二つの結末
「おや、丁度いらっしゃったようだ」
いらっしゃった? それはさっきピーキーが言っていた重要参考人とやらだろうか?
それも一人ではなく、一匹と言っていたが……。いったい何のことだ?
「まあ、見た方が早いでしょう。みなさん私についてきてください」
ピーキーはそういうと、すたすたと一人、階段を下って行く。
だがその途中で僕を振り向き一言。
「そうだ、レン。捕獲用のネット、まだ持ってるか?」
「え? ええ。持ってますけど」
「それはよかった。ちょっと貸してくれ。ああ、それとすまなかったな。さっきは未亡人がどうとか言って」
「? いえ、いいですけど……。僕も未亡人が嫌いなわけではないですから」
ピーキーは僕の答えににやりと笑うと、捕獲用ネットを受け取り、階下へと急ぐ。
屋敷の面々もまだ犯人が誰かという謎を抱えつつも、素直にピーキーについていく。
階段を下る途中、あっ、とつぶやく声が聞こえた。
声の元を振り返ると、忘れていたことを思い出したといった風に足を止めるアナスタシアさんだった。
「どうかされましたかな? マダムアナスタシア」
「い、いえ。なんでもありません……」
ピーキーの言及にも言葉を濁す。
何やら怪しいな……。もしかしてアナスタシアさんが犯人? しかし密室のトリックはどうやって説明するんだろう?
しかし、僕のそんな思考はいよいよ近づいてきた物音でさえぎられてしまった。
それは何かをあさるような音で、今もなお食器が床を転がる音が聞こえてくる。
……泥棒? それじゃああいつが犯人だろうか? でも、ピーキーは犯人はあの部屋の中にいるといったし……。
「皆さんはここでお待ちください。レン、部屋の出入り口をふさいどいてくれ。俺が追い込むから、足元に注意しておけよ」
「は、はい!」
ピーキーは僕にそう指示を出すと、ゆっくりと扉をあけ、部屋の中に入っていった。
その様子をアナスタシアさんは緊張しながら見守っている。
それから部屋の中では何かに語り掛けるピーキーの声と、そこらを暴れまわる重要参考人の音が聞こえてきた。
鋭く息を吐く音や、食器が割れる音、ピーキーが「こら待て!」と叫ぶ声がひとしきり聞こえてきた後、何かが目の前にやってきた。
「レン! そいつだ、足止めしろ!」
ピーキーの言葉の意味を理解するより早く、僕の体は動いた。
足元を通り抜けようとする黒い何かをとっさに足でガードする。
黒い何かは慌ててブレーキをするが、勢い余って僕の足にぶつかった。
その感触は柔らかく、モフモフしていた。
「そら捕まえた!」
ピーキーが捕獲用ネットを黒い何かにかぶせると、それは暴れ始めた。
それはニャーニャーと騒ぎ立て、ネットからはい出そうと必死だったが、出られないことが分かるとおとなしくなった。
大人しくなったそれは、コバルト色のきれいな毛並みをした猫だった。
「ああ! そんな乱暴にしたらブーニャが可哀想ですわ……」
「マダムアナスタシア、やはりご存じなのですね?」
アナスタシアさんは観念したように頷くと、この猫がこのところ昼から夕方にかけてこの屋敷に出入りしていることを話した。
しかしこの猫、どこかで見覚えが……。
「……ってこれ! ティーちゃんじゃないですか!?」
「え、あっ、本当じゃないか! やったな。これで向こう1週間は豪華な食事ができるぞ!」
そこまで気づいていたわけじゃないのか、名探偵。
それはそれとして、なぜティーちゃんがこの屋敷に出入りしていたのだろうか?
「しかしそうか、そいう言うことか……。ようやく合点がいった。重要なピースもそろったことですし、そろそろ事件の全貌をお話ししましょう」
ピーキーはそういうと近くにあった椅子に腰かけて、足を組む。僕にティーちゃんを手渡してから、だが。
僕の手の中に来ると、ティーちゃんは不満げに「ブニャー」と鳴いた。
「先程この中に犯人がいると言いましたね。その犯人は他でもないあなたですよ、マダムアナスタシア」
そう言ってアナスタシアさんを見る。
アナスタシアさんは驚いた表情で口を開け、抗議する。
「私は殺してなどいませんわ! 彼のことは気にくわなかったけれども、殺すほどではありませんもの!」
「そうでしょうね。あなたは殺してはいない。しかし、この事件の犯人ではあるんですよ」
そういうとピーキーは部屋の窓を指し示す。
その窓は少しだけ開いていて、ともすれば換気のためのように見えるが、見方を変えれば猫の出入り口のようにも見える。
「あれは猫を招き入れる用に少し開けているのでしょう。事件が起こり、それどころではない今日も開いているということは、常日頃から開けているという証拠です。そして」
次にピーキーが指示したのはその窓に近いところに転がっている小皿だ。
中には水が入っていたのだろうか、この騒ぎで転がった拍子にこぼれたらしく、辺りに水がこぼれている。
「あの小皿は猫にあげるために用意している水でしょう。これも窓と同じく、常に出している。しかしこの家には猫の毛は見当たらず、2階の部屋や、このキッチンの扉は固く閉ざされていた。猫の飼い主というのは猫のために少しの隙間をあけておくものです。つまりこの猫はここの飼い猫ではない」
その推理はもっともだが、それがこの事件と何の関係があるのだろうか?
「そしてマダムアナスタシア。この猫、ティーちゃんがここに出入りするようになったのはあなたのせいではありませんか?」
ピーキーの指摘に、戸惑いながらも肯定するアナスタシアさん。
どうやらティーちゃん失踪事件はこれで解決しそうだが、ラペルドさん殺人事件の解決にはなってないぞ?
まさかピーキーのやつ、犯人は犯人でも、ティーちゃん失踪事件の犯人のことじゃないだろうな!?
いやしかし、ピーキーはさっきの反応からして、この屋敷に出入りしているのがティーちゃんだとは知らないかったようだ。
と、言うことは……、どいういうことだ?
「おそらく餌付けされたのでしょう。ティーちゃんは食いしん坊という話でしたから、何かおいしい料理でもあげれば、一発で餌付けされてもおかしくない。もしそれがお屋敷のおいしいお料理ならなおさら」
「まさか……!」
まっさきに何か思い当たる節があったのか、声を上げたのはリペルムさんだった。
驚いた表情を浮かべた後、恨めしそうにアナスタシアさんを睨みつける。
「アナ、あなたあの人の食事をこの猫に与えていたのね!?」
えっと、もしかしてラペルドさんの食事をティーちゃんに与えていたってことか?
でもなんでそんな真似を?
「どういうことなんだアナ!? なぜそんなことを……!」
ベロルトさんも驚きを隠せない様子でアナスタシアさんを見る。
アナスタシアさんは少しの沈黙の後、口を開く。
「そうです。あの獣人族の食事をこの猫に与えていました。初めは捨てていたのですけれど、次第にブーニャ……、ではないのですよね。ティーちゃん、がかぎつけてくるようになって、それからは家に招き入れて食事を与えていました」
「理由を話していただけますか」
ピーキーは諭すようにそういうと、アナスタシアさんは観念したように頷く。
「私は幼いころ獣人族に乱暴されて以来、獣人族が嫌いでした。最近は年も取りましたし、露骨に嫌な顔はしないようにしてきましたが、それでも男の獣人族を見ると、あの時のトラウマが甦って、虫唾が走るのです」
リリス夫妻が雇われて、ともに生活をするようになって、アナスタシアさんは日々恐れながら暮らしていたらしい。
リペルムさんは女性であるし、それほど嫌悪感を抱かなかったが、男性であるラペルドさんにはどうしても嫌悪感をぬぐいきれなかった。
そういった心的ストレスが積み重なって、アナスタシアさんはラペルドさんに対して嫌がらせをするようになった。
例えばそれは過酷な労働であったり、食事を与えない、もしくは少量のみに絞ることであったり。
ラペルドさんが死の間際に衰弱した様子だったのは、これが原因だろう。
ということは、死因は栄養失調か、過労死か。もしくはその両方か。
「でもまさか死んでしまうなんて! 誰が思いますか!?」
「死んでしまう? 何をおっしゃってるのですか、彼はまだ死んでなどいません」
「「……え?」」
これには一同唖然とする。
死んでいない? あのラペルドさんが?
アナスタシアさんをかばうため? リペルムさんを元気づけるため? 何れにしても嘘の出来としては三流だ。
「おや、そういえばその説明がまだでしたね。それでは皆さん、上に戻りましょう」
ピーキーはそばにあった水差しに水を入れると、それをもってキッチンをでる。
それを皆で追いかけ、2階へと戻る。
ベットを見るが、相変わらずラペルドさんの遺体が横たわっている。
あの状態で生きているなどと、よくもまあそんな嘘がつけたものだ。
「ピーキー、いくらなんでもその嘘には無理がありますよ。どう見たって死んでるじゃないですか。体も冷たいし、呼吸もしてない」
「まあまあ、レン、猫缶はまだ持ってるか?」
「持ってますけど……」
「それはいい。少しでいい、彼にそれを食わせてやれ」
「はぁ、わかりました」
僕は封を切ったまま袋に詰めていた猫缶を取り出し、ラペルドさんの口の中にそれを入れる。
そこにピーキーが近寄って来て、水を流し込む。
すると、ラペルドさんの喉がかすかに動き、やがて口の中のものを飲み込んだ。
「う、動いた!? 本当に生きてるんですか!?」
「だから言ったろう。生きてるって」
「ああ、あなた! 生きていたのね!?」
リペルムさんは真っ先にラペルドさんに飛びつくと、泣き始めた。
しばらくしてラペルドさんはゆっくりと目を開けると、周囲を観察し、あぁと息を漏らすように呟いた。
「なにやらご迷惑をおかけしたようですね」
かすれた声でそう呟くラペルドさん。
ピーキーは笑みを浮かべて少し休むように言った。
「ま、まさか生きているなんて」
「うん、俺も驚いた。彼は死んだように見えてその実、冬眠状態だったんだ」
冬眠って……人間でもできるのか?
あ、そうか。ラペルドさんたちは獣人族。それも確かリスの獣人だったな。
リスはシマリスをはじめとして冬眠する種がいる。リリス夫妻はそれらの種なのかもしれない。
「おそらく食事を極端に制限されたために、本来するはずのない冬眠をせざるを得なくなったのだろう。本来は食事が年中食べられるから冬眠の必要はないんだがね」
「なるほど……。それにしてもよくわかりましたね」
「ふふっ、そこはこの名探偵ピーキー・グリムディンギルだ。観察と推理だよ、レン」
自慢げにそういうと、ピーキーは部屋の外に出て、壁を背に寄りかかる。
どうやら夫婦の再会を邪魔しないようにしているらしい。彼は基本的には紳士なのだ。
「ムッシュラペルドの体を調べた時、目立った外傷はなかった。それはレンも確認しているね。さっき言った通り、毒殺の可能性も極めて低い。となると、獣人族特有の何かではないか、と考えたわけだ。最初は獣人族には特殊な条件下で死んでしまう何かがあるのではと睨んでいたのだが、彼がリスの獣人であることを思い出してね」
「リスは冬眠する、ですよね。でも、よく獣人族が冬眠するなんて知っていましたね」
「前にそう言ったケースに出会っていてな。獣人族は人よりも獣に近い性質をしているとね。後はなぜそうなったのかを探るだけだ。答えはご覧の通りだが」
だがしかし、少し待ってもらいたい。
今は冬ではない。いくら食事がとれなくなったからと言って、冬眠するものなのだろうか?
そのことをピーキーに話すと、彼は笑って言った。
「レン、冬眠は外気温の低下に伴う適応であるとともに、食事ができない冬を越すために行われるものだ。食事がとれない現状では冬眠状態に入っても何ら不思議ではないのだよ」
そいういうものなのだろうか? また適当言ってるわけじゃないだろうな。
そんな疑問を込めて曖昧に返事をしておく。
「じゃあ、アナスタシアさんが事の発端だとなぜわかったんですか?」
「簡単なことだ、レン。彼女に俺がした質問を覚えているか? 動物は好きかって」
そういえばそんなことを聞いていたな。あれは何か意味があったのか。
「あの時彼女は猫は好きだが大型動物は苦手だといった。真っ先に猫が出てきたということは最近猫に触れているか、過去に飼っていたか。ムッシュラペルドが冬眠しているという仮説に基づいて考えれば、答えは前者だ。わかるか?」
「ええ、ラペルドさんの食事がどこに消えているのか。答えは近所の猫、ということですよね」
「そうだ。そして、大型の動物、これには獣人族も含まれているのではと思い当たれば答えはおのずと出てくるだろう」
まあ、一見して筋は通っているように感じられる。
少し都合のいいように推理が進んでいる気もするが、結果としてその通りになっているのだから、僕の推し量れない要素があってそんな推理になったのかもしれないな。
「でもこれで事件解決ですね。まさか殺人事件じゃなかったのは驚きですけど、誰も死んでいないならそれはいいことですから」
「ああ、帰ってマダムにティーちゃんが見つかったと連絡しなくてはな! これでしばらくはまともな飯が食えそうだぞぅ!」
それから僕たちは惜しむアーガルド邸の皆さんに別れを告げ、事務所へと帰っていく。
また後日、落ち着いたらお礼に来るって言ってたし、もしかしたら向こう1週間の食事が豪華になるだけでは済まないかもしれない!
そう考えると、ティーちゃんを抱える腕にも力が入る。
ティーちゃんは苦しそうにブニューと鳴いていた。
次は後日談となります。