16の冬
私はいらない子………なのだろうか?
いつも感じてた。
家族というカテゴリーの中に私は分類されていない事。
雨を凌ぐ家もあった。
幾分か冷めてはいたけれど食事もあった。
暖かい布団に、纏う服、不自由なんてした事なかった。
ただ生きて行く上で足りないもはなかったと思う。
でも、そこには笑顔で向かえてくれる母親も、話しを聞いてくれる父親もいなかった。
そこに無かった『愛』には気が付かなかった。
それが当たり前なのだと思っていた。
進路を決める面談に親が来てくれたことはなかったし、勿論その他の学校行事にも来たことはない。
「娘を信頼していますので‥‥‥‥」
それが電話での決まり文句だったらしい。
教師が自宅に来ても親がいた試しはなく、憐れみ?の目を向けられ、憤慨されるのは毎年の事だった。
良く言えば、放任主義。
悪く言えば、虐待。
教師たちは頭を抱えていたが、大概は事なかれ主義で通報されることはなかった。
私が品行方正、成績優秀であったからかもしれない。
当たり前だと思っていた日常が、友達たちの非日常であることに気が付いた時、何故なのか悩んだ時期もあった。
そんなある日、答えは突然に私の前に投げ出された。
ーーーーー見てしまったのだ。
思春期真っ只中、母が見たことのある男の上で、素っ裸で腰を振っているのを。
父が薄暗い駐車場で上司の男と濃厚なキスを交わしているのを。
ナニコレ、ヤスイヒルメロ、ナノカシラ。
ぐるぐる回り続ける思考の果てに、ふと正解にたどり着いた気がした。
母の下の人は小さい頃よく母を訪ねて来た男。
私の顔を見ると眉を顰めてよく言っていた。
『 こいつが1番似てやがる 』
そして、父の相手は会社の社長。高校の時からのお友達らしい。
この人も母がいない時に来ては、私の頭を捏ねくりまわして言っていた。
『ーー繋がらなくても娘は可愛いか?』
父がそれに対して何と返したのかは覚えていない。
母の下の人に似ている。
繋がっていないのに可愛い?
その言葉が一周も二周も三周も頭を巡り、到頭高熱を出してぶっ倒れた。
親は全く気が付いていなかったが。と言うか、二人とも家に帰って来なかった。
これも、日常茶飯事。
父は多分ゲイなのだ。
社長は高校の時からの恋人。
母は‥‥‥‥正直わからないが、下の人と続いていたい感じなのか。
だとすれば、似ていると言う下の人の種で私は構成されているのだ。
親と呼んでいる二人は、友人の様に兄妹の様に仲が良いだけのハリボテの夫婦なのだ。
だとすれば、この『愛』の欠片もない家族はハリボテの唯の箱だったのだ。
私はそれぞれの『愛』を偽装する為の道具に過ぎないのだ。
私はいらない子ーーーーーーーなのだろう。
そんなアイデンティティを揺るがす出来事に遭遇した、16の冬。