垓甲冑
全高5mを越える「垓甲冑・赤鳥」の巨体が、五本の龍の首をもたげさせながら織田信長の兵達へと一歩踏み出した。
大地を揺るがす足音と、その巨体に圧倒され、先ほどまであった勢いが一瞬で消え去る。
陣幕を守るように集まっていた今川の兵達が左右に分かれ、垓甲冑の進む道を開き、そこへ二歩目が踏み出された。
赤鳥の首の付け根辺りが開き、そこから今川義元が顔を覗かせる。彼は戦場を見下ろして、ようやく誰が戦いをしかけてきたのかを知った。
「まさかとは思うたが、そこにいるのは尾張のうつけか。勝てぬと知って儂に国を差し出しに来たか」
「ぬかせ、マユ無しが。今すぐ尻尾を巻いて帰れ」
「出来ると言うなら力尽くでやってみせよ」
赤鳥が再び一歩を踏み出した。その巨体とのし掛かるような圧迫感が見るものの心に恐怖を与える。
すっかり腰の引けた織田の兵がじりじりと下がる様子を見て、織田信長が檄を飛ばした。
「おびえるな兵どもよ。垓甲冑はたしかに一騎当千。なれど、我々は精鋭三千。惨めに逃げるよりは、攻めて活路を開くのだ!!」
戦場を揺るがすような大音声に兵達は足を止め、前に一歩を踏み出した。誰からとも無く掛け声が上がり、唱和してゆく。先ほどの信長の檄に劣らぬ大音声が再び響き渡り、垓甲冑・赤鳥へ向かう一本の矢となろうとしていた。
だがその一本の矢は、無造作に振り下ろされた龍の腕による一撃であっさりとへし折れることになる。
巨大なムチのように振り下ろされた龍の腕は、その下にいた数人をつぶし、その余波で数十人を吹き飛ばす。果敢に武器を手にとってその腕に斬りかかった剛の者もいたが、表面を覆う鱗の固さにはじかれてわずかな傷しか与えられず。もう一度振り下ろされた腕にまた大勢の強者が犠牲になった。この光景を見せられて、信長の兵達の勢いは止まり、腰は引け、足はジリジリと後ろへと下がり出す。
兵達の中心で信長がしきりに檄を飛ばすも、一度おられた矢が戻ることは出来ず、多くのものが垓甲冑・赤鳥が踏み出す一歩におびえて逃げ始める始末だった。ほどなく、織田信長と今川義元を遮る肉の壁は消え失せ、龍の首が信長を討たんと振りかぶられた。
「覚悟は出来たか、尾張のうつけ」
「勝ち誇るならば、わしの首を取ってからにしろ」
未だあきらめの色を見せずににらみ返してくる信長に、義元は惜しいと思った。だが、今は戦国の世。ならば、敵に与える情けは無用。
今川義元はその腕を容赦なく振り下ろした。だが、この寸毫のためらいが信長を救うこととなった。
突如、戦場に轟音が響き渡る。あるものは遠雷と思い、又あるものは耳元で膨らんだ紙風船が割られた音の様に思えた。だが、一部のものはこれが何の音かを知っていた。
(鉄砲の音だ!!)
信長にはその轟音に聞き覚えがあった。そして、目の前で信じられない光景を見た。
今にも自分に振り下ろされようとしていた龍の首が、轟音の直後に目の前ではじけ飛んだのだ。
「「何が、起こった……」」
信じられない出来事に、織田信長と今川義元が異口同音につぶやいた。
そして、そのつぶやきを受けて、信長の近くにいたものが後方をさして大声を上げる。
「殿、あれを」
彼が振り向いた先にある小高い丘の上で、白煙をたなびかせる鉄砲を抱えた、見目麗しき一人の若者が立っていた。
若者は今持っていた鉄砲を投げ捨てると、傍らに止めてあった荷馬車からもう一挺の鉄砲を持ち上げた。
若者は鉄砲の撃鉄を上げて垓甲冑に狙いを定めると、わりと高い声を張り上げて、今川義元に呼びかけた。
「今川義元!! この鉄砲について問いたき疑がある。答えてもらおうか」
「礼儀も知らぬ若造が。鉄砲を突きつけた程度で儂が応じると思うたか。知りたくば力尽くで答えさせてみせよ」
「応」
若者が引き金を引き、再び轟音が響いた。だが、今度は甲高い金属音を残し、銃弾は守りを固めた垓甲冑にはじかれた。
(最初の弾はなぜ効いた? 当たり所で違うのか? 鉄砲で垓甲冑が討てるのか?)
いきなり蚊帳の外となった信長は、二人のやりとりを見ながら様々な疑問を浮かべ、思索にふける。そんな動かない信長を側近が手を引いて垓甲冑から遠ざけてゆく。今川義元はそんな信長を無視して、若者の方へ向けて垓甲冑を進ませた。
「どうした若造、でかい口を叩いてその程度か」
「いや、今から出すのが本気だ」
二丁目の鉄砲を放り出した若者は荷馬車の上に飛び乗り、腰帯から根付けを外し、それにぶら下がっていた手のひら大の黒い板を手に取った。左手に板を持ち、右手の指でその表面をなぞりながら合い言葉をつぶやく。
「ひい、ふ、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここのつ」
若者の右手の指が不思議な紋様を描くと、黒い板の表面から光があふれ、音が響きだし、複雑な絵が映し出された。
そして、若者はその黒い板に向かって、掛け声を叫んだ。
「ほろうえいっ!! 鋼甲冑・起動!!」