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第二章 第二話


 ようやく戻ってきた格納庫は凄まじい有様だった。

 隔壁は敵『歩砲』による砲撃の所為で凹凸が激しく、その上、格納庫内にも数発の砲弾が撃ち込まれたらしく、格納庫の床には数か所の大穴が空いている。

 そして何より、床の半分ほどが真っ白に染められていて、無茶苦茶としか言いようがなかった。

 ……どうやらさっきまでのわずかな間に、砂漠から砂塵が吹き込んだらしい。


「うわぁ、酷っ」


「安心しろ。

 掃除するのは【眼鏡】のヤツ……いや、アイツの持つ掃除ボットか」


 その惨状に思わず呟いた私だったが、ヴォルフラム隊長の応えはそんな素っ気ないものだった。

 私は【眼鏡】ことヤマトさんにちょっとだけ同情しつつも、モニタに映っているそのあまりに広大な格納庫を見渡すだけで手伝う気すら起こらなかった。

 事実、この格納庫は……私たちの愛の巣がある会議室の、一体、何倍あるのだろう?

 奥の方には巨大な赤い扉があり、資材置き場と文字で大きく書かれてあるし、この『卵』としてはあまり大きい方ではない『へび卵砦』の敷地面積を、かなりの割合で使っているに違いない。

 そんな要らないことを考えながら周囲を見渡している間に、隊長の操縦するこの『歩砲』は所定の位置に着いたらしい。

 隊長の指示に従って私は『歩砲』から降りると……


「……っととと」


 地面に足が着いた瞬間、私はバランスを失ってしまい、『歩砲』の足へともたれかかる。

 ……どうやらさっきまで揺すられていた所為で、三半規管に支障を来たしている、らしい。

 ガンガン揺れる視界の中で、それでも私は【死神】隊長に格好悪いところを見せないようにと、必死に二本の足で大地を踏みしめる。

 故郷では女の子にしか言い寄られなかった私だけど、そんな私にも『女』としての意地があった。

 ……男性に情けないところなんて見せらやしない。


「おい、【眼鏡】っ!

 十分で出られるようにしておけっ!」


「無茶言わないでくれっ!

 こんなのっ!」


 だけど、私と同じ『歩砲』に乗っていた筈のヴォルフラム隊長は、平然と歩き回るばかりか、ヤマトさんに大声でそう指示し……ヤマトさんに悲鳴を上げさせていた。


「……う」


 確かにこうして見上げて見れば……十を超える弾丸を喰らい、装甲板は大きく凹み歪み裂け、塗装も引き攣れたように剥がれている。

 こうしてみると……さっきまでの自分が本当に命のやり取りをする戦場にいた、というのが実感として湧いてくる。

 もし敵『歩砲』の主砲がほんの少しズレていただけで……私はもうこの世にはいなかったかも、しれないのだ。

 そう考えてしまった、その瞬間だった。


「……はぁあああああっ」


 安堵した所為だろう。

 気付けば私は、肺の奥から大きなため息を吐いていた。

 さっきまでの緊張や疲れや、恐怖を全て吐き出すかのように。

 ……それが、いけなかったのだろうか。


「う、ぐっ?」


 突如、腹の底から湧き出てくるような感覚に、私は口を押えて蹲る。


 ──まさか、これが悪阻?


 ……そんな馬鹿なことを考える余裕があったのは、ほんの一瞬だった。


「うげぇえええええええええええええええええええええっ」


 当たり前のように私はさっき食べたばかりの、味も分からなかった食事を全て吐瀉してしまう。

 足元には砂があって、更に掃除が大変になりそうだけど……そんな他人の、いや、掃除用ボットの苦労を考えるほどの余裕なんて、今の私にはなく。

 すぐに思考は「気持ち悪い」という一点に支配されてしまう。


「お、おいっ、どうしたっ?」


「そりゃそうだよ、ヴォルフラム。

 ……君の操縦に付き合わされた新兵はいつもこうなるじゃないか。

 むしろコクピットを汚さなかっただけ、快挙だし」


 慌てたような隊長の声と、呆れたようなヤマトさんの声がしていたが、私はその声に返事をする余裕すらなかった。

 ただ、世界が揺れて気持ち悪いのと、自分の胃酸の匂いと味が耐えがたいのと、ヴォルフラム隊長の目で情けないところを見せた恥ずかしさと……

 それらの所為で私は目に涙を流しながらも、涙をこらえるために顔を上げることすら叶わなかったのだ。


「ま、これ以上の酷使は無理ってことだよ。

 『歩砲』の修理にも時間はかかる」


 そんな私を見かねたのか、ヤマトさんはそう言ってくれる。

 彼の言葉が嘘じゃないのは……格納庫内の様子を見れば明らかだった。

 何しろ……さっきから次々にうちの部隊の『歩砲』が帰ってきているのだ。


「おいっ! 【眼鏡】っ!

 こっちに弾薬の補給、急いでくれっ!」


「こっちは砲塔が歪みやがったっ!

 早く取り替えてくれっ!」


 格納庫内に次々に叫びが響き渡る。

 どの『歩砲』も無傷とは言えず、あちこちに被弾しているのが涙目の私にも見えた。

 ……だけど。

 悲痛な悲鳴が上がることもなければ、大きな損傷をしている『歩砲』もいなかった。


「戦況はこちらが有利に進んでいるんだ。

 そう無茶しなくても構わないだろう?」


 ヤマトさんは隊長にそう告げつつも、軍票(ドッグ・タグ)のウィンドゥを十近く操作することで、修理用ボットを何体も同時に操って補給と修理を進めている。

 彼は彼で【眼鏡】なんて安易なコードに相応しくないほど優秀な人材、らしい。


「……ああ、分かったよ、くそ。

 なら、戻るか」


 そんな【眼鏡】さんの説得が届いたのか、隊長は肩を軽く竦めると……諦めたようにそう呟く。

 私はその一言を聞いて、今日はもう『歩砲』に乗らなくても良いと安堵し……


「う、うぷっ」


 その所為で、もう何もなかった筈の胃から胃酸を更に吐き出すことになってしまったのだった。




 結局、忙しそうなヤマトさんによって格納庫を追い出された私たちは、食堂で待機することになっていた。

 疲れ切った身体を椅子に預けている私とは異なり、ヴォルフラム隊長はまだ戦い足りないのかうろうろと食堂を歩き回っている。

 そんな彼がこうして食堂で待機することになったのは……何もかも、私が足を引っ張ったから、だろう。

 事実、あれだけの操縦をこなした筈のヴォルフラム隊長は顔に疲労の色すら浮かべず、額に汗一つかいていないのだから。

 

 ──ダメ、だなぁ、私。


 戦場に出ると決めた時、射撃や運転が得意なんて自信満々だった自分を殴りたい衝動に駆られながら、私は反吐の匂いが消えないため息を吐き出す。

 もう吐き気そのものは消え去ったが……気分はさっき吐いていた時よりも遥かにどん底だった。

 何しろ、ヴォルフラム隊長の前で……これから一緒に暮らそうとしていた男性の前で、格好悪いところを見せてしまい、役に立たないレッテルを張られ、しかも反吐を吐き散らすみっともないところを見せてしまったのだ。


 ──もう私なんて、恋愛対象にすらならない、よね。


 吐いたことよりも疲れたことよりも自信を失ったことよりも、何よりもその事実が私の気持ちを落ち込ませていた。

 そうして私が意気消沈していることに気付いたのだろう。

 【死神】は何一つ言わないまま、私の前に水の入った金属製のコップを差し出す。


「す、すみません」


 私はそう謝罪を口にするものの、【死神】隊長は私の言葉すら聞こうともせず、軍票(ドッグ・タグ)を操ってウィンドウを睨めつけるばかりだった。

 どうやら戦闘中の情報を集めているらしい彼を横目に眺めながら、私はその氷のように冷たいコップへと口をつける。


「……はぁ」


 ……水がこんなにも美味しいのは、いつ以来だろう?

 そう思えるほど、ヴォルフラム隊長の差し出した水は冷たくて美味しく、その事実が私をますます落ち込ませる。


 ──本当に、理想そのもの、なんだけどなぁ。


 険しい表情でウィンドウを眺めるヴォルフラム隊長の横顔を眺めながら、私は再度ため息を吐き出していた。

 ……狙った獲物は本当に大きいのだ。

 こうして横顔を眺めるだけで、幸せになってしまうほどに。


 ──だけど、さっきの失策は大き過ぎて、取り返しがつくかどうか。


 だからと言って彼を知ってしまった今、他の誰かを狙おうなんて思えやしない。

 その事実に私は水をちびちび口に運びながら、隠し切れないため息を吐き出すことしか出来なかったのだ。

 と、その時だった。


「……気にするな。

 こっちも下心あり、だからな」


 不意に。

 本当にヴォルフラム=ヴィルシュテッターというその人のことを強く意識していなければ聞き逃すような、幽かな声で。

 ……確かに、彼は、そう、言ったのだ。


 ──えっ?


 その幽かな声を、私が慌てて彼の方へと振り向くけれど、生憎とヴォルフラム隊長はもうウィンドウの方へと集中しているらしく、私の目には彼のその凛々しい横顔しか映らなかった。

 その横顔は本当にいつも通りで……まるでさっきの呟きなんてなかったことのように思えてくる。


 ──聞き間違いだった?


 ううん。

 ……そんな筈もない。

 『プリムラ卵』出身の私が、あんな大事な一言を聞き逃す訳がない。

 つまり、彼の言葉を信じると……ヴォルフラム隊長はこうして平然としつつも、内心では今晩の初夜を期待してくれていて。


 ──ほら、生死の狭間に立つと、異性を求める本能が働くって言うし。


 つまりそれは……私と同じ気持ちということで。

 そう思い当たった瞬間、私は突如、身体の奥底から湧き上がってきた焦燥感に耐え切れなくなってしまう。

 左右の足を組み、落ち着かなく貧乏ゆすりをして、足を組み直し……まだ落ち着かなくて椅子に座り直し、また足を組み……

 酷く咽喉が渇いて来て、コップの水にまたしても口をつけ。

 そして、また落ち着かなくなって椅子に座り直す。


 ──ど、どう、し、よう、かな?

 ──まだ、夜まで、時間が、あるし……


 そうして落ち着かない身体を持て余しながらも、私は何となく悟っていた。

 さっきの言葉が本当だとすると……続きもまた、やっぱりさっきの彼のように『こっそりと』伝えてくれるのだろう。


 ──だから、さっきみたいな合図を逃さなければ……


 いきなり押し倒されて拒否しちゃうとか、慌ててみっともないところを見せるとか。

 そういうことがないように、心の準備をしておかないといけないだろう。


 ──だから、合図を逃さないようにしないと……


 私はそう覚悟を決めると、落ち着かない身体を必死に抑えつつ、彼の口がさっきの続きを……もしくは今晩の符丁を仄めかす瞬間を待ち続けていた。

 だけど……それ以上、ヴォルフラム隊長が何かを言うこともなく……

結局、私がコップの中の水を全て飲み干し、失望と共にテーブルの上にコップを置いた、その時だった。


「……畜生がっっ!」


 突如、ヴォルフラム隊長がそんな叫びを上げたかと思うと、虚空を睨み付けたまま動かなくなっている。


 ──~~~~~~っ!


 私はその彼の叫びに不意を突かれ、椅子から飛び上がっていた。

 何しろ、甘い言葉を待ち続け、待ち疲れて気を抜いたその瞬間に、口汚い罵り言葉を投げかけられたのだ。


 ──え、え、え?

 ──さっきの一言って、パンツ脱ぐ合図だったとか?


 私は混乱し切ってそんなことを咄嗟に考えてしまっていたものの……どう見ても隊長の視線は私の方を向いてはいない。


「……あの、隊長?」

 

 そのまま固まってしまった彼の視線を追いかけて……首を傾げる。

 何しろ、彼が睨み付けている先には壁しかないのだ。

 いや、ただ一つだけ……


 ──通気口?


 とは言え、あんなものを睨み付けたところで何か意味があるとは思えない。

 何かがいたとしても、恒星間航行を始めた人類と共に宇宙へ飛び出したネズミか、それを捕獲するために改良された宇宙ネコくらいのものだろう。

 そう結論付けた私が、空になったままのコップを未練がましく傾け……もう水がないことに舌打ちをして、ため息を吐く。

 ……と、その時だった。

 ふと視線を感じてコップから顔を上げると、何故か隊長が私の顔をまっすぐに見つめていたのだ。


 ──え、まさかっ?

 ──本当にっ?


 その視線を受けた私は、鼓動が少しだけ早くなるのを感じながら、背筋をまっすぐに伸ばす。

 顎を心持ち上げて、いつでも彼の求めに応じられるようにしつつ……


「アドリア=クリスティ。

 銃は、使えるか?」


 ……だけど。

 私をまっすぐに見つめたままの隊長の問いは、私が期待したような甘い言葉ではなく、そんな簡単なものだった。


「……あ、はい。

 一応、訓練で習いましたから、ある程度は……」


 とは言え、期待した言葉とは違ったものの、その静かで真剣な声を聞いた私は……脊椎反射的に正直にそう答えてしまう。

 

「なら良い。

 着いて来いっ!」


 ヴォルフラム隊長が告げたその言葉に、私はただ固まったままで動けなかった。

 だって、着いてこいなんて言うってことは……


 ──間違いなく、まだ期待されているってことよね。


 確かに私は一度失敗を仕出かした。

 みっともないところを見せたし、ヴォルフラム隊長の足を引っ張ってしまった。


 ──だけど。


 みっともないところを見せたのなら、それ以上に格好良いところを見せれば……

 足を引っ張ってしまったのなら、その失態を取り戻すくらいの功績を上げてしまえば……

 そうすれば、私の評価はうなぎ上り。

 今後の同棲生活も、薔薇色どころか桃色体験まっしぐらで、べたべたいちゃいちゃラヴラヴ間違いないだろう。

 つまり……彼は私にそれほど期待をしてくれている、ということだ。


「どうした、早くしろっ!」


「あ、は、はいっ!」


 桃色妄想を切り裂く隊長の叱責に、我に返った私は慌てて立ち上がると走り出す。

 その勢いの所為でコップを取り落してしまったが、金属製のコップは甲高い音を立てはしたが、割れることはなかった。

 とは言え、今は緊急事態。

 私は落ちたコップから意識を外し、前を走る男性の広い背中へと視線を移す。


「い、一体、何がっ?」


 走りながらも私は、前を走る大きな背中に向けてその不可解な行動への問いを投げかけていた。


 ──彼を、信じていない訳じゃない。


 でも、だからと言って出会ったばかりの私たちが目と目で通じ合うような関係になれる訳もなく。

 だからこそ、自然とその問いが口から発せられていたのである。


「敵襲だっ!」


「敵っ?

 え、でもっ?」


 前を走る【死神】隊長のその叫びに、私は戸惑いを隠せない。

 ……いや、実際のところまだ第二機甲師団の人たちは戦っているだろうから、彼の言葉が間違っている訳じゃないだろう。

 それでもこの『へび卵砦』の外壁を破って砲弾が飛んで来るようなこともない。

 事実、私たちがさっきまで休んでいた食堂も、こうして走っている廊下も火器の音一つすら上がらず……敵襲の予兆なんて欠片もない。


「どうりで攻撃が薄い訳だっ。

 あっちのは囮って訳かっ!」


 戸惑った所為で少し離された私を気にかけることもなく、ヴォルフラム隊長はそう舌打ちしながらも走り続ける。

 だけど……彼の言葉を聞いても、私はただ首を傾げるばかりだった。

 何しろ、そんな気配は何処にもないし……新たに警報が鳴るなんてこともないのだ。

 ……である以上、施設内のモニターに目を通したとしても敵侵入は確認できないだろう。


「……空気中の砂塵が増えた。

 ここの通風管の先にある……北西エリアから敵が侵入したんだろう。

 ご丁寧に、警報までぶち壊してくれたみたいだがなっ!」


 その隊長の声に、私は再び首を傾げる。

 少なくとも私は、砂塵の量なんて……何一つ感じられなかった。

 そもそも『卵』には空気を清浄化するフィルターが何重にも設けられているし、ここ【トレジャースター】が希少金属微粒子の多い惑星だからって、『卵』の中でそう感じられるほどの差はない筈である。

 隊長の言っていることは何一つ信じられない。

 信じられないし、さっきの酔いが残っている所為か、息がもう上がって来て、気持ちが悪く……息をするだけで脇腹も肺も激痛が走る。

 ……だけど。


 ──信じた風をした方が、好印象っ!


 私は自分の不調をその一言で飲み込むと、そのまま彼の背中を追いかけ続ける。

 打算まみれなのは事実だけど……それでも。

 それでも今の私は隊長の背中を追いかけて、こうして必死に足を前へと進めていたのだった。


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