打算的でない人間って、何?
筆者が、疑問に思う存在があります。
それは、「打算的ではない人間」というものです。
物語において、何らかの理由で心を閉ざし、人間不信になったキャラクターが、打算的な人間は嫌いなのだ、と拒絶する。
ありますよね?
そして、真っ直ぐな好意を向ける周囲の人間、特にヒロイン辺りに絆され、受け入れる。
彼女の言葉は打算的ではない、とかなんとか、そんな心情で。
よくありますよね?
ここで、大抵の輩からひねくれてる評価を頂く筆者は、ん? と首を傾げてしまったのです。
打算的ではない人間とは一体……。
と。
まず、打算的とはそもそもどういう物なのか。
あるいは、筆者が言葉の意味を勘違いしている可能性を考えて、調べてみました。
打算的:何をするにも自分の損得を考えること。
大体、イメージ通りの意味が出てきたので、一安心。
誰しも、利益と損害を天秤にかけて判断している筈に違いない。
それは、別に金銭的な意味だけの話ではない。
感情、精神面においても、損得勘定は存在する。
感情は違う?
いや、それこそ間違いだろう。
明確に測るモノサシがないから、感情は何か不可侵な領域であり、素晴らしいもののように思うかもしれないが、これは損得で語られるものだ。
一例を挙げよう。
この現代において、もしも裸で町中を歩いていたらどうなるだろうか?
まず間違いなく、警察のお世話になるだろう。
迷惑防止条例どか、猥褻物陳列罪だか、詳しくは知らないが、少なくとも通報の一つくらいはされるに違いない。
何故だろうか?
この露出狂は、別に誰にも迷惑をかけていないじゃないか。
誰かを傷付けた訳でもないし、何かを壊した訳でもない。
ちょっと裸を公衆の面前に晒しただけだ。
それでも、警察に連行されてしまう。
精神的苦痛を人々に与えたから。
もう現代の法律が、はっきりと認めているのです。
精神、感情は、損得で表せるものだと。
まぁ、ストレスだの、トラウマだの、精神病だの、そんなものが認知されているのだから、今更かもしれませんが。
さて、話を戻して、物語に出てくる打算のない人間です。
彼ら、彼女らは、金銭を代表とする物質に靡かず、人物の持つ能力にも惹かれず、ただ一心に主人公などに寄り添います。
その者たちに、果たして本当に打算がない、つまり自分の損得を考えていないのか。
いや、考えてるだろ。
どう考えても。
彼ら、彼女らは、好ましく思う主人公の側に寄り添う事で、精神的充足感、利益を得ているのです。
そして、自分が嫌悪感を抱く相手、精神的損害を与えてくる対象から離れようとするのです。
これの何処をどう見れば、打算的でないと表現できると言うのか。
単純に、彼らの価値観が違っただけだろう。
彼らは、物質的充足よりも、精神的充足を優先させた。
ただ、それだけの事である。
本当に打算的でないというのは、財力権力武力に容姿から性格まで、ありとあらゆる全てが完璧なミラクル超人であろうと、逆に借金まみれの社会の底辺のクソ醜いクズかカスかみたいなゴミ野郎でも、等しく接する者を指すのだ。
どちらであっても、喜悦もなければ、不快も感じない、そんな機械じみた存在こそが、打算なしを名乗って良いと筆者は考える。
心ある人間ならば、もっと言えば命ある生物ならば、間違っても打算のない存在にはなり得ない筈である。
もしも、本当に打算のない人間がいるとすれば、それは心ない機械のような人間か、悟りを開いた聖人のどちらかであると、ここに断言します。
以上、ひねくれ者によるひねくれた意見でした。
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