9.溺れるほどに愛される後日談-申
「参ったぞ、雛姫。入れてくれんか」
という声が扉の向こうから聞こえてくるので、一瞬知らんふりを決めてやろうかと思案したところ。
「だめよお、雛姫様。怒られたいのお?」
無言で服の裾を掴むわたしの手をやんわりと外された。
が、再び握りこむと「仕方ないわねえ」という顔をしてくれる。好き。
昨日から來姫様にべったりで大変に幸せだった。
「うう…もう少し…」
「わたくしも流石に陛下をお待たせしたくないわあ。」
ずるずると扉までついてきてしまった。
「むう…ではまた明日よろしくお願いします」
扉まで来てしまったので、渋々手を離した。
「お待たせしました、どうぞ」
渋々。本当に渋々と入室を許可すると、にこっと微笑まれた。
今日も金茶の髪を編んで垂らしている。
無言でずいずいとこちらへ来たあと、ぎゅうっと抱き締められる。
「少し返事が遅かったようじゃがどうかしたか?」
「いえ、先ほどまで來姫様がいらっしゃったので」
出入りする扉が違うからわからないのは仕方がないけれど、なんで抱き締められてるんでしょうね!
「…雛姫は來姫の方が好きなんじゃな?」
穏やかで優しい声ではあるけれど、わたしの第六感(※"嗅覚")が警鐘を鳴らしている。
あ、これわたし泣かされるやつ。
この方、初対面の時にわたしがわんわん泣いていたからか元々の資質なのか、ことあるごとに泣き顔を見たがる真性だ。
サド的な意味で。
「そうじゃ、儂のことは影と呼んでくれ」
「はい、影さまですね。」
素直に従っておきます。
馬王陛下とはまた違う嵌め方してくるんだよね、この人。
「さて、今日は外へ行こう。」
「えっお外行ってもいいんですか!!」
唐突だけど魅力的なご提案に思わず食いついてしまう。
何を隠そう王が来るようになってから庭より外へ出られてない。
体が鈍ってしまうな、と思っていたところだった。
「ああ、じゃが儂にもうま味が欲しい」
ひえ、イケメンが至近距離で目を細めてずるい顔をしている。
「は、はい?」
「おぬしの罰とは別に、おぬしの口から接吻を強請って欲しいんじゃが」
う、うぐう…
わたしが外に出たいだろうなっていう絶妙なタイミングを狙ってとんでもない要求をしてきやがった。
もしかするとさっきの『來姫様のほうが好き』への報復かもしれないけど。
『キスして』と言うだけならわたしの判断ではできそうなのに、雛の体が全力で拒否してくる。
雛としての経験と、記憶のなかのわたしが乖離しているせいか、たまにこういうバグを起こすんだよね。
うん、決してわたしの経験が浅いとかそういうことじゃないから!!
でも無理、はずかしい。
顔が自然と上気する。
「ほれ、まずは儂に口付けよ」
抱き上げられたまま至近距離で囁かれ、そのままちゅっと口付ける。
すぐに離れたけれど、追撃はないことにほっとする。
いや、多分わたしが強請るという決断を下すことを確信しているのだ。
外に出ることひとつとってもこれだよ畜生め。
でも抜け出すと後が怖いし…
「先に、言わなければならないのですか?」
「ん?先延ばしにしたいタイプか?まあいいじゃろう。楽しみにしておるぞ」
お、なんと先延ばしできた。
これで楽しいことを先にできる!
***
影さまに抱き抱えられたまま、来たことのない山をずんずんと登っていく。
「あの、わたしも歩けるのですが…」
「それはいかん。怪我をさせてしまうからのう」
外に出た意味皆無。
離れたところにたくさん護衛がいるし、問題ないと思うんだけどな!!
「おぬしは脆弱な種じゃというのが儂らの共通認識じゃ。せめて平らな場所までこのままでいかせてくれんか」
と言われてしまったので渋々頷いた。
やがて辿り着いたのは、この天空領で一番低い山らしい。
子供でも登れる程度の、少々見晴らしがいいという山。
小型のドラゴン程度しかでない安全な場所らしい。
「さて、ではここで儂と鬼事でもするか」
にこっと微笑む顔に、嫌な予感しかしなかった。
「…はい?」
「儂がおぬしを捕らえればおぬしには儂の言うことをひとつ聞いてもらおう。おぬしが時間まで逃げきれれば、今後外へはただで連れてきてやろう」
更に重ねてきやがった…!
「あの拒否することは…」
「ふむ…敵前逃亡じゃな。それも手じゃな。じゃがその場合はここでおぬしを抱く」
「…は…?」
間抜けな顔をしてしまったのを揶揄うように笑われる。
「王らが見ておるのはあの部屋だけで、外へ出れば見られん。」
なるほど、外に出ちゃえば無法地帯というわけだ!
嘘か本当かまではわからないけれど、言うことを聞くしかなさそう…だ。
多分…嘘…だとは思うんだけど、どうかなあ。
ちらっと顔色を伺ってみても、飄々とした顔つきのままこちらを見ているだけだ。
「…やります」
真偽を見分けられないわたしには、どうせこれしか道はなかったのだろう。
嘘だとが思うけれど、抱かれたくはない。
***
わたしは護衛を2名引き連れたまま山道を駆ける。
結局こうなるなら最初から歩かせてくれてもよかったのに。
抱えて歩いていたのはやっぱり影さまの我侭だったようだ。
まあもういいんだけど。
一時的にちりちり鳴る呪術は止めてもらった。
木の上を"身軽"を使って走っているのだけど、護衛の人もちゃんとついて来られているあたりでこれやばくない??逃げ切るの無理じゃない??と焦ってきている。
いやでも麻痺薬も持ってきているし、"眼力"も使える。
"跳躍"や"飛翔"もあるので勝算は0ではないのだ。
適当な木に目をつけ、わたしは一番上まで登ると息を潜めた。
一応護衛の方も邪魔をする気はないようで、同じように息を潜めていてくれる。
鬼ごっこは体力を温存して隠れるのが一番だと思う。
わたしが逃げ切ればいいのはたった30分。
なんとかなる。
と、少し気を緩めた瞬間。
この辺りで一番高い木に登っていたはずなのに、何故か上から人影が降ってくる。
「!?」
「儂らは呪術を使うことを忘れたか?」
なんて笑っている。
そうだ、ずるい。呪術があった。
わたしは間一髪で木から飛び降り、地面を駆ける。
木の生い茂るここは、むしろ不利だったのかもしれない。
わたしには影さまの気配なんて感じられないのに木の陰から急に現れるのだもの。
それでも"脚力"を使い駆けることで少しだけ距離が生まれる。
"体力"を使いスタミナを誤魔化し、さきほどまで居た開けた場所まで走った。
影さまを確認しようと後ろを振り返ったところで。
「捕まえた」
と、何故か前から抱き締められる。
「はあ、はあ…えええ…」
もはやどうやったのかわからない。
瞬間移動とかできるのこの人たち。
「久々に体を動かすのはええのう。さて、何をしてもらおうかの」
まだ肩で息をするわたしとは違い、全く息を乱さない余裕の態度。
これが種族の差なのか、それとも王というのが特別すごいのか、わからない。
もういろんな力も使ってしまって疲れ切っていたので、大人しく影さまに体重を預けてしまう。
「さて、まずはここへ連れて来た礼が欲しいのう」
「うっ…」
恥ずかしさで頭が沸騰し、目が潤んできてしまう。
あまり見られるのは恥ずかしいから、ちょっとだけ目を逸らす。
蚊の鳴くような声で、「くちづけて、くださいませ」と漏らすと、すぐさま顎を掬われて口付けられた。
ほんの10秒ほどだったけれど、最後にぺろりと唇を舐められてびくりと体が跳ねた。
「な、なな」
口をばっと押えて影さまを見ると、とろとろの笑顔でこちらを見ている。
あ、だめだこれ。
こういう顔をしている王たちは、だいたい理性が飛んでる時だ。
さすがにわたしも学習したぞ。
がくがくと体が震えだし、目にはつい涙が浮かぶ。
それがぽろ、と零れた時。
ちゅっと口付てそれを拭われる。
「…斯様に怯えた顔をされるとさすがに萎えるのう」
はあ、と苦笑いと共に溜息を吐く影さまは、もう怖い顔ではなかった。
「ちょっとしたいたずらじゃったんじゃが、雛姫はかわいいのう。」
よしよしと頭を撫でられて、やっぱり抱き抱えられたまま星を眺めた。
「儂からの願いはこれじゃ」
するりと耳たぶを撫でられる。
きょとん、と首を傾げると、鏡を見せてくれる。
右耳に、小さなピアスがついているようだ。
呪術でつけたのか、取れない。
「これはおぬしが昨日のように無体を働かされそうになった時に身を守るお守りのようなものじゃ。つけておれ」
「…ありがとうございます、影さま」
結局この人は、わたしのためにわたしを外へ連れ出してくれて、わたしの身を守るものをくださっただけだ。
いやちょっとは好きにも振舞っただろうけど。
優しさがわかりにくいだけなのかもしれない。
少しだけ考えを改めて、わたしは星を眺めたまま眠ってしまったのだった。
「ああ、寝てしもうたか。よい夢を、雛姫」
そんな声が聞こえた気がしたので、今日はいい夢が見られるだろう。
毛色は違いますがよかったらこちらもお願いします。完結済みです。
『光の勇者は竜の姫と月の騎士に執着される』
https://ncode.syosetu.com/n6804fq/




