6/光
僕は最低の人間だ。きっと生きている価値なんてない。
明里を苦しめ、殺してしまったのは僕だ。あの時、僕が明里に告白なんてしなければ、僕が明里の話を聞いてやっていれば、僕が明里の様子に気づいてやっていれば、あんな風に涙を見せることなく、安らかな気持ちのままでその生涯を終えることができた。だから、僕が明里を殺したのと同然だ。
そんな僕が生きている価値なんてない。明里が死んでいるのに、そんな僕だけが生きているなんておかしい。
それに、もう僕にも生きる理由を見失ってしまった。明里は死んでしまった。大好きだった、傍にいるだけで僕を幸せにしてくれた明里はもういない。
だから、僕は僕に決着をつけることにした。
この光のない暗闇の中、あと一歩踏み出せば、暗闇の谷底へ沈んでいけることだろう。
たった一歩。それで終わる。それで、明里のもとに行ける。
「明里、いま行くよ」
ごめんなさい、父さん、母さん。ごめんなさい、おばさん。僕は明里がいないとダメなんです。僕は明里のもとに行きます。先立つ不孝をお許しください。
心の中で謝りながら、僕はその一歩を踏み出そうとした。
その時だった。これから飛び込もうとした暗闇にたった一つの小さな光が見えたのは。
「――」
僕はその光で我に返ると同時に、目を疑った。
その光には見覚えがあった。一カ月前、ここで明里と一緒に見たものと同じ光だった。
「なんで……?」
もうあれから一カ月も経っている。蛍なんているわけがない。僕は幻でも見ているのだろうか?
けれど、その小さな光はユラユラと舞って、僕の方へと近づいてくる。近づいてくるほどに、その光が蛍のものであると確信に変わっていく。
蛍は僕の側まで飛んで来ると、僕の周りをユラユラと舞い出した。それは、まるで僕に何かを語り掛けているようだった。
〝蛍にはね、亡くなった人の魂が宿ってて、生前大切だった人に会いに来てるんだって〟
あの時、明里が語り聞かせてくれた話を思い出す。
生前、大切だった人に会いに来る。だとしたら、この蛍は僕に会うために、こんな時期外れにたった一匹で生まれてきたのだろうか。この蛍は、誰の魂なのだろうか。
脳裏に過ぎるのは、明里の顔だった。
バカバカしい。あれはおとぎ話みたいなものだ。それに、彼女自身が言っていたではないか。
〝私は死んだ後、蛍にはなりたくないんだ〟
そうだ。これは明里なんかじゃない。ただの蛍だ。時期外れに羽化した蛍に過ぎない。
だっていうのに、何故この蛍から懐かしさを感じてしまうのだろう。何故こんなにもこの光を愛おしいと思ってしまうのだろう。
「……あかり……なのか……?」
僕は自然とそう呼びかけていた。
蛍は僕の呼び掛けに応じるように光を点滅させた。
「明里……!」
思い余って、僕は光に手を伸ばす。すると、僕の意志が通じたのか、蛍は僕の手の上にゆっくりと降り立った。
「明里……ごめんな……僕は……」
気づけば、涙が頬をつたっていた。僕は手に止まった蛍に泣きながら謝っていた。
ずっと明里に謝りたかった。僕がしたことを、明里を傷つけたことを。
そんな僕に蛍はただ優しい光を発し続けてくれる。それは、もういいよ、怒ってないよ、と言っているような気がした。
だけど、たとえ明里に許されたとしても、僕にはもう生きる理由がない。
「ダメなんだ……僕は……お前がいないと生きていけないんだよ……!」
その想いを吐露した瞬間、蛍は僕の手から飛び立ち、僕から離れて行こうとする。
「待って、明里! 僕を……僕を置いて行かないで……!」
置いて行かれると思った。もうこれで明里に会えなくなると、そう思った。
だから、僕は離れて行く蛍に追い縋るように手を伸ばそうとした。だけど、届かなくて、もう一歩足りなくて、その一歩を踏み出そうとした。その時だった。
〝コウちゃん……生きて。生きて幸せになって。約束だよ〟
そんな声が、明里の声が聞こえた気がした。
その声で僕はその一歩を踏み出せなくなった。
その間に蛍は僕から離れ、暗闇の中にゆっくりと消えていった。
幻聴だったのかもしれない。でも、生きろと言われた。生きて幸せになれって言われた。約束だと言われた。
「なんだよ……そんな勝手に……」
ああ――でも、お前はそんな奴だったよな。いつも勝手で、こっちの都合なんてお構いなしで我儘を通そうとする。そんな子供みたいな奴だったよな。
「まったく……いつまで経っても子供だな、お前は……」
もう暗闇の中に身を投じようという気にはなれなかった。
約束してしまった。アイツとの約束はいままで破った事がない。だから、この約束も違えることはできない。
勝手にされた約束が生きる理由なんて笑いぐさだ。だけど、それで僕が救われた。明里に救われた。
だけど、勝手に約束されていなくなられるのは癪に障る。だから――
「明里の嘘つき。なにが、蛍にはなりたくない、だよ……」
だから、これくらいの悪態の一つついても罰はきっと当たらないだろう。
僕はもう一度蛍が消えていた暗闇の先を見つめる。
「うん……約束するよ、明里」
僕はもういない想い人にそう誓い、その場から離れた。
自宅に戻った僕は、勉強机の中にしまっていた封筒を取り出す。
明里からの最後の手紙。いまなら、それを読むことができる。読んでもいいと思えた。
僕は封筒から便箋を取り出す。そして、ゆっくりと丁寧に便箋を開いた。
便箋に目を落とす。そこに書かれている内容を読んで、つい口元をゆるめてしまった。
「まったく……アイツらしいな」
読み終えて、そう漏らすしかなかった。それが素直な感想だった。
僕は丁寧に便箋をたたみ、封筒に戻す。そして、再び机に中にしまった。
「うん……約束するよ、明里」
僕はもう一度明里にそう誓った。
〝コウちゃんへ
これを読んでいるってことは、もう私は死んじゃってるってことだよね?
そして、コウちゃんのことだから、色々考えすぎちゃって、後悔したり、自分を責めたりしたんじゃないかな?
でも、これを読んでくれているってことは、そういうの全部乗り越えた後なんだろうと、私は思ってます。
だから、慰めの言葉とかはここには書きません。きっとそんなの必要ないと思うから。その代わりに、私からの最後のお願いを書いておきます。
コウちゃん、生きて私の分まで幸せになってください。
それが私のお願いです。
でも、お願いだけだと心配なので、約束してくれるかな?
必ず幸せになるって。約束だよ?
あの約束を守ってくれたコウちゃんなら、きっと大丈夫だよね?
最後に、あの約束を守ってくれて嬉しかったよ。ありがとう。
それじゃあね、バイバイ、コウちゃん。〟
うん、さよなら、明里。ありがとう。