4/約束
それはまだ僕が幼かった頃の話だ。
「綺麗だね、こうちゃん!」
蛍の光を指差しながら、笑顔でそう言ってくる小さな女の子がいる。
「うん! とっても綺麗だね!」
僕も笑顔で答える。
その後、女の子とどんな会話をしたのかはっきりとは覚えていないけど、女の子のお母さんから、蛍の話を聞いた。その話は、蛍が光っているのは蛍が結婚相手を探しているからとかそういう話だった。
子供の頃から光っている蛍は、子供の内に結婚相手を決めていて、大人になって姿が変わっても、その光で想い合う相手を探し出せる。だから、蛍の光は結婚の約束をするためのものなんだよって、教えられた。
その話を聞いた女の子は、瞳を潤ませある事を僕に言ってきた。
「あのね、こうちゃん。私ね、ほたるさんみたいに、おとなになったらこうちゃんとけっこんしたいの!」
「うん、いいよ!」
「ホント!? やくそくだよ、こうちゃん!」
「うん、やくそくするよ。あかりちゃん!」
*
子供の頃の約束だ。きっと意味も分からずした約束だ。それでも、確かに僕達はこの場所で結婚の約束をした。僕はそれをいま思い出した。
きっと明里はこの約束を覚えていたのだろう。ここに来る途中で明里の言っていたすごく大切な約束とはこのことだったのだ。
「わ、わたし――!」
「明里!」
僕は明里の言葉を遮るように声を張り上げて彼女の名前を呼ぶ。それに驚いたのか、彼女はビクリと体を震わせた。
「こう……ちゃん?」
明里はどこか怯えた子供のような表情で僕を見ている。
僕は――僕は、一体何をしようと、何を言おうとしているのだろうか。
いくら昔した約束を思い出したからって、明里への想いがあるからって、それをここで言っていいのだろうか。それを口に出して、もし拒まれたらと思うと恐い。きっともう元の関係には戻れない。ただの仲の良い幼馴染という関係には。
けれど、明里への想いは嘘じゃない。ずっと秘めていた想いだ。いつから意識しだしたかなんて覚えてない。もしかしたら、約束を交わした時からかもしれないし、その前からかもしれない。それほどずっと前から僕は明里のことを。だから――。
「明里、驚かないで聞いて欲しい」
「え、え? ちょ、ちょっと待って。きゅ、急にどうしたの?」
明里は動揺しながら、僕に待つように言ってくる。僕が何を言おうとしているのか察したのかもしれない。けれど、もう待てない。もう後には引けなかった。
「僕、明里のことが好きだ。ずっとずっと好きだった。お前と一緒にいたい。まだ大人じゃないから約束は果たせないけど、でも、来年も再来年も、これから先ずっとお前の傍にいたいって思ってる」
言った。遂に言ってしまった。いままで、ずっと心に秘めていた想いを。
もう戻れない。僕と明里の関係は、これまで通りとはいかない。
僕は固唾を飲み、明里の表情を窺う。そこにはぼう然と僕を見る明里の顔があった。
「あか、り……?」
突然の事ととは言え、あまりにも反応がないため不審に思い、呼びかけた。すると、明里は返事をすることなく、俯いてしまった。
僕は、明里が僕の言葉をどう受け取り、どう思っているのか、全く分からなかった。
「覚えてて……くれてたんだ? ここでした約束のこと」
「……いや、遂さっきまでは忘れてたよ。でも、ここにきて思い出せたんだ」
「そっか。だから、だよね? だから、好きなんて言ったんだよね? 昔のこと思い出したから、勢い余って――」
「それは違う。言っただろ? ずっとそう思ってたから、今日ここで告白したんだ」
そう、だから決して勢いとか気の迷いなんかではない。
「ダメだよ!」
「え……」
それは叫びに近かった。張り裂けるような声だった。
その声を発した明里は俯いたまま肩を震わせている。その様子は普通ではなく、不安が過ぎる。
「明里……どうしたんだよ?」
「……ダメなの」
問い掛けに、今度は消え入りそうな声で先程と同じ言葉が返される。
〝ダメ〟とは、どういう意味なんだろうか。やっぱりそういう意味なんだろうか。
本当はその意味を聞くのも怖かった。けど、聞かないといけないと思った。自分の気持ちに決着をつけるためにも。
「ダメって、僕のことは好きじゃないってことか?」
「違うよ! コウちゃんのことは私だって大好きだよ!」
顔を上げ、明里は叫ぶように吐露した。その瞳からは大粒の涙が零れていた。明里は泣いていた。
「明里……なんで……?」
「でも、ダメなの! コウちゃんは私を好きになっちゃいけないの!」
「なんだよそれ……」
好きになっちゃいけない。意味が分からない。お互い想い合っているなら、何の問題もないはずなのに、何故そんなことを言うんだ。
「明里、ちょっと落ち着けよ。一体どうしたんだよ?」
僕は明里に手を差し伸べた。だけど――
「いや……!」
明里は僕の手を思いっ切り振り払った。
「あ……」
僕の手を振り払った直後、明里は申し訳なさそうな表情をして俯き、
「ごめんなさい」
そう言って、僕の脇をすり抜けて、走って行ってしまった。
体力のない明里を追い掛けて、捕まえることは簡単なことだった。けれど、できなかった。僕はその場から一歩も動けなかった。追いかけなければいけないと頭で分かっていても、足が動かなかった。
結局、僕は明里に追いつくことなく、家路についた。
明里が無事家に帰ったか気になったので、家を訪ねると、おばさんが出てきた。
おばさんが言うには、明里は帰ってきて、そのまま寝てしまったらしい。
「光介君、少しそっとしてあげておいて。あの子には、いまは少し時間が必要なんだと思うの」
「……わかりました」
結局、その日は明里に会うことが出来ず、僕は家に戻った。
翌日から梅雨入りした。
朝から雨が降り続き、僕の憂鬱な気分を表しているような天気だった。
午前中の間に明里に会いに行こうと思ったが、どんな顔をして、どんなことを言って会えばいいのか分からず、足が動かなかった。
けれど、それをすぐに後悔することになった。
その日の午後、明里が倒れたことを両親から知らされた。