エピローグ
「まだ全部に納得したわけじゃないわ。説明はして」
あれから少しして、また疲れから少し寝てしまった私が起きた後、吸血鬼の部屋に行き説明を求めた。あの状況下で、私はこの選択をしてしまったけれど、納得できていない部分も多い。
「ふむ、どれについて説明が欲しい?」
相変わらずの吸血鬼は、いつものような態度で、安楽椅子に腰かけながら私の話を聞いている。
「まず、父さんのこと」
「ああ。彼は数年前にここに来て、そして俺と話した者だよ」
「もっと詳しく教えてよ!」
「不服か? まぁいい。彼はここにきて、俺の戦い方が人を殺すものではないということに気づき、会話を求めてきた」
「人を殺さない?」
「俺は人を殺したことなどないよ。先ほどのように転送こそすれ、命を奪ったことはない。庭にいる使い魔たち、お前がここに来るまでに切り払っていたのもただの害のない魔力の塊だ。ただ、攻撃を受けると精神的に『呪われているのでは?』と疑いたくなるような見た目にはしているがね。君は一度も被弾しなかったから気付かなかったんだろう」
あっけらかんと、衝撃の事実を吸血鬼は言う。
「わざわざ殺すこともあるまいて。ただ、兵たちにそう何度も攻められてはたまらないからな。恐怖を植え付けただけだ」
「な、なんですって……」
頭がくらくらいてきた。
「じゃぁ貴方は、人間を攻めたこともなければ、考えたこともないの? 私たち人間が一方的に攻めていただけってこと?」
「そうなるな。まぁ、ここのあたり一帯は良い土に恵まれている。土地も平地で開発しやすい。そこに俺のようなものがいるのだ。理由があるとすればそれだな」
「そんな、そんなことで……」
そんなことでこれだけことをしてきたの? そのために、父さんは……。
「そんなことのために、父さんを」
落ち着いていた怒りが、今まで信じてきたものへと向けられる。国と、自分と――。
「……勘違いしているようだが、アイツは生きているぞ?」
「……は?」
「そも、俺に一太刀どころか半分雑巾のようにしてくれた男が早々にくたばってくれては困る」
何を言っているんだこの男は。
「父さんは国に殺されたんじゃないの!」
思わず掴み掛らん勢いで身を乗り出す。
「誰も言っていないだろう、そんなこと。行方が分からないとは言ったが」
開いた口が塞がらない。
「今日と同じ理由だ。お前を消そうとしたように、アイツの時も軍が来ていてな。不意打ちだった挙句急を要したし、俺も負傷していたのでな。確かな転送位置を定められずに、とにかく遠くの地に転送したのだ」
「じゃあ、生きてるの?」
「おそらくな」
ここ二日で何回目だろう。また足から力が抜け、へたり込んでしまった。
「どうした。また腰が抜けたか御嬢さん」
「……そういうことは早く言いなさいよ」
「初めに言って信じたのか?」
「うるさい」
本当に、この二日間は常識を壊されてばかりだ。最期のは特に効いた。うれしくて仕方がない。
「よかった……!」
思わずギュッと、胸の前で手を組む。涙ぐむ視界を拭い、今度は自分の足で立つ。
それを見ている吸血鬼は、これまた一段とにやにやした顔をしている。
「……なによ」
「いや、なんでもないさ」
吸血鬼の態度にむすっとしていると、扉がノックされた。
「坊ちゃん、お客人。夕食の支度が整いました」
「ああ、今行くよ」
そう言って、吸血鬼が扉を開けるとそこには使用人がみんないた。
「ご主人様、今日はパーティーだそうですよ!」
少年は嬉々とした表情で、自分の主に話しかける。その笑顔を見て、ちくりと胸が痛んだ。
「……えっと、ごめんなさい。知らないとはいえ、さっきは失礼なことをしたわ」
「いえいえ! ご無事なら何よりですよ」
変わらない、人懐っこい笑顔で許してくれる。その後ろに隠れるようにいる少女にも、謝らなくてはいけない。
「あなたも、恋人に悪いことをしたわね」
「うえぇっ! い、いや、大丈夫ですよ。お気になさらないでください」
なんでかものすごく慌てふためいた後、顔を真っ赤にしてはにかんだ。「こ、恋人だなん
て」とつぶやきながら、もじもじとしている。なんだかすごく可愛らしくて、こっちも自然と笑顔がこぼれた。
「……おぉ」
と、その場にいる全員が突然感嘆の声を上げた。
「な、なによ?」
「いやなに、初めて笑顔を見せてくれたのでな」
そう言って、吸血鬼はくつくつと喉で音を立てる。
「……ほっときなさいよ」
思わずそっぽを向いてしまう。絶対に顔が赤い。
「えへへ、騎士様、かわいいです」
そう言って少女が腕に組みついてきた。本当に照れるからやめてほしい。
「か、からかわないでよ。ほら、ごはんなんでしょ」
「そうですね。早くいきましょう」
そう言うと少年と少女は、さぁ早くと、執事を連れて食堂へと急いだ。その背中に、私は少し迷いながらも声をかけた。言っておかなければならない。
「その、アルメさん、クシェル、ユリカ。ありがとう」
三人は振り返ると皆一様に、優しい笑顔を向けてくれた。
「……ずいぶん素直になったじゃないか」
吸血鬼はいまだにくつくつと言っている。
「そんなにおかしい?」
「いや、微笑ましいのさ」
そう言った彼の顔もまた、手を取ってくれた時のような優しい笑顔だった。
「――!」
急激に顔が熱くなるのを感じ、顔をそらす。それを見た吸血鬼はまた笑って、食堂へと歩き出した。
「……ねぇ」
最後に、すべてが終わってから一番気になっていたことを訊こうと思った。みんなのいる前では訊きづらいことだったから、今訊いておきたかった。
「……私に恋したってやつ……あれはどういう意味なの?」
彼は立ち止ると、振り向かずに答えた。
「……俺たちには〈こころ〉があると言っただろう? でもその〈こころ〉というものは自分
と違うものは受け入れられない。そういう風にできている。だからこそ魔族と人間の間には溝があるし、人間同士、魔族同士でもそうだ。自分と違うものを受け入れるというのは苦痛だ。それは変わらないし、変えられないだろう。なのに〈こころ〉は、違う〈こころ〉を欲するの
さ。矛盾しているのにな」
それでも、と言って彼はこちらに振り替える。
「そんな痛みなどどうでもよくなるほどに、お前が欲しいと、お前の真っ直ぐな〈こころ〉が欲しいと――そういうことだよ。俺がお前に恋をしたというのは」
こちらを見つめる紅い瞳は、どこまでも澄んでいるようだった。
「――俺はお前に、リーベ・シクザールに、恋をした。それだけだよ」
きっと、本気で言っているのだろう。この馬鹿みたいに優しい吸血鬼は。
「……早くいきましょ。ご飯が冷めちゃう」
「……ははっ、そうだな」
彼はそのまま歩き出す。どうして彼はそうやって生きていけるのだろう。どうして、そういう生き方をしようと思ったのだろう。
分からない。分からないから、彼についていこうと思った。
「――ありがと、ヴィルヘルム」
この分からない気持ちも、いつか分かることができるように。