第一章 第二話
「あ、ボク、ホモ=セクシャルですから、貴女の相手にはなれませんけどね」
笑顔で、それもかなりさわやかな笑顔で、彼はいきなりそんなとんでもないことを告白してきたのだ。
「……へ?」
固まっている私を前に、彼は目の前の建物に入っていく。
置いて行かれた私は、慌てて彼の背中を必死に追いかける。
「だって、貴女は『プリムラ卵』出身でしょう?
あの『卵』出身者が最前線にまで来る理由なんて二つしかないんですよ。
……戦争好きの自殺志願者まがいの人か、もしくは婿探しか。
貴女はまだまともそうですからね」
──へ?
彼の一言は、私の目的を見事に言い当てていた。
その事実に、私は再び完全に硬直してしまう。
……これでも故郷では、かなり悩んで結論を出したんだけど。
「え……えっと」
「まぁ、仕方ないところもあるって分かりますけどね。
あの『プリムラ卵』は周囲を切り立った山で囲われているため、電磁波が集中するとか。
その所為で……男性の出産率が非常に低いらしいですからね」
彼の声に私は内心で頭を抱えていた。
……そう。
私の故郷である『プリムラ卵』は、何故か男性の出産率が非常に低く……私の学校においても、男性なんてたった二人しかいなかったのだ。
当然のことながら彼氏を持つなんて、女の子同士の競い合い、策謀、陰謀を潜り抜けた猛者だけに許された特権であり……私みたいな『同性にもてるタイプ』の人間は、言葉を交わした回数さえ数えるほどの有様だったのだ。
そういう背景もあり、うちの故郷はまぁ……婿探しに外世界へ飛び出す子たちが多く……どうやらちょっと悪名高い、らしい。
「あの、それ、俗説らしいですけど。
男性の数が非常に少ないのは事実です」
それでも、私は彼の声に何となく否定してみる。
ちょっと頭脳が混乱していて、今、故郷を庇う意味なんて全くないのも分かっているけど……。
──いや、そうじゃなくて。
私の理想の男女交際がいきなり破綻したのが問題……いや、それ以前に何か聞き捨てならない重大な情報があったような……えっと……。
「あ、ここが隊長室です。
安心していいですよ。
彼、【死神】なんて仇名がついている癖に、悪い人じゃないですから」
「あ、はい」
どうやら受け答えしている間に、目的地に着いていたらしい。
彼……ヤマトさんはお辞儀をして廊下を曲がって行った。
その背中を見届けた後、私は目の前のドアへと伸ばし……
「う」
そのドアを叩く段になって、隠し切れない緊張が湧き上がってきた。
手が震えて、手を振り下ろせない。
……【死神】なんて呼ばれている隊長。
──どんな人なんだろう。
緊張二割、恐怖五割という負の感情が私の手をその場に留まらせていた。
それでも……残された三割の期待が私の手をドアへと叩きつける。
ノックの音は、私が思っていたよりもずっと大きく鳴り響いた。
「入れ」
直後、ドアの向こうから聞こえてきたのは、思っていた以上に若い声だった。
ちょっと低めで、落ち着いた感じだろう。
命令し慣れたような雰囲気が、まさに人の上に立つ人間の威厳を感じさせる。
──こういう声で「飯」とかって言われるのも、何となく亭主関白で悪くないかもしれない、かも。
一瞬でそんなことを考えた私だったが、すぐに首を振ってその考えを脳から振り払う。
……私はそういうタイプじゃないのだ。
そもそも、女性が圧倒的多数を占めていた『プリムラ卵』では、女性上位の考え方が強く、事実、男性の地位はあまり高くなかった記憶がある。
──でも、こういうのも、悪くない、よね?
この【死神】さんなら、故郷のしきたりなんかに染まり切ったこの私を、丸っきり変えてくれるかも……
「どうした?
入っていいぞ」
再びかけられた声に、私は現実へと叩き戻されていた。
……そう。
こんな妄想している前に、やるべき事がある筈だ。
それをしないと、妄想している『理想の未来』への足掛かりすら失ってしまう。
「失礼します」
私は「こうなったらもう逃げられない」と覚悟を決め、声を上げてドアを開ける。
そして……
「……あ」
目の前の男性を見た私の口から出たのは、そんな間抜けな一言だった。
……いや、それしか言えないほど、私は驚いていたのだ。
無雑作に切られた、でも不潔な感じはしない短く黒い髪。
日に焼けた肌は健康的な色をしていて……いや、彼の場合、野性的とも言える。
黒い瞳は細く鋭く、顔は美形と言うよりは荒々しさが印象強い。
……その張りつめた感じはまさに戦士といった容貌で。
なのに全体的に細身で、鋭い剣を思わせる雰囲気を全身から発している。
ダサい筈の黄土色の軍服でさえ、彼が着るだけで威厳と迫力が凄まじく、まさに軍服だという印象を受けてしまう。
目の前の【死神】と呼ばれる私の隊長は、そんな人だったのだ。
「君の着任を歓迎しよう、アドリア=クリスティ。
俺の名はヴォルフラム=ヴィルシュテッター。
この隊の指揮を任されている者だ」
彼がそう名乗るのを聞きながらも、私は自分の目で見ている光景が未だに信じられないまま固まっていた。
──本当にこんな人、いるんだ。
私は呆然と内心で呟く。
何しろ……彼の容貌は、私が戦場に行くと決めた時に想像した……背中を任せ、助け助けられるという『理想の関係』を思い描いていた通りの……まさにそういう、理想の男性だったのだ。
私は未だに夢を見ているようで、何となく硬直してしまう。
そんな出会いがこの私、アドリア=クリスティと、ヴォルフラム=ヴィルシュテッターの出会いだったのだ。
──まさに運命の出会い。
彼との対面は、そう感じさせるに相応しい強烈な電流を私の脳髄へ流し込んでくれた。
……その所為だろう。
私の身体は指先一本まで思い通りに動かず、だけどその感覚が心地良いという……そんなどうしようもない事態に陥ってしまっていたのだ。
とは言え、運命の出会いという感動は、初対面の人間に向けるにはあまり良いモノではないらしい。
「あ~、癲癇症状か?
なら適性Cとして、施設維持の方に回ってもらうが……」
……何しろ、硬直した私を目の当たりにした隊長さんは、突如そんなことを言い出したのだから。
ちなみに施設維持の仕事と言うのは、掃除や洗濯や大工仕事……ではなく、それらを全てこなしてくれる作業用ボットの修繕やアップデートのこと。
ボットのチェックやシステムスキャンはボット自身が行うのだが、生憎とこの【トレジャースター】において、通信機器はかなり使い勝手が悪い。
データを書き換えたり、現在位置特定困難として迷子になった掃除ボットを保護したり。
早い話が、施設を直してくれる機械を直す仕事である。
……戦場で男性と肩を併せる『ロマン溢れる最前線』と比べると、かなり『やりがいのない』仕事だと思う。
「いいえ、このアドリア=クリスティ。
指先一本内臓一つに至るまで健康そのものです!
しっかり見て貰っても結構ですっ!」
このままでは眼前のヴォルフラム隊長と「理想の関係」を築いていけないと察した私は、大声でそうアピールしていた。
完全に舞い上がっていた所為か、制服をめくりお腹を見せながら。
──何やってるんだ、私っ!
冷静な思考は自分の行動を完全に『奇行』と認識していた。
だけど……何故かは分からないけれど、その場には自分の行動を自分で止められない私がいたのだ。
内臓を見せる以前に全裸を見せなきゃならないとか、そんなことを思いついた私は制服のボタンを指で外し始め……
「分かった。
……身体は健康体、と」
そんな私の行動にもあまり動揺してないらしい、ヴォルフラム隊長の一言であっさりと押し留められる。
実際、この『へび卵砦』へ来るまでの健康診断で調べられた限り、私は健康そのもので……彼はそれをチェックしただけ、なんだろうけど。
とは言え、全く動じていない彼の姿を私は安堵半分、失望半分の面持ちで見つめていた。
何にしろ、初対面の男性の前でストリップする愚行だけは避けられた安堵と……
いきなり脱ぎだした異性にも眉毛一つ動かさなかった、つまり彼から見て私は異性とあまり思われていないんじゃないかという失望が混ざり合ったその視線を……
隊長はやはり眉毛一つ動かすこともなく無視しつつ、手元のデータウィンドウへと視線を移す。
「……さてと。
取りあえず、我が第二機甲師団第三部隊は、君を歓迎する。
アドリア=クリスティ」
「あ、はっっ。
はいっっっっ!」
──彼に名前を呼ばれた。
そんな単純な出来事だけで、私は舞い上がっていたらしい。
声から出たのはそんな……凄まじい声量だったのだから。
とは言え、静かな部屋の中、数歩の距離で話し合っている私と彼との間に、そんな大声は必要ない訳で。
事実、私自身も耳が痛いほどの大声が室内に響き渡り……私はその失態に青褪める。
……だけど。
「肺活量は合格、だな。
気合があるのは、悪くない」
ヴォルフラム隊長はそんな私にも優しい言葉をかけてくれたのだ。
ぶっきら棒だけど、時折見せる優しさと気配り。
──もう完璧過ぎるとしか言いようがない。
故郷で現実男性と巡り合えなかった異性愛主義者たちが聖書としていた乙女ゲーム的に言っても、かなり人気の高いシチュエーションだ。
もし、その優しさが自分だけに向けられるなんてことになったらっ!
……と、私はまたしてもトリップしていたらしい。
気付けば隊長の冷たい視線が私を見つめていた。
どうやら私の反応にだいぶ慣れてきたらしい彼は、私が我に返ったのを見届けると……
「取りあえず、この施設を案内しよう」
特に私の『心の旅路』を気にした様子もなく、そう仰られたのである。
「あ、あの……隊長自らが……ですか?」
その一言を聞いて、私の口からそんな不思議そうな声が自然と零れていた。
……だって、そうじゃない?
隊長ってのは偉い人のことを示す言葉で、下っ端なんて顎で使う人間のこと。
そんな人間が自ら、私みたいな新入りを案内するなんて、とても普通とは思えない。
──もしかして、脈、あったりするのかな?
運命の出会いを感じていたのは、私だけじゃなかったり、とか。
一目惚れはお互いがお互いに対してするという都市伝説があるけれど、私が感じていた『運命』を彼も感じていたのかもしれない。
「別に問題はない。
……それほど大きい施設でもないからな」
「あ、はい。お願いします」
そう思って舞い上がりつつも頷いた私の隣で、彼は鬱陶しそうに胸につけていた隊長職を示す軍票を外すと、無雑作に酒瓶やコップが横たわっている少し整頓を怠っているような机の上に放り投げていた。
……どうやら彼は、隊長という立場そのものをあまり好きじゃないらしい。
──と言うことは、デスクワークから逃げたかった、のかも。
自分の脳みそが導き出したその真実味のありそうな推測に、私は無意識のため息を吐きつつも……歩き出した彼の後ろへと突き従う。
──女性は三歩後ろを歩くのが、もてる女性のトレードだっけ?
そんなことを意識しながら、彼の丁度三歩だけ後ろを静々と。
この辺り、男性から見て『良い女』というのがどういうものか、うちの『プリムラ卵』ではあまり評判にならず、色々と呼んだデータブックやムービーの知識しかないんだけれど。
っと、そんなことを考えていたら部屋を出てすぐ、さっきまで話をしていた部屋を指差してヴォルフラム隊長は口を開く。
「まず、ここは作戦会議室だ。
色々あって、隊長室とか呼ばれているが……」
私がドアにあるプレートに目を通すと、確かに「第二機甲師団第三部隊作戦会議室」という名称がついてある。
「……え?
何故、ですか?」
私の口からは、ついそんな疑問が零れ出ていた。
昔から聞きたがりなところはあったのだけど……寡黙な隊長はあまり口煩い女性は隙じゃないかもしれないと、少し反省をしてみる。
私の言葉を聞いたヴォルフラム隊長は、軽く舌打ちをすると……言い難そうに口を開いた。
「色々あって、俺の居室は生活に適さない状態になっている。
で、ここで俺が寝泊りしていたら……隊長室と呼ばれるようになった」
「……ああ。はい」
私は未だに納得がいなかったが……頷いて納得したふりをする。
──深く聞かないのも良い女の証よね?
男には言い辛い過去がある。
それに踏み込まないのは良い女の証……とは、何で仕入れた知識だったか今一つ定かではないんだけど。
そして、私自身の好奇心は詳しく聞きたくてウズウズしていたのもの事実だったのだけど……それを押し殺してこそ、輝かしい未来が待っているに違いない。
「じゃ、次は部屋を案内しよう。
荷物をいつまでも持ち歩くのは、疲れるだろう?」
「え、いえ。そんな……」
私の気遣いを察したのか、隊長はそんな優しい言葉をかけてきた。
何と言うか、そうして気を使い使われると……逆に反発したくなる。
そもそも手荷物と言っても片手で持てる程度しかない訳で、私はまだまだ大丈夫だという仕草をしてみせたのだけど。
「ここは軍なんだ。
別に無理して無駄な体力を使うこともないだろう」
隊長はそう一言だけ告げると……またしても歩き始める。
私はそんな彼の後ろをまた付き従い始めていた。