お嬢様とメイドと婚約破棄2 ~婚約破棄『ざまぁ』は成功しましたが、次の相手が見つかりません。メイドが心配して、自分の結婚を先延ばししています。お嬢様はメイドの婚期がとても心配です~
お嬢様とメイドと婚約破棄シリーズの第二弾です。
前作未読でも問題ない作りにしたつもりです。
長いかも知れません(16000文字くらい)
最後まで読んでもらえると嬉しいです。
「クラリッサ様! チェスター様との婚約破棄を要求します!」
令嬢がメイドを指差し、婚約破棄を要求する。
突然の出来事に、周囲が静まり返る。
十二月の初め。少し肌寒い季節にあって、今日は日差しが降り注ぐ、暖かな陽気だ。場所は伯爵家の庭園。数名の貴族が集まり、お茶会が開かれている。
「突然なにを言い出すのだ!」
「申し訳ありません、クラリッサ様」
令嬢の父親が娘を叱り、母親がメイドに謝罪する。
貴族とメイドという立場を考えれば丁寧すぎる態度だが、それを指摘する者はこの場にはいない。婚約破棄を要求した令嬢自身、メイドを『様』付けで呼んでいる。
「クラリッサ様に謝りなさい!」
父親が娘に謝罪を促す。しかし、彼女は謝罪する気がないようだ。
「いいえ、私は謝りません。今のままでは、チェスター様があまりにお可哀そうです。今すぐ婚約を破棄し、別の相手を見つけるべきです」
令嬢は父親に反論する。
彼女の視線はメイドに向いたままだ。
当のメイドは、落ち着いた様子で令嬢を見ている。
「私がクラリッサ様の代わりに――」
「婚約破棄する気はありませんよ」
「えっ?」
声は少し離れたところから聞こえて来た。
落ち着きのある男性の声だ。
皆の視線が集まる。
穏やかな笑みを浮かべた男性が、正門の方から歩いてきた。
メイドが落ち着いた様子で迎えに行き、二人は正面で向かい合う。
男性の方がやや身長が高い。メイドが僅かに見上げる形だ。
「いらっしゃいませ。チェスター様」
「遅れて申し訳ない。クラリッサ、今日はメイドかい?」
「はい、私はお嬢様のメイドですから」
男性とメイドが、親しさを感じさせる雰囲気で会話をする。
そこに、主催者である伯爵がやって来た。隣には少女が一人ついて来ている。
「ようこそ、チェスター殿」
「ご招待いただきありがとうございます」
「こちらこそ。――クラリッサ様には、普通に参加して欲しかったのですがな」
「まぁ、彼女の好きにさせてあげてください」
男性が苦笑する。
次に、少女が男性に話しかける。
「いらっしゃいませ。チェスターさん」
「こんにちは、アリス」
「クラリッサには、出席してって言ったんですよ」
「困ったメイドだね」
男性が優し気な笑顔で応じる。
「全くです。大体クラリッサは――」
「お嬢様、口元が汚れていますよ」
小言を言いかけた少女の口元を、メイドがハンカチで抑える。
もちろん、口元は汚れていない。
そんな和気あいあいとした様子を、令嬢が唖然として見ている。
彼女の言葉など無かったかのような雰囲気だ。
◇
少女の名前はアリス。
お茶会を主催している伯爵家の令嬢で、現在十歳。年が明けると十一歳になり、来年から貴族学園の二年生になる。彼女は伯爵家の一人娘だ。将来は婿を迎え、伯爵家を継ぐことになる。
メイドの名前はクラリッサ。
アリス付の有能なメイドで、現在二十歳。アリスからとても頼りにされており、彼女の教育係も務めている。アリスにとって姉同然の存在だ。チェスターの婚約者だが、まだ結婚はしていない。
男性の名前はチェスター。
王国屈指の名門侯爵家の跡取りで、クラリッサと同じ二十歳。彼女と婚約している。とある理由から、婚約期間が既に五年近くになっている。
◇
クラリッサが紅茶を入れ、チェスターの前にカップを置く。
彼は紅茶を一口飲み、彼女に笑顔を向ける。
「今日の紅茶も、とても美味しいよ」
「ありがとうございます」
控えめな態度ながら、その顔には笑みが浮かぶ。
二人の仲の良さが周囲にも伝わる。
「熱々だね。そろそろ結婚したら?」
アリスが揶揄うように話しかける。
「あら? すてきな殿方は見つかったのですか?」
「うっ……」
「私を安心させてくれたら、結婚を考えても良いですよ」
何も言えなくなるアリスを見て、クラリッサは余裕の笑みを浮かべる。
この数ヶ月間、二人の間で何度も繰り返された会話だ。
チェスターは微笑まし気な視線を送り、アリスの両親は苦笑しながら二人を見ている。
そこに、第三者の声がかかる。
「無視しないでください!」
完全に放置されていた令嬢だ。
既に数分経っており、何を今更という感じではある。
皆の視線が集まる中、彼女の父親が叱りつける。
「いい加減にしなさい!」
「だって!」
「お前がチェスター殿と婚約出来るわけないだろう!」
「なんでよ!」
令嬢と父親が言い合いをする。
そんな中、チェスターが令嬢に話しかける。
「ヴェロニカ嬢」
どうやら令嬢の名前はヴェロニカと言うらしい。
ヴェロニカがチェスターの方を向く。
「チェスター様、クラリッサ様より私と婚約を――」
「先程申し上げたとおり、クラリッサとの婚約を破棄する気はありません」
「何故です!? 何年も放置され続けているのに!」
ヴェロニカが喚くように言う。
伯爵家の面々は落ち着いた様子で見ており、他の列席者はハラハラしながら見ている。
チェスターは席から立ち上がり、クラリッサの手を取る。
皆が見ている中、彼女の手の甲にキスをした。
女性陣からは、「まぁ」とか「あらあら」といった声が聞こえる。
彼の意図は明白だ。
クラリッサとの仲を見せつけたのだ。
彼女も嫌がる様子は見せない。
愕然とするヴェロニカに、チェスターが少し鋭い視線を向ける。
「私はクラリッサ以外の女性と結婚する気はありません。今回のことを問題にする気はありませんが、私のことは諦めてください」
穏やかな口調の中にも、明確な意思が込められている。
ヴェロニカへの警告だ。
彼女にもそれは伝わった。
少し怯えた表情で俯き、黙り込んでしまう。
沈黙を破る形で、伯爵が令嬢の両親に話しかける。
「ヴェロニカ嬢の事情は知っておりますが、このくらいにしておいた方が良いでしょう。チェスター殿がこう言っていますので、私も問題にする気はありません」
「ご容赦頂きありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
主催者の伯爵が仲裁をして、ヴェロニカの父親がそれを受け入れた形だ。
父親はチェスターにも謝罪をし、チェスターもそれを受け入れた。
これで、この件は終了だ。
「本日はこれで失礼させていただきます」
「ヴェロニカ嬢も大変でしょうが前向きに」
「ありがとうございます」
ヴェロニカの両親は頭を下げ、娘を連れてお茶会を後にする。
その様子を黙って見ていたアリスが、小声でクラリッサに質問をする。
「事情ってなんのこと?」
「彼女は縁談を断られ続けているのです」
「理由は?」
「性格的なものですね。貴族の妻には向いていません」
「それなのに、チェスターさんを狙ったの?」
「本人は貴族へ嫁ぐことを希望していますから。残る候補が男爵家の三男で、彼は冒険者をしているそうです。冒険者の妻になるのが、どうしても嫌みたいですね」
「そうなんだ……」
アリスはヴェロニカの背中を目で追う。
「お嬢様も、他人事ではないですよ」
「うっ」
「頑張らないと、望まぬ相手と結婚することになります」
「……はい」
アリスはため息を吐きたくなった。
◇
お茶会は何事もなかったように再開し、和やかな雰囲気のまま終了した。
貴族達が帰って行く中、チェスターだけは伯爵邸に残った。これから、アリス、クラリッサ、チェスター、三人だけのお茶会が開かれるのだ。
「サラ、紅茶を入れて頂戴」
「かしこまりました」
クラリッサが若いメイドに指示をする。ここからの彼女はお茶会の参加者だ。
彼女は席に座り、紅茶を味わう。
「五十点」
「うっ、申し訳ありません」
若いメイドが項垂れる。
二人の会話を聞き、アリスがフォローを入れる。
「クラリッサは厳しすぎるよ。サラの入れてくれた紅茶も美味しいよ」
「ありがとうございます。アリスお嬢様」
サラが少し笑みを浮かべる。
クラリッサは逆に不満そうだ。
「私の入れた紅茶よりもですか?」
「それは……クラリッサの紅茶の方が美味しいけど」
アリスがそう答えると、クラリッサは笑みを浮かべ満足そうに頷く。
「サラは私の後任ですからね。教育は厳しく行きます」
「頑張ります!」
若いメイドの名前はサラ。
男爵家の令嬢で、今年成人を迎えたばかりの十五歳だ。
クラリッサの後任で、アリス付のメイドになる予定となっている。
「まあ、お嬢様が相手を見つけるまでには、まだまだ余裕がありそうですけどね」
矛先がサラからアリスに変わる。もちろん冗談の類だ。クラリッサは笑っており、アリスはムスッとした表情で彼女を見返す。
「仕方ないでしょ。伯爵家の婿になれそうな男子は、全員婚約済みなんだから」
「お嬢様の自業自得ですね」
「うっ……それはそうだけど……」
アリスの声が尻すぼみに小さくなる。
◇
今年の春、アリスは当時の婚約者から婚約破棄を宣言された。この出来事について彼女に非はない。元婚約者への『ざまぁ』も成功している。問題の多い相手だったので、婚約が解消されたこと自体は、彼女にとっても良い結果だった。
しかし、次の相手探しが困難を極めることになる。
アリスは伯爵家の一人娘で婿を取る立場だ。彼女の婿になることは、将来の伯爵になるのと同じこと。当然ながら、彼女には縁談が殺到した。
しかし、婚約が白紙に戻った直後でもあり、伯爵は全ての縁談に断りを入れた。当面は彼女の成長を見守ることにしたのだ。
この出来事の最中、アリスはクラリッサに関する重大な事実を知った。
彼女はこの国の第一王女だったのだ。
王女が何故メイドをしているのか?
理由は単純で、アリスのことが大好きだからだ。
それを周囲が許している背景は色々あるのだが、ここでは割愛する。
更にその少し後、もう一つ重大な事実を知ることになる。
彼女には婚約者が存在する。相手は侯爵家の跡継ぎ――チェスターだ。
二人は二十歳。とうに成人しており、結婚適齢期の後半に入っている。しかし、二人はいまだ結婚していない。その理由は――
『結婚したら、お嬢様のお世話が出来なくなるじゃないですか?』
この言葉を聞き、アリスは心底驚いた。
結婚を遅らせる理由が自分のお世話だ。しかも相手は侯爵家の跡取り。とても納得出来る理由ではない。自分のせいで彼女の婚期が遅れるのも嫌だった。
アリスは彼女を説得した。
しかし――
『お嬢様はまだまだ子供です。とても放り出すような真似は出来ません』
『殿方を見る目もありませんしね』
『すてきな相手を見つけたら教えてくださいませ。私がしっかり見極めて差し上げます』
クラリッサにこう言われ、アリスはぐうの音も出なかった。
アリスの元婚約者は問題の多い男だったが、当時のアリスはそんな男に惚れていた。駄目なところに全く気付かないくらい夢中だった。
クラリッサの指摘に反論出来ず、アリスはその場での説得を諦めた。そして、彼女を安心させるべく、新しい婚約者探しを始めた。
しかし、そう簡単には見つからない。
貴族学園には同年代の貴族が集まっており、婚約の決まっていない男子も大勢いる。その中には、彼女に対し縁談を申し込んできた男子も多数存在する。
アリスは彼等を慎重に見極めた。
彼女は一度、婚約者選びに失敗している。安易に相手を決めることは出来ない。そんな相手を連れて行けば、教育という名の説教を受けるのは間違いない。
アリスは慎重に慎重を重ねた。
能力、性格、相性、その他諸々、間違えのないように。
その結果――
自分の婿になれる男子は、貴族学園に存在しないことが判明した。
◇
実際のところ、アリスに相応しい相手は中々いない。男性に求める条件が厳しすぎる面もあるが、それを抜きにしてもいないのだ。将来有望な男子というのは、既に相手が決まっている。
「妥協した方が良いのかな」
「それは駄目ですよ。相手にも失礼です」
「仕方ないよ。その相手がいないんだもん」
アリスは少し不満そうに言う。
クラリッサはそう言うが、本当に相手がいないのだ。
アリスはチェスターに視線を向ける。
彼はニコニコしながら、二人の会話を聞いていた。
「チェスターさんも何とか言ってください」
「そうだね。男の立場で言うと、妥協で選ばれるのは嫌かな」
彼は婚約者の意見に同調した。
クラリッサは満足そうに頷く。
アリスは不満そうに彼を見る。
「そう言うなら、誰か紹介してください」
ほとんど八つ当たりだ。
しかし、彼は困った様子も見せず、あっさりと要望に応える。
「私の末の弟はどうかな?」
「弟? エディ君ですか?」
「ああ、悪くはないと思うよ」
「私の方が年上ですよ?」
「一歳差くらい、珍しくもないよ」
そう言われ、アリスは少し考える。
エディは侯爵家の三男で、現在九歳。アリスの一つ下だ。
貴族に限った話ではないが、一般的に夫婦は同い年、もしくは男性が年上の傾向が強い。アリスもそれが普通だと思っており、年下という選択肢を無意識に除外していた。しかし、法律で決まっているわけではないので、年下と結婚しても何の問題もない。実際そういう夫婦も存在する。
「でも……」
年下を許容しても、アリスには懸念があった。
「私、エディ君から嫌われているんですよね」
アリスは苦笑いをした。
◇
今年の春、彼女はクラリッサが王女であることを知り、チェスターとの婚約についても知ることになった。その縁もあって、侯爵邸を度々訪問するようになった。
訪問の目的は、二人が会う時間を増やすことだ。クラリッサはメイド業を優先する傾向が強いので、用事がないとチェスターに会いに行こうとしない。
アリスはクラリッサの結婚をとても気にしている。自分の婚約者探しも頑張ってはいたが、二人の仲を取り持つことにも尽力していたのだ。
幸い侯爵邸と伯爵邸は隣同士なので、訪問するのは容易だった。アリスの努力で二人が会う機会は急増し、チェスターが伯爵邸を訪問する機会も増えた。アリス自身、チェスターとは随分親しくなっている。
その過程で、エディとも顔を合わせる機会があった。
アリスの目的は二人の仲を取り持つことだ。チェスターの家族に嫌われるのは良くない。彼女は親しみを持たれるように、笑顔で彼に挨拶をした。
しかし、エディの反応は芳しくなかった。
少し怯えるような表情をし、酷く他人行儀な挨拶を返してきた。
アリスは焦った。彼に嫌われると、クラリッサに迷惑がかかるかも知れない。彼と仲良くなるため、アリスは積極的に話しかけた。しかし、彼は一言二言返事をするのみ。
会話は程なく終了し、彼はその場を後にした。
その後、彼はアリスを避けるようになったのだ。
◇
「私と目が合うと、避けるようにいなくなるんです」
アリスはため息を吐く。
二人は顔を見合わせ、笑い声を零し始める。
「笑うことないじゃないですか」
「エディはアリスを嫌っていないよ」
「えっ?」
「それは、お嬢様の勘違いです」
アリスは不思議そうに二人を見る。
「エディはお嬢様を嫌っていません。あの子がそういう態度を取るのには理由があります。心当たりがありませんか?」
「えっ、私、なにかした?」
「今年の春の話です」
クラリッサは面白がっている。
チェスターも同じような表情をしている。
アリスは考える。
春の出来事と言えば、自分の婚約破棄騒動だ。
しかし、この件にエディは全く関わっていない。
「……全く身に覚えがない」
「本当ですか? お嬢様の婚約が白紙になった後のことです」
アリスは再び頭を悩ませる。
やはり答えは出て来ない。
「そろそろ教えてあげたら?」
チェスターが軽く嗜める。
「そうですね。お嬢様がかわいらしいので、少し遊びすぎました」
クラリッサはアリスに視線を向ける。
「正解は、お嬢様に届いた大量の縁談です」
「縁談? あっ、もしかして!」
「はい。あの中には、エディからの縁談もあったのです」
アリスの婚約破棄が成立した後、彼女には大量の縁談が届いた。
しかし、伯爵は全ての縁談に断りを入れた。彼女の成長を見守るためだ。
チェスターが笑いながら補足する。
「つまり、エディは『アリスを嫌っている』のではなく、『アリスから嫌われている』と思っているんだ」
「教えてくださいよ!」
「クラリッサから、口止めされていたからね」
「クラリッサ!」
「条件は他の方と同じですよ。お嬢様が勝手に候補から外していただけです」
クラリッサは自業自得という態度だ。
しかし、顔が笑っている。
アリスは不満そうな表情を見せるが、二人には微笑ましく見られるだけだ。
彼女は気を取り直し、エディについて尋ねることにした。
「クラリッサから見て、エディ君はどうなの?」
「不足がないとは言いませんが、候補としては悪くないと思いますよ」
「そうなの?」
「はい」
アリスは少し驚いた。
クラリッサは男性への評価がかなり厳しい。特に、アリスの婿に対しては相当厳しい目で見る。彼女の教育を受けたからこそ、アリスは相手を見つけられなかったとも言える。そのクラリッサが、エディのことを『悪くない』と評価した。つまり、相当に有望だとアリスは認識した。
アリスは少し考えた後、チェスターに視線を合わせる。
「エディ君をお茶会に誘っても良いですか?」
「興味を持ってくれたみたいだね」
「クラリッサが『悪くない』と言っていますから」
アリスが答え、チェスターが笑顔で頷く。
「お茶会に誘うのは問題ないと思う。話があったことは伝えておくよ」
「ありがとうございます。招待状を出しますね」
「分かった」
チェスターが頷く。
「お嬢様、招待するのはエディだけですか?」
クラリッサがアリスに質問する。
彼女を試すような雰囲気だ。
アリスはハッとして、チェスターに向き直る。
「チェスターさんも参加していただけませんか?」
「私もかい?」
「はい。私とエディ君は、ほとんど会話をしたことがありません。チェスターさんがいてくれた方が、話しやすいと思うんです」
「なるほど」
「それに、婚約者でもない男女が二人で会うのは、あまり好ましくありませんから」
アリスの答えに、クラリッサが満足そうに頷く。
これは彼女の教育の一つだ。淑女教育の意味合いもあるが、二人きりだとアリスが騙されかねないからだ。基本的に性格が素直なので、人の言葉を簡単に信じる傾向がある。大分改善したものの、まだまだ心配なのは変わらない。もちろん、エディがそういう人間だということではない。
「分かった。私も参加しよう。年末年始で忙しくなるから、日時は調整して貰えるとありがたい」
「ありがとうございます。全員が集まれる日にしますね」
アリスはそう答えると、クラリッサに視線を向ける。
「クラリッサも参加してね。チェスターさんの婚約者として」
「かしこまりました。お嬢様のお願いを聞き入れましょう」
「メイド禁止だからね」
「考慮します」
クラリッサは楽しそうに話す。
アリスはサラに視線を向ける。
「サラ、日時の調整をお願い」
「年明けになるかと思いますが、よろしいですか?」
「うん、皆、忙しいからね」
「かしこまりました」
サラが承諾する。
アリスは二人に視線を戻す。
「それじゃあ、エディ君について教えてください」
その後のお茶会は、二人がエディの話をすることに終始した。
◇
年が明け、アリスは十一歳、クラリッサは二十一歳になった。本来ならば、クラリッサは結婚に焦らなければいけない年齢だ。しかし、本人は全く焦っておらず、代わりにお嬢様が焦っている。
今日は、そんな焦りを解決できるかも知れない日だ。
伯爵邸で、エディを招いたお茶会が開かれる。
「ご、ご招待いただきありがとうございます!」
「ようこそ、エディ君」
アリスとエディが向かい合い、挨拶を交わす。
彼は十歳になったばかりだ。まだまだ幼く、男性というより男の子と言う方があっている。身長もアリスの方が僅かに高い。知らない人が二人を見れば、姉と弟だと思うだろう。
「(緊張しているな~)」
アリスは苦笑する。
エディはアリスと目を合わせられない。長い時間合わせていられない。目が合うと恥ずかしそうに視線を外す。オロオロと視線を泳がせる。再び視線を合わせ、また視線を外す。その繰り返しだ。
そんな弟を、兄がフォローする。
「すまない、アリス。今朝からずっとこの調子だ」
「兄上!」
「言われるのが嫌なら、アリスの目をちゃんと見ろ」
「分かっています!」
彼はアリスに視線を向ける。
今度は視線を逸らさず頑張っている。
アリスはニコリと笑顔を見せる。
その結果――
「真っ赤だな」
「真っ赤ですね」
エディの顔が赤く染まった。
非常に分かりやすい反応だ。
「兄上! クラリッサ様!」
エディは二人に抗議するが、微笑ましい視線が戻ってくるだけだ。
初々しい反応に、アリスも照れ笑いを浮かべる。
彼女は事前に話を聞いていた。彼は次期伯爵という立場にあまり興味を持っていない。単純にアリス個人に好意があるらしい。それはそれで困るのだが、アリスは素直に嬉しかった。
目の前の彼の反応を見て、それが事実だということを実感する。
「席に座りませんか?」
「その方が良さそうだね」
浮足立つエディを尻目に、クラリッサとチェスターがテーブルへ移動する。
「エディ君も席へどうぞ」
「は、はい!」
アリスに促され、エディが慌てたように動き出す。
三人は彼を見て苦笑した。
◇
紅茶を一口飲み、喉を潤す。
「五十五点」
「ありがとうございます!」
前回より点が上がったことにサラが喜ぶ。
何のことか分からないエディが、不思議そうな顔をする。
「何の点数ですか?」
「サラ嬢の入れた紅茶の点数らしい」
「サラはクラリッサの後任で、私付きのメイドになる予定なの」
チェスターとアリスが彼に教える。
エディが納得の表情を浮かべる。
「厳しいですね。普通に美味しいと思いますけど」
「お嬢様のメイドですからね、厳しく指導する必要があります」
「大変なんですね」
「婚約者には、更に厳しいですよ」
彼女はエディに視線を合わせる。
エディは少したじろぐ。
「クラリッサ、私とエディ君は、まだ婚約者じゃないよ」
「では、婚約者候補にも厳しくします」
「もう……」
アリスが少し呆れる。
「いえ! クラリッサ様に認めて貰えるように頑張ります!」
「選ぶのはアリスだからな」
「あっ! アリスさんにも認めて貰えるように頑張ります!」
「あははは……」
チェスターは呆れ顔で、アリスは苦笑いだ。
とはいえ、クラリッサに認めて貰う必要があるのは間違いない。
アリスは気を取り直し、エディに話しかける。
「でも、エディ君が頑張ってくれるのは嬉しいかな。婚約者が見つからないと、クラリッサが結婚する気にならないから」
「えっ?」
「そうですね。今のままでは心配で結婚出来ません」
「兄のためにも、エディは頑張ってくれ」
クラリッサとチェスターが、エディに笑顔を向ける。
エディは何か察したように、コクコクと頷く。
アリスは少し気になったが、特に指摘することなく会話は進んで行った。
二人の隠し事に気付かないまま……
◇
お茶会は和やかに進む。徐々にエディの緊張もほぐれ、会話も弾むようになってきた。
彼の才能や人間性は元より保証済みだ。侯爵家の三男なので、家柄の面でも問題は生じない。残るは二人の相性だけだが、それも問題はなさそうな雰囲気だ。
エディは彼女のことをよく知っている。以前から彼女を見ていたし、チェスターやクラリッサからも話を聞いていた。実際に会話をしてみても、その印象は変わっていない。
アリスは彼のことをほとんど知らなかった。前回のお茶会で二人から聞いた話がほぼ全てだ。会うまでは多少の不安もあった。しかし、実際に会って話をして、彼に対して好印象を持った。頼れる男性と言うにはまだまだ幼い。それでも、優しさや誠実さは感じられた。
お茶会が終盤に差し掛かる頃、エディが意を決したように顔を引き締める。
「アリスさん、僕はアリスさんの婚約者になりたいです。結婚を前提に、お付き合いしていただけませんか?」
アリスは一瞬驚いた後、頬を緩め嬉しそうに笑う。
「私もエディ君はすてきな男性だと思いました。今後も、お話しする機会を持てれば嬉しいです」
彼女がそう言うと、エディの顔が笑顔に変わる。
「ありがとうございます!」
「こちらこそ」
二人が笑顔を向けあう。
「とりあえず、第一関門は突破だな」
「第一関門ですか?」
エディが疑問の表情で、チェスターを見る。
チェスターは頷き、クラリッサに視線を向ける。
エディもつられて、彼女の方を向いた。
「本番はこれからだぞ」
エディの視線の先では、真面目な表情のクラリッサが彼を見据えていた。
彼は反射的に背筋を伸ばす。
「お嬢様に気に入られたようでなによりです」
「ありがとうございます!」
「ですが、エディには足りない所が、まだまだたくさんあります」
えも言われぬ威圧感に、エディが息を飲む。
「エディには、私の試験を受けて貰います。試験に合格しない限り、お嬢様の婚約者とは認めません」
「はい!」
エディは反射的に返事をする。
アリスは不満そうな顔で問いかける。
「エディ君のことは認めていたんじゃないの?」
「候補としては悪くないというだけです」
「まだ十歳だよ」
「もう十歳です。お嬢様の婿になるには、覚えなければならないことが、たくさんあります。のんびりしている暇はありません」
大事なお嬢様の婿だ。メイドは容赦する気などない。
アリスはため息を吐き、説得を諦める。
クラリッサはエディに視線を向け直す。
「エディ、覚悟は良いですね?」
「が、頑張ります!」
◇
お茶会の後、早速試験が行なわれ、エディは見事に不合格となった。クラリッサが定めた合格基準は、『お嬢様の婿に相応しい』かどうか。それは、彼の予想を遥かに超える高い基準だった。
その日から、訓練と試験の日々が始まった。
有能メイドの訓練は苛烈を極めた。厳しく、厳しく、時に更に厳しく、侯爵家の教育が児戯に思える内容だった。見かねてアリスが苦言を入れると、メイドは嫉妬して更に厳しくなった。
そんな時に頼りになるのが婚約者様だ。有能メイドも婚約者様に言われると、ほんの少しだけ指導が甘くなる。絶妙な飴と鞭の使い分けで、エディを教育し続けた。
二人にも仕事がある。常に指導を行えるわけではない。そんな時はアリスが彼をサポートし、二人で自主訓練を重ねていった。二人の仲を近づけることにも繋がり、短期間に随分親しくなった。大人達はその様子に目を細め、彼等の成長を温かな目で見守った。
訓練開始から約一ヶ月後――
「300点です」
「やった!」
クラリッサによる何度目かの試験が行なわれていた。
「これで、魔法の試験も合格ね!」
「そうですね。訓練を続ける必要はありますが、とりあえずは合格と言って良いでしょう」
「ありがとうございます!」
エディは昨日、魔力供給の試験に合格し、今日、魔法の試験に合格した。どちらもアリスには及ばないものの、クラリッサの定める基準にはぎりぎり届いた。
「残りは社交ダンスね」
アリスがやる気を見せる。
最後に残った試験は社交ダンスだ。この試験に合格すれば、クラリッサから合格がもらえる。既に互いの両親は認めており、合格を機に正式な婚約をする予定だ。
「随分とやる気ですが、そんなにエディが気に入ったのですか?」
「それもあるけど、私が婚約しないとクラリッサが結婚しないじゃない」
「そこまで気にしなくても良いのですよ?」
「気にするよ。私のせいで婚期が遅れるのは嫌だもん。クラリッサが結婚を嫌がっているならともかく、二人共ラブラブじゃない」
「ラブラブですか……」
クラリッサが苦笑する。
彼女の横ではチェスターも笑っており、エディも「うんうん」と頷いている。
今年の春に婚約が発覚して以降、アリスは二人の仲睦まじい様子を何度も目撃している。見つめ合ったり、さり気なく手を握ったり、手の甲や頬にキスをしたり……
「訓練中も偶にイチャイチャしていたし」
「……そんなことありませんよ」
「ダンスのお手本の後とか、私達の訓練を見ていなかったじゃない」
「……」
社交ダンスの訓練の際、チェスターとクラリッサでお手本を見せた。そのダンスはとても美しく、アリス達が見惚れる程に素晴らしいものだった。アリス達は二人を目標に頑張って訓練していたが、視界の片隅でイチャつくカップルのことも、しっかり認識していた。
口籠るクラリッサを見て、アリスは揶揄うような笑みを浮かべる。
「私、頑張るね――クラリッサが心置きなく、イチャイチャ出来るように」
「!?」
クラリッサが珍しく動揺する。
アリスの笑顔に揶揄い成分が増える。
彼女の反応を見たクラリッサが、表情を引き締める。
「……お嬢様の心遣いに感謝します」
クラリッサが平坦な口調で答える。
アリスは凄く楽しそうだ。
しかし――
「社交ダンスの合格基準を上げますね」
「えっ!? ちょっと待って!」
「随分と余裕そうですから」
「余裕ないから! 結構ぎりぎりだから!」
「広間に移動しますよ」
クラリッサは移動を始める。
アリスが必死に謝りながら、その後をついて行く。
更にその後ろでは――
「……兄上、合格出来なかったらごめんなさい」
「頼むから頑張ってくれ。準備は進んでいるんだからな」
男二人が悲壮感を漂わせていた。
◇
広間には先客がいた。
彼等は試験を見守るためにやって来たのだ。
「陛下!? 王妃様も!?」
アリスが驚きの声を上げる。
ピアノの演奏を務めるサラに加え、その場には六名の人物がいた。アリスの両親、エディ達の両親に加え、クラリッサの両親――つまり、国王と王妃まで来ていたのだ。
「なんで、陛下達がいるの!?」
「見学です」
アリスの質問にクラリッサが平然と答える。
「見学?」
「はい。試験の結果を随分と気にしている様子です」
両親達が真剣な表情でアリス達を見ている。
「頼むぞ! アリス!」
「あなたなら出来ます!」
アリスの両親である伯爵夫妻が言う。
「エディ! ここが踏ん張りどころだ!」
「あなたのためにも、チェスターのためにも、必ず合格を勝ち取るのです!」
エディとチェスターの両親である侯爵夫妻も、声援に熱が入っている。
「二人共頑張って! いい加減、娘の花嫁姿が見たいの!」
王妃が祈る様に言う。
そして――
「式の準備は整っているし、招待状も出しているんだ! 今更、中止には出来んぞ!」
国王からも激励が入る。
――秘密の暴露と共に。
「式の準備?」
「あっ!」
アリスが呟くと、国王が「しまった」という表情を見せる。
「どういうことですか?」
アリスが尋ねる。
国王が焦った様子を見せる中、他の面々は呆れた表情で彼を見ている。
クラリッサがため息を吐き、話し始める。
「私達の結婚式の準備は進んでいるのです」
「えっ!? どういうこと!?」
驚きの表情を浮かべるアリスに、クラリッサが説明を続ける。
元々クラリッサは、アリスの成人まで結婚する予定はなかった。チェスターとの婚約の条件でもある。彼もそれを受け入れていた。しかし、昨年の春にアリスがそのことを知り、クラリッサに結婚することを求めた。
アリスが自分を心配する気持ちは彼女にも伝わった。そこで、アリスに結婚を早める条件を示した。即ち、クラリッサが納得する相手を見つけることだ。
そして――
その条件は両親達にも伝わった。
「それを聞いた皆さん――まあ、主に私の両親ですが、式の準備を始めたのですよ」
「えっ? 婚約者は見つかっていないよね?」
「はい。一年あれば見つけられると判断したそうです」
「一年?」
「式の予定日は二月の末です」
「ええっ!」
アリスが驚きの声を上げる。
ちなみに今は二月中旬だ。
「もうすぐだよ!」
「はい、もう数日です」
「何で教えてくれないの!」
「教えたら、適当な相手で妥協するでしょう?」
「うっ……それは、まぁ……」
「ですから、お嬢様には内緒にしましたし、口止めもしていました。……まあ、どこかの国王様がバラしてしまったわけですが」
クラリッサが横目で父親を見る。
「お嬢様にバラしたら、結婚式は取り止めと申し上げましたが?」
「うっ」
娘の冷たい視線を受けて、父親が返答に詰まる。
一応、国王だ。
「とは言え、口の軽い国王様のせいで、二人の努力が水の泡になるのは可哀そうです」
クラリッサは二人に視線を戻す。
「試験は続行します。エディが合格することが出来た場合は、予定どおり結婚式を挙げることにしましょう」
「わ、私頑張るから!」
「僕もです!」
「まあ、合格基準は上げたままですけどね」
「だ、大丈夫。何とかする」
「期待しています」
クラリッサは笑顔を見せる。
そして、再び父親に視線を向ける。
「口が軽いのは、国王として問題ですね。後でお説教をします」
「クラリッサ、わたくしも手伝います」
「おねがいします。お母様」
「……すまん」
妻と娘に怒られ、国王が項垂れている。
チェスターとエディは、「ああはなるまい」と強く思った。
◇
大人たちが見守る中、二人が広間の中央で向かい合う。
クラリッサが合図を送り、サラがピアノを奏で始める。
二人が練習を重ねて来た曲だ。
エディがアリスの手を取り、ステップを開始する。
「あら」
「ほう」
伯爵夫妻が声を漏らす。
「随分上達したな」
「二人共すてきな笑顔ね」
侯爵がエディの上達ぶりに驚き、夫人が微笑まし気に二人を見つめる。
二人は流れるようにステップを踏む。視線を交わし笑みを向けあう。評価に値する素晴らしいダンスだ。彼らが驚くのも無理はない。
アリス達が最も練習をしたのが社交ダンスだ。その理由は、チェスターとクラリッサが見せてくれた手本にあった。初めての試験に不合格となった後、アリスは二人に手本を要求した。二人を揶揄うつもりで言ったのだ。
結果――
二人のダンスに魅せられた。
特別なことは何もしていない。振付はアリス達と同じものだ。なのに明らかに違う。二人は流れるようにステップを踏む。型通りなのに型を感じさせない。柔らかい笑みを浮かべ視線を重ねる。ダンスを楽しんでいるのがよく分かる。
まさに、王女と貴公子だった。
それ以来、二人を目標に練習を続けた。
その成果が今ここに表れている。
……
曲の終わりに合わせ、アリス達はダンスを終了した。
互いに礼を交わし、エディのエスコートで戻ってくる。
「どうでしたか?」
エディが緊張の面持ちで尋ねる。
隣に立つアリスも真剣な表情だ。
二人だけでなく、皆の視線がクラリッサに集まる。
「……」
クラリッサが無言で二人を見つめる。
二人は黙って返答を待つ。
僅かな沈黙の後――
クラリッサは二人に笑顔を見せた。
「よく頑張りましたね。合格です」
二人の顔が満面の笑顔に変わる。
「やった!」
「やりました!」
二人が喜びの声を上げる。
「良いダンスだったよ」
チェスターが二人を褒める。
「頑張ったわね!」
「百点満点よ!」
「素晴らしかったわ!」
夫人達も口々に二人を誉める。
アリスは輝くような視線をクラリッサに向ける。
「クラリッサ!」
彼女が何を訴えているかは明白だ。
クラリッサは苦笑しながら二通の手紙を取り出す。
「結婚式の招待状です」
クラリッサが招待状を差し出すと、アリスとエディが嬉しそうに受け取った。
アリスは喜びに満ち溢れた顔を上げる。
「プレゼントを用意しないと! 何が良い? 赤ちゃんの服とかどうかな?」
「気が早いですよ。それに、お嬢様の準備の方が先です」
「私の準備より、プレゼントの方が大事だよ!」
「駄目です。適当は許しません」
お嬢様とメイドが笑顔で言い合いをする。
周囲は二人を微笑ましく見ていた。
◇
試験から数日後の二月末日、王都にある教会で結婚式が行なわれた。
王女と次期侯爵の結婚式だ。大勢の招待客が来ており、上位貴族は一人残らず出席している。そんな中、アリスに用意された席は王族と同じ最前列だ。クラリッサとアリスの関係は知られているが、その親密さが改めて示された形だ。アリスのことを気にする貴族がちらほらいる。
しかし、アリスはそんなことを気にしてはいない。彼女にとって重要なのは、クラリッサを祝福すること。そして、彼女の花嫁姿を間近で見ることだ。
最前列は彼女にとって、願ってもない席ということになる。
視線はクラリッサが入場する扉にくぎ付けだ。
そして――
教会の扉が開かれる。
国王にエスコートされ、純白のドレスを着たクラリッサが入場する。
ヴェール越しに見える顔は微笑んでいる。
アリスは羨望の眼差しでクラリッサを見つめる。
彼女の知る、どのクラリッサよりも綺麗だった。
クラリッサの視線が僅かに横に動く。
彼女は慈愛の溢れる笑顔を見せる。
視線の先にいるのはアリスだ。
アリスもクラリッサに笑顔を返す。
クラリッサはバージンロードを進み、チェスターの元にやって来た。
そこは、アリスの目の前でもある。
国王が彼女の手を放し、チェスターがその手を受け取る。
二人は神父の前に並ぶ。
神の言葉が語られる。
神に祈りが捧げられる。
神への誓約が交わされる。
アリスはその様子をじっと見ていた。
忘れないように、目に焼き付けるように。
二人が指輪を交換する。
お互いの薬指にリングをはめ、二人が笑顔で見つめ合う。
「誓いのキスを」
神父の言葉の後、チェスターがヴェールを上げる。
世界中の誰よりも美しい笑顔がそこにあった。
そして――
二人は、キスをした。
◇
結婚式が終わり、披露宴へと移行する。披露宴が行なわれたのは侯爵邸だ。王族や上位貴族が続々とスピーチを行なう。二人の同級生も出席しており、二人に祝福の言葉を述べる。
アリスは手紙を朗読した。
クラリッサへの感謝の手紙だ。
弱い自分を守ってくれたことへの感謝。
何も知らない自分に、全てを教えてくれたことへの感謝。
姉のように愛情を注いでくれたことへの感謝
アリスの気持ちが一杯詰まった手紙だ。
クラリッサは感動のあまり号泣し、アリスもつられて号泣した。
誰よりも心に響く言葉となった。
披露宴が終了し、クラリッサが侯爵家に嫁いでいった。
今日から彼女は侯爵邸で暮らすことになる。
二人の別々の暮らしが始まる。
寂しい気持ちを隠し、アリスは笑顔で別れを告げた。
侯爵邸は隣だ。会おうと思えばすぐに会いに行ける。
しかし、アリスにその気はない。
寂しがっていると思われるから。
彼女を心配させてしまうから。
アリスは気丈にふるまう。
明日からは貴族学園の二年生が始まる。
エディも入学してくる。
一緒に通う約束をした。
だから、寂しさを隠し眠りにつく。
そして――
次の朝がやって来た。
……
……
……?
「おはようございます、お嬢様」
「……おはよう」
「早く起きてください。遅刻してしまいます」
貴族学園初日の朝、メイドがアリスを起こしに来た。
彼女のよく知るメイドが――
「えっ、なんで!?」
「何です?」
「なんで、ここにいるの!?」
「お嬢様のメイドですから」
「結婚したじゃない!?」
「結婚しても、私はお嬢様のメイドです」
アリスの目の前にはクラリッサがいる。
元第一王女、今日から次期侯爵夫人のクラリッサだ。
色々とおかしい。
「チェスターさんは!?」
「既に登城しています。貴族の朝は早いのですよ」
「そうじゃなくて! チェスターさんは知っているの!?」
「もちろんです。メイドを続けるのが結婚の条件ですから」
「え?」
アリスは耳を疑う。
彼女を尻目に、クラリッサが言葉を続ける。
「エディはまだまだ未熟ですし、サラの教育も終わっていません」
彼女の後ろでは、サラが苦笑しながら立っている。
「何より、お嬢様はまだまだ子供です。とても放り出すような真似は出来ません」
クラリッサが言い切る。
アリスは動揺を抑え返事をする。
「だ、大丈夫だから! もう、しっかりしているし! ……あれ?」
二人は会話をしながら、既視感を感じていた。
実は以前にもこんな会話をしている。
二人の頬が緩む。
「お嬢様が未熟なうちは、メイドを辞めるわけにはいきません」
「侯爵家のお仕事はどうするの?」
「問題ありません。義父は現役ですし、気にしなくて良いと言われています」
「夫人は?」
「エディのこともありますからね。義母も協力してくれるそうです」
アリスの顔は笑顔で一杯だ。
クラリッサも一緒に笑っている。
「ですから――」
優しい目でアリスを見つめる。
期待の眼差しでクラリッサの言葉を待つ。
「今後ともよろしくお願いします、お嬢様」
「――こちらこそ! クラリッサ!」
お嬢様とメイドの関係は続いていく。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
如何でしたでしょうか? 楽しんで貰えたなら幸いです。
お嬢様の婚約とメイドの結婚が2大テーマでした。
リズムが悪くならないように気を付けたつもりです。
結婚式は現実の教会式に沿ったものにしました。
ウェディングドレスとか、ヴェールとか綺麗ですよね。
社交ダンスは現実とは少し違うのかも知れません。
動画とかを見ると、相手の顔は全然見ていませんので(苦笑)
本文にはありませんが、序盤に出て来たヴェロニカ嬢の縁談は上手くいきました。
実際に会ってみたら、相性が良かったという設定があります。
続編投稿しました。