第五章 第五話
この機体の乗り心地は……お世辞にも良いとは言えなかった。
勿論、『歩砲』と同じようにコクピット周りに衝撃吸収システムが組み入れられていて……と言うか、【眼鏡】さんの言葉通りなら、破棄予定だった『歩砲』から流用したシステムを導入していて、機体そのものが揺れているよりもコクピットの揺れは大人しい筈だった。
それでも……この乗り心地である。
「う、ぷっ」
千を数えるほどの間コクピットに揺られただけで……私は吐き気を堪えるので精いっぱいになっていた。
何しろ……今まで横断してきた砂の砂漠というモノは、決して平らな鏡のようなモノではない。
嵐や風により砂の大地はまるで『地球』時代からの伝統庭園『枯山水』のように波打ち、砂から突き出された岩々もあり、酷く起伏に富んだ地形になっているのだ。
そこを、ロケットと同じ原理で進む『そり』のような運搬機によって運ばれているのだ。
……【ライト条約】を律儀に守っているる所為で、砂面をなぞるように上下しながら。
──キツ、い。
私の視界が無茶苦茶になっている理由は他にもあった。
火器管制システムの所為である。
──レールガンの使用注意は……
敵地にたどり着くまでに、【眼鏡】さんの言っていた通り、私はこの武器の注意全てを読んで覚えなければならないのだ。
そうしないと……ただの足手まといになってしまう。
「何で、こんなややこしいっ!」
数々の注意書きを読み進める内に、私の口からは悲鳴に似た叫びが零れ出ていた。
ヤマトさんが「どの武器も実験中のモノ」と言ったのは伊達じゃない。
レールガンにレーザー……その他様々な武器が、それぞれ搭載されている代わりに、どの武器にも鬱陶しいくらいの注意書きが書かれてある。
それら全てに目を通すだけで、敵の『歩柱』のところへとたどり着きそうな勢いである。
──でも、覚えないとっ!
ヴォルフラム隊長と共に戦場へ出向くということは、こういう無茶を毎日毎日要求され、その上で生き延びなければならない、ということなのだから。
「なるほど……良く考えたモノだ」
……少なくとも【死神】というコードを持つ彼は、私と同じ揺れの中、この機体を操りつつ、その上、平然な顔をしたままでマニュアルを読んでいるのだから。
彼は、私に課したこの『無茶』を、特に難しくない『出来て当然のこと』だと思っているに違いない。
「っ、キツっ」
そう考えると……心が折れそうになる。
だけど、今さら諦められる訳がない。
──今さら、降りられる訳もない。
私は覚悟を決め、せり上がって来た苦い唾液を必死に呑みこむと……眼前のモニターに描かれてある文字を必死に睨み付ける。
ただ、そうして必死に文字を睨み付けている所為か、この武器の使い方が頭の中に何となく浮かぶようになってきていた。
……いや、違う。
私の脳みそなんかじゃ、これらの武器をどう使ってよいかなんて思い浮かぶ訳もない。
ただ一つ。
──このヴォルフラム隊長だったら、どんな風に使うんだろう?
そう考えると、意外と色んな武器の使い方が思い浮かんでくるから不思議なものだ。
──絶対、コレは無茶苦茶する、わね。
と、私が左手に装備されてある盾型兵器……『蜜蜂』を【死神】ヴォルフラムだったらどう使うかをを思い浮かべ、げんなりとしたその直後。
私は視線を兵器マニュアル一覧へと向け……ふと、違和感を覚える。
「……あの、隊長」
「何だ?」
それは、この機体に乗った時からの違和感。
それは、この機体が発進した時の違和感。
そして、今も延々と続いている……違和感。
だからこそ私は、口に出してソレを尋ねてみたのだ。
「この機体の名前、何て言うんですか?」
……そう。
普通、どんな兵器にも機体名ってのがある筈である。
私たちが乗っていた機体でさえも、その機能そのままの『歩砲』という名前が付けられていたのだ。
私たちが今向かっている敵にも『歩柱』という名前がついている。
幾ら実験中の武器ばかりを搭載した秘密兵器とは言え……名前がない訳もないだろう。
……だけど。
「……ぐっ」
私の問いを聞いてすぐ、隊長の口からは痛いところを突かれたという感じの、呻き声にも似た吐息が放たれていたのだ。
……どうやら、あまり触れて欲しくない話題だったらしい。
とは言え、隊長も隠す気はないらしく……私が問いを取り下げる前に、【死神】ヴォルフラムは渋々という口調で答えを口にしていた。
「この機体を設計したのは、俺と【眼鏡】の独断でな。
当時の俺たちは、物量に圧されつつある『へび卵砦』を救う一計になると考えていた」
隊長は苦い口調でそう語る。
……よほど言いたくない言葉を連ねるというように。
「コンセプトに武装、そして形状。
この惑星状の戦闘を一新する素晴らしい兵器だと、俺たちは考え得る限りの全てを詰め込んだ。
……寝る間も惜しんで、出来る限り現状の『歩砲』部品を流用し、誰が見ても納得する形に仕上げたんだ」
当時を思い出したのか、そう語るヴォルフラム隊長の口調は……僅かだけど少しだけ明るくなっていた。
……意外と彼は、機械の設計とかが好きな人なのかも知れない。
もし『大空襲』がなければ……ひょっとしてメカニックになろうと思っていたのかも、なんて空想してしまう。
勿論、そんな妄想の中の彼の隣には……私が立っている訳だけど。
「そして、完成したこの機体を、俺たちは経理部へと申請したんだ。
次期主力兵器になり得る機体として、な。
……予想されるコストを添えて」
っと、妄想をしている内にも、隊長の声色が徐々に暗くなっていく。
……それを聞くだけで、私にはもう何となくオチが予想でき始めていた。
と言うか、私が『へび卵砦』へ着任した時の主力兵器は『歩砲』で……そして、この機体が格納庫の奥で封印されていた時点で話は見えている。
「その申請書を見た経理部の連中は眉をしかめて……たった、一言、こう言ったんだ」
私は唾を飲み込む。
彼の沈痛な表情と、モニター越しに見える、幽かに震えるその腕が……未だに彼が『その一言』とやらに憤っていることが分かる。
そして彼は、吐き捨てるかのように、口を開いた。
「……『阿呆』と」
「……は?」
「それ以来、この機体コードはその名前……『阿呆』として登録された。
……哀しい思い出、さ」
「えっと……その、それは……」
私は、反す言葉が思い浮かばず、口ごもるしかない。
確かにそんな名前……誇れる訳がない。
人に言える訳がない。
……その機体にこれから命を預ける身であれば、なおさらだろう。
「ま、名前なんてどうでも良いさ。
要は、戦果を上げれば……な」
機体名の所為で、少しばかり私のテンションが下がったことに気付いたのだろう。
そう告げる隊長の声は、何処か吹っ切れたような、投げやりな声だった。
その彼の声は、葛藤して葛藤して葛藤して、怒って恨んで悔やんで悩んで……そうしてようやくたどり着いたような、どこか悟ったような響きを伴っていて。
その実感が籠った声は、私の気分に圧し掛かった重石をあっさりと取り払ってくれていた。
と言うか、ヴォルフラム隊長に気遣われていること自体、相棒としての矜持がある私としては屈辱なのだ。
──個人的にはちょっと嬉しいんだけど。
まぁ、その辺りは私も複雑だと言うことで。
そうしてよくよくマニュアルを見てみれば、必死にヴォルフラム隊長が苦悩して妥協点を見出したのか……最後の端の方に機体識別コード『AHO‐01』という名前が載ってある。
……その居た堪れなさに私はふとマニュアルから視線を逸らし……
「……もう、あんなに小さく」
ふと、背後へと視線を向けた時、タイミングがよほど良かったのだろう、砂塵の切れ目に……細長い歪な形をした球状の『卵』が映り込んできた。
……『へび卵砦』。
私がこの十日間ほどを過ごした、ちょっとだけ愛着の湧いてきた私たちの砦。
──アレを守るために、私たちは戦うのだ。
その姿を見て、私は決意を新たにし、戦意を向上させることで乗り物酔いなんて気合で吹き飛ばしていた。
私たちがこれから先も、あの場所で暮らすために。
……私たちの未来を守るために。
「絶対に、守り抜きましょうね、隊長」
「……ん?
ああ、そうだ、な」
私の声に、隊長は何処となく上の空のような返事を返してきた。
その気合の無さに私は少しだけ憤って彼の顔へと視線を戻し……
──あ、そっか。
彼が上の空だった理由に思い当たる。
【死神】という二つ名を持つほど好戦的な彼が、眼前に『あんなもの』を見せつけられているのだ。
……背後なんて振り返るような気分じゃないのだろう。
「……もう、こんな近くに」
「思ったよりも早い、な。
……残燃料が四割近く残っている」
……そう。
砂塵の切れ目から幽かに見えたのは、天まで届く巨大な塔。
……軌道エレベーター。
あの『農場』を……『卵』を無慈悲にも砕いた虐殺犯であり、私たち『へび卵砦』へと迫りくる兵器。
そして……私たちがこれから戦うだろう、『敵』である。
「さて、行くぞ。
準備は良いな?」
「はい。
……いつでも」
戦意を剥き出しにした、獰猛な獣の唸り声にも聞こえる隊長のその声に、私は静かに返事を返す。
武装の注意書きも覚えた。
さっきまで私を苦しめていた酔いも……気合が乗っている所為か、特に視界が揺れることもない。
そして……
──覚悟なんて、とっくに決まっているっ!
この戦場で共に死ぬ覚悟も。
この戦場を生き延びた後、延々と続く戦場で共に駆ける覚悟も。
……ベッドの中までお供をする覚悟も、子供を産む覚悟も、墓場まで共に老いる覚悟だってっ!
「良い返事だ。
行くぞ、アドリア=クリスティっ!」
「はいっ。
ヴォルフラム=ヴィルシュテッター、隊長」
──死が、二人を分かつまで。
ボソッと付け加えた私の内心の一言は、幸か不幸か隊長には聞こえず。
私たちの乗る『阿呆』という名の『へび卵砦』第二機甲師団第三部隊の秘密兵器は、一直線に敵『歩柱』の射程へと飛び込んで行ったのである。




