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神様の指先 〜幽霊少女と引きこもり〜  作者: 車輪
第3章 『ツキ』
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第9話 『三人組は終わったのか?』


「ずっと、話さないといけないと思っていたんだ。本当に、久しぶりだね」

 すぐ傍まで来て足を止めると、ツキは言った。


「そうだな」


 対して、俺の態度は固かった。

 少々緊張が緩んだのは確かだが、それだけで、接し方のコツが掴めるわけでもない。

 この5年でほとんど、俺から対人スキルは失われているのだ。さらに、今回の相手は昔の親友だった。

 俺のような人間がもっとも頭を悩ませるのが、昔の知り合いとの距離感についてだろう。その場合、相手の中の俺は、昔の姿で止まっている。つまり、無意識に、昔の俺と今の俺が比較対象とされてしまうわけだ。

 ちょっと変わった? などと言われてしまうのである。


 そして俺は、自分の変化が良いものではないことを自覚している。比較されて、がっかりされるのが、容易に想像できてしまう。

 もちろん、そんなことを気にして会話に支障をきたすのでは、逆効果だろう。無理をしてでも、明るく、昔のように振る舞うべきなのだ。

…………それができたなら、こんな風にはなっていないか。

 ただ、幸いなことに、ツキはまだ俺との再会に歓喜していて、俺のそんな態度には気が向いていないようだった。


「ツキだ……背、伸びたなぁ」

 目を潤ませているウミを尻目に、俺とツキは先のベンチに腰を下ろした。泣きたいのなら、泣いたって構わない。今からは、俺とツキの話だ。


「大学はどう? って、夏休みに入ったばかりでこんな話もアレだね」


 すぐにツキが訪ねてくる。あはは、と照れ笑いを浮かべた。

 いきなり答え辛い質問だ。現状をそのまま話すのは簡単だが、それではあまりにも情けない。かといって、充実した生活を捏造しようにも、想像が難しい。人間、あまりにも薄暗い生活を続けると、幸福の妄想すら不自由になるのか。


「まあ、ぼちぼちってところだよ。そっちは?」


 結果、可もなく不可もなく、といった回答をしておいた。形式的に、ツキの方にも訊ねてみる。俺が知っているのは、芸術関連の大学に進学し、優秀な成績を修めているということくらいだ。

 もともと、ツキは中学の頃から地元の絵画コンクールで賞を獲ったりしていたし、確かに絵が上手かった。今はどんな絵を描いているのだろう。


「僕は、そうだな、やっぱりぼちぼち、かな」

「それは良かった」

「あはは、お互いね」


 お互い。

 俺もツキも、かなり参っていた時期があった。ウミがいなくなった中3の初めから、半年くらいだろうか。俺はすっかり暗くなってしまったが、それでもあの頃よりは随分とマシになった。

 ツキの言うように、ぼちぼちの大学生活が送れているのなら、それは素晴らしいことだと思う。


「それにしても、本当に久しぶりだな」

「もう。それは、ヨウが遊んでくれなくなったからじゃないか」

「そうだな。あの時は悪かった」

「いいよ、いいよ」


 苦しんだ半年間、俺には欠片も余裕などなかった。ツキとの関係も、その頃から薄れていったんだ。

『ごめん、もう、お前とは遊べない』

 どんな思いで言ったのだったろうか。俺は、俺と同じくらいに悲壮な顔をしたツキに向かって、一方的に関係を打ち切る宣告を下した。

 そんな一言で、あっさり、人と人とは終われる。

 ただ、ずっと謝りたいと思っていた。


「いいんだ。あの時は僕も、正直、余裕なかったから。気持ちわかるんだ」


 おいおい、ツキとも逆転してるじゃねーかよ。まあ、予想できてたことだけどさ。

 俺と同じように転機を経験して、俺と同じような環境で生きてきて、ここまでまともに持ち直せるものなのか、と俺はツキに対して、ある意味感動していた。

『ダメ』だったのは、俺だけか。

 まあ、でも良かった。この世界の諸々と同様に、謝ることも不得手な俺だけど、これだけは、謝らなければならなかったんだ。


「そう言ってくれると助かるよ。余裕無かったってのは、まあ、その通りだし」

「ぅぅうう、ごべんね、ツキぃいい」


 ウミは、遂に感極まって泣き出してしまった。

 それでも、決してツキに触れようとしないのは、分かっているからだろう。

 こういうウミの態度を見るたびに思う。


『3人組』は終わってしまったのか?


 そんなことを認めたくはない。俺はベンチから思い切って立ち上がって、核心に迫ることを口にした。


「俺さ、今年の春に、ウミと会ったんだ」

「ウミと?」


 ツキは、にこやかに話しを聞いていてくれる。俺は、春先の出会いについてを簡潔に、ツキに話した。


「でさ、アイツ、あっち向いてホイで俺に勝つために、戻ってきたって言うんだ。相変わらず、アホだよな」

「あはは、そうだね」


 ほどほどと言ってしまった手前、俺の私生活については誤魔化しつつ、ウミとの出来事について語っていった。そして最後に、今、ウミがここに着いてきているということを話した。


「俺は、二人の会話の中継役になって、最後の会話の機会を与えてやりたいんだ」

「…………」

 ツキは、ピタリと笑いを止めて、しばらく黙り込んでいた。


「うん、よくわかったよ」


 しかし、やがて口を開いた。頷きながらも、どこか悲しい目をしているように、俺には見えた。不吉な予兆を感じながらも、俺はそれを覆い隠して「そうか」と言った。


「うん。やっぱり、ヨウくんはどこか遠くへ行っちゃったらしいや」

「……? なに言ってんだ」


 遠くを見ながらツキは言う。


「聞いてはいたんだ。ヨウは、高校に入ってからだんだんとおかしくなって、逃げるように街を出て行ったんだって」

「いや、俺は……」

「そりゃあ、僕にだって、ウミがいてくれたらとか、ウミと一緒にとか、そんなことを考える時はあるよ。でもさ、そんな妄想に頼っていたら、いつまでも前を向けないような気がするじゃないか。ウミは、きっと、僕たちが自分たちの力で前を向くことを望んでいるはずだよ」


 俺は何を言うこともできず、ただ、ツキの話に耳を傾けていた。というのも、彼の言っていることは、俺からしても、どこまでも正しいものだったからだ。


「だから、ヨウくんが街に戻ってきた時は、嬉しかった。ヨウくんのことだから、ウミのことだっていつの間にか克服していて、また今までみたいに遊べるんじゃないかと思ったんだ。僕がそうしたかったというのもあるし、ウミが望むとしたら、きっとそういうことだと思うからさ」


 だから、少し残念だよ。

 ツキは最後にそう言って、立ち上がり、俺に背を向けて公園を出て行く。


「キミとは仲良くしたいさ。でも、そんな話を聞かされて、僕はどんな顔をすればいいんだよ。笑えない話を無理に笑うことはできるだろうけど、そんなの、僕らの関係じゃないだろ」


 最後は、ツキらしくない、少しだけ尖った口調が残った。

 俺は動くことができず、しばらく立ち尽くしていたが、やがてベンチに深々と座りなおした。やってしまった、と思った。

 俺は、ウミが見えていたから、割とすぐに事態を飲み込むことができた。もしも見えなかったとしたら、それを認めることは不可能だっただろう。それはツキも同じだ。

 ただ、「ツキなら、信じてくれるんじゃないかと思ってた」


 ツキは、いつも俺の言うことを聞いて、信じて、ついてきてくれていた親友だ。俺が、ツキの言うことをほとんど無条件に受け入れていたのと同じように、ツキもかつて、そうだったのだ。

 俺が呆然としているのは、その記憶と現実にあまりに大きな齟齬があるからだろう。

 ツキが、俺の言うことを信じてくれない。

 ただそれだけのことが、俺にとってはとてつもなく大きいことだった。


『3人組』が、完全に分かたれる音が聞こえた気がする。いや、もうとっくにそうだったのだ。俺がそっぽを向いていたせいで気がつかなかっただけで、もうずっと前から。

 ただ、ツキは待っていてくれた。つまり、この事態はまた、俺のせいだということだ。

 その事実が実感を伴った時、俺の目から、ついに涙がこぼれ始めた。


「ヨウ、泣いてる」

「あれ……ホントだ。ホントに、俺、かっこ悪いなぁ」


 もう何年も、涙なんて流していなかった。悲しい時は、いつだって言い訳を重ねて、逃げて、悲しみを俯瞰して、心を守ってきたように思う。ただ、今回は、うまく逃げ場を見つけることができなかった。今まではいつだって、『3人組』が逃げ場になってくれた。だけど今、その場所は崩壊してしまった。


「っ!」


 気が付けば、俺は金網を強く蹴りつけていた。がしゃん、と音が鳴る。なにをやっているんだ、と俺は呆れる。そうか、無くなった逃げ場を探しているのか。体を痛めつけて、心の痛みを誤魔化そうとしているんだな。それにしても、こんな手段に出るのは初めてだ。


「やめてよ! やめて!」


 どこからか聞こえるウミの声も、フィルタがかかっているかのように、曖昧にぼやけている。

 拳が痛む。ロクに振るったことのないものを、何度も滑り台に叩きつけたのだ。骨に異常を来していても、何ら不思議はない。それでも俺は暴力衝動を止めなかった。止められなかった。


「やめてってば!」


 ガッと、頬に衝撃が走った。俺は、意識の外からの攻撃に驚き、体を硬直させてしまい、そのまま公園の地面に倒れた。手を着くと、ジンジンと痛んだ。なんだなんだと、顔を上げる。

 ウミが拳を握って、そこに立っていた。その顔は涙に濡れていた。


「もう、やめよう?」


 俺は、ウミに諭されているという事実と、殴られた頬の痛みに、再び頭に血を集わせて、立ち上がろうとする。ここでウミに手を挙げようものなら、もう戻れなくなるだろう。しかし、とことんクズになって、自分を構成するすべてを崩壊へ導くのは、時として、最良の逃げ道にもなる。

 もう俺は、ここに戻ることはできなくなる。

 それ以上の『逃げ』があるだろうか。


「ウミ……。お前に触れられるのは俺だけだ。つまり、俺だけは、お前に危害を加えることも可能なわけだ。ついでに、お前は幽霊だから、証拠も出ない」


 俺は今、ひどい顔をしているのだろう。

 だって、ついには、あのウミに向かって拳を握っているのだ。こんなにも情けないことがあるだろうか。

 しかし、俺は結局、ウミに暴力を働くことはできなかった。

 立ち上がった瞬間、突然、ウミが俺を抱きしめてきたからだ。


「お前……」


 俺は素っ頓狂な声を漏らした。俺は今まで、必要以上にウミに触れることはしてこなかった。それは、ツキに対するケジメでもあった。

 ウミは薄々、それにも気が付いていたはずだ。

 ウミは嗚咽交じりに言った。


「わたしが触れられるのは、ヨウだけ。わたしを見ることができるのも、ヨウだけ。だから、わたしはヨウを抱きしめられる」

「…………甘えるよ」


 俺はしばらく、ウミに抱きしめられるままでいた。ゆっくりと解けていく心の中で、危なかった、とただ思った。あんな行動が正しいわけがない。またもや、俺は取り返しのつかない選択をするところだった。

 冷静になると、段々と涙が収まってきて、視界から滲みが取り除かれた。


 もう一度言うが、俺は、ウミに触れられるからこそ、必要以上に彼女に近付くことはしなかった。

 だから、俺はこの時初めて、至近距離から幽霊になったウミの姿を見たということになる。

 正確には、初めて、半透明のウミを透して、世界を見たのだ。

 彼女の体を透してみる、その世界は————————。


 諦めるのは、まだ早いかもしれない、と俺は思った。


「一週間後、またツキに会いに行こう」

「え?」


 ゆっくりとウミから顔を離して、俺は言う。

 ウミは、不安げな表情を浮かべている。


「でも、もう、会ってくれそうな感じじゃなかったよ」


 今の俺だったら、そうだろう。

 でも、よくよく考えればやっぱり、アイツが俺を信じないわけがないんだ。

 一週間後、花火大会の日。

 必ず、アイツを家から引きずり出してやろう。

 そうして、本当に最後の花火を、3人揃って見上げるんだ。

 あの時の約束を果たす時が来たんだなと、感じた。

 俺は、いろいろな細かい感情を一纏めにして、かつての口癖を、不自然に口にした。

 ウミの心配そうな表情を、かき消してやりたい一心で。


「まあ、細かいことは気にするなよ」


 するとウミは笑って、「わかった」と言った。


 俺は、俺だ。

 今の俺はすっかり変わってしまったように見えても、やっぱりどこかに、かつての俺も残っている。そして、ツキは『かつての俺』を、いつまでも待ち望んでいる。


 いよいよ、そっぽを向き続けた人生も、終わりに近付いているのかもしれない。

 ただ、俺はやっぱり、神様が大嫌いだ。

 だから、俺が信じるのは神様の指先じゃなくて、かつての3人、あるいは、ウミの意思だ。

 自分に正直になることを、俺は怠りすぎていた。


 だから、俺は行動を起こす。

 これからの一週間は、俺の人生を大きく、そして確実に変えるだろう。それも、正しい方向に。

感想等お待ちしております。

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