第六章 第四話
「~~~っ?」
意識を取り戻した瞬間、私が最初に行ったことは現状の把握だった。
今座っているのはコクピットの中。
両手には操縦桿。
背中にあるのはシートで………
──戦闘中っ!
現状を把握するや否や、私は操縦桿を強く握り絞めると、モニター越しに周囲を見回す。
射撃の衝撃の所為か、全天方位モニターのあちこちにノイズが走っているものの、周囲は相変わらず砂塵に覆われ、上空の砂塵には先ほどよりも少しだけ大きくなったパラシュートの影が映っている。
……幸いにして、私が意識を失っていたのはほんの一瞬のことだけだったらしい。
機体の足元は砂に覆われ、前方には脚を引き摺ったような跡が残っていて……どうやらこの機体そのものが後ろへブレてしまったらしい。
その事実が……先ほど放ったキャノン砲が如何に凄まじい威力だったかを物語っていた。
と、その時だった。
「ん?」
私は、この状況に不意に違和感を覚えていた。
その違和感とは、身体の揺れ。
視界の揺れ。
感覚の揺れ。
真っ平らな大地に機体が座しし続けている所為で……さっきまでの猛烈な揺れとGに煽られていた私の平衡感覚が、この「動かない砂漠」を揺れ続けていると認識してしまっているらしい。
「……へ?」
その事実に気付いた瞬間、私の口からは思わずそんな間抜けな声が零れ出ていた。
──この機体、動いて、ない?
思わず私は隣へと視線を移す。
そこには……真下を向いたままピクリとも動かないヴォルフラム隊長の姿があった。
「……たい、ちょう?」
思わず私は彼に声をかけるものの、彼は指一つ動かそうとはしない。
幸いにして……ここ数日間で何度も眼福させて頂いた、その細身ながらも鍛え上げられている身体は、パッと見た限り大きな損傷はない。
彼は俯いたままではあるけれど、首が変な方向へ曲がっている様子もなく……恐らく、気を失っているだけなのだろう。
流石の【死神】ヴォルフラムも……先ほどの衝撃には耐えられなかったらしい。
──そう言えば、敵はっ?
彼の無事を確認した私が、安堵のため息を吐いたのも一瞬のことだった。
まだ自分が戦闘中だということを思い出した私は、慌てて周囲を見渡すべく顔を正面に向けた。
──不幸中の幸いね。
──敵もさっきの一撃で混乱したのか、撃って来なかったみたいだし。
そんなことを考えつつ、眼前のモニターを見た私は……完全に硬直してしまっていた。
……いや、私が硬直したのは、モニターを見た所為じゃない。
モニターに映る巨大な影が、一体何かということに気付いた所為だった。
「じょ、冗談、よね?」
この『AHO‐01』を軽く覆い隠すだろう巨大な物体……即ち、先ほどの射撃でもぎ取った『歩柱』の脚がこちらへ崩れ落ちて来ているのを見て、私の口から出たのはそんな間の抜けた一言だった。
慌てた私は助けを求めようと、隣のコクピットへ視線を向け……
意識を失い、無防備極まりない寝顔を晒しているヴォルフラム=ヴィルシュテッターの横顔を見て、今さらながらに理解する。
──今、彼を守れるのは、私だけ、なんだ。
……そのたった一つの真実を。
そして、その事実に気付いた以上、私はもう、このまま座して死を待つことも、恐怖に震えて縮こまることすら出来やしないっ!
「う、う、うぁああああああああああああああああああああっ!」
恐怖を振り払うかのように、躊躇いを吹き飛ばすかのように、私は腹の奥からの叫びを上げると、正面モニターに触れる。
──操縦権、譲渡。
それが出来ることは戦場へ向かう最中にヴォルフラム隊長から教えられていた。
──だけど……まさかコレを使う場面が来るなんて、想像すらしていなかったっ!
モニターに浮かび上がったウィンドウに指で触れつつも私は、以前、隊長に叱られた言葉を思い出す。
『……俺たちが向かう先は戦場だ。
何があってもおかしくない。
もし俺が銃弾を浴びて操縦できなくなった場合、お前が操縦出来るかどうかが生存率に大きく関わってくる。
……その程度のことも分からないのか?』
彼のその言葉があったからこそ……私も来る最中に一応この『AHO‐01』の操縦系統にも目を通していたのだ。
システムの管理画面を開き、操縦権限の委譲を選択、私の方へとソレを渡す。
幸いにして、死の恐怖に直面しているにも関わらず、私の指はもつれずにウィンドウを操作し終え……
この『AHO‐01』は私が操縦出来ることとなった。
ふと視線を上げると……倒れて来ている『歩柱』の脚の、その表面を覆っている特殊合金タイルの一枚一枚が視認できるほどになっているっ!
「間に合えぇええええええええええええっ!」
思いっきり叫びながら、私は操縦桿を両方とも右へと傾け、今まで使ったこともなかった左右二つのフットべダルを、渾身の力を込めて踏み込む。
途中に変な引っかかりがあったものの……両足に全体重を込めていた私は、ソレが何なのかを考える暇すら存在しなかった。
何しろ、私がペダルを踏み込んだ、その次の瞬間。
両肩と左足、背中と腰後ろのスラスターが一気に炎を噴き出したかと思うと……
──ぐ、くぅっ?
私の身体は凄まじい勢いで左側へと引っ張られていた。
その凄まじいGに私は思い知る。
……今日『歩柱』との戦いで何度も悲鳴を上げさせられた、【死神】ヴォルフラム隊長の無茶苦茶な操縦は……どうやらアレでも加減されていたらしい。
一瞬で視界が真っ黒に霞むほどの凄まじいGに、私は酸素を吸うことすら出来ず、身体がママに圧し掛かられた時のように重く、操縦桿を握っている指先どころか手のひらの感覚すらも消え去ってしまう。
「それ、でもっ!」
それでも、私は脚を緩める訳にはいかなかった。
ここで躊躇すれば、私たちの乗る機体は落ちてきた脚に潰されてプレスされてしまう。
中に乗っている私たち二人も、ミンチにすらならないほどに平らに潰されてしまうに違いない。
だからこそ……私は歯を食いしばりながら、必死にそのGに耐える。
幸いにして、『歩柱』の脚はただの飾りに過ぎず……それほど大きく太い訳でもない。
凄まじく長かった体感時間とは異なり、瞬きを二度ほどする頃には、倒れてきた脚に押し潰されるような状況は脱していた。
……だけど。
「うぉっとととっと」
着地に失敗した私は見事に機体をひっくり返してしまう。
着点の砂が沈んだ所為で生まれたバランスの崩れを、訓練すらろくにしていなかった私は修正し切れなかったのだ。
右足のスラスターが壊れてしまっているというのもあったのだろう。
慌てて起き上がろうとした私は、上体を起こすその動作に失敗して機体を真後ろへと転がしてしまい。
……転ばないように脚を踏ん張り、その動作の所為でバランスを再び崩す。
必死にバランスを取り続けているお蔭か、転んで外部武装やスラスターを破損することはないものの、機体をまっすぐ立たせるだけで至難の業で……
と言うか、この機体……
──無茶苦茶、動かし辛いっ!
シミュレーターで何度か訓練した『歩砲』の比じゃないその操縦難度に、私は思わず内心で叫びを上げていた。
そもそも『歩砲』は何だかんだと言っても四足装甲の地走機体。
この『AHO‐01』は空を跳ぶ性能を得るが故に、『人型』という兵器としては致命的な欠陥を抱え込んでしまっているのだ。
そうしている間にも砂塵は少しずつ薄れてきたらしく、近くに砂柱が吹き上がる。
上空からのレールガンが着弾したのだろう。
……つまり、こちらの凡その位置を既に掴まれている、ということだ。
私は慌てて操縦桿とフットペダルを操作して、機体をその場から逃がそうとする。
だけど、躓いて転びそうになる。
スラスターの出力バランスが崩れている所為か、左右に傾いて安定しない。
左腕がない重心の狂いに対応できない。
上からの攻撃に反撃するどころじゃない。
残った二本の脚を狙うなんて望外にもほどがある。
何しろ……真っ当に敵の攻撃を回避することすら、至難の業なのだ。
「何で、隊長は、こんな機体、あんなに巧く、扱えていたのよっ!」
思わず私の口からは、そんな悲鳴が上がっていた。
だけど、そんな叫びを上げる余裕なんて、私にはないらしい。
ガインッという凄まじい音と共に、コクピットが揺れる。
──横合いから、砲撃っ?
慌てて砲撃を喰らった方向を見ると……いつの間にか降りて来たらしい、『歩砲』が十機ほど並んでこちらに砲塔を向けているっ!
「~~~っ!」
慌てて私はフットペダルを押し込み、不恰好で情けない挙動を見せながらも機体をその場から離脱させる。
……とは言え、そんな下手くそな運転で逃げ切れるほど、敵は甘くない。
次々とコクピットに衝撃が走り、モニターの中に表示されていた機体情報が真っ赤に輝き始める。
──腰部ツインキャノン、右側喪失っ!
──背中左バーニア、噴射孔中破っ!
──右足、膝部から消失っ!
「この、ままじゃっ!」
慌てて私は火器管制を引っ張り出して残ったままのロングバレル・レールガンで雑魚を一掃しようとするものの……
「ぐ、くっ?」
眼前に巨大な砂柱が立ち上ったことで、慌てて機体操縦に集中し直していた。
……そう。
攻撃と機体操縦。
攻撃だけでも凄まじい神経を使うというのに。
操縦すらも真っ当に立ち上がることすら出来ないというのに。
──両方を同時になんて……出来る訳がないっ!
私は胸の奥から徐々に湧き上がって来る絶望を必死に奥底に仕舞い込みつつ、それでも操縦桿を無茶苦茶に操作する。
そのヤケクソ半分のランダムな挙動が功を奏したのか、上からの狙撃は見当違いの場所へと着弾するばかりだったし、敵の『歩砲』もこちらの三次元的な回避行動は捉えきれないらしく、小口径の機銃がたまに装甲に弾かれる程度で済んでいた。
……だけど。
──このままじゃ、ジリ貧じゃないっ!
その事実ばかりは、どうしようもない。
何しろ私は回避に専念するばかりで、攻撃の手段がない。
その挙句、敵は大質量の軌道エレベーターで……援軍の『歩砲』や砂上ホバーなどは次から次へと上から降り注いで来ているのだ。
更に最悪なことに、この『AHO‐01』の推進剤やエネルギーも無限ではなく……事実、もう残り四分の一を切っていて、いつアラートマークが点いてもおかしくない。
付け加えるならば、さっきからの酷使が祟ったのか……度重なるGによって私の意識は霞み始めていたし、両腕両足の感覚はかなり鈍くなってきている。
そうして、十度ほどのランダムな跳躍を繰り返した頃。
──もう、無理っ。
……ついに、私の限界が訪れる。
ほぼブラックアウト寸前だった私の意識はもう回避の手立てすら浮かばず、手は操縦桿を握る感覚もなくし……
何よりも、一人きりで戦場に立ち続けるという重圧に、私の精神はもう耐えられなかったのだ。
私はそのまま頭を垂れ、身体の力をふっと抜く。
もうこれ以上は、指一本たりとも動かせない。
いや、この……幾ら頑張っても事態を打開する術が見つからない、救いのない地獄の中では、頑張るような気力なんて湧き上がろう筈もない。
──でも、一人じゃない、し。
未来の子供に逢えなかったのは残念だけど……こんな終わり方もまぁ、そう悪くはないだろう。
それだけが、唯一、私の中の救いだった。
「こんな終わり方も、悪くない、かな?」
私はポツリとそう呟くと……
一〇を超える『歩砲』の群れが一斉にこちらにその主砲を向けるという光景を前に、静かに目を閉じると……最後の瞬間に備えて身体の力を抜いていた。
何もかもを諦め、せめて来世ではもうちょっと男女比の真っ当な星に生まれて。
そしてもう一度、彼と出会えますようにと……今まで祈ったこともない、人類の故郷にいるという「神」に祈りを捧げる。
……その時、だった。
真っ暗な私の世界に突如、爆発音が響き渡る。
私たちの機体がついに爆発したにしては……痛くもないし、熱くもないし、何よりまだこうして私は生きているようだし。
何よりも爆発は前方の、少し遠くから聞こえて来たように思える。
慌てて私が目を見開くと……正面では数機の『歩砲』が爆発炎上して動きを止めていた。
そして何よりも不思議なことに、モニターの端には、『AHO‐01』の右腕がロングバレル・レールガンを突き出している姿が見える。
勝手に機体が動く訳もなく……
「諦めているところに悪いが……俺はこんなところで死ぬつもりはない」
「~~~っ?」
その光景に、その声に……私は慌てて隣を振り向く。
「悪かったな、相棒。
少し無様な姿を見せたが……もう大丈夫だ」
そこにはこの数日間で見慣れ、憧れ続けていた一人の男性が両の腕に操縦桿を握り絞める姿があったのだ。




