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神様の指先 〜幽霊少女と引きこもり〜  作者: 車輪
第1章 『学校に行こう!』
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第1話 『幽霊??』

 



 あらゆるものへの関心が薄れていた俺でも、今回はさすがに驚いた。

 軽くパニックに陥って質問を投げかけようとしたが、半透明のウミがそれに待ったをかけた。


「わたしの姿はヨウにしか見えないはずだから、ここで話すのはよくないかも」


 ということだった。

 辺りを見回すと、確かに、俺以外にはウミに気が付いている人間は存在しないようだ。どころか、いきなり驚愕の表情で立ち上がった俺に、不躾な視線を投げかけてくる保護者連中もいる。


 このまま会話など始めたら、それこそ不審者扱いだろう。俺の外見を考えると、全くシャレにならない。

 アパートは公園から徒歩五分ほどのところにあるので、


「どういうことか、ちゃんと話してもらうからな」


 と念を押してから、ひとまず戻ってみることにした。

 質問は、それからでも遅くはない。

 今はまだ混乱が残っているので、その間に冷静になるよう努めた。


 蜘蛛の巣が目立つ古びた建物の軋む階段を登って、二階の錆びた扉を開く。暗い玄関は埃と黴が混じった匂いがする。いかにも俺の生活空間だ。

 靴を脱ぎ捨てると、

「ダメだよ〜、きちんとしないと」

 とウミが靴を揃えようとする。が、その手は靴をすり抜けた。


「あはは、そうだった」

 ウミは忘れていたことを恥じるように笑った。

「たびたび、忘れちゃうんだよね」

 まったく、一体どうなってるんだ。俺は頭を抱えるしかない。


 部屋はカーテンも閉めきっていて、昼下がりから夕暮れの雰囲気を楽しむことができる。床に置いてあるクッションに飛び込む。今日は歩きすぎた。

 かつてサッカーで校庭を駆け回っていた俺の下半身は、すっかり退化していた。感覚が薄く、力が入らないのが常になっている。


「へええ、ほおお」


 ウミは鬱陶しい声で驚きを示しながら、部屋を見回していた。

 俺がここに入居したのは大学生になってから、つまりはウミが死んだ後のことなので、新鮮なのだろう。

 見られて困るものがあるわけでもないが、今は座らせる。

 先に話さなければならないことは山ほどあった。


「ウミ」

「ほい」

「お前は何なんだ?」


 その頃には、落ち着きはどうにか取り戻せていたが、それでも結局、発された質問はまともな形を為していなかった。

 昔、『死って何なんだ?』という疑問を抱いた時と同じだ。

 そのことに関して俺は、『人間は核心に迫るようなことに関しては、上手く考えられないようにプログラムされているのだ』と分析している。どこかに神のような存在がいて、都合の悪いことを隠蔽しようとしているのだ、と。


 偉く偏った考え方ではあるが、俺は、神様が嫌いだからな。

 アイツ、ウミを殺したんだよ。


「んっふっふー、何だと思いますか? ヨウくん」


 ウミは対面のクッションで肩を揺らしながら質問を返してくる。

 冗談めかした丁寧語は気味が悪かった。


「俺が頭をおかしくして、幻覚でも見ているのかも」

「ヒント、幻覚にしては勝手に動きます」


 ウミはそう言って、その場でくるくる回ったり壁をすり抜けたりして、挙げ句の果てには宙に浮いた。

 重力の存在を全く感じさせない動きは、重力に縛られている俺にとっては、かなり奇妙に映った。


「じゃあ、そっくりさん?」

「ヒント、そっくりさんの割には、わたしはあなたのことを知っています」


 ウミが幼稚園の時の俺の話をする。小学生の時の俺の話をする。中学生の時の俺の話をする。

 その中には、ウミしか知りえないような情報も含まれていた。


「じゃあ、あれだ、ウミをベースに作られた妖怪みたいな」


 何かの漫画でそんな話があった。記憶も見た目も本人から引き継いで、悪さをする妖怪。


「ヒント、妖怪にしては、可愛らしくありません?」


 宙に浮いたままでウミは笑った。

 昔と同じ笑顔だ。これを妖怪に再現できるとも思えない。


「ヒント、なぜか透けています」

「ヒント、実は歩いている時も微妙に浮いていました」


 ヒントは続く。

 俺はついに、最初からあった予感を素直に口に出すことにした。


「じゃあ、やっぱり、幽霊…………ってことか?」

「そう。実はウミちゃん未練がありまして、こうして下界に舞い戻ってきたのです」


 ひらひらー、と両腕を羽のように振るって、床に降りてくる。

 スタと降り立ったように見えたが、よく見ると、確かに若干浮かんでいた。


「滅茶苦茶だな、ほんと」


 俺は呆れる。

 何が幽霊だ、馬鹿馬鹿しい。と現実を上手く受け止められない。

 目を逸らそうとするのは俺の悪い癖だがしかし、今回ばかりはそうも言っていられなかった。何せ、答えが目の前にあるのだから。

 それに、これを認めないと話も始まらない。

 俺には荷が重い話だった。


「ツキの方に行けば良かったのに」


 そう、ツキだ。

 ウミの死から何一つ成長していない俺と比べて、ツキは芸術関連の大学で優秀な成績を修めているというではないか。

 正直、俺なんかより何倍も頼りになるはずなのだ。

 俺がツキに勝てるところがあるとすれば、有り余っている時間くらいのものだろう。


「んー、なんか、ツキは違うみたいなんだよね。幽霊的な本能によると、わたしの未練はヨウに偏ってるみたいだから、ツキにだって、わたしの姿は見えない」


 幽霊的な本能が何なのかはさっぱりだが、どうやら、ウミの姿は俺にしか見えないらしい。


「じゃあ、何だ、俺は…………」


 彼女は、俺に未練が偏っているから、俺の元に現れたと言った。やはり、未練を晴らしてやれば、成仏できるのだろうか。

 そう考えると、こういう物語にはありがちだがやはり、俺が取るべき行動は。


「お前が成仏する方法でも、一緒に探してやればいいのか?」


 さっぱり見当もつかないが、時間だけは腐るほどある。

 そんな余った時間でいいのなら、初恋の女の子に費やすのも悪くないのではないか? そう思った。

 中学生のままのウミを放っておくのも気が晴れない。以前の恋心は、すでに錆びて剥がれ落ちているが、今は代わりに保護者のような感覚がある。

 いまや、ウミを見ることができるのは、俺しかいないのだ。


「いやいやいや、そんなことしなくていいよ」

 そんな俺の考えはつゆ知らず、ウミは首を横に振った。

「わたしが何に未練を感じてるかくらい、大体わかるから」

「え、分かるのか」

「そりゃあ、簡単に忘れられるようなら、未練なんて言わないよ」


 それもそうだ。

 漫画か何かの影響で考え方が偏っていたが、確かに、忘れられないからこそ未練として残るのだ。

 詳しい幽霊事情など知らないが、一時的に戻ってくるほどの感情なら、なおさらだろう。


「じゃあ、ササッと用を終わらせて、成仏するのか?」

 それにも彼女は首を振った。

「しばらく猶予もあるみたいだし、他にもいろいろやってみたいかな。他の人には関われないから、必然的にヨウ関連になりそうだけど」


 猶予というのは、成仏できなくとも、ここに居られる時間は限られているということだろうか。

 気になったので尋ねると、今度は頷いた。


「そう。大体3ヶ月ってところかな。今は…………」


 と言いかけて、灰色の冷蔵庫に貼りつけてあるカレンダーに目をやって、次に、俺を見る。


「5月17日」

「5月17日だから、8月の終わり頃までは大丈夫なはず」


 助け舟を出してやると、そう繋げた。


「なるほど、多分余計な心配なんだろうが、俺は貧乏学生だからな、ウミの分まで食事を用意するのは不可能だぞ。いるのは勝手だが、そのあたりは」

「うむうむ。わかってるわかってる。ていうか、考えたことなかったけど、透き通るだけなんだろうね、やっぱり。ていうか、全然お腹空かないし」


 物に触れないのだから、そうなるんだろうな、と俺は思う。ウミは食べるのが好きだったから、ショックだろうな。

 本人はそんな様子などおくびにも出さないが、俺の前だから、昔のままの、明るい自分を演じているのだろう。

 とっくの昔に、俺の方が変わってしまっているというのに。


「そういえば、やけに背が伸びているけど、今、何歳なの?」

「20だな。もうすぐ21。お前がいなくなってから、5年経ったのかな」

「ひょ、20! 公園でお酒飲んでたの注意しようと思ってたんだけど、もう大丈夫な年なんだ」

「まあな」


 俺は、買い込んでおいた品物の中から、瓶の酒を取り出し、開けて見せる。棚から出したカップに氷をたんまりと入れて、その上から注いだ。


「おおお」


 ウミが目を輝かせて飛ぶ。跳ぶじゃなくて飛ぶ。

 そして、浮いたまま周囲を旋回した。

 幽霊って、生きてるよりも楽しそうだな。

 ゴキュリと喉を鳴らすと、歓声が上がった。


 調子に乗ってもう一杯。

 歓声。

 もう一杯。

 歓声。

 歳が離れてしまったことを忘れるように、二人ではしゃいだ。あと一人、ツキがいないこと以外は、なんだかあの頃にそっくりだった。

 そうして、酔っ払った俺は、もう一つの聞きたかったことなど忘れて、倒れるように眠りにつく。

 明日も同じように、のんびり過ごせれば、いいな…………












「起きろー! 起きるのだ、ヨウ!」


 そんな願いは見事にぶち壊されてしまった。

 と思ったが、外はとっくに薄暗くなっている。

 ウミも案外気を使えるな、と俺は感心した。おそらく、何らかの手段で、普段の俺の起床時間を察してくれたのだろう。

 時計を見ると、針は6時を指している。普段より遅いが、昨日は浴びるように酒を飲み続けたことを思うと、まあこんなものか。


「とと、…………アレ?」


 何かがおかしい。

 やけに瞼が重たい。

 相当な睡眠時間を体に与えたはずだったが、まだ酔いが醒めていないのか?

 それとも、病気でもしたのだろうか?


「んん、ダメだ、もう少し寝ないと…………」

「ヨウ、寝たら学校に間に合わなくなるよ」

「は? 学校?」

「大学生なんでしょ?」

「そりゃそうだけど……」


 ウミは何を言っているんだ?

 夕方の6時に起床して、学校に間に合わないもクソもないだろう。

 いくら大学に通ったことがないとはいえ、それくらいはわかるはずだ。


「さ、立ち上がって」

「ああもう、うるせーな」


 手を振って追い払おうとすると、ウミの半透明の手に俺の手が当たって、バシリと音が鳴った。

 あれ。


「手、触れるんだな」

「あ、あれ? 何にも触れないとばかり思ってたのに……」


 どうやら、これはウミも知らなかったらしい。彼女も、幽霊の性質について事細かに把握しているわけではなかったようだ。


「俺には触れるのかもしれないな」

「じゃあ、試しに、ちょっと失礼」


 俺の頬に、手が伸びてくる。その手には、冷たいとか温かいとか、そういう温度を感じさせる要素の一切が欠けていたが、確かに当たっている感触はあった。

 そのまま、手が優しく動く。

 その手の優しげな動きとは裏腹に、ジョリジョリと低音の響きがこぼれた。


「ヒゲ! ジョリジョリ! ヨウもすっかり大人なんだねぇ」


 そういえば、しばらく髭を剃っていなかった。髪も伸びっぱなしだし、さすがに煩わしいな。

 俺は立ち上がって、髭だけでも剃っておくことにした。


 シェービング剤はなんとか残っている。缶を振って、手に泡を出して、濡らした顔にベタベタと塗りたくった。その上からシェーバーを走らせて、四方に手を伸ばそうとしている髭共を殲滅する。

 鏡に映った顔は、不健康を絵に描いたように青白かった。


「お、ようやく学校に行く気になったの?」

「いや、ようやくどころか、いまさらだろ」


 髭を剃り終えると、床に敷いてある布団まで戻った。

 顔を洗ったことで多少はマシになったが、まだ頭は鈍い痛みを発している。

 そのまま、仰向けになって天井を見つめる。黒いシミが点々とあり、決して綺麗とは言えない、古びた天井。

 そこに、外から、光の筋が差し込んでいる。


 気が付くと、薄暗かった室内が幽かに明るくなっていた。テレビや音楽プレイヤーが、光を反射して浮かび上がっている。

 俺はもう一度時計を見た。6時10分。


「起きないと学校間に合わないよー」


 ゆさゆさと体を揺らしてくるウミはそんなことを言っている。


「6時って、」


 俺は勢いをつけて跳ね起きた。

 この程度の運動も久しぶりだ。踏ん張りがきかずに、一度尻餅をついてしまう。今度はゆっくりと立ち上がる。


「朝の6時かよ!」


 アナログ時計の弊害だった。


「起きろって言ったら、普通そうでしょ」

 ウミは言った。


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