
声かけられた途端、頭の中真っ白になったし……。
「そんなんでいいのかよ」
雅久の言葉はあまりに鋭く、湊輔は「うぅ」と顔をしかめた。
それからまもなく、有紗が戻ってきた。
「あ、そうだ」
雅久は立ち上がるなり、背後にあるフェンスに沿って離れていく。
その先には、もう一つの長ベンチが。
有紗のために持ってくる気だろう。
「お待たせ」
「あ、う、うん」
雅久の背中を眺めているうちに、有紗がやってきて、湊輔はぎこちなく頷いた。
ガラガラという音が聞こえてそちらを見れば、雅久がベンチを引きずっている。
「お、おい、引きずるなよ……」
湊輔は立ち上がり、雅久に駆け寄った。
正直なところ、有紗との間が持たないから。
有紗は向かい合うように置かれた、二つ目のベンチに腰かけた。
「それで、さっきの話だけどよ」
有紗が小ぶりな弁当箱の品を口に運んだところで、雅久が切り出した。
有紗は口の中のものを飲み込み、持っていた弁当と箸を脇に置いた。
「さっき、あの異空間っていうところで、助けてもらったから――」雅久に向けていた視線を右に移す。
「遠山くんに」
湊輔はようやく頭が冷えてきて、思い出した。
「あ、ああ……牛頭型に追いかけられたとき、だよね?」
自信なさげに尻すぼみする声。
有紗は俯き、
「そう」
とか細い声音で答えた。
「え、あの」
湊輔は気づいた。
かすかに震えた、有紗の声と、ひざに置かれた手に。
「どうしたの?」
有紗の体がぴたりと制止した。
まもなく右手の甲で口元を押さえたかと思えば、すぐに下ろし、凛然とした眼差しを湊輔に向けた。
「ごめんなさい。なんでもないわ」
「そ、そっか」
湊輔は半ば腑に落ちないものを感じつつ、しかしこれ以上踏み込むのも気が引けて口をつぐんだ。
「いったッ」
肩を思い切り叩いてきた雅久を見てみれば、妙に険しい面持ちをしていた。
「あんときマジでびびったんだぜ? 湊輔、死ぬんじゃねえかって」
湊輔はひざに向かって俯いた。
死ぬんじゃないか、というより、実際死んでいた――気がする。
あのとき、確かに見た。
重大な凶刃に斬り裂かれる光景を。
その直前には、もはやそんなことがあったのかすら判然としない記憶を。
上目遣いに視線を前に、横にと移してみる。
有紗も雅久も気難しい、というより、憂いを覚える表情をしていた。
どう答えようかと考えながら口を開きかけたとき、また塔屋の扉が開いた。
有紗のように丁寧な感じではなく、勢いよく開け放たれ、ギイィッと重々しくうなった。
「おぉー、いたいたぁ」
朗々と弾んだ声音。
巧聖だ。
「いやぁよかった、有紗も一緒で」
「荒井先輩うッス。あ、体大丈夫ッスか……?」
心配そうな雅久をよそに、巧聖は「ははっ」とおどけるように笑った。
「うん、全然大丈夫。まさかあんなバカでかい手にビンタされるなんてね。つーか、ここに戻ってくれば傷とか痛みとかなくなるのよ。どういう理屈かは知らないけど」
「そーなんスよね。俺もぶっ飛ばされた割にどこも痛くないんスよ。で、俺らになんか用ッスか?」
巧聖は有紗に
「あ、隣いい?」
と訊き、頷くのを見ると腰かけた。
「リレイトって使ってる?」
ここ数年で世間的に普及したコミュニケーションアプリ『リレイト』。
湊輔も当然のように使っている。
三人はスマートフォンを取り出した。
「えっとねぇ、あの異空間で戦ってる人たちのグループがあるのよね。まあ、三人を誘いに来たってわけ。あ、これほぼ強制だから。なんせ、俺たち命かけて戦ってるわけだし、情報交換はしとかないとね」
巧聖は三人とIDの相互登録を済ませ、グループへの招待をした。
湊輔はなにを気にするでもなくグループに参加する。
メンバーの一覧を見ると、今参加した三人を除いて十人の、おそらく先輩であろう名前が連なっていた。
アイコンの中に、赤茶色や桜色に染まった髪をした人物の自撮り写真がある。
なんか不良っぽい人いるんだけど……と思わず眉をひそめた。




