その5
その一言には珍しくどこか安心した雰囲気があって、一瞬面食らう。
「一応、来なかったことも考えて、ここで夜を過ごすためのテントを持って来ていたのですよ」
「覚悟がありすぎませんか?」
「キャンプは好きなので……まあ、庭でしかしたことありませんが」
普段ならテントを持って来ているなんて冗談で済ますところなのだけれど、八重垣先輩に至っては本気で持ってきていそうで恐ろしい。
その後の「キャンプは好きなので」みたいなのが信憑性を高めているんだよな……。
八重垣先輩はルンルンな様子で足をぶらぶらさせながら、僕の目をじっと見つめ、話を続ける。
「さて、手紙にも書きましたが今日は貴方にいい話を持ってきました」
いい話。
これ以上に怪しい売り文句があるだろうか? いやない。
こういう時は即座に断るに限る!
「えっと、すいませんが一介の学生に過ぎませんので、お金の話には食いつかないようにしてるんです!」
「それは大変に良いことです。大人になってもその慎重さは忘れないでください」
「は、はぁ」
「安心してください。お金はあくまで副次的なもの。主となるのは別の部分です」
それまでジャングルジムの上から話しかけてくるという超上からな会話を続けていた八重垣先輩だったが、ここに来てひょいっとそこから降りてくる。
それなりの高さだったのに重さを感じさせない軽やかな着地を決める彼女の姿は、運動神経にも優れるという噂通りの姿だった。
というか、あの噂、全部本当に本当なのかもしれない……。
そばまで来るとやや小柄な八重垣先輩の矮躯が更に目立ち、その愛らしい姿に一気に緊張が強まる。
そして僕の回りをくるりと回転しながら、彼女は呟くようにこう言った。。
「可愛い娘というのは良いものですよね」
「…………はい?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった僕は、思わず聞き返してしまうが、返って来た言葉は同じものだった。
「可愛い娘というのは良いものですよね」
RPGの住人のように同じ言葉を繰り返す八重垣先輩。
謎の言葉を繰り返されても、それは謎のままである。
彼女の真意はまるで見えてこないが、悪いものだと言うわけにもいかないので素直に返答するしかない。
「……良いものだとは思いますが、あの、急に何ですか?」
「言いましたね? 良いものだと?」
ずいっと八重垣先輩が僕の方へ顔を近付けてくる。
ビスクドールもかくやといった美しさに目が眩むが、動揺すると思う壺な気がして、無理やり平静を保つ。
なんだか言質を取ったようなことを言う彼女だけれど、可愛い娘が良いものだからといって何があるというのだろうか。
「はい良いものでしょう。いずれは欲しいですね」
「欲しいんですね?」
「まあ、未婚で終わりたいとは思いませんし」
「結婚できる展望はありますか?」
「…………将来的には」
「本当に将来的に自分が結婚できると言い切れますか?」
「……………………い、言い切れないです!」
激しく圧を掛けてくる八重垣先輩に僕は普通に屈した。
畳みかけてくる質問が強すぎる!
無理だよ! 普通の学生に将来結婚できるか聞かれても誰もハイとは言えないよ!
「そうでしょうそうでしょう。ですが、なんと今なら結婚しなくても娘が出来る大チャンスがあるんです」
結婚しなくても娘が出来る?
そんなナゾナゾみたいなおかしな話があるものだろうか……いや、考えてみれば結婚という制度を用いなくても子供を授かることは可能なわけで、そういう意味では結婚しなくても娘は出来るものだけれど、今の僕にそれは関係ない話だ。
では、養子とかそういう話?
「ええっと、子供を預かって欲しいみたいな話ですか? うちは実質一人暮らしですし」
「そんな非常識なお願いはしませんよ。もっと素敵な話です」
さすがの八重垣先輩も初対面の相手に子供を預けるほどのぶっ飛んだ性格はしていないらしい。
それは良かったのだけど、では、どういうこと?
不思議に思う僕の前で、八重垣先輩は自分を誇示するようにバッと手を広げた。
そして鉄面皮との評されたその無表情を崩して──満面の笑顔を見せる。
太陽のような、そして子供のような無邪気な笑顔だった。
「私を娘にしませんか? 貴方がパパになるんです!!!!!!!!!!!!!」
…………………………………………は、はい?