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 ここは……?


 意識が覚めるや、湊輔(そうすけ)は湧き上がった疑念と同時に目をまばたかせた。


 奇妙な世界だ。


 灰色。

 無彩色。

 視界に映る広大な空も、大地も、まるで色という色がない。

 そんなモノトーンな世界に、どうしてか(たたず)んでいる。

 まもなく卒業を迎える、中学校の制服を身につけて。


 誰か――


 湊輔はなんとなしに視界を動かした。

 孤独。

 疎外。

 形容するならそういった、強烈な感覚に駆られて。


 左には、見上げるほど大きな建物が。

 四階建てのそれは、どうしてか学校の校舎に思えた。

 後ろを振り返れば、また大きな建物が。

 おそらく体育館だ。

 考えるより早く、そう直感した。


 そしてふと理解した。

 今自分が立っている場所は、グラウンドだと。


 しかしここは、湊輔にとって馴染(なじ)みある中学校ではない。

 だというのに不思議と、見覚えのあるような気分になる景色だ。


 ――夢か、これ。


 今さら、はっきりそう思った。

 そう、思えた。


 学校の校舎も、体育館も、グラウンドも、空も、目に映るなにもかもが、無彩色。

 しかしなぜか妙な気分になる景色。


 夢だ。

 やたら現実味のある夢。

 ……モノクロだけど。


「――っ!」

 湊輔は思わず息を呑み、振り返った。


 背後から音がした。

 ドンッと全身を打ち据えるような、重厚なそれが。

 同時、足下に鈍い衝撃が走った。

 巨大ななにかが、大地を踏みしめたような、威圧的なそれが。


「なっ……」

 引きつった声を漏らして、目を見開いた。


 体育館とは反対側、ずっと向こう。

 意識が覚めたとき、それはいなかった。

 遠目に見ても、自分よりずっと巨大な影は、まったく。


 二足歩行のそれが脚を踏み出すたびに、震える。

 足下が、鼓膜が、そして身体が。


 ――悪魔。


 ねじ曲がった角の生えた馬頭。

 あらゆる筋肉が盛り上がった屈強な肉体。

 全身を包み込むほどの広大さを秘めた、コウモリのような皮膜のついた翼。

 威圧的な足音を発する(ひづめ)


 ゲーム、映画、アニメ、イラスト……一度くらいなにかで見た気がするシルエット。

 それが視界の中で、徐々に肥大していく。


 その間、湊輔は動けずにいた。


 夢だ。

 ただの夢だ、こんなの。


 目の前の光景を必死に否定しているのに、身体は動かない。

 ただただ立ちすくみ、震え上がり、ゆっくりと迫りくる巨影を凝視するだけ。


 やがてそれが、重厚な足音を静めた。


「あ……あ……」


 湊輔は言葉にならない声でうめいた。

 四メートルはあろう巨躯(きょく)を、絶望的な表情で見上げながら。


 ――死にたくない。


 生まれて初めて、尋常ではない圧力を覚えた。

 それはまさに、殺意。


 フウゥ、と鳴った野太い息遣い。

 それと共に振り上げられた、悪魔の右腕。

 その手に握られた得物は、筋骨隆々な肉体に似つかわしい、長大な刃物。


 ――嫌だ。

 死にたくない。


 恐怖が全身を駆け巡り、生存本能が叫びを上げる。


「え……?」


 ふと握り込んだ右手に、違和感を覚えた。

 硬くて、滑らかな感触。

 瞬間、引きつけられたように見下ろした。


 剣だ。

 いつの間にか剣が握られていた。

 見慣れない、全身のっぺりとした、現実味のない形の片刃の剣。

 うっすら青い色味が差した白色がどこかまぶしく、思わず目を細める。


「くっ――」


 ありもしない勇気でも湧いたのか。

 根拠のない自信に奮い立ったのか。

 湊輔は逃げ出すでもなく、再び悪魔を見上げ、睨みつけた。


 同時、視界に赤い光が走った。

 細い筋のようなそれは、左上からまっすぐ視界を両断する。


「あ……」


 斬られる。

 そう考えるより半瞬早く、凶刃が降りかかってきた。

 左の首筋から入り込んで、すり抜けていく感覚は呆気(あっけ)なく、そしてむなしい。


 おれ、死ぬのか……?


 半身の感覚が薄れた直後、そう思った。


 視界がおもむろに、右下へとずり落ちていく。


 ――夢なのに?


 しかし分断された右半身が崩れ落ちる感覚は、不思議と、あまりにリアル。


 意識が薄れ、目を閉じかけた矢先、視界が急に左上にせり上がった。

 急激な覚醒に何事かとうろたえているうちに、体をすり抜けていった凶刃が、一度辿(たど)った軌跡を逆行する。


 悪魔が再び得物を振り上げた。

 そうにしか見えない。

 だが、違う。


 時が巻き戻った。


 そう例える以外の言葉が浮かばない。

 悪魔は刃を振り下ろす瞬間へ、湊輔は体を斬り裂かれる直前へと戻った。


 時の逆行が止まるなり、悪魔が再び得物を振り下ろした。


 また斬られる。

 そう覚悟した瞬間、湊輔の意思とは関係なく体が動き出した。


 右手に持った白い剣を、勢いよく跳ね上げる。

 素早く構え、動き出すまでの流れは、あたかも戦い慣れているよう。


 ギイィン! と鼓膜どころか、全身を引き裂くほど鋭い衝撃音が響き渡る。

 白い刃が、長大な刃を弾き返した。

 そして悪魔の巨体が、左半身側へとよろめく。


 体がまたしても身構える。

 白い剣の柄を両手で握り締め、左肩にかつぐ形で振りかぶった。

 直後、右足を右手前に踏み出すや、胴を右にひねる。


 その勢いで、剣を振り払った。


 一瞬、湊輔は視界の端に見た。

 刀身から発せられた膨大な黒いなにかが、巨大な悪魔を斬り裂く光景を。


 * * *


 悪魔に斬られる夢。

 はたしてそれは、吉兆か凶兆か。

 高校入試当日という割と大事な日に見た夢にしては、あまり気分のいいものではない。

 さらに、起床から二時間近く経過しているにも関わらず、夢の記憶はいまだ鮮度を高く保ったまま。


 用を足した湊輔が手洗い場に立つと、鏡には憂鬱に沈んだ顔が映っていた。

 気怠そうな半眼を隠そうと、厚い前髪がのしかかっている。


「はあ……」


 (うつむ)いた途端、声が漏れた。


 はたしてこの高校受験に合格できるのか。

 そんな不安に朝の夢が相まって、身体にかかる重圧が倍加した。

 気のせいか、両手に伝い始めた水が異様に冷たい。


「う……」


 思わず顔をしかめた。


 蛇口をひねり、流れ出る水を止める。

 ポケットからハンカチを取り出し、手に残った水気を拭き取りながら廊下に出た。


「――ご、ごめんっ」


 瞬間、右肩になにかがぶつかった。

 それはもちろん、入試を受けに来た同じ中学生以外ありえない。


「こちらこそ」


 か細い声で答えた乙女を見た途端、湊輔は引き込まれた。


 端麗な顔立ち。

 それを包み込む、毛先が切り(そろ)えられた(つや)やかな黒髪。

 後ろ髪は、風に吹かれれば大きくなびきそう。


「ごめんなさ――」


 乙女は湊輔と目を合わすなり、急に息を()み、色白な顔に栄える切れ長の目を丸く見開いた。

 しかしすぐ、そらすように視線を下向けるなり、なにかに気づいてしゃがみ込む。

 立ち上がると、「これ」と手に取ったものを差し出した。


 それは、ぶつかった弾みで落としたハンカチ。


「あ、ありがと……」

 湊輔は、消え入りそうな声でお礼を言いながら受け取った。


「それじゃあ」

 乙女は無機質な声をこぼし、足早に女子トイレへと入っていった。


「よう、湊輔」


 教室に戻り、指定された席に着くと、幼馴染(おさななじみ)が左側から右肩に腕を回して組みついてきた。

「どーした、ボケっとしてよ。あ、まさか今さらんなってびびっちまったとか?」


 まあ、確かにびびってる。

 でも、そうじゃないんだよな。


「あのさ、雅久(がく)


「ん、どした?」


 湊輔が前を向いたまま呼びかけると、幼馴染は陽気な声音で()いてきた。


「おれ、絶対受かってみせる」

 抑揚なくさらっと、それでも決意を込めて声に出した。


 すると幼馴染は、手を回していた側の肩を軽く二度(たた)いた。

「お? なんだ? ……あ、まさか、ロミオチック(・・・・・・)な出会いでもしたってか?」

 なんか嫌な響きだな。


ロマンチック(・・・・・・)、だろ?」


 そう言い返すと頭を叩かれた。

 ひどい。

 でも、言いたかったことはまちがってない。


 受験に合格して、ここに入学できれば……あの乙女()にまた会えそう。

 また会いたい。

 まだ確定していない未来に、湊輔はそんな想いを()せた。

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