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神様の指先 〜幽霊少女と引きこもり〜  作者: 車輪
第1章 『学校に行こう!』
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第2話 『半透明の背中、薄れた温度』



 結局、俺たちはアパートを出た。

 ウミがうるさくて、眠ろうにも眠れなかったからだ。

 大学には行きたくはないが、このまま部屋にいてやることもない。とりあえず、朝食を摂りに近所のファミレスに入った。


 窓際の席に座ると、隣に、ついてきたウミが腰掛けた。

 …………ように見えたが、ウミの腰は、少しだけソファと重なった。そこでようやく止まる。

 一体、どういう感覚でやっているのだろうか? 

 そんな疑問はあったが、店員がやってきたので、朝食用に用意された、鮭をメインとした定食を注文する。


「ドリンクバーもつけて下さい」

「かしこまりました。ドリンクは、あちらでご自由にお取りください」


 店の前方に見える機械を示した後、頭を軽く下げて、店員は去った。

 俺は席を立ち、ホットコーヒーをカップに注ぎ、再び腰を落ち着ける。ウミはそれにも付いてきた。おそらくジュースも飲めやしないのに。

 しかし何故か楽しそうだ。


「ファミレスも久しぶりだな〜」

 と笑いながら、宙に浮かんで厨房のほうにまで入り込んだりしている。


 これくらいはまあ、と俺は見て見ぬ振りをした。 

 ウミの姿は周囲には見えていない。それを考えると、人目のあるところでの会話などは避けたほうがいいだろう。それに、幽霊になってまで社会のルールに縛られるのも、嫌だしな。

 俺は手元のカップを傾ける。

 コーヒーの苦味が口に広がった。味は平凡だが香りは良い。ファミレスのドリンクバーで飲めるものとしてはまずまずだ。


 ゆっくりと半分ほど飲み進んだところで、鮭の定食が運ばれてきた。

 白米、鮭の塩焼きとキャベツ、味噌汁、お新香。シンプルで、しかし、これ以上並べようの無いような、完璧な朝食だ。

 立ち上る湯気がいい香りを運んでくる。

 俺は、味噌汁から箸を伸ばしていく。鮭の身を一口、白米を一口、どんどん食べる。

 途中、戻ってきたウミがつまみ食いを図ってくるが、無視した。どうせ食べられまい。

 しかし、ウミの手と鮭が重なっているのはなんだか気味が悪いな。


「ごちそうさま〜」

「お前は何も食ってないだろうに」


 食事を終えたところで時計を見るが、まだ7時だ。

 もう一度コーヒーを、と思ったが、止めた。俺にとっては、朝から何杯も飲みたいものではないからだ。

 代わりにオレンジジュースを汲んでくる。

 席に肘をついて、ボーっとストローを吸う。


「それで、何で学校に行かなきゃならないんだよ」

「え、だってヨウ、大学生なんでしょ? 今日は平日だし、学校あるじゃん」


 対面にいるウミは当然のように言う。

 学校があるから、行く。そんな、理由にもならないようなものを理由として信じていた時期が、俺にもあった。

 俺は気怠い姿勢を崩さない。


「がっかりさせるだろうけど、俺はほとんど学校なんて行ってないんだよ」

「え?」

「不登校、とか引きこもりとか、そういう奴だ」

 ウミは驚くだろうか。


 昔の俺は、三人組の中でもリーダー的な存在だった。スポーツ、勉強、様々なことを器用にこなし、明るく、話し上手で。

 今の俺とは似ても似つかない。まるで別人だ。

 ウミの死からどんどんと落ちぶれていった俺だが、その過程をウミに見られることがなかったのは、皮肉だが、少しだけ幸運だったのかもしれない。


「じゃあ」


 ウミは気合を入れるように飛び上がった。


「やることリスト『1』! ヨウの不登校脱出!」


 どうやら、消えてしまうまでにやりたいことに追加されてしまったらしい。


「おいおい、俺は学校なんて行きたくないんだ。勝手に決めるな」

「消えちゃう前のささやかな願いなんだし、聞いてくれてもいいじゃん」


 目を吊り上げてそんなことを言われると、さすがに気持ちが揺らいでしまう。

 俺には詳しいことはわからないが、きっと、ウミは夏の終わりには消えてしまうのだろう。

 体がテーブルを透過している光景を見るだけで、それなりの説得力がある。

 でも、今更学校に行くのも気が引けた。


 入学当初には何人か話しかけてくる者もいたが、そういう奴らも、俺が内心で見下していることを嗅ぎ取ったのか、すぐに離れていった。今はもう、とっくに別グループで頑張っているのだろう。

 俺は本当に、繋がりを切り離すことに関してだけは、天才的だ。俺が見下す権利のある人間などそうそういないだろうに。

 結局、まだ、俺は自分を優れた人間だと信じたいのだ。


「わたし、ヨウの学校どんなのか見てみたいな。高校もそうだったけど、大学にだって、行ってみたかったし」

 俺の弱い部分をじわりじわりと突いてくる。

「見えないから、授業だって受けられちゃうしね」


 ウミは心底楽しみにしているようだった。

 何にも食べられない、触れない、そして俺以外とは会話もできない彼女。

 そんな彼女が、楽しそうに、あったはずの未来のことを夢見ている。


「わかったよ。行くだけ行って、お前は適当に授業でも覗いてみればいい。今日だけだからな」

 ため息混じりに、俺はそう言って、席を立つ。

「やった!」

 喜ぶウミの声を無視して、金を払って、店を出た。


 7時半。まだまだ、学校に行くには早いか。

 俺は一度アパート前の道まで戻って、昨日の公園まで歩いた。

 ベンチに座って、春の風を浴びる。

 俺は、あっち向いてホイ同様、神様の指先から顔をそらし続けて生きてきた。


 でも、ウミは違う。

 なら、なんでウミは交通事故になんて遭ってしまったのだろうか。コイツは、見るべきところを、ちゃんと見ることができる人間なのに。

 そんな疑問があった。

 だから、訪ねてみた。


「それなら簡単!」

 ウミは声を大きくした。

「私は、道路の向こう側にいたツキを見ていたんだよ。ちゃんと、わたしにとって、見るべきところは見ていたってこと。

 絶対に、ぼーっとしていて、それで死んだとか、そういうことじゃないから」


 ウミは、自分の死よりもむしろ、そこに念を押した。

 俺にはその心情を理解することは難しかったが、


「ウミは、やっぱり、消えちゃう前にツキに会いに行くべきだと思うよ」そのことだけは分かった。


 ツキはウミを見ることはできないが、それでも。

 でも、ウミがツキのところに行きたがらないワケも、分かってしまう。


「わたしも、そうしたいんだけどね…………」


 ウミは、憂いを含んだ目を一瞬見せて、そして顔を伏せる。

 髪も重力の作用の外にいるようで、背中まで伸びた黒髪は垂れてこない。


「…………まあ、今は忘れよう。ほら、学校、楽しみだったんだろ?」


 細い肩をたたく。

 感触も妙に薄い。温度がない。

 …………今、コイツに触れられるのは、俺だけなんだよな。

 悲しいが、それが慰めにもなってしまう。いや、なってくれていると、信じたい。

 すっかり変わってしまった、こんな俺でも。少しだけでも。


「うん、そうだね」


 ウミはすぐに暗い雰囲気を払拭し、軽やかに立ち上がった。

 透明な少女に先導されての登校は、現実味に欠けていて、ただ学校に向かっているようには思えない。

 だからこそ、俺は落ち着いて歩を進めることができた。

 隣に誰かいてくれているという安心感もある。


 細道を出て、横断歩道を一つ渡り、居酒屋が立ち並ぶ大学前の通りを歩くと、まもなく校門に到着する。入ると、右はグラウンド、左は体育館、正面が本館だ。今のところ用はないので、体育館前を横切って歩く。

 学食、学友会館、図書館、講義棟A、B。あまり大きな学校ではないらしいが、俺からすれば十分広い。

 入学時には、さすがに、少し胸が弾んだものだ。まあ、期待したようなイベントは、全て俺の方からスキップしてしまったが。


「うわぁあ、広っ! スゴ! これが大学かぁ」

 ウミも、大学というものには満足してくれたようで、喜んでいる。

「こんな良い学校に不登校だなんて、もったいない」

「うるせーよ」

 俺だって、最初からなりたくてなったわけじゃないんだ。


 そんな会話を交わしながら歩く。

 校内には、まだほとんど人はいない。

 ウミと話す分には、そのほうが良かった。


「授業は何時から?」

「1限目が9時。まだ1時間弱ある」


「9時からとは、大学生は朝がゆったりで羨ましいですな〜」

「確かに、中学はもう少し早かったかもな。さすがは怠惰の代表、大学生」


「その中でも特に怠惰なのが」

「だからうるせえって」


「何も言ってないのにー。自意識過剰だよ、ヨウは」

「引きこもりの大半は、自意識過剰から生じる何かだからな。当然だ」


「なんでわたしには言わせないクセに、自分は平然と言っちゃうのさ」

「俺は良いんだよ」


「ヨウ、なんか意地悪なったー!」


 俺の口から『引きこもり』が出てくる時には、ちゃんと諦念や開き直りが篭ってくれてるから、良いんだよ。

 そんな呟きは呑み下す。


「さて、それで、どこに行きたい? まだ授業は始まらないけど」

「と言っても、どこが開いててどこが閉まってるのかなんて、わたし知らないし」

「学食、生協ショップ、図書館くらいかな。この時間となると」


 体育館も開いているかも知れなかったが、何も触れないのに連れて行っても傷つくだけだろうと思って、黙っておいた。

 ウミはもともとスポーツが得意ではないし、図書館だったら、俺が本を開いてあげることもできるからな。


「じゃあ、図書館に行こう!」


 ウミは俺の手を引いて速度を上げる。俺は前のめりになって、足をもたつかせた。

 きっと、端から見れば奇妙な姿だろう。

 でも、まあいいか。

 俺はそのまま引っ張られた。


「大学の図書館って、こうドッカーン! ってイメージある!」

「言っとくけど、うちのは、そんなに大それたモンじゃないぞ」

「チョー楽しみ!」


 全然人の話を聞いていない。

 引っ張られるままに、講義棟Bの前を通り、隣の大きめの建物に入っていく。

 そこが図書館だ。


 しかし、1階は図書館という趣ではない。本はなく、新聞記事を読むコーナーになっている。その隣が自習スペースで、右側の別室にラーニングコモンズ。

 学内で『図書館』と呼ばれる空間は二階からだ。

 一見立派で結構ムダで、いかにも大学らしい建造物だと言える。


「らーにんぐこもんず。なんだかカッコイイねぇ」


 語感の良いカタカナ語を聞いて目を輝かせるウミ。

 確かに、俺たちの地元では見かけなかった施設だ。まして、ウミはまだ中学生。興奮するのも無理はないかもしれない。


「ここで勉強したりするのかな」

「仲間で集まって、話し合ったりするんだろうな」


 しかし、今の時間では、まだ誰もいない。

 大きな丸テーブルとディスプレイだけが、部屋に並んでいる。

 俺たちは、二階の図書館に向かった。

 うちの大学の図書館の開館時刻は8時だ。もう入れるだろう。

 

 学生証を機械に通して、図書館に踏み入れる。

 大学関係者以外は入ってこれないシステムになっているのだ。

 もちろん、ウミは機械に気付かれることなく、すり抜けた。

 入り口横のカウンターには、眠そうな顔の女性司書が二人座っている。

 その前には人気図書のコーナーがあった。


「あ、この本、まだ人気あるんだ」

 ウミはその棚に近づいていく。

「この本も」

 昔読んだことがあるのだろう。いくつかの本を懐かしそうに、眺めている。


 手が伸びそうになっているが、本を取ろうとはしなかった。

 ウミが死んでからの5年で、残った本もあれば、廃れた本もある。

 俺は、そういった実感を、おそらくはウミ以上に持ち合わせていなかった。5年を、まともに生きてなどいなかったからだ。それが、ウミの前にいると、途端に恥ずかしく思えてくる。

 ウミは、悲しそうな顔をしながらも、その現実をしっかりと受け止めようとしていた。


 中学生から成長していないウミと、中学生から堕落の一途を辿る俺。

 それを見るのは辛くもあったが、なぜか落ち着く。

 俺は、こういうワケのわからない現象に、一方的に否定されたかったのかもしれない。

 反論が無駄だと分かっていれば、それなりに素直になれるものだからな。












 

 それから、俺たちは図書館で本を読んだ。

 ウミが何冊か興味を示した児童文学のうちの一冊を、最後まで。

 俺がページを開いて固定して、ウミがそれを覗き見るという形で。


 もちろんそれなりに時間はかかった。

 俺たちは結局、一限目の授業には向かわなかった。

 今までしてきたのと同じ『サボり』であるはずなのに、全くと言っていいほど虚しさを感じなかったのが不思議だ。

 前向きにサボるというのも妙だが、言葉にするなら、ちょうどそんな感じだった。



 ▼


 

 本を読み終えると俺たちは図書館から出て、学食の上の階にある、生協ショップに来た。

 小さなコンビニのようなもので、しかし、学生に向けて新書や話題の小説まで揃えている。サービスカウンターでは、自動車学校の申し込みからパソコン関連の相談まで行っており、様々な面で頼りになるのがこの場所だ。

 校内にコンビニ(のようなもの)があるというと、ウミが興味を示し、足を運ぶこととなったのだ。


 確かに、小学校も中学校も、校内に店など無かったからな。

 しかし、来たはいいものの、ウミは食べ物にも手をつけられないし、自分だけでは本も読めない。大学生向けの新書は彼女にはハードルが高いし、パソコンサポートも自動車学校も無縁だ。

 それに気付いた彼女はこう言って笑う。


「そうだった、また忘れてた」


 今は気丈に笑っているが、好奇心を一つ満たすたびに一つ傷を負うような現状は、やはり辛いものがあるのだろう。

 俺はウミの頭を撫でてやった。

 一限目も終盤に差し掛かっている時間帯だ。周囲にもいくらかの人気はある。

 俺の行動は、周囲には滑稽な奇行として映るに違いない。


 だが、もともと俺の中には、変人でありたいという妙な願望もあった。自意識だけが肥大化した人間にありがちな願いではあるが、とにかく俺には、意図的に周囲の裏をかこうとする悪癖がある。

 その悪癖が出たのだ。


「あはは、いいって、大丈夫だって」


 気恥ずかしそうに、くすぐったそうにウミは笑った。

 後ろ向きなものが前向きな結果をもたらす。

 それは、捻くれ者の俺にとっては、かなり嬉しい出来事だった。


 前向きなものが前向きな結果を出すよりも、よっぽど難しいことだからだ。

 少なくとも俺は今、この最悪の5年間を、それによって培われた唾棄すべき感性を、少しだけ笑って受け止めている。

 たまには、そんなことがあったっていいじゃないか。そうだろ?


感想等、お待ちしております。

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