第六章 第五話
「五つ、六つ、七つっ!
八から一〇も、これで終わりだっ!」
意識を取り戻した彼は、まさに【死神】そのものだった。
右手のロングバレルライフルで正確に狙い撃ちながらも、右肩のレーザーキャノンを操ることで、十機もいた筈の『歩砲』をあっさりと戦闘不能へと陥れていたのだから。
「嘘、こんなにもあっさり」
この『へび卵砦』に来て初めて隊長の真っ当な射撃技能を目の当たりにした私は、呆然とそう呟くことしか出来ない。
考えてみれば当たり前なのだ。
さっき経験したお蔭で胸を張って言えるが……この『AHO‐01』は、射撃よりも操縦する方が遥かに難しい。
何しろ、私はこの機体を真っ当に動かすことすら出来なかったのだから。
……その機体を完璧に操縦するヴォルフラム隊長の射撃の腕が、私よりも遥かに上だなんて、当たり前のことだろう。
だけど。
──幾ら隊長だって、この事態を打破することなんて……
未だに私の中には、その絶望が渦巻いていた。
ここから戦局を覆そうにも……この『AHO‐01』にはもう武器が残っていない。
いつ暴発するか分からない右手のロングバレル・レールガンが一丁と、対『歩砲』用のレーザーキャノンが右肩に一基、そして二発同時に放たないと狙いすらつけられない、腰部キャノン砲が左砲門のみ残されているのみである。
……そう。
私たちには……あの脚をへし折る武器が残っていないのだ。
だと言うのに。
「引き続き足を潰すっ。
操縦系は、そのまま任せたっ!」
ヴォルフラム隊長は微塵も絶望を感じさせない声でそう告げると、手元の火器管制を操作する。
使っている武器は……
──レーザー?
──あんな、『歩砲』に穴を空けるだけの武器で何を?
私がフットペダルと操縦桿を必死に動かすことで、上からの狙撃を回避しながら、横目で彼の動向を窺う。
そんな余所見をしながらの操縦でも、遥か上空からの狙撃は同じ位置にさえいなければ……回避パターンを読まれなければ、そうそう当たるものではない。
隊長は私の視線に気付くこともなく、火器管制を数度操り……レーザーの武器パラメーターウィンドウを引っ張り出す。
──え?
今日一日だけではあるものの、何度も何度も火器管制を操り、何度もトリガーを引いた私は、その見たこともない機能に目を丸くしていた。
だけど隣に座っている人の形をした【死神】は、そんな私の驚きすらも意に介さず……そのパラメーターウィンドウに指で数度ノックしたかと思うと、次には右の方へと指を走らせていた。
その瞬間、モニター上に浮かび上がる、真紅の『危険』の文字。
「な、な、な、何よ、コレっ?」
「レーザーのリミッターを外した。
運が良ければ、コレで足の一本くらいは落とせるっ!」
何気なく呟く隊長の声に私は驚く間もなく、突然、全天方位モニターが漆黒に染まる。
肩から放たれたレーザーの出力が凄まじ過ぎて、モニターが光をシャットアウトしてしまったのだろう。
……いや、私が目にしたのはレーザーそのものではなくて、空気中の砂塵が乱反射させたレーザーの残滓に過ぎない。
磁力弾によって砂塵が払われた後でさえ、これほどの光量をロスさせる……この一撃はそんなとんでもない威力だったのだ。
当然のことながら、肩から放たれたその凄まじい光は、頭上に見えていた一本の脚を一瞬の内に融解させてしまう。
……だけど。
「馬鹿っ!
動けっ!」
「~~~っ?」
前方が全く見えなかったのと、そのレーザーの威力に驚いたのと、どっちが主な原因かは分からない。
……そして、その一瞬の隙を『歩柱』を操る敵兵は見逃してはくれなかったのだ。
「~~~っ」
機体を動かそうとしたその瞬間に、私の身体は凄まじい衝撃に揺さぶられていた。
『歩柱』が放ったレールガンが、私たちの機体を直撃したのだ。
──生き、てる?
吹っ飛ぶ寸前だった意識を必死に繋ぎ留めた私は、首を振ることで視界の揺れと衝撃による吐き気をやり過ごしながら、必死に眼前のモニターへと視線を移す。
幸いにして、コクピットを直撃した訳ではないらしく、ダメージは右肩と右腕、右スラスターと……右半身に集中している。
どうやら、敵の放った狙撃は右肩辺りに直撃したらしい。
幸いにして身体の何処も痛むことはなく……コクピット内部へのダメージはなかったらしい。
加えて、一撃を喰らって吹っ飛んだお蔭か、倒れてくる脚の落下軌道から機体が逸れていて……押し潰される心配はなさそうだ。
私がそう安堵した、その瞬間だった。
「……生きて、いるな?」
「はい。
なん、と、か……」
どうやら隊長も無事だったらしい。
こちらの様子を問う、いつもの彼の声に私はほっと溜息を一つ吐き出すと、隣に視線を移し……
──絶句していた。
「なら……最後の、一本。
行ける、な?」
ヴォルフラム隊長の身体は、血に染まっていたのだ。
……それも、その筈。
右目は破片に潰れ、右手は肘から先が存在せず、脇腹も真紅に染まっている。
右足も太股が真紅に染まっていて……あの様子では右足ももう使えないかもしれない。
そんな有様だというのに……彼は、まだ、戦うと……
「た、い、ちょう?
……その傷、は?」
「……命にっ、別状は、ない。
気に……するな。
それよりも、あの脚が、落下、し終えたと、同時に、飛び出す、ぞ」
絶句する私の前で、隊長は苦しげにそう告げると……左手に小さなボンベを持つと……ボンベから放たれる泡で顔や腕、腹を覆い始めた。
その泡は一瞬で凍り付いて紫色の結晶へと変わり、傷口が固まった所為で彼の傷口からはもう血が噴き出ることもなくなっていた。
……だけど。
──嘘、でしょう?
私は隊長が行っているその治療法を目の当たりにして、絶句していた。
アレは……この砂塵吹き荒ぶ惑星で機体が損傷した時のための、応急処置用の機体補修材なのだから。
事実、彼は自分の出血を塞いだ作業の延長のように、先ほどの一撃で被弾したコクピットの穴をあの泡で塞いでいる。
……そう。
アレは、痛みを消す訳じゃない。
アレは、怪我を治す訳じゃない。
ただ傷口を塞ぎ……血を止めるだけの措置。
──何で、こんなっ!
紫色の結晶に覆われた彼の姿に、私はもう言葉すら出せなかった。
コレは……治療なんてモノじゃない。
ただ自分の身体を「モノ」としてしか扱っていない……戦いに心を完全に奪われた狂戦士のみが行える、人体への暴挙である。
「何で、そんな……」
「だから、気にするな、と、言っている、だろう?
戻れば、再生治療で、治る。
それよりも、そろそろ……突っ込む、準備をしろ」
絶句したままの私は、彼の言葉に正面へと視線を移す。
眼前には倒れてきた脚が巨大な砂塵を巻き上げながら、凄まじい突風を周囲にまき散らしていた。
この『AHO‐01』のオートバランスシステムは動きさえしなければかなり優秀らしく、その突風の中でも片足で見事に立ったままバランスを保っている。
「で、でも、わた、私、私は……」
自分の操縦で、ミスで、彼に酷い怪我をさせた。
その事実が、私の心を縛っていた。
生まれて初めて見る重傷者を目の当たりにしたことで……今、自分の立っている場所が一瞬の油断で命を落とす戦場であるということを再認識……
……いや、違う。
顔見知りが命を落とすほどの怪我をしたというその事実に、私は生まれて初めて「死」を実感したのだ。
死とは綺麗ごとなど一切入る余地のない、人間が血と肉の塊へと化す、最悪の事象であるという実感を。
そんな私の恐怖を理解しているのかいないのか……ヴォルフラム隊長は軽く肩を竦めると……ただ一つ残ったその左目で、私の瞳をまっすぐに見つめてきた。
「なら、ここで座して、死を、待つか?
こんな……血と肉の、塊に、なりたい、か?」
その声を前に、私は目を閉じ、首を左右に振るしか出来ない。
ここは、戦場なのだ。
立ち竦めば死。
一つ間違えば死。
撃てば誰かの死を招き。
──その戦場という狂気の世界に、私は自ら脚を突っ込んだのだ。
……そんな当たり前の事実が、今さらながら私の胸へと突き刺さる。
「生憎と、この腕と脚じゃ、操縦は、出来ない。
だから、操縦は、お前に、任せる。
……出来る、な?」
ヴォルフラム=ヴィルシュテッターの静かに諭すかのようなその声に、その瞳に……私はゆっくりと頷くことしか出来なかった。
今から逃げようにも……周囲には『歩砲』の群れがあり、上空からは『歩柱』の狙撃が待っている。
そしてこの機体は右肩・右腕、右足、左手を失い……バーニアも左肩と背中、左足の三つのみで当初の速度は出せず。
付け加えるならば……もう武器は腰のキャノン砲一門しか残っていない有様なのだ。
──逃げることすら叶わないならば……
いっそ、あの巨大な柱に特攻を仕掛けた方が……ヴォルフラム隊長の策に命を賭けた方が、まだ生き延びる確率は高いだろう。
その事実を前に……私は覚悟を決める。
──それに……
彼がこんな重傷を負っているのに、私の身体には傷一つないという事実。
それは……自らが操るだろうこの機体のコンセプトとして、【死神】ヴォルフラムがそう設計したからに他ならない。
片方の操縦者が大怪我を負っても、隣の人間が動かせる。
──それは……相棒である私に、命を預けるという無言の意思表示。
である以上、私が此処で挫ける訳にはいかないだろう。
彼のその無言の信頼に応えなくて……どうして相棒と名乗れるだろう。
どうして彼の隣で生きて行けると言うのだろう?
この『AHO‐01』に乗った時、「どうせだったら、触れ合えるようにしてくれれば良いのに」なんて考えた自分に……今さらながら腹が立つ。
その自戒と決意を込めて……私は隣のシートに座る、血まみれの【死神】の瞳を見つめえしていた。
「……よし、良い、目だ。
やることは、分かって、いる、な?」
「……はい」
上官であり師であり同居人であり相棒であり、そして愛しいとまで思えるようになった男性の言葉に頷きながら、私は指先と足先の感覚を確かめる。
自分自身と彼の命を背負い、死地へと飛び込む覚悟は決まった。
彼の作戦プランなんて、今さら聞くまでもない。
──敵の砲火を掻い潜って、あの脚の、一番脆いだろう関節部へと飛び込み……
──腰のキャノン砲を、反動でぶれても構わないほどの……至近距離からぶっ放す。
本当に、ただそれだけなのだから。
……とは言え、ただ一つだけ。
ただ一つだけの心残りを、今ここで口にしなくては……私は死んでも死にきれない。
「隊長。
この戦いに生き延びたら……私に子供を授けて下さい」
「……はっ?
ぐっ!」
私が言いたいことを言うだけ言って、フットペダルを渾身の力で踏み抜いた所為だろう。
何かを言いかけたらしき隊長は、舌を噛んでしまったらしい。
──でも、無理っ!
彼の言葉を、返事を聞いてしまったら、例えそれがイエスでもノーでも……死地に飛び込む覚悟が鈍ってしまう。
──許されてしまうなら……その未来に期待してしまうから。
──断られてしまうなら……もう彼と共に死地へと飛び込む意味が失われてしまうから。
だからこそ私は……卑怯と知りつつも彼の言葉を聞く前に、死地へと飛び込んだのだ。
「~~~っ、くそっ!
せめて、合図を、ったくっ!」
ヴォルフラム隊長は私の心境を理解しているのかいないのか……そんな叫びを漏らしたかと思うと、残された左手一本でで火器管制を操作し始める。
その彼の操作によって、残ったもう一つの外部兵装……攻撃武器ではない装置が作動し始める。
まるで機体の尻尾のように、腰の後ろにくっついていたコンテナ……それが急に展開したかと思うと……背後に突如としてこの『AHO‐01』とよく似た機影が映り始める。
──ダミーバルーン。
私自身が火器管制の操作に夢中だったことと、隊長から使う指示が下りなかったこと。
そして……直接攻撃力のないその風船の意味を理解出来なかったこともあり、今まで使わなかった最後の兵装が展開されていた。
とは言え、所詮は風船。
砂塵の中に紛れていないと意味がない、ただの目晦ましに過ぎない。
「所詮は、気休め、だっ!
頼る、なよっ!」
「は、はいっ!」
隊長もそれは分かっているらしい。
それでも……例え気休めと分かっていても、1%でも生存率を上げたいのだろう。
……今から行うのはそういう特攻なのだ。
その事実に私は咽喉を鳴らす。
左右の操縦桿を操り、機影から侵攻ルートを読まれないように注意しながら、それでも速度を落とさないように気を付けつつ……『歩柱』最後の脚を目指し、跳ぶ。
そうして、砂塵の向こう側に見えている脚が、そろそろはっきりした形を取ろうとする、その時だった。
「~~~っ?」
機体に小さな衝撃が走る。
『歩柱』の脚に搭載されている機銃が、この機体の装甲を弾いたらしい。
──もし、アレに撃ち抜かれたら……
その最悪の想像に、私の指が一瞬だけ震える。
「気に、するなっ!
あんな、豆鉄砲、当たっても……効きやしないっ!」
「はいっ!」
そんな私に向けられたヴォルフラム隊長の叱咤に、私は気を取り直す。
銃口へと近づいているのだから、機銃が当たりやすくなるのは当然だった。
事実、こうして近づけば近づくほど、機体への衝撃が走る回数が徐々に増え続けている。
──効かない。
──効かない。
──効きやしないっ!
そう念じながらも、左右へと回避行動を取りつつも脚へと突っ込む。
そうして、砂塵を抜け、脚が見えた。
……その瞬間だった。
「~~~~っ?」
私の視界が一瞬で暗転するほどの衝撃がコクピット内へと走る。
眼前に見えていた脚の関節は……その瞬きほどの間に、この機体一つ分ほど上へとワープしていて……
──被弾したっ?
その事実に私は隣に座る隊長の方へと視線を向けようと……
……だけど。
「気に、するなっ!
脚をやられただけだっ!」
そんな私の視線を留めるヴォルフラム隊長の叫びに、私は歯を食いしばると、注意を正面へと引き戻す。
──今は……心配している場合じゃないっ!
私が内心でそう叫ぶ間にも、『歩柱』の脚はもう眼前へと迫っていた。
脚関節の横から生えている機銃は、こちらの機体を次々と撃ち続けていて……
「あっ?」
その内の一発の当たり所が悪かったのだろう。
この機体……『AHO‐01』の頭部にあるメインカメラが吹っ飛んでいた。
……その所為だろう。
私の周囲を覆っていた全天方位モニターが一瞬消え去り、直後に少し画像の荒い、右半分と下半分が全く映っていないモニターへと切り替わる。
「まだまだっ!」
……それでも。
それでも、私たちの突撃は既に片道切符でしかないのだ。
今更、怖気づいても、もうどうしようもない。
それに……右半分の景色が映っていなくても、隊長の姿は見えるのだから、別に構いはしない。
「うぁああああああああああああああああああああああっ!」
叫ぶ。
右半分も下半分も見えない状況のまま、正面にある脚関節目がけて。
最早ただまっすぐに機体を操り、機銃の弾ける音すらも意に介さず、モニターがさっきから奏で続けている警報音も、破損部位を知らせるウィンドウすらも目に入れず。
……ただ一直線に突っ込む。
──もう、少しっ!
──お願いだから、もう少しだけっ!
手足の感覚がなくなるほどに操縦桿を握り込み、脚がへし折れそうなほどフットペダルを踏み込み、私は内心で悲鳴を上げる。
……いや、信じてもいない、地球の神に祈っていた。
その無茶苦茶が功を奏したのだろう。
気付けば……既に眼前のモニターには『歩柱』の脚関節がただ映っているだけになっていた。
……その光景に私が肩の力をふっと抜いた、その瞬間。
「……良く頑張ったな。
アドリア=クリスティ」
酷く優しそうな、隊長のそんな声が聞こえたかと思うと……
コクピット下から、突如凄まじい衝撃が発生し。
私は再び、眼前のモニターに額を思いっ切り撃ちつけ、意識を失ってしまったのだった。




