第五章 第四話
私は、ヴォルフラム隊長の先導に従って、まっすぐにハンガーに向かっていた。
さっきの戦いで言いたいことは大体口にしたけれど……尋ねたいことはまだ幾つもあった。
……故郷のこと、今までのこと、これからのこと。
彼のことなら何でも知りたいと思う私がいて、だからこそ私は……何から尋ねて良いかすら分からない。
──でも、ちょっとだけホッとした、かも。
ヴォルフラム隊長は望んで結婚する訳じゃなくて、そして今すぐに結婚する気は欠片もないらしい。
結婚相手とやらの妹さんには悪いけれど……そんな彼だからこそ、戦場ではこうして私が彼の隣を独占出来るのだ。
勿論、コレは私が望んでいた未来じゃない。
ラブラブでべたべたで幸せが長く続くような、甘々な将来が約束される訳じゃなくて……。
オイルと火薬と炎の臭いと、砂と血と汗と、殺意と死が飛び交う……そんな未来の、戦場の刹那を共有する。
このままの関係を続けるならば……私と彼は、そういう不毛極まりない関係しか構築出来ない、ということだ。
……それでも。
それでも……私は、彼の隣にはいられる。
──仕方ない、か。
──好意を自覚しちゃった以上、彼以外との未来なんて……考えることも出来ないんだから。
だからこそ、私はこうして【死神】の後ろを歩き、嬉々として戦場へと足を運んでいる。
私は、そんな自分の……少し前までは想像もしていなかった強い感情を持て余しつつ、ただ彼の後ろを黙って歩き続けていた。
そうして歩く内に、今一番尋ねたい疑問が浮かび上がってくる。
──そもそも、あの凄まじい『歩柱』という名の軌道エレベーターにどうやって立ち向かうつもりなのだろう?
この『へび卵砦』が誇る最強戦力である『歩砲』の、88mm主砲が何の意味もなさずに弾き返されたのだ。
そもそも『歩砲』という兵器は設計上、上方の敵を狙うようにはなっていない。
そして……『歩柱』と戦うためには、あのレールガンの弾幕を抜けながら戦わなければならないのだ。
──勝ち目なんて、浮かばない。
こうして冷静に考えてみると……私たちが乗る『歩砲』が爆破炎上して果てるという、絶望的な未来ばかりが頭に浮かんでしまう。
──それでも、彼の隣で最期を迎えるってのも、まぁ、悪くないかもしれないけれど……
──でも私としては、やっぱり生きて……彼と未来を築きたいんだけど。
そんなことを考えていた私は、自然と浮かない表情を浮かべていたのだろう。
私の顔色に気付いたらしき隊長は、歩きながらも口を開いてくれた。
「一応、作戦と勝機はある、つもりだ。
勿論……【眼鏡】のヤツの成果次第、だがな」
そう告げる隊長の眼は、いつも通り……冷静な人間の瞳であり、自暴自棄で勝てない相手へ特攻する人間の瞳とは思えなかった。
その事実に、私は少しだけ安堵する。
──勝算が、少しでもあるならば。
そうしている間にも今まで何度か足を運んだ、『歩砲』が置いていある格納庫が見えてくる。
「……うわぁ」
そこは、数日前に帰還したときそのままの……凄まじい惨状だった。
見慣れた『歩砲』は全て、まっとうな形をしていない。
足が焼き切れ、各部に弾痕が残っている……唯一原型を留めているらしきのは私たちが乗っていた『歩砲』で。
近くには本体が爆散し、コクピット部分が結晶化して固まっている機体が幾つも並んでいた。
……勿論、コクピット内の人間は救助されているらしく、結晶は半分くらい切り取られていたけれど。
他にも、脚が全て焼き切れていたり、主砲が残っていなかったり、炎上したらしく全体が黒く煤けていたりと……
兎に角、まっとうな機体など一つも見当たらない有様なのだ。
──これで、どうやって出撃するつもりだろう?
その惨状に、私は首を傾げていた。
この様子を見る限り……『歩砲』を全て失った私たち弾二機甲師団第三部隊を解体するという、上の判断はそう間違いでもないように思えてくる。
そんな惨状の中を、ヴォルフラム隊長は脇目も振らずにまっすぐ、格納庫の奥へと歩き続けて行く。
そうして、歩いて行った先には【眼鏡】さんこと、ヤマトさんの姿があった。
よほど疲れ切っているのか、その眼鏡の奥には真っ黒なクマが現れていて……どう見ても顔色が悪い。
「やぁ、時間通りだね。
……準備は出来ているよ」
「……流石、だな」
ヤマトさんの疲れ切った、だけど達成感を滲ませるその笑みに、ヴォルフラム隊長はそう一言かけただけだった。
それでも……彼ら二人の間には、何か通じ合うものがあったらしい。
【眼鏡】さんは、隊長に向けて軽く笑うと……
「性能、火器管制なんかはデータとして本体のバンクに登録してある。
説明するよりも引き出して見てくれた方が早いと思う。
あと、どの武装も実験中のヤツばかりだから、覚悟はしておいて」
そう話しながら格納庫の奥へと歩き始めた。
……どうやら、着いて来いということらしい。
ヤマトさんの背後には隊長、そしてその後ろに私と、三人は連なって格納庫の奥へと歩いて行く。
そうして格納庫の端にある赤い扉の前たどり着いたヤマトさんは、軍票へと触れる。
それを合図にして、その赤い扉はゆっくりと開き始めた。
その奥にあったのは……
「……期待通りの出来、だな。
相変わらず、良い腕だ」
「珍しいね、【死神】が人を褒めるなんて。
まぁ、どっかの誰かさんの命令で、日頃から廃棄品を集め、毎日毎日細々と加工し続けて来たんだ。
いずれ経理の連中の鼻を明かしてやろうと思ってね。
……苦労した甲斐はあると思うよ?」
男性二人が軍紀違反寸前のような会話を交わすその後ろで、私はその『機体』を見て絶句していた。
──大、きい。
その機体は四本の脚に放題を乗っけただけの『歩砲』とは異なり、私たちと同じ人型をしていた。
そのサイズは恐らく私の五倍から七倍ほど……今まで乗ってきた『歩砲』の倍以上の大きさである。
意味があるのかどうかは分からないが、その巨大な人型の機体は頭までもがしっかりとあり、手は指先までも人間と同じように作り込んでいる。
砂に対しての保護色のつもりだろうその機体色は、少し黄みがかった白で、あちこちの装甲が尖っているのが印象的だった。
ただその機体が人間と少しだけ違うところは……妙に太い足首周囲の装甲と、奇妙に広がった肩の部分だろうか?
──これは、噴出孔、ね。
どうやら脚の広まった部分と、広がった肩の部分はスラスターになっているらしく、この大きな機体を重力のある惑星上で運用するための仕掛けのようだった。
……くるりと機体の周辺を見ると、背中にも六つ、臀部にも三つのスラスターが見えていて、背中のスラスターの付け根には円筒型の燃料塔が生えている。
──アレ、一発でも被弾したら拙い、ような。
そんな恐れが私の胸中に芽生えるものの、すぐに首を振ってその恐怖を振り払う。
私はあくまで火器管制。
この機体を運用するのは【死神】という二つ名を戴くヴォルフラム=ヴィルシュテッター……ここに赴任してきてからずっと共に戦ってきた私の上司で。
──この身体を預けるに足る人物、なのだから。
……生憎と、まだそういう関係にはなってない、訳だけど。
っと、そんな妄想を抱いている場合じゃない。
敵は確実にこちらへと迫ってきているのだから。
私は次にこの機体の武装へと視線を移す。
──何よ、これ。
機体に積まれた武器らしきのは、両腕の甲から突き出している菱型の小さな盾と、両肩から生えてある巨大な砲塔、そして腰の両脇にある円柱型の砲塔、両ひざの外側にある三門ずつのロケット砲と、お尻にある二股の尻尾のような、小さなコンテナ。
それに加えて、両腕に握られているのは二丁のロングバレル・ライフルと、背中には四本のパンツァーファウスト、両肩に設置されてある箱はミサイルランチャーだろう。
まさに武装を載せられるだけ載せたという様子のその機体は、その凹凸の激しい外観も相まって鈍重そうにも見えた。
だけど……あの隊長が動かすのだから、この機体すらも使いこなして見せるに違いない、だろう。
──背後のコレは……戦場までの運搬機、かな?
その機体の腰後ろに接続されてあったのは、巨大なロケットと六本の円筒形燃料タンクが生えた歪な形のシャトル機。
そして、何故かその機体からは四本の長い金属片が……「そり」にも見える金属片が反り返って突き出してある。
勿論ソレらは薄く細く、この機体を支えられるとは思えない、飾りに過ぎないと断言できるが……
──【ライト条約】対策、ね。
どうやらコレで砂の上を「滑り」、私たちは敵機まで運ばれることになるらしい。
そのまま飛んでいけば良いようなものだけど……航空機全ての使用を禁じるという【ライト条約】を、この期に及んでまで遵守しようというのだろう。
──この機体で、戦うのだ。
──この私、アドリア=クリスティと、【死神】ヴォルフラム=ヴィルシュテッターが。
──この『へび卵砦』の命運を、賭けて。
そうして自分の命を預ける機体をジロジロと眺めてみると、突然、ヤマトさんから声がかけられる。
「悪いけど、武装は乗り込んでからチェックして欲しい。
どの武器も色々と試作段階だから、説明をよく読んだ上で」
「あ、はいっ!」
彼の言葉に頷きつつも、私はもうすぐそこまで迫っている戦いの予感に、気付けば咽喉を鳴らしていた。
……どうやら、ゆっくり観察している暇もないらしい。
「……そんなに、近くまで来ているのか?」
「思っていたより、早かったよ。
多分、猶予はあと数時間ってところ、かな?」
隊長の問いに、ヤマトさんは静かに答えていた。
もしかしたら私たちが暮らしてきたこの『へび卵砦』が壊されるかもしれないというのに、彼は全く取り乱した様子もなく。
……それだけ【死神】ヴォルフラムとこの新兵器を信頼しているのか、それとも……
「今日は砂が多いけど……下手にこっちから停戦命令なんて受けたくない、よね?」
「……当たり前だ」
ヤマトさんが冗談めかして笑うその声に、隊長は軽く頷いていた。
そして……
「これで、必ずあの忌々しいヤツを討ってほしい。
ボクの……いや、彼のためにも……」
そう言ったヤマトさんの胸には、彼のモノ以外の……黒く煤けた軍票がかけられていた。
それを見た瞬間私は、彼がどうして軍の命令に逆らってまでヴォルフラム隊長に協力してくれたかを理解していた。
……どうやらこの戦いは、彼にとっては仇討でもあるらしい。
──蘇生に失敗した、んだ。
あの戦いの後、気になって私は調べてみたけれど……幾ら生存確率を跳ね上げる優秀な『棺桶』と言えど、絶対の蘇生を約束するものではないらしい。
衝撃によって『棺桶』ごと破壊される、蘇生後の再生治療が間に合わないほどの致命傷を負う、そして蘇生そのものに失敗する等。
兵士が『棺桶』に入って蘇生できる確率は、凡そ七割程度であるらしい。
……だからこそ、彼ら『歩砲』乗りは皮肉を込めて、この疑似結晶体による身体凍結保持システムに『棺桶』という蔑称をつけているのだろう。
そんなヤマトさんの沈んだ顔を見た隊長は、彼の後頭部を軽く叩くと……
「当たり前だ。
俺は、『卵』を壊すヤツを許すつもりはない。
……例え、誰が相手であろうとも」
……力強く、そう告げる。
恋人の死に沈んだヤマトさんに顔を向けることもなく……その背中で全てを語るかのように。
「その言葉を聞けば、もう十分さ。
後は……よろしく」
【死神】隊長の返事を聞いたヤマトさんは、少しだけ笑ってそう告げると……振り向くこともなく、まっすぐに格納庫の入り口の方へと歩いて行く。
もう彼なりにやるべきことはやった、ということなのだろう。
「よし、乗り込むぞ。
いつも通り、火器管制は任せる」
「は、はいっ!」
ヴォルフラム隊長がそう告げるや否や、機体の胸に空いたハッチから、二つのウィンチが降りてくる。
……どうやらこの機体の操縦席は胸部にあるらしい。
隣で隊長がするように、そのウィンチに脚をかけると……私の身体はゆっくりと上へと運ばれて行った。
──高い。
今までの『歩砲』とは比べ物にならない高さに、私は思わず咽喉を鳴らしていた。
だけど、すぐに首を振って覚悟を決める。
──今から脅えていて、何が出来るっていうのだろう。
「まずは火器管制のチェックを頼む」
「は、はいっ」
隊長の言葉に私は頷くと、私の操縦席らしき左の胸へと乗り込む。
ハッチを締めると、周囲は真っ暗で何も見えなくなっていた。
──見えなくても隣には隊長がいる。
──脅えることなんて、何もない。
……そんなことを考えつつも、私は手探りでベルトを探し出し、身体にかける。
その時だった。
ふっと周囲が明るくなって、どうやら隊長が主電源を入れたらしい。
「っ?」
相変わらずの全天方位モニターを眺めつつ隣を見ると……隊長が椅子に座っているのが目に見える。
……どうやら、相方の様子が直接見える仕様らしい。
「……相方が乗る右手に死角が出来る、な。
いや、両腕両足が見える所為で、そっちも怪しい。
試作品ってのは、そういう訳か」
しかも、直接お互いの声が届く……通信を常にリアルタイムで開く仕様のようだった。
──どうせだったら、触れ合えるようにしてくれれば良いのに。
隊長がこの機体への不満を愚痴るのとほぼ時を同じくして、私もこのコクピットへの不満を内心で呟いていた。
……尤も、彼の不満と私の不満とは全く次元が違うのだけど。
そうして隣のモニターに映っている、こちらの姿を見ようともしない、相変わらずの隊長の姿に安堵感を覚えた私は少しだけ微笑むと……モニターに触れて火器管制をチェックし始める。
「ちょ、ちょっと、コレ」
だけど、私はすぐに驚きの声を上げていた。
「両腕のレールガンに、肩のレーザー砲って……」
この【トレジャースター】では、砂塵の所為で「安心して使えない兵装」と聞かされていたそれらの武器の存在に、私は思わず隊長の方へと視線を向ける。
すると……あ、目が合った。
「その辺りは工夫が施されてある。
向かっている途中に説明を読んで……いや、まずはチェックを済ませ」
「は、はいっ!」
隊長の声に私は火器管制システムの自己チェックを行い始める。
結果は……オールグリーン。
レールガンやらレーザー砲やら、どうにも納得出来ない兵器がゴロゴロしているようにも思えたが、今はそれどころじゃないらしい。
「チェック終わりましたっ!」
「こっちも問題ないな。
……じゃあ、発進するぞ。
悪いが……もう、後戻りは出来ないからな」
私の声とほぼ同時に、ヴォルフラム隊長はそう笑いかけてくる。
その声はこれから始まる激闘に浮かれているようにも、私に覚悟を呼び掛けているようにも聞こえて来て……
私は目を閉じ、一瞬だけ考え込む。
──このまま彼と、死地へ赴いても……
──私は、後悔しない?
その自問に対する答えは、脈拍一つ分もかからなかった。
──後悔は、すると思う。
──死んでも、大怪我しても。
……例え無傷で生き残っても、怖い思いをするのに違いはないのだから。
だけど。
──このまま彼を独りで行かせる方が、遥かに後悔するに決まってるっ!
いや、考えるこの時間はただの無駄だったのだろう。
そもそも【死神】ヴォルフラムと格納庫へと足を踏み入れた時点で、その覚悟なんてとっくに決まっている。
「はい。
問題ありませんっ!」
「上等っ!」
覚悟を込めた私の声に返ってきたのは、心底楽しそうな隊長の叫びだった。
横目でチラッと彼の方へと視線を向けると……彼は私に笑みを返してくれた。
その笑みは、自信満々で楽しそうな……まさに獰猛な肉食獣の笑みで。
──あっ。
私は何故か、彼のその笑みを直視できず……つい視線を逸らしてしまう。
彼の視線をまっすぐに受け止めることが、何故か酷く恥ずかしく思えて仕方なかった所為だった。
だけど……覚悟に変わりはない。
私は覚悟を決めた視線で、『歩柱』とかいう軌道エレベーターがある眼前を……砂塵が吹き荒れる砂漠の彼方を睨み付ける。
そんな私の覚悟を感じ取ったのだろう。
「なら、行くぞっ!
ヴォルフラム=ヴィルシュテッター、発進するっ!」
ヴォルフラム隊長はそう叫ぶと、この人型の機体を前へと動かし始めたのだった。




